体験談(技能)
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作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。
今回の先輩
カ・チャン・ホアン・フイさん
- 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉
- 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉
- 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉
- 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉
- 2019年来日→講習→技能実習〈山梨県〉
- 2020年失踪し、友人宅に4カ月間滞在〈東京〉
- 2021年日越ともいき支援会で保護〈東京〉
- 2021年アルバイト〈北海道、長野、鹿児島〉
- 2022年一時帰国
◆このページの内容
- • 日本語をほとんど学ばずに来日
- • コンクリート関係の仕事
- • 長い移動時間に睡眠禁止
- • 十分にもらえなかった残業代
- • 私の家計簿
- • 低賃金と暴力・暴言
- • 組合に相談しても改善せず
- • 失踪中の生活
- •「日越ともいき支援会」に助けられ
- • 漁業やレストランでアルバイト
- • これからも日本で働く
日本語をほとんど学ばずに来日
私は高校を出て、観光バスの添乗員やトラック運転手をしていましたが、毎月の給料は約7,000,000 VNDしかありませんでした。そんなとき、いとこが日本に技能実習に行って順調に働いていたので、私も出稼ぎのために技能実習をすることになりました。
私は送出機関に登録し、会社の面接を待ちながら日本語で自己紹介をする練習をしました。2019年4月に面接に合格後、きちんとした日本語の授業を受けましたが、それは3カ月間だけだったので、ほとんど日本語が分からない状態で日本に行きました。送出機関には132,000,000VND(当時のレートで約65万円)を支払い、これ以外に寮費や食費(外食)なども必要でした。
コンクリート関係の仕事
生コンクリートを送り込むトラック(イメージ写真)
こうして私は2019年7月に来日し、翌月からコンクリート関係の技能実習を始めました。勤務先は山梨県の会社で、大きなトラックが数台ありました。トラックの荷台には折りたたみ式のアームとホースが付いており、工事現場でこれらを伸ばして、離れた場所や高い場所に生コンクリート(生コン)を流し込みます。ミキサー車で作った生コンをトラックのポンプとホースで建築物に送り込むのです。
私たちの作業(イメージ写真)
私たち技能実習生は生コンを流し込む場所にホースの先を運びました。その後、生コンを床に流し込むときはホースを置いて固定できますが、壁などに流し込む場合は、私たちがホースを肩に担いで2、3時間立ち続けました。太いホースは2人で担ぎ、細いホースは1人で担ぎますが、細いホースでもかなり重く、担ぎ続けるのはきつい仕事でした。
長い移動時間に睡眠禁止
私たちの平均的な1日はこうでした。
- 4:30 起床
- 5:00 トラック6、7台で会社(私たちの寮の隣)を出発。現場まで平均1時間~1時間半。
- 6:00~6:30 現場到着。仕事の準備(平均1時間)。準備が早く終われば休憩。
- 8:00~17:00 仕事(途中で3回・計90分休憩)
- 17:00 後片付けなど
- 18:00 現場を出発
- 19:00~19:30 帰宅
現場への往復は、トラック1台に3人(日本人1人、ベトナム人2人)が乗り、日本人が運転しました。しかし、私たちが何か話すと日本人が怒り、眠っても怒られるので、私たちは車内でずっと黙って景色を眺めていました。技能実習生はSIMを持っていないので車内では携帯電話も使えず、移動時間はとても退屈で疲れました。
十分にもらえなかった残業代
会社から現場まで片道3、4時間かかることもありました。しかし、往復6~8時間の移動が毎日続いても、手当はまったく増えませんでした。また、それ以外にも次のようなことがありました。
- ①毎日忙しく、昼の休憩なしで働き続けることが2日に1回ほどありました。しかし、昼の休憩(1時間)をつぶして働いても残業代は増えませんでした。
- ②毎日、準備と後片付けで平均2時間働きましたが、この時間にも残業代が支払われませんでした。
準備以外の正規の作業時間が延びることもありましたが、私たちがもらった残業代(毎月5時間分)はそれすらカバーできない額でした。このため手取り給料は9~10万円しかありませんでした。
※今の職場での家計簿
※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在)
収入:100,000円 | |
