体験談(留学・高度)
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今回の先輩
ト・ティ・タイン・ヴァンさん
- 2018年 高校卒業〈ホーチミン〉
- 2019年 日本語学校入学〈北海道〉
- 2020年 日本語能力試験N2合格
- 2021年 札幌学院大学入学〈北海道〉
〈2000年生まれ、ホーチミン市出身〉
ベトナムで14カ月間、日本語をしっかり勉強してから日本に留学したヴァンさん。来日して2年目でJLPT・N2に合格したため、大学に面接だけで入学できました。ヴァンさんの留学生活を紹介します。
〈このページの内容〉
- • 留学前の日本語学習
- • 来日後の日本語学習
- • 親切な人たちに囲まれてアルバイト
- • N2合格→無試験で大学入学
- • 留学の費用と家計簿
- • ベトナム人コミュニティ
- • 北海道での暮らし
- • 落とした財布が戻ってきた!
- • トピックス
留学前の日本語学習
日本に向けて旅立つ前、空港で家族とお別れ〈2019年〉
日本語センターで14カ月間勉強
母の勧めで留学を決め、高校3年のときから14カ月間、ホーチミンの日本語センターで日本語能力試験(JLPT)N4レベルまで勉強しました。毎日、学校で7時間、自宅で3時間勉強しました。
北海道に決めた理由
東京の日本語学校に入ろうとしましたが、在留許可を取れなかったので、半年後に、北海道の日本語学校に入る前提で再トライしました。すると、在留資格を取れました。私と同じように東京の学校がだめだったので地方に変更するという人はたくさんいます。
来日後の日本語学習
自宅で漢字の勉強
私の来日後の日本語学習について紹介します。
- ・来日(2019年4月)→N3合格(2020年12月)→N2合格(2021年12月)
- ・使った教材:みんなの日本語、「新完全マスター」シリーズ、「総まとめ」シリーズ、「耳から覚える」シリーズなど
- ・日本語学校でも大学でもなるべく日本語で会話(友人や先生と)
- ・新型コロナで登校する機会が減ったときは、YouTubeの日本語ニュースや日本語のアニメやドラマ(ベトナム語字幕付き)でも勉強
親切な人たちに囲まれてアルバイト
カニ料理店
- ・最初のアルバイト(1年間)。皿洗い。
- ・学校からの紹介
- ・時給は高いが、とても忙しかった。あまり日本語を話さない。
- ・その後、居酒屋でも働いたが、帰宅が夜遅いので、2カ月で退職
スーパーマーケット
- ・おかずをパックに入れる仕事(1年間)
- ・先輩留学生からの紹介
- ・平日は13:00~17:00、土日は7:00~16:00
- ・会話が多く、日本語が上達した。
- ・余ったおかずをもらえることもあった。
スーパーでは、若者は自分だけで、おじいさんやおばあさんの先輩の皆さんがとても親切にしてくれました。昼休みや休憩のときにご飯やお菓子を食べながらたくさん話をしました。私の誕生日にはケーキを買ってくれ、お祝いの歌も歌ってくれました。大学進学後は、自宅から遠くなったので退職しましたが、今でもおばあさん3、4人とLINEで連絡を取り合っています。
大学に入ってからは、食品工場で深夜勤務(週3回、21:00~6:00)をしました。時給は高かったのですが、勉強に支障があるのですぐにやめました。今はバインミー店で働いています。
N2合格→無試験で大学入学
大学の留学生仲間とキャンパス(右)
私が通っている札幌学院大学では日本留学試験(EJU)の日本語(400点満点)の得点が 200点以上かJLPT・N2なら、筆記の入学試験を免除されます。私はEJU194点でしたが、N2だったので、面接だけで大学に入れました。
日本語学校が開いたオンラインの大学説明会に地元の約10大学が参加しました。その中で、この大学は成績優秀者への授業料割引(奨学金)が充実していました。GPA2以上なら授業料30%引き、3以上なら75%引きです。
大学の授業はすべて日本語です。毎週課題があり、パソコンでレポートを作ります。漢字を選ぶのが難しく、辞書アプリで調べながらがんばっています。
留学の費用と家計簿
日本語学校で
留学の最初にかかった費用
- ・日本語学校の1年目の授業料や飛行機代など(約1,000,000円)
- ・日本語センターへの手数料(240,000,000 VND)
- ・両親が貯金から払った。
