体験談(留学・高度)

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By KOKORO(毎日新聞社+VAIJ主催、在ベトナム日本国大使館など後援)

今回の先輩

ルー・ホン・ゴックさん
  • 2012年 ホーチミン国家大学付属英才高校卒業 
  • 2012年 ドンズー日本語学校入学〈ホーチミン〉
  • 2013年 盛岡情報ビジネス専門学校入学〈岩手県〉
  • 2015年  秋田大学医学部医学科入学〈秋田県〉

〈1994年生まれ、ホーチミン市出身〉

地域医療への貢献を条件に日本語学校と大学医学部の計8年間の学費・生活費の全額を自治体の奨学金で負担してもらっているゴックさん。地域に溶け込み、医学部の日本人仲間に溶け込みながら、医師への道を着実に歩んでいる。

米国留学か日本留学か

米国に留学した高校の同級生3人と6年ぶりに米国で再会〈ロサンゼルスで2019年〉

私の親せきには留学経験者が多いので、私も早くから留学を考えていました。

・祖母(母の母)=中国留学

・母の姉=ドイツ留学(今もドイツ在住)

・母の妹=豪州留学(今も豪州在住)

そのため、小学生のときから英会話を習い、高校でも英語クラスを選択しました。英語クラスの先輩には米国留学者がたくさんいます。米国留学での奨学金は高校3年の1~3月に応募しなければならないので、早くから情報を集め、応募書類をそろえる必要があります。私も英語クラスの先輩たちから情報を集めていました。

一方、高2のときに日本留学に関する説明会が学校であり、日本の大学で英語での授業を受けるコースがあることも知っていたので、それに関する情報もネットで集めていましたた。

日本を選んだ理由

大好きな祖母〈岩手県で2019年〉

私は医学部に行きたかったのですが、情報を集めていくと、米国留学ではかなり費用がかかることが分かりました。米国で大学に入ってから医師になるまでには最短8年かかり、留学費用の一部を奨学金でカバーできたとしても、残りの自己負担が大き過ぎるのです。

そんなとき、祖母が日本留学に関するある情報を見つけてきました。それは、祖母がかつて通訳として働いていた医師の少ない地域の自治体が提供している奨学金制度で、医師になってからその地域の病院で数年間働くことを条件に、留学中の学費と生活費のすべてを自治体が負担するというものです。私はこの奨学金に応募し、高校3年生の年の12月か1月に受給が決まりました。

【奨学金申請での提出物】

成績表、志望動機書、校長の推薦書(ベトナム語)、推薦書の日本語訳など。

好条件の奨学金

秋田大学医学部に合格し、当時の一戸町長に報告〈2015年〉©毎日新聞社

私が受けた奨学金は岩手県一戸(いちのへ)町が提供する「医学生奨学金」です。日本語学校2年と大学医学部6年の計8年間の生活費(日本語学校時代は月10万円、大学では月16万円)と学費が支給されます。形式的には貸与ですが、医師になってから県立一戸病院で8年間勤務すれば、返済を免除されます。

高校卒業後にゼロから日本語を学び、日本語で医学を修得するという高いハードルで、実際、簡単ではありませんでした。しかし、奨学金のおかげでアルバイトに時間をかけずに済んだので、乗り越えられました。また、英語以外の外国語をマスターでき、自分の世界がさらに広がりました。

留学準備(日本語)

盛岡で一緒に勉強したドンズー仲間とは大学でも仲良し〈秋田大学で2017年〉

私は2012年5月に高校を卒業し、8月から約半年間、留学準備のためホーチミンのドンズー日本語学校に通いました。日本留学を目指す同校の生徒は通常、留学コースに入り、寮生活をしながら1年間学習します。私は寮に入りたくなかったので、初級集中コースで毎日午前中だけ授業を受け、午後は約5時間自習しました。訪日前の日本語レベルはJLPT(日本語能力試験)N4でした。

2013年4月、私はドンズーと提携する盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科(日本語学校)に入学しました。この学校は岩手県盛岡市にあります。盛岡では他のドンズー卒業生とも交流しましたが、私だけ留学コースではなかったので、最初は珍しがられました。