給料 | ¥100,000 |
|
|
支出:45,000円 | |
食費(主に自炊) | ¥30,000 |
生活雑貨、衣類 | ¥10,000 |
交際費など雑費 | ¥5,000 |
毎月の差額:55,000円 |
低賃金と暴力・暴言
私はベトナムでこの会社の社長に面接(通訳付き)をしてもらったとき、毎月18万円もらえると聞きました。しかし、来日して先輩に聞くと、手取り18万円もらえたのは1回だけだったそうです。
移動時間が長く、仕事内容は過酷で、残業代も十分に支払われないうえ、一緒に働く日本人の一部(3人)は気に入らないことがあるとすぐに怒鳴りました。私はラチェットレンチという工具で頭をたたかれたことも2回あり、ヘルメットをかぶっていても大変な衝撃でした。私はこのような理不尽な職場に失望し、失踪することにしました。
組合に相談しても改善せず
左:仕事で毎日顔が汚れました。右:疲れて休憩時間に現場で眠る先輩。
技能実習では監理団体(組合)が実習生のケアをします。組合の担当者はベトナム人通訳を伴って毎月2回、会社に来ましたが、私たちとの面談には毎回、会社幹部が立ち会いました。組合によっては、正社員の通訳が実習生の悩みを直接聞くシステムもありますが、この組合の通訳は毎回違う人(アルバイト)で、頼りになりませんでした。私たちは残業代不払いや移動時間に眠れないことなどを改善してほしいと組合に何度かお願いしましたが、何ひとつ改善されませんでした。
失踪中の生活
こうして、私はこの会社で働き始めて13カ月目の2020年9月、現金20万円と小さな荷物を持って会社を去りました。社長に告げ口されると困るので、ほかの実習生2人にも黙って失踪しました。
思い描いていた日本とは違ったので、私は一刻も早くベトナムに帰りたいと思いました。しかし、新型コロナの影響でベトナムへの航空券が手に入らなかったので、チケットが取れるまで友人のミン君(仮名)の家に泊めてもらうことにしました。彼は日本で知り合った友人で、別の会社を失踪し、東京に住んでいました。私は電車を約3時間乗り継いで彼のところに行きました。彼は不法就労をしている様子でしたが、私は早く帰国したいので働きませんでした。しかし、航空券はなかなか買えず、2021年1月に入ると、所持金は約5万円しか残っていませんでした。
「日越ともいき支援会」に助けられ
そんなとき、ミン君が「NPO法人日越ともいき支援会」のことを聞いて私に教えてくれました。2021年1月、私は支援会にベトナム語でメッセージを送り、事務所を訪ねました。すると、その日から支援会のシェルターに無料で住めることになり、数十人の元実習生と共同生活を送りました。
私は支援会で約2カ月間、毎日、日本語の授業を受け、自習も何時間もしました。その間、支援会は外国人技能実習機構(OTIT)や以前の組合、入管と連絡を取り、私が日本に残って働くためのさまざまな打ち合わせや手続きをしてくれました。おかげで私は新型コロナに関連する特例の在留資格を取得できました。この在留資格の期間は6カ月でしたが、その後2回更新でき、私は日本で約1年半、アルバイトをすることができました。
漁業やレストランでアルバイト
左:ホタテ貝。右:軽井沢。
ホタテの養殖
日本に残って働けることになった私は、支援会の紹介で北海道のホタテ養殖業者で2021年3月から3カ月間アルバイトをすることになりました。小さなホタテ貝を海から引き上げ、貝がらに穴を開けて糸でつなげるのが主な仕事で、主に陸で働き、ときどき船に乗りました。
レストラン
ホタテ養殖の繁忙期が終わり、東京に戻って支援会などに泊めてもらった後、9月から3カ月間、長野県・軽井沢の高級レストランで働きました。野菜を切ったり皿を洗ったりする仕事で、まかない(従業員向けの食事)を1日3食食べられるのが魅力でした。軽井沢は有名なリゾート地なので、休みの日には、別の店で働くベトナム人と一緒に町を散策しました。
ラーメン店
3つめのアルバイトは鹿児島県のラーメン店「田所商店」で、仕込み(野菜やチャーシューを切る)、麺(めん)をゆでる、食材を炒(いた)める、スープを作る、皿洗いなど幅広い仕事を担当しました。全国展開の人気店で、私はこの店で2021年12月の新規オープンから約9カ月間働きました。一緒に働いた日本人は皆さん親切で、来日してから一番働きやすい職場でした。
これからも日本で働く
私は北海道のアルバイトから長野県のアルバイトに移る間、日越ともいき支援会に泊めてもらったほか、JP MIRAI(JICAなど主催)が東京で開いた元技能実習生向け研修会に参加しました。約1カ月半に渡ってJICAの施設に住み、日本語の授業を受けたり、今後のキャリアについて学んだりしました。
日越ともいき支援会のおかげで、私は引き続き日本で働く方法があることを知りました。そして、JFT-Basicで238点を取り、特定技能「外食業」の技能試験にも合格しました。そこで、2022年9月にいったんベトナムに帰国し、特定技能の在留資格を申請中です。特定技能外国人として再び来日したら、これまでと同じラーメン店で働きます。これまでの日本滞在では、来日前に借りたお金を返すのが精一杯だったので、今度こそしっかり貯金したいと思います。