日本での授業料など
- ・日本語学校(年間):¥760,000
- ・大学(年間):¥1,104,000-¥340,000=¥764,000(私の成績に応じて減額)
- ・今は節約生活。就職したら旅行をしたい。
私の家計簿(1カ月の平均)
※大学1年のときの家計簿
※100円=約19,800 VND(2022年3月4日現在)
収入:¥80,000~¥90,000 | |
アルバイト1件(飲食店) |
¥80,000 |
支出:¥136,000 | |
家賃(ワンルーム) |
¥18,000 |
授業料(割引後) |
¥67,000 |
電気・ガス・水道 |
¥13,000 |
携帯電話(LINEモバイル) |
¥3,000 |
Wi-Fi |
¥4,000 |
健康保険 |
¥4,000 |
食材費 |
¥12,000 |
外食費・交通費・雑費 |
¥15,000 |
毎月の差額:▲¥46,000~¥56,000 | |
※仕送りと夏休みなどに長く働いて補てん |
ベトナム人コミュニティ
ベトナム人との交流は日本語学校の同級生が中心ですが、VYSA北海道の活動にも参加しています。最初は、2019年10月に札幌市内の公園で開かれた「ベトナムフェスティバルin 札幌」=写真=で、アオザイを着て踊ったりベトナム料理を売ったりしました。VYSAのFacebookを見て友人と一緒に申し込みました。準備や練習のために何度も集まり、打ち上げ会にも参加しました。
これをきっかけにVYSAのイベントによく参加しています。ベトナム人の友だちが増えますし、先輩留学生にいろいろなことを教えてもらえます。イベントのとき以外にも飲み会があります。
北海道での暮らし
ときどき大雪の日があります
スクーター
日本でスクーターの運転免許を取って乗っている友だちが東京や大阪に3、4人います。私もスクーター購入を検討しましたが、北海道では冬に路面が凍ってバイクに乗れないので、あきらめました。
留学生に自転車プレゼント
札幌市は留学生に自転車をプレゼントしてくれます。学校を通じて申請します。ただし、かぎはかけましょう。来日して1年目、自転車にかぎをかけずにアパートの前に置いていたら、夜に盗まれました。日本は安全な国ですが、最低限の注意は必要です!
落とした財布が戻ってきた!
ある日、買い物帰りに地下鉄の駅で財布を落としました。帰宅して気付き、駅に戻って駅員さんに言うと、次の日に地下鉄から「財布が見つかりました」と電話がありました。駅で受け取り、中に入っていた現金20,000円や在留カードは無事でした!
日本で初めて一人暮らしを体験し、最初は苦労もありましたが、バイト先でおばあさんたちにやさしくしてもらったり、財布を落としても見つかったりして、日本が大好きになりました。日本人はやさしいですし、仕事にまじめにとりくみ、規則も守ります。卒業後もできるだけ長く日本で働きたいと思っています。
トピックス
ハオハオ大好き
日本に来るときにインスタントラーメンのハオハオ60袋をスーツケースに入れて持ってきました。日本の税関で、「これは何に使うのですか」と英語で聞かれ、「自分で食べます」と答えました。どきどきしましたが、大丈夫でした。今は日本にベトナム食材店が増え、ハオハオも手に入りやすくなりました。
苦手な料理をがんばる
来日して初めて料理をするようになりました。よく作るのはチャーハンとインスタントラーメンです。そんな私に母はベトナムの調味料をよく送ってくれます(10㌔の箱=送料約2,000,000 VND)。まだ料理は苦手ですが、引き続きがんばります。
今回の先輩
ト・ティ・タイン・ヴァンさん
- 2018年 高校卒業〈ホーチミン〉
- 2019年 日本語学校入学〈北海道〉
- 2020年 日本語能力試験N2合格
- 2021年 札幌学院大学入学〈北海道〉
〈2000年生まれ、ホーチミン市出身〉
ベトナムで14カ月間、日本語をしっかり勉強してから日本に留学したヴァンさん。来日して2年目でJLPT・N2に合格したため、大学に面接だけで入学できました。ヴァンさんの留学生活を紹介します。
〈このページの内容〉
- • 留学前の日本語学習
- • 来日後の日本語学習
- • 親切な人たちに囲まれてアルバイト
- • N2合格→無試験で大学入学
- • 留学の費用と家計簿
- • ベトナム人コミュニティ
- • 北海道での暮らし
- • 落とした財布が戻ってきた!