大学医学部合格への道

盛岡の日本語学校で同級生と〈2015年〉

日本語学校での2年間は日本語学習と大学入試の準備に集中しました。午前は授業で、午後は自習です。日本の大学に入るには、日本学生支援機構(JASSO)主催の日本留学試験(EJU)を年に2回受け、その成績を大学に提出しなければなりません。私はEJUで数学、化学、生物を選択しました。EJU対策では、学校の授業のほか、「理解しやすい」シリーズ(文英堂)などの問題集に取り組み、自分の理解があいまいだった問題をくり返し解きました。秋田大学の入試(私費外国人留学生入試)では、EJUの成績提出以外に数学、英語の試験と面接を受けました。

日本語については、学校で習ったことを完全マスターすることに集中し、繰り返し復習しました。また、私は音楽が好きなので、日本の歌(EXILEなど)をよく聴いてヒアリング練習の代わりにしました。分からない歌詞があれば調べて覚えました。生活の中でもなるべく日本語を使うように心がけました。こうして留学1年目にJLPT・N2、翌年にN1に合格しました。

医学部での取り組み

実習先の病院で休憩時間に〈2021年〉

秋田県は岩手県の隣にあります。私は岩手県で暮らしてみて、人のやさしさや物価の安さが好きになり、大学もこのエリアで選ぼうと思いました。そして、福島県立医科大学や岩手医科大学も検討しましたが、入試科目が数学と英語だけということが決め手になり、秋田大学を選びました。

大学入学後に1年間休学したので今は5年生です。4年の後期から1年間は、秋田大学附属病院で全診療科の実習をしました。5年後期からは、附属病院と外部の病院で実習を重ねています。5週間にわたって電車とバスで約1時間かけて病院に通ったこともあります。来年2月には医師国家試験を受けます。

卒業後は臨床研修が必要で、その期間は「研修医」と呼ばれます。研修期間は計5年のことが多く、最初の2年間は初期研修、残り3年間は後期研修です。研修がすべて終われば一戸町で医師をします。私は初期研修は東京などの大都会でやりたいと思っています。症例を多く経験できますし、日本の都会暮らしも少しだけ体験してみたいからです。

大学の仲間

医学部の同じ実習班の仲間と飲み会〈2020年〉

秋田大学にはベトナム人留学生が20人以上おり、ときどき飲み会をします。その中で盛岡の日本語学校の同期とは一緒に旅行に行くこともあります。

そして、一番付き合いが深いのは医学部の日本人の仲間です。医学部約120人の同期の中で留学生は私1人ですが、医学部では授業数が多く、朝から夕方まで仲間と一緒にいるため横のつながりが強くなります。病院実習が始まってからは、同じ実習班の5、6人で下宿(アパート)で遅くまで飲むこともよくあります。

医学部ダンス部の同期〈2018年〉

また、医学部だけ定期試験の日程が他学部と違ったり、病院実習があったりするので、サークル(部活動)も医学部生だけのサークルが多数あります。私は医学部ダンス部や全学のダンスサークル(S.P.Y)などに所属し、毎年、学園祭でダンスを披露してきました。

S.P.Yの仲間たち〈秋田大学で2017年〉

S.P.Yの同学年の仲間〈秋田大学で2018年〉

暮らしとアルバイト

ホームステイ先のご家族と〈一戸町で2013年〉

訪日して1年目は、一戸町が紹介してくれた家庭にホームステイしました。私と年の近い3女が両親と一緒に住み、結婚した長女も子どもさんを連れて時々遊びにきました。ご家族にはとても親切にして頂きました。ただ、通学に往復約2時間半かかるので、2年目は盛岡に住みました。

日本語学校時代は、ドンズー仲間2人と一緒に8カ月間、農業のアルバイトをしました。キャベツや大根、にんじんなどの収穫、洗浄、箱詰めをする仕事で、土日曜の朝から夕方までです。学校からの紹介で、社会勉強になりました。大学1年のときは塾で中学生に数学と英語を教えましたが、電車が少なく帰宅が遅いので半年でやめ、その後はスーパーのレジ担当を1年間やりました。