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VOL. 86 OTITと支援団体の支援で職場変更(技能実習)
ベトナムで聞いた内容とはまったく違う仕事を毎日させられたチュンさん。外国人技能実習機構(OTIT)に相談して約束違反の仕事はなくなったものの、職場変更はできませんでした。しかし、実習生を支援する団体に相談すると状況が一変し、別の職場で技能実習を再開することができました。 今回の先輩 グエン・デュック・チュン さん 2011年高校卒業 2012年兵役 2014年建設関係の仕事〈ハノイ〉 2019年送出機関で日本語学習〈ハノイ〉 2019年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2021年アルバイト〈愛知県、岐阜県〉 2022年別の会社で技能実習再開〈静岡県〉 〈1993年生まれ、ナムディン省出身〉 ◆このページの内容 • 母に楽をさせるために出稼ぎ • 事前の約束と違う仕事 • 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 • 約束違反の仕事がなくなる • 技能実習の継続を断念 • 支援団体の支援で状況が一変! • 支援団体に頼ろう • 技能実習を再開 • 私の家計簿 •TikTokで日本語会話 •将来のこと 母に楽をさせるために出稼ぎ ベトナムでしていた仕事 私は兵役を終えてからハノイのいくつかの会社で働き、溶接やクレーン車の運転などをしました。しかし、毎月の給料が平均約8,000,000 VND(当時の約4万円)しかなかったので、外国で出稼ぎをして母に楽をさせてあげたいと思うようになりました。そして、日本より給料の高い韓国にも興味がありましたが、日本の技能実習の方が採用されやすかったので、そちらにしました。 私は親せきから紹介されたハノイの送出機関に登録し、訪日までに 計約120,000,000 VND(当時の約60万円)を自分の貯金で払いました。そして、最初の企業面接で合格し、送出機関の日本語センターで6カ月間、日本語を学びました。 事前の約束と違う仕事 清掃前(左)と清掃後(右)のグリストラップ こうして私は2019年10月に来日し、11月から愛知県の会社で技能実習を始めました。日本に来る前の約束では、私はガス管や水道管などを設置する「配管」の仕事をすることになっていました。しかし、実際の仕事の大半は清掃関係でした。私と同僚のベトナム人が実際に担当した仕事を紹介します。いずれも単発の仕事ではなく、何回も行った仕事です。 グリストラップ清掃 日本の飲食店には、油や残飯などが下水に直接流れ込まないよう、それらを分離して貯める「グリストラップ」という装置があります。この装置は定期的に掃除しなければなりません。私たちは飲食店に行って、グリストラップに貯まった汚れをホースで吸引し、残った汚れを洗剤とブラシで洗い落としました。 川の清掃 川や池の清掃 小さな川の水面に水草やゴミが貯まる場合があります。私たちは川に入ってそれらをホースで吸引する仕事をしました。しかし、ベトナム人2人と日本人2人で現場に行った場合、川に入るのはベトナム人だけでした。ほかにも汚れる仕事や重い物を運ぶ仕事はベトナム人だけがさせられることがよくありました。また、冬に浅い池に入って大量の水草を刈り取る仕事もありました。 溝掃除 道路脇の溝にたまった土砂をかき出しました。 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 external link OTITの母国語相談 私は約1年、このような約束と違う仕事にがまんしました。しかし、外国人技能実習機構(OTIT)の母国語相談のことを知り、OTITに会社を指導してもらいたいと思って2020年11月にOTITのHPからベトナム語でメッセージを送りました。すると、メールで返信があり、相談員と何度かベトナム語でやり取りしましたが、途中で4週間近く返事が来なくなりました。 このため、私は母国語相談に見切りを付け、今度はOTIT名古屋事務所に直接電話をかけました。私は監理団体(組合)から支給された携帯電話を持っていたので、それを使いました。すると、1カ月以内にOTITから会社に連絡があり、社長と事務長と私の3人でOTIT名古屋事務所に行くことになりました。後で知ったのですが、母国語相談はOTITが外部に委託しており、相談員のレベルに個人差があるそうです。 約束違反の仕事がなくなる OTITに相談後、この写真のような約束違反の仕事はなくなった。 OTIT名古屋事務所では、社長と事務長がまず事情を聞かれ、その後、私が仕事内容やいじめの有無などについて聞かれました。