体験談(留学・高度)
今回の先輩
グエン・バー・フックさん
- 2012年 焼肉櫻(さくら)正社員〈ハノイ〉
- 2012年 短大の調理師学科卒業〈タイグエン県〉
- 2013年 日本語教室入学〈ハノイ〉
- 2015年 訪日、日本語学校入学〈北海道〉
- 2016年 調理師専門学校入学〈北海道〉
- 2018年 専門学校卒業、ホテル入社〈北海道〉
- 2020年 新型コロナの影響で料亭への就職取り消し〈東京〉
- 2020年 寿司店や料亭でアルバイト〈東京〉
〈1992年生まれ、ハノイ近郊のソンタイ市出身〉
ベトナムと日本の両国で調理師資格を取り、日本料理の外国人調理師として最高位の「ゴールド」レベルに認定されたフックさん。短期間で日本語力を高めたノウハウや日本での留学生活を紹介する。
ゴールドの日本食調理師に
「ゴールド」に認定〈2021年〉
ベトナムの調理師資格取得
短大での実習と当時の私の料理
本物の日本食との出会い
和食が2013年にユネスコの無形文化遺産に登録され、和食の特集番組がたくさん放送されました。「和食」とは日本の伝統料理で、「日本食」は外国の料理をアレンジしたものも含みます。私はテレビ番組をきっかけに和食の魅力について調べ、和食や日本食への興味が深まっていきました。
そんなある日、ハノイの日系ホテルで日本食のイベントがあり、参加しました。そこで出された日本食は、私がそれまでに経験した料理とは味も盛り付けも全く違い、衝撃を受けました。私は本物の日本食を作れるようになりたいと思い、日本留学を考えました。先に日本に留学した「櫻」の先輩の影響もありました。私は当時、安定した収入を得ていたので、家族は留学に反対しましたが、最後は両親がお金を出してくれました。
留学ビザ不許可
私が学んだ日本語教室の仲間と先生〈ハノイで2013年〉
日本語学習の工夫
リスニングの練習に使ったインターネットラジオ番組
◇私が日本語を学ぶ際に工夫したこと◇
■インターネットラジオのニュース |
毎晩20分、インターネットラジオの日本語ニュースを聴きました。音声のスピードを調整できます。最初はまったく聞き取れませんでしたが、半年後に少し聞き取れるようになりました。これは日本に行ってからも続けました。 |
■日本人の友人をつくる |
勤務先での同僚の日本人留学生に日本語会話の練習相手になってもらいました。また、その人の紹介で他の日本人留学生とも知り合い、日本語で交流しました。 |
■聴いた日本語をまねる |
日本人の日本語を聞き、聞き取れた言葉をまねました。「お疲れさまです」「ありがとうございました」など簡単な言葉から始めました。 |
■覚えた言葉を使う(アルバイト) |
N3取得後に3カ月間、日本人客の多いホテルでもアルバイトをしました。フロントやレストランで接客をしたり、客同士の会話に耳を傾けたり、日本人客に話しかけたりしました。 |
■覚えた言葉を使う(人に教える) |
N3取得後に7カ月間、日本語教室で教師をしました。教えることで自分の復習にもなりました。 |
■日本語の簡単な歌を覚える |
「大きな古時計」などを日本語で覚え、くり返し歌いました。 |
■携帯電話の言語を日本語に(訪日後) |
訪日後はなるべく日本語だけの環境にするように努力しました。例えば、携帯電話の使用言語も日本語に変えました。何度かベトナム語に戻そうとしましたが、携帯電話画面の日本語が難しいので戻せませんでした。携帯電話を使うたびに日本語の勉強になりました。 |
2回目の申請で留学許可
北海道函館市で過ごした日々
◇私の家計簿(1カ月の平均)
※日本語学校1年目の家計簿
※100円=21,167 VND(2021年3月9日現在)
収入(合計 約90,000円) | |
アルバイト2件(和食店) |
90,000円 |
支出(合計 約68,000円) | |
家賃(寮) |
25,000円 ※一人暮らし(ワンルーム) |
水道・光熱費 |
3,000円 ※水道・電気・ガスの合計 |
携帯電話 |
5,000円 ※インターネット+通話 |
食費 |
20,000円 ※主に自炊 |
雑費 |
15,000円 ※生活雑貨、食事会など |
差額・貯金(平均 約22,000円) |
※これ以外に授業料650,000円(1年分)は両親が負担 ※夏休みのアルバイトは1カ月120,000円ぐらい |
日本語学校→専門学校
調理師学校の新年カードで私たちが紹介されました
就職、転職、新型コロナ
北海道のホテルでの仕事
今後はベトナムで活動
東京の料亭で修行。奥は冨澤浩一・総料理長(日本食普及の親善大使の1人)〈2021年〉
今回の先輩