私の家計簿(1カ月の平均) ※大学5年

※100円=21,831ドン(2021年2月20日現在)

収入(合計 約160,000円)
奨学金

160,000円

支出(合計 約125,000円)
家賃

30,000円

※1人暮らし(ベッドルーム+リビングルーム)

光熱費

7,000円~15,000円

※電気・ガス・水道の合計(冬は高い)

携帯電話

6,000円

インターネット

5,000円

学費

0円

※生活費とは別に奨学金でカバー

食費

50,000円

※昼は大学の食堂、夜は自炊が多い

※外食や飲み会を含む

部活・サークル

10,000円

※飲み会の費用や大会参加費用など

教科書、模試、ネット予備校

10,000円

※国家試験などの準備

差額(貯金)平均35,000円

※仕送りなし。送金なし。

盛岡の日本語学校同期と旅行〈左:東京で2018年、右:ソウルで2019年〉

祖母が通訳の仕事で東京に来るときによく会いに行くほか、大阪・京都にも3、4回旅行しました。また、医学部の同期やダンス・サークルの仲間、日本語学校の同期などと一緒に韓国や台湾、日本各地にも旅行しました。

地域貢献のやりがい

医学部ダンス部の仲間と小旅行〈秋田県内で2019年〉

秋田県や岩手県を含む地域を東北地方と呼びます。東北地方の多くの町は都会ではありませんが、私はどこで医療をしても仕事の内容や価値は同じだと思います。また、今はネットで何でも購入できるので、買い物の点でもさほど不便はありません。

私が日本に来たとき、一戸町役場が20人以上で私の歓迎会をしてくれました。この町で私が医師としてどれだけ期待されているかが伝わりました。ホームステイ先のご家族とは今もLINEで連絡し合うほか、ときどき家に「帰省」します。一戸町の皆さんとも顔なじみです。求められて働くことはとてもやりがいのあることで、私は将来、この町に戻って地域の皆さまのために働くことをとても楽しみにしています。

S.P.Yの仲間とパーティー〈2020年〉

医学部ダンス部の仲間と東京旅行〈2019年〉

今回の先輩

Luu Hong Ngoc(ルー・ホン・ゴック)さん
  • 2012年 ホーチミン国家大学付属英才高校卒業 
  • 2012年 ドンズー日本語学校入学〈ホーチミン〉
  • 2013年  盛岡情報ビジネス専門学校入学〈岩手県〉
  • 2015年  秋田大学医学部医学科入学〈秋田県〉

〈1994年生まれ、ホーチミン市出身〉

地域医療への貢献を条件に日本語学校と大学医学部の計8年間の学費・生活費の全額を自治体の奨学金で負担してもらっているゴックさん。地域に溶け込み、医学部の日本人仲間に溶け込みながら、医師への道を着実に歩んでいる。

米国留学か日本留学か

私の親せきには留学経験者が多いので、私も早くから留学を考えていました。

・祖母(母の母)=中国留学

・母の姉=ドイツ留学(今もドイツ在住)

・母の妹=豪州留学(今も豪州在住)

そのため、小学生のときから英会話を習い、高校でも英語クラスを選択しました。英語クラスの先輩には米国留学者がたくさんいます。米国留学での奨学金は高校3年の1~3月に応募しなければならないので、早くから情報を集め、応募書類をそろえる必要があります。私も英語クラスの先輩たちから情報を集めていました。

一方、高2のときに日本留学に関する説明会が学校であり、日本の大学で英語での授業を受けるコースがあることも知っていたので、それに関する情報もネットで集めていましたた。

米国に留学した高校の同級生3人と6年ぶりに米国で再会〈ロサンゼルスで2019年〉

日本を選んだ理由

私は医学部に行きたかったのですが、情報を集めていくと、米国留学ではかなり費用がかかることが分かりました。米国で大学に入ってから医師になるまでには最短8年かかり、留学費用の一部を奨学金でカバーできたとしても、残りの自己負担が大き過ぎるのです。