数日後、OTITのスタッフが会社で私だけに会い、「これからどうしたいか」と聞いたので、私は「職場を変わりたい」と答えました。その後、OTITと組合が協力して他の会社を私に紹介し、私は面接を受けましたが、その会社は自分に合わないと思って断りました。 ただし、社長と私がOTITから呼び出しを受けて以来、私は清掃の仕事から外され、毎日、配管に関する本を読むだけの仕事に変わりました。それから約4カ月後、OTITは会社に立ち入り調査をしましたが、結果はすぐには出ませんでした。私は約束と違う仕事から外されてうれしかったのですが、本を読むだけの生活に嫌気がさしてきました。 技能実習の継続を断念 それから半年後の2021年6月、私は会社をやめました。事前に、技能実習生などを支援している在日ベトナム人から紹介された岐阜県内の組合に連絡したところ、新しい職場を紹介してくれるとのことでした。新しい組合がこのことをもとの組合やOTITに連絡してくれたので、私は会社をやめて新しい組合の宿泊施設に身を寄せたのです。 新しい会社で技能実習を始めるまでそこに無料で住めることになり、無職の状態で3カ月間滞在しました。そこには、私と同じような転籍待ちの人や帰国の飛行機待ちの人が数人おり、一緒に海に遊びに行くなどしました。また、日本語の勉強にも力を入れました。 アルバイト生活のときに京都や大阪に旅行 この組合は私が新しい会社で働くための入管手続きを申請してくれましたが、3カ月近く経っても許可がおりませんでした。そのころ、前の会社に対するOTITの調査結果が出たのですが、「会社のやり方は違法とまでは言えない」という内容でした。このため、私が新しい会社で働くための入管の許可が降りない可能性があると言われ、途方にくれました。 私は今後どうしたらよいかOTITに相談したところ、「技能実習をやめて新型コロナ関連の特例の在留資格(帰国困難の特定活動)を取れば、日本に6カ月以上滞在でき、その間はアルバイトができる」というアドバイスでした。私はもとの組合に手伝ってもらってその在留資格に変更し、期間限定でアルバイトをすることにしました。 支援団体の支援で状況が一変! 榑松さんと私〈名古屋市で〉 こうして私は2020年9月にアルバイト生活を始めました。最初は愛知県の工場でパチンコの機械を組み立てる仕事、次は岐阜県の工場でシリンダー製品にシールをはる仕事をし、最後に岐阜県の車の部品工場で働きました。 そんなとき、私は、技能実習生の支援実績が豊富な「外国人実習生SNS相談室」のことを知り、代表の榑松佐一(くれまつ・さいち)さんに会って相談しました。榑松さんは、私が技能実習生に戻れるようOTITと交渉してくれました。すると、私はOTIT名古屋事務所に1年ぶりに呼び出され、前の会社での仕事内容についてもう一度ヒアリングを受けました。その結果、OTITがもう一度新しい会社を探して私を技能実習生に戻してくれることになりました。 支援団体に頼ろう external link KOKORO|総まとめ・ベトナム人向け相談窓口 榑松さんはOTIT名古屋事務所に対し、私が川や池の掃除をしている動画などを見せ、約束の職種と違うので、私の職場変更を支援してくれるように交渉しました 私が1年前に社長と一緒にOTITに呼ばれたときにもその動画を見せたのですが、そのときは、職場変更を最後までは支援してもらえませんでした。しかし、榑松さんの交渉後、私はOTITの支援で技能実習生に戻り、職場も変わることができました。 OTITは技能実習生にとって大事な機関ですが、私の説明や交渉が不十分だったのかも知れません。後輩の皆さんも、もし行き詰まった場合は、このように支援団体に頼ってください。 技能実習を再開 日本人従業員と一緒に富士山へ 「外国人実習生SNS相談室」に相談して約3カ月後の2022年3月、私はOTITが探してくれた静岡県の建設会社に面接に行き、そこで働けることになりました。そして、新しい在留資格をもらうまで別の職場でアルバイトを続け、5月からこの会社で技能実習を再開しました。 この会社では実際に配管の仕事をさせてもらっていますし、日本人の従業員たちも親切です。古い下水管は汚いので、それを運ぶのは嫌な仕事ですが、この会社では日本人も嫌な仕事を公平に分担し、ベトナム人だけに押しつけることはありません。私は休憩時間に日本人従業員とおしゃべりすることも多く、中には、休日に車で富士山のふもとの観光施設に連れて行ってくれた人もいます。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:115,000~140,000円 給料 ¥115,000~¥140,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) *勤務日の昼弁当の費用も給料から天引き 支出:40,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥5,000 交際費 ¥5,000 毎月の差額:75,000~100,000円 TikTokで日本語会話 私のTikTokアカウントとJFT-Basicのスコア ところで、私は週に3、4回、TikTokのライブで知り合った日本人とビデオ通話で会話をしています。