- • トピックス
留学前の日本語学習
日本語センターで14カ月間勉強
母の勧めで留学を決め、高校3年のときから14カ月間、ホーチミンの日本語センターで日本語能力試験(JLPT)N4レベルまで勉強しました。毎日、学校で7時間、自宅で3時間勉強しました。
北海道に決めた理由
東京の日本語学校に入ろうとしましたが、在留許可を取れなかったので、半年後に、北海道の日本語学校に入る前提で再トライしました。すると、在留資格を取れました。私と同じように東京の学校がだめだったので地方に変更するという人はたくさんいます。
日本に向けて旅立つ前、空港で家族とお別れ〈2019年〉
来日後の日本語学習
私の来日後の日本語学習について紹介します。
- ・来日(2019年4月)→N3合格(2020年12月)→N2合格(2021年12月)
- ・使った教材:みんなの日本語、「新完全マスター」シリーズ、「総まとめ」シリーズ、「耳から覚える」シリーズなど
- ・日本語学校でも大学でもなるべく日本語で会話(友人や先生と)
- ・新型コロナで登校する機会が減ったときは、YouTubeの日本語ニュースや日本語のアニメやドラマ(ベトナム語字幕付き)でも勉強
自宅で漢字の勉強
親切な人たちに囲まれてアルバイト
カニ料理店
- ・最初のアルバイト(1年間)。皿洗い。
- ・学校からの紹介
- ・時給は高いが、とても忙しかった。あまり日本語を話さない。
- ・その後、居酒屋でも働いたが、帰宅が夜遅いので、2カ月で退職
スーパーマーケット
- ・おかずをパックに入れる仕事(1年間)
- ・先輩留学生からの紹介
- ・平日は13:00~17:00、土日は7:00~16:00
- ・会話が多く、日本語が上達した。
- ・余ったおかずをもらえることもあった。
スーパーでは、若者は自分だけで、おじいさんやおばあさんの先輩の皆さんがとても親切にしてくれました。昼休みや休憩のときにご飯やお菓子を食べながらたくさん話をしました。私の誕生日にはケーキを買ってくれ、お祝いの歌も歌ってくれました。大学進学後は、自宅から遠くなったので退職しましたが、今でもおばあさん3、4人とLINEで連絡を取り合っています。
大学に入ってからは、食品工場で深夜勤務(週3回、21:00~6:00)をしました。時給は高かったのですが、勉強に支障があるのですぐにやめました。今はバインミー店で働いています。
N2合格→無試験で大学入学
私が通っている札幌学院大学は日本留学試験(EJU) 200点以上かJLPT・N2なら、筆記の入学試験を免除されます。私はEJU194点でしたが、N2だったので、面接だけで大学に入れました。
日本語学校が開いたオンラインの大学説明会に地元の約10大学が参加しました。その中で、この大学は成績優秀者への授業料割引(奨学金)が充実していました。GPA2以上なら授業料30%引き、3以上なら75%引きです。
大学の授業はすべて日本語です。毎週課題があり、パソコンでレポートを作ります。漢字を選ぶのが難しく、辞書アプリで調べながらがんばっています。
大学の留学生仲間とキャンパス(右)
留学の費用と家計簿
留学の最初にかかった費用
- ・日本語学校の1年目の授業料や飛行機代など(約1,000,000円)
- ・日本語センターへの手数料(240,000,000 VND)
- ・両親が貯金から払った。
日本での授業料など
- ・日本語学校(年間):¥760,000
- ・大学(年間):¥1,104,000-¥340,000=¥764,000(私の成績に応じて減額)
- ・今は節約生活。就職したら旅行をしたい。
日本語学校で
私の家計簿(1カ月の平均)
※大学1年のときの家計簿
※100円=約19,800 VND(2022年3月4日現在)
収入:¥80,000~¥90,000 | |
アルバイト1件(飲食店) |
¥80,000 |
支出:¥136,000 | |
家賃(ワンルーム) |
¥18,000 |
授業料(割引後) |
¥67,000 |
電気・ガス・水道 |
¥13,000 |
携帯電話(LINEモバイル) |
¥3,000 |
Wi-Fi |
¥4,000 |
健康保険 |
¥4,000 |
食材費 |
¥12,000 |
外食費・交通費・雑費 |
¥15,000 |
毎月の差額:▲¥46,000~¥56,000 | |
※仕送りと夏休みなどに長く働いて補てん |
ベトナム人コミュニティ
ベトナム人との交流は日本語学校の同級生が中心ですが、VYSA北海道の活動にも参加しています。最初は、2019年10月に札幌市内の公園で開かれた「ベトナムフェスティバルin 札幌」=写真=で、アオザイを着て踊ったりベトナム料理を売ったりしました。VYSAのFacebookを見て友人と一緒に申し込みました。準備や練習のために何度も集まり、打ち上げ会にも参加しました。
これをきっかけにVYSAのイベントによく参加しています。ベトナム人の友だちが増えますし、先輩留学生にいろいろなことを教えてもらえます。イベントのとき以外にも飲み会があります。
北海道での暮らし
スクーター
日本でスクーターの運転免許を取って乗っている友だちが東京や大阪に3、4人います。私もスクーター購入を検討しましたが、北海道では冬に路面が凍ってバイクに乗れないので、あきらめました。
留学生に自転車プレゼント
札幌市は留学生に自転車をプレゼントしてくれます。学校を通じて申請します。ただし、かぎはかけましょう。来日して1年目、自転車にかぎをかけずにアパートの前に置いていたら、夜に盗まれました。日本は安全な国ですが、最低限の注意は必要です!
ときどき大雪の日があります
落とした財布が戻ってきた!
ある日、買い物帰りに地下鉄の駅で財布を落としました。帰宅して気付き、駅に戻って駅員さんに言うと、次の日に地下鉄から「財布が見つかりました」と電話がありました。駅で受け取り、中に入っていた現金20,000円や在留カードは無事でした!
日本で初めて一人暮らしを体験し、最初は苦労もありましたが、バイト先でおばあさんたちにやさしくしてもらったり、財布を落としても見つかったりして、日本が大好きになりました。日本人はやさしいですし、仕事にまじめにとりくみ、規則も守ります。卒業後もできるだけ長