そんなとき、祖母が日本留学に関するある情報を見つけてきました。それは、祖母がかつて通訳として働いていた医師の少ない地域の自治体が提供している奨学金制度で、医師になってからその地域の病院で数年間働くことを条件に、留学中の学費と生活費のすべてを自治体が負担するというものです。私はこの奨学金に応募し、高校3年生の年の12月か1月に受給が決まりました。

【奨学金申請での提出物】

成績表、志望動機書、校長の推薦書(ベトナム語)、推薦書の日本語訳など。

大好きな祖母〈岩手県で2019年〉

好条件の奨学金

私が受けた奨学金は岩手県一戸(いちのへ)町が提供する「医学生奨学金」です。日本語学校2年と大学医学部6年の計8年間の生活費(日本語学校時代は月10万円、大学では月16万円)と学費が支給されます。形式的には貸与ですが、医師になってから県立一戸病院で8年間勤務すれば、返済を免除されます。

高校卒業後にゼロから日本語を学び、日本語で医学を修得するという高いハードルで、実際、簡単ではありませんでした。しかし、奨学金のおかげでアルバイトに時間をかけずに済んだので、乗り越えられました。また、英語以外の外国語をマスターでき、自分の世界がさらに広がりました。

秋田大学医学部に合格し、当時の一戸町長に報告〈2015年〉©毎日新聞社

留学準備(日本語)

私は2012年5月に高校を卒業し、8月から約半年間、留学準備のためホーチミンのドンズー日本語学校に通いました。日本留学を目指す同校の生徒は通常、留学コースに入り、寮生活をしながら1年間学習します。私は寮に入りたくなかったので、初級集中コースで毎日午前中だけ授業を受け、午後は約5時間自習しました。訪日前の日本語レベルはJLPT(日本語能力試験)N4でした。

2013年4月、私はドンズーと提携する盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科(日本語学校)に入学しました。この学校は岩手県盛岡市にあります。盛岡では他のドンズー卒業生とも交流しましたが、私だけ留学コースではなかったので、最初は珍しがられました。

盛岡で一緒に勉強したドンズー仲間とは大学でも仲良し〈秋田大学で2017年〉

大学医学部合格への道

日本語学校での2年間は日本語学習と大学入試の準備に集中しました。午前は授業で、午後は自習です。日本の大学に入るには、日本学生支援機構(JASSO)主催の日本留学試験(EJU)を年に2回受け、その成績を大学に提出しなければなりません。私はEJUで数学、化学、生物を選択しました。EJU対策では、学校の授業のほか、「理解しやすい」シリーズ(文英堂)などの問題集に取り組み、自分の理解があいまいだった問題をくり返し解きました。秋田大学の入試(私費外国人留学生入試)では、EJUの成績提出以外に数学、英語の試験と面接を受けました。

日本語については、学校で習ったことを完全マスターすることに集中し、繰り返し復習しました。また、私は音楽が好きなので、日本の歌(EXILEなど)をよく聴いてヒアリング練習の代わりにしました。分からない歌詞があれば調べて覚えました。生活の中でもなるべく日本語を使うように心がけました。こうして留学1年目にJLPT・N2、翌年にN1に合格しました。

盛岡の日本語学校で同級生と〈2015年〉

医学部での取り組み

秋田県は岩手県の隣にあります。私は岩手県で暮らしてみて、人のやさしさや物価の安さが好きになり、大学もこのエリアで選ぼうと思いました。そして、福島県立医科大学や岩手医科大学も検討しましたが、入試科目が数学と英語だけということが決め手になり、秋田大学を選びました。

大学入学後に1年間休学したので今は5年生です。4年の後期から1年間は、秋田大学附属病院で全診療科の実習をしました。5年後期からは、附属病院と外部の病院で実習を重ねています。5週間にわたって電車とバスで約1時間かけて病院に通ったこともあります。来年2月には医師国家試験を受けます。

卒業後は臨床研修が必要で、その期間は「研修医」と呼ばれます。研修期間は計5年のことが多く、最初の2年間は初期研修、残り3年間は後期研修です。研修がすべて終われば一戸町で医師をします。私は初期研修は東京などの大都会でやりたいと思っています。症例を多く経験できますし、日本の都会暮らしも少しだけ体験してみたいからです。