前の会社をやめる少し前から日本語の勉強時間を増やし、職場やTikTokで日本人と積極的に話すことも続けているので、日本語力がかなり伸びました。国際交流基金のJFT-Basicでも235点を取り、「生活に支障がない程度の日本語能力水準」と判定されました。 将来のこと 配管工事の仕事現場 私は来日後の2019年12月~2023年1月(途中3カ月間は無職)に約280万円を貯金しました。来日前に送出機関に支払った費用を差し引いても約220万円あります。今後、日本でさらに半年間働けますので、貯めたお金で帰国後に家を買いたいと思っています。 2023年8月に技能実習が終ったらいったん帰国し、婚活をしながら将来日本に戻るかベトナムで働くか考えます。日本に戻る場合は特定技能外国人になれるよう、介護の技能試験に既に合格し、農業の技能試験も勉強中です。また、ベトナムで働く場合は日本語力を生かして工場で良いポジションを得たいと思っています。
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VOL. 84 技能実習と特定技能の計4年で370万円貯金
技能実習生の間で人気のない建設業ですが、建設の中でも内装業では比較的トラブルが少ないとされています。内装会社で技能実習をしたチュンさんや仲間のほとんどが同じ会社で特定技能外国人になりました。職場の様子やチュンさんが日本語を話せるようになった秘訣を紹介します。 今回の先輩 ホアン・クァン・チュンさん 2014年 高校卒業〈クアンビン省〉 2015年韓国系企業の工場で勤務〈ドンナイ省〉 2018年送出機関で日本語を勉強(8カ月間) 2018年訪日→講習→内装の技能実習〈兵庫県〉 2021年 同じ会社で特定技能に移行 〈1996年生、クアンビン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行こうと思った理由 •ベトナムの送出機関 •電車で通勤 •7週間の出張も •同じ会社で技能実習から特定技能に •4年間で実家に450万円送金 •ボランティア日本語教室 •日本に残るかベトナムに帰るか 日本に行こうと思った理由 送出機関の教室で 私は高校を卒業後、半年あまり両親の農業(稲作)を手伝い、その後、高校の同級生が働くドンナイ省のワイヤー工場で2018年まで3年間働きました。しかし、毎日12時間(週6日間)働いても、残業代を含めて毎月約10,000,000 VND(約55,000円)しかもらえませんでした。これでは、どんなにまじめに働いてもほとんど貯金できません。 そんなとき、同年代で仲良しの親せきが日本に技能実習に行ったので、彼が休暇を取って一時帰国したときに技能実習の費用や仕事、給料について教えてもらいました。その話を聞いて、私も日本で働いて両親にお金を送りたいと思い、技能実習生になることにしました。 ベトナムの送出機関 送出機関の先生や仲間たち 私は勤務先のドンナイ省に近いホーチミンの送出機関を選びました。そして、企業面接に合格したので、会社を辞めて送出機関の寮に入り、8カ月間日本語を勉強しました。私がこの送出機関に支払った費用は約160,000,000 VND(手数料、教育費、寮費、ビザ取得費など)です。 ※編集部コメント:この費用は当時のベトナムの送出機関の平均ですが、国が決めた費用よりかなり高いです。 私が合格した会社は建築の内装を行う会社なので、送出機関での授業の半分は日本語で、残り半分は内装の勉強や実習でした。私は毎晩4時間自習して日本語をできるだけ覚えるようにしました。そして、来日後も日本語の勉強を続け、会社に相談したいことは組合(監理団体)に頼らず自分で直接相談するようにしています。その方が自分の意図が確実に伝わるからです。 電車で通勤 私たちの住む地域を走る電車とモノレール 私の会社にはベトナム人が13人(技能実習生8人、特定技能外国人4人、エンジニア1人)います。私は同期・後輩の計4人と一緒に1戸建ての寮に住み、6:00に起きて6:30に家を出ます。寮は大阪府にあり、勤務先は大阪・兵庫・京都などの建築現場です。電車が発達しているので電車やバスで現場に通い、不便な場所に行くときだけ日本人が運転する車で一緒に行きます。7:30までにマンションやホテルなどの建築現場に着き、8:00から18:00まで働きます。私は天井や壁のボードのはり方も学びましたが、最近は、フローリングをはる仕事が中心です。 現場には、さまざまな会社から作業員が集まります。私たちは1つの現場に1~3人で行くことが多いのですが、通常は他社との連絡のために日本人も一緒です。しかし、私は日本語が上達したので、15階建てぐらいまでの規模の現場なら1人で担当することも多くなりました。 