Nguyễn Bá Phước(グエン・バー・フック)さん
- 2012年 焼肉櫻(さくら)正社員〈ハノイ〉
- 2012年 短大の調理師学科卒業〈タイグエン県〉
- 2013年 日本語教室入学〈ハノイ〉
- 2015年 訪日、日本語学校入学〈北海道〉
- 2016年 調理師専門学校入学〈北海道〉
- 2018年 専門学校卒業、ホテル入社〈北海道〉
- 2020年 新型コロナの影響で料亭への就職取り消し〈東京〉
- 2020年 寿司店や料亭でアルバイト〈東京〉
〈1992年生まれ、ハノイ近郊のソンタイ市出身〉
ベトナムと日本の両国で調理師資格を取り、日本料理の外国人調理師として最高位の「ゴールド」レベルに認定されたフックさん。短期間で日本語力を高めたノウハウや日本での留学生活を紹介する。
ゴールドの日本食調理師に
「ゴールド」に認定〈2021年〉
ベトナムの調理師資格取得
短大での実習と当時の私の料理
本物の日本食との出会い
和食が2013年にユネスコの無形文化遺産に登録され、和食の特集番組がたくさん放送されました。「和食」とは日本の伝統料理で、「日本食」は外国の料理をアレンジしたものも含みます。私はテレビ番組をきっかけに和食の魅力について調べ、和食や日本食への興味が深まっていきました。
そんなある日、ハノイの日系ホテルで日本食のイベントがあり、参加しました。そこで出された日本食は、私がそれまでに経験した料理とは味も盛り付けも全く違い、衝撃を受けました。私は本物の日本食を作れるようになりたいと思い、日本留学を考えました。先に日本に留学した「櫻」の先輩の影響もありました。私は当時、安定した収入を得ていたので、家族は留学に反対しましたが、最後は両親がお金を出してくれました。
留学ビザ不許可
私が学んだ日本語教室の仲間と先生〈ハノイで2013年〉
日本語学習の工夫
リスニングの練習に使ったインターネットラジオ番組
◇私が日本語を学ぶ際に工夫したこと◇
■インターネットラジオのニュース |
毎晩20分、インターネットラジオの日本語ニュースを聴きました。音声のスピードを調整できます。最初はまったく聞き取れませんでしたが、半年後に少し聞き取れるようになりました。これは日本に行ってからも続けました。 |
■日本人の友人をつくる |
勤務先での同僚の日本人留学生に日本語会話の練習相手になってもらいました。また、その人の紹介で他の日本人留学生とも知り合い、日本語で交流しました。 |
■聴いた日本語をまねる |
日本人の日本語を聞き、聞き取れた言葉をまねました。「お疲れさまです」「ありがとうございました」など簡単な言葉から始めました。 |
■覚えた言葉を使う(アルバイト) |
N3取得後に3カ月間、日本人客の多いホテルでもアルバイトをしました。フロントやレストランで接客をしたり、客同士の会話に耳を傾けたり、日本人客に話しかけたりしました。 |
■覚えた言葉を使う(人に教える) |
N3取得後に7カ月間、日本語教室で教師をしました。教えることで自分の復習にもなりました。 |
■日本語の簡単な歌を覚える |
「大きな古時計」などを日本語で覚え、くり返し歌いました。 |
■携帯電話の言語を日本語に(訪日後) |
訪日後は北海道函館市で過ごした日々なるべく日本語だけの環境にするように努力しました。例えば、携帯電話の使用言語も日本語に変えました。何度かベトナム語に戻そうとしましたが、携帯電話画面の日本語が難しいので戻せませんでした。携帯電話を使うたびに日本語の勉強になりました。 |
2回目の申請で留学許可
北海道函館市で過ごした日々
◇私の家計簿(1カ月の平均)
※日本語学校1年目の家計簿
※100円=21,167 VND(2021年3月9日現在)
収入(合計 約90,000円) | |
アルバイト2件(和食店) |
90,000円 |
支出(合計 約68,000円) | |
家賃(寮 |
25,000円 ※一人暮らし(ワンルーム) |
水道・光熱費 |
3,000円 ※水道・電気・ガスの合計 |
携帯電話 |
5,000円 ※インターネット+通話 |
食費 |
20,000円 ※主に自炊 |
雑費 |
15,000円 ※生活雑貨、食事会など |
差額・貯金(平均 約22,000円) |
※これ以外に授業料650,000円(1年分)は両親が負担 ※夏休みのアルバイトは1カ月120,000円ぐらい |
日本語学校→専門学校
調理師学校の新年カードで私たちが紹介されました
就職、転職、新型コロナ
北海道のホテルでの仕事
今後はベトナムで活動
東京の料亭で修行。奥は冨澤浩一・総料理長(日本食普及の親善大使の1人)〈2021年〉