実習先の病院で休憩時間に〈2021年〉

大学の仲間

秋田大学にはベトナム人留学生が20人以上おり、ときどき飲み会をします。その中で盛岡の日本語学校の同期とは一緒に旅行に行くこともあります。

そして、一番付き合いが深いのは医学部の日本人の仲間です。医学部約120人の同期の中で留学生は私1人ですが、医学部では授業数が多く、朝から夕方まで仲間と一緒にいるため横のつながりが強くなります。病院実習が始まってからは、同じ実習班の5、6人で下宿(アパート)で遅くまで飲むこともよくあります。

医学部の同じ実習班の仲間と飲み会〈2020年〉

また、医学部だけ定期試験の日程が他学部と違ったり、病院実習があったりするので、サークル(部活動)も医学部生だけのサークルが多数あります。私は医学部ダンス部や全学のダンスサークル(S.P.Y)などに所属し、毎年、学園祭でダンスを披露してきました。

医学部ダンス部の同期〈2018年〉

S.P.Yの仲間たち〈秋田大学で2017年〉

S.P.Yの同学年の仲間〈秋田大学で2018年〉

暮らしとアルバイト

訪日して1年目は、一戸町が紹介してくれた家庭にホームステイしました。私と年の近い3女が両親と一緒に住み、結婚した長女も子どもさんを連れて時々遊びにきました。ご家族にはとても親切にして頂きました。ただ、通学に往復約2時間半かかるので、2年目は盛岡に住みました。

日本語学校時代は、ドンズー仲間2人と一緒に8カ月間、農業のアルバイトをしました。キャベツや大根、にんじんなどの収穫、洗浄、箱詰めをする仕事で、土日曜の朝から夕方までです。学校からの紹介で、社会勉強になりました。大学1年のときは塾で中学生に数学と英語を教えましたが、電車が少なく帰宅が遅いので半年でやめ、その後はスーパーのレジ担当を1年間やりました。

ホームステイ先のご家族と〈一戸町で2013年〉

私の家計簿(1カ月の平均) ※大学5年

※100円=21,831ドン(2021年2月20日現在)

収入(合計 約160,000円)
奨学金

160,000円

支出(合計 約125,000円)
家賃

30,000円

※1人暮らし(ベッドルーム+リビングルーム)

光熱費

7,000円~15,000円

※電気・ガス・水道の合計(冬は高い)

携帯電話

6,000円

インターネット

5,000円

学費

0円

※生活費とは別に奨学金でカバー

食費

50,000円

※昼は大学の食堂、夜は自炊が多い

※外食や飲み会を含む

部活・サークル

10,000円

※飲み会の費用や大会参加費用など

教科書、模試、ネット予備校

10,000円

※国家試験などの準備

差額(貯金)平均35,000円

※仕送りなし。送金なし。

祖母が通訳の仕事で東京に来るときによく会いに行くほか、大阪・京都にも3、4回旅行しました。また、医学部の同期やダンス・サークルの仲間、日本語学校の同期などと一緒に韓国や台湾、日本各地にも旅行しました。

盛岡の日本語学校同期と旅行〈左:東京で2018年、右:ソウルで2019年〉

地域貢献のやりがい

秋田県や岩手県を含む地域を東北地方と呼びます。東北地方の多くの町は都会ではありませんが、私はどこで医療をしても仕事の内容や価値は同じだと思います。また、今はネットで何でも購入できるので、買い物の点でもさほど不便はありません。

私が日本に来たとき、一戸町役場が20人以上で私の歓迎会をしてくれました。この町で私が医師としてどれだけ期待されているかが伝わりました。ホームステイ先のご家族とは今もLINEで連絡し合うほか、ときどき家に「帰省」します。一戸町の皆さんとも顔なじみです。求められて働くことはとてもやりがいのあることで、私は将来、この町に戻って地域の皆さまのために働くことをとても楽しみにしています。

医学部ダンス部の仲間と小旅行〈秋田県内で2019年〉

S.P.Yの仲間とパーティー〈2020年〉

医学部ダンス部の仲間と東京旅行〈2019年〉