7週間の出張も 出張先の鹿児島市の風景 私の会社は兵庫県に本社があり、東京と福岡に支社があります。支社の仕事で人が足りないときは私たちが出張で手伝うのですが、特定技能外国人になってから出張が増えました。例えば、2022年9月23日から11月16日まで鹿児島県(福岡支社の管内)に出張し、新築19階建て高級ホテルの内装(フローリング)を担当しました。 このときは3人で車で現地に行き、大阪から鹿児島まではフェリーに乗りました。フェリーでの移動は12時間かかりましたが、1人部屋の船室を使わせてもらったので、快適でした。鹿児島では、台所や冷蔵庫、洗濯機があるウイークリーマンション(1人1室)に住み、車で運んでもらった自分の炊飯器や鍋でいつも通り自炊しました。 同じ会社で技能実習から特定技能に フローリングはり付け工事の様子 私たちの会社は忙しいので、週に1度しか休めません。しかし、残業代や休日出勤手当はきちんと支払われますし、お盆や正月などには連休もあり、用事があるときは有給休暇も取れます。また、一緒に仕事をしている日本人の皆さんは親切ですし、新年会やバーベキュー・パーティーなど会社主催の楽しい食事会もあります。社長もやさしい人で、先輩は社長に相談してベトナムに約6週間、一時帰国することができました。 このように働きやすい職場なので、3年間の技能実習が終った後、帰国する仲間以外は皆、他社に移らずこの会社で特定技能外国人になっています。特定技能なってからは、毎月の手取り給料が約3万円増え、ボーナス(20万円以上)も年に1度もらえるようになりました。 4年間で実家に450万円送金 「自分へのごほうび」として買ったiPhone 私は技能実習の3年間で約300万円を実家に送りました。そして、特定技能外国人になってからは、基本給も上がり出張手当も多かったので、1年間で約150万円を送ることができました。弟もシンガポールの中華料理店で働いて実家にお金を送っているので、両親は約2年前、私と弟のお金で自宅を建て替えました。そのときに銀行からもお金を借りましたが、それももうすぐ完済できそうです。 私は忙しいのであまり旅行もしませんし、欲しいものもほとんどありません。日本で買った主な物と言えば、約25,000円の腕時計と日本語能力試験(JLPT)・N3に合格したときに「自分へのごほうび」として買った約70,000円のiPhoneぐらいです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※特定技能外国人になってからの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:190,000円 給料 ¥190,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(25,000円)、光熱費(4,000~5,000円)、Wi-Fiと携帯電話の通話料金の一部(2,500円)は給料から天引き 支出:50,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 雑費 ¥10,000 毎月の差額:140,000円 ボランティア日本語教室 external link KOKORO:ボランティア日本語教室 私たちのような現場仕事では、一緒に働く日本人と最低限のコミュニケーションをとれないと仕事に支障があります。これは技能実習をめぐるトラブルの大きな要因にもなっています。私は来日して8カ月でJLPT・N3に合格し、同期や後輩のベトナム人も勉強して必要最低限の日本語会話ができるようになりました。仕事の休憩時間などに日本人とよく雑談をするので、そのことも日本語力向上につながっています。 私は来日してからも毎晩1、2時間、日本語の勉強を続けています。また、地元の国際交流協会が主催するボランティア日本語教室(無料)にも3年間通いました。この教室では、先生が参加者の外国人に日本語を2時間教えてくれるのですが、マンツーマンのときも多く、毎週1回通うだけで大きな効果がありました。最近も、後輩の実習生に教室を紹介するために一緒に行きました。 日本に残るかベトナムに帰るか ベトナム人仲間に誘われてボランティアのゴミ拾いに参加〈大阪市で2022年〉 私は自習と日本語教室と職場での会話によって日本語をかなり話せるようになり、今はJLPT・N2を目指して勉強しています。しかし、日本語教師や通訳を目指しているわけではありません。技能実習や特定技能で内装に関する知識・技術を身につけたので、将来もこの業界で生計を立てていきたいと希望しています。 しかし、将来、日本に残るかベトナムに帰るかについては悩んでいます。私は来日前、ベトナムの工場で毎日12時間・週6日間働いても給料が10,000,000 VNDしかなく、「ベトナムでまじめに働いても一生貯金はできない」と思って日本に来ました。しかし、ここ数年でベトナムでの給料も上がり、その工場に残った友人の給料は当時の1.7倍になりました。ベトナムでも高層マンションは増えており、フローリングの需要も拡大していく可能性があります。将来の結婚や家族生活、ベトナムでの今後の所得増加を考えると、特定技能が終わったら帰国するという選択肢もあると思っています。
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Vol. 82 日本語マスターのために技能実習
「日本人と交流して日本語を学ぶ」という目的で技能実習生として日本に行くことを決めたヴァンさん。日本では「ボランティア日本語教室」を活用。職場で見つけた日本人の友だちともたくさん交流し、日本での3年間でJLPT・N2に合格しました。 今回の先輩 ホ・ティ・テュイ・ヴァン さん 2009年 高校卒業 〈ホーチミン〉 2012年 ホーチミン市工業大学附属高等専門学校卒業 2012年 日研精密工業入社〈ホーチミン〉 2015年 技能実習生として来日〈大阪府〉 2018年 ベトナムに帰国 2019年 日系企業の営業部勤務〈現在も〉 〈1991年生まれ、ハティン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行くことを決めた理由 •低費用で良質の送出機関 •ボランティア日本語教室 •日本人との交流 •大学の食堂で勉強 •私の家計簿 •親切な監理団体(組合) •日本人の親切さ •帰国後は日系企業に勤務 日本に行くことを決めた理由 ホーチミンの会社の同僚たちと 私は高等専門学校(経理専攻)を卒業後、日本の部品メーカーのホーチミン事務所で経理として働きました。日本人2人、ベトナム人4人の職場でしたが、私以外のベトナム人3人は日本語を話せたので、仕事を進めるうえで、自分だけが同僚に通訳・翻訳を依頼しなければなりませんでした。 それが悔しくて、ホーチミンの有名な日本語学校(月~金、毎日2時間)に5カ月間通いましたが、思うように日本語が身につかず、もっと徹底して日本語や日本文化を勉強したいと思うようになりました。そんなときに技能実習制度を知りました。私は「留学に行くほどの資金はないが、技能実習の3年間で日本語を身につける人も多いので、自分も挑戦してみよう」と考えて技能実習に応募しました。 低費用で良質の送出機関 CICSで日本語の先生や同級生たちと(前列右が私) 送出機関はホーチミンのCICSを選びました。友だちの友だちがそこで勉強していたからですが、評判を調べた結果、日本語教育レベルの高い会社だったので、そこに決めました。CICSには日本人の先生もいましたCICSでの日本語の授業は毎日約8時間で、授業後に自習も約2時間しました。こうした準備を約半年間重ねた後、大阪の工場で働くために訪日しました。 ところで、CICSはベトナム政府が決めた手数料を守っている数少ない送出機関の一つだったので、私は自分が働いて貯めたお金だけでCICSへの支払いをまかなうことができました。 ボランティア日本語教室 日本語教室の廊下で生徒仲間の外国人たちと 私は日本で約2年半、「ボランティア日本語教室」に通いました。私が勤務していたのは大阪府茨木市で、教室は隣の吹田市にありました。吹田市国際交流協会が主催する教室で、授業は週に2回、毎月の月謝は約500円でした。授業内容は、水曜が年配の男性とマンツーマンで会話、土曜はその先生の奥さんやほかの先生と4、5人の生徒で会話をしました。 来日前に送出機関の先輩から「ボランティア日本語教室」を勧められていましたが、探し方がわからないので、職場で仲良くなった同じ年齢の日本人女性に探してもらいました。17時に仕事が終わり、自転車で駅まで行って約30分間電車に乗って教室に行き、18時から授業を受けました。仕事で疲れているので、眠り込んで電車を乗り過ごしてしまうこともときどきありました。 external link KOKORO:ボランティア日本語教室の探し方 日本人との交流 日本語教室の先生から頂いた本 ボランティア日本語教室の良さは日本語を勉強できることだけではありません。一生懸命に勉強を続けていると、先生方と仲良くなり、個人的な交流も生まれます。 先生方は私のことを親しみを込めて「ヴァンちゃん」と呼んでくれるようになり、私も先生方を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになりました。 「お父さん」「お母さん」は日本での生活に関するさまざまなことを教えてくださいました。また、自分で栽培したトマトやキュウリを私に持ち帰らせてくれることもありました。お正月には2人の自宅にも招いていただきました。私は帰国してからもときどき、2人にLINEで近況報告をしています。 また、職場でも、私と同じ年齢の日本人女性と友だちになれました。 別の部署の女性でしたが、会社で会うといつも笑いかけてくれるので、私から話しかけて仲良くなりました。彼女とは、仕事後に一緒に外食をしたり、彼女の家で一緒にご飯を作って食べたりしました。最後の1年は同じ部署になり、一緒に働くことができて、とても楽しかったです。 また、数年年上の女性も、私が休憩時間に自動販売機の前でドリンクを飲んでいると、話しかけてくれました。私は「話す機会を増やすことが外国語の上達に必要」と考えていたので、まだ日本語がつたなかったときからその人にも積極的に話しかけ、たまに一緒に外食するようになりました。 大学の食堂で勉強 私が夕食と勉強に使った大学の食堂 日本語教室や職場で日本人と会話をする機会を得ましたが、ボキャブラリーを増やすには通常の勉強も欠かせません。私は毎晩、平日の仕事後に日本語を勉強しました。勉強の場所は寮から自転車で約30分のところにある大学の食堂でした。日本では、小さな大学の場合は、部外者が敷地に入れない場合も多いですが、伝統的な大学や大きな大学なら、多くの場合、キャンパスや施設の一部(食堂など)を一般の人にも開放しています。 私が通ったのは有名私立大学の食堂で、日本語教室の「お父さん」がこの食堂のことを教えてくれました。私は仕事後、自転車で食堂に通い、ご飯を注文するほか、自分で日本語の問題集を解いたり、学生同士が話しているのを近くで聞いたりして日本語を勉強しました。こうして、私は訪日した翌年に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、3年目にN2に合格しました。ベトナムに帰国後はN1に合格するための勉強を続けています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習生時代の家計簿 ※100円=約17,328 VND(2023年1月14日現在) 収入:108,000円 給料 ¥108,000 *税金や社会保険、寮費などを引いた手取り給料 支出: 58,000円 外食(大学の食堂) ¥10,000 外食(職場の日本人やほかの友人) ¥10,000 食材・生活雑貨 ¥20,000 その他(服、化粧品、旅行など) ¥18,000 毎月の差額:50,000円 親切な監理団体(組合) 組合の人たちや他社の技能実習生と交流会 私の技能実習の監理団体(組合)は大阪市にある西日本技能センターでした。この組合は私たちの日本語学習をサポートしてくれたほか、他社の技能実習生と交流できるイベントを開いてくれたり、困ったときに親身に相談に乗ってくれたりしました。 日本語学習については、組合は私たちのレベルに応じて教材を選び、提供してくれました。そして、クリスマスやお正月などにいくつかの会社の実習生を集めてパーティーを開き、夏には海水浴場に連れて行きバーベキューを食べさせてくれました(ここ数年は新型コロナで休会中のようです)。 【編集部からのアドバイス】 技能実習では、送出機関、監理団体(組合)、受入会社のすべてが適切な対応をすることが大切ですが、そのような組み合わせは決して多くはありません。 そこで、最初に送出機関にアプローチするのではなく、まず評判の良い組合に連絡して良い送出機関を紹介してもらうという方法もあります。その場合、良い送出機関と良い組合に面倒をみてもらえる可能性が高くなります。 この体験談の筆者が使った監理団体は 「協同組合 西日本技能センター」です。 https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 日本人の親切さ 電車を間違って降りた駅の周辺 ところで、私は日本で3年間暮らし、日本文化が大好きになりました。特に心ひかれたのは日本人の親切心です。例えば、私が訪日してまだ1カ月ぐらいのころ、電車を間違った駅で降り、携帯電話も持っていないので地図アプリも使えず、道に迷ってしまいました。そこで、たまたま見つけた交番に入って片言の日本語で警察官に相談すると、間違った駅で降りたことを教えてくれ、その駅まで連れて行ってくれました。その後、電車に乗り直して正しい駅で降り、無事に目的地にたどり着くことができました。 また、日本の電車の駅の周辺では、許可された場所以外に自転車を置くと、行政が自転車をトラックで運び去り、保管場に保管します。そこに自転車を取りに行って有料で返してもらうシステムです。私は訪日して間もないころ、それを知らず、駅前に自転車を置いて撤去されました。盗まれたと思って交番に行き、相談すると、撤去のシステムや保管場への行き方などについて親切に教えてくれました。 帰国後は日系企業に勤務 私の技能実習先はゴム製品を作る工場で、私は製品検査や材料の裁断、社内文書の管理などを担当しました。3年間の技能実習を終えて帰国後、5カ月間は同社の系列会社で働きましたが、日本語を使って営業やマーケティングを担当してみたいと思い、求人サイトで今の職場を探しました。 今の勤務先は日系の部品製造会社で、私は営業担当としてお客様の会社を訪問したり、見積もりを作成したりしています。やりがいのある仕事で、技能実習で身につけた日本語力や仕事に関する考え方が今の仕事に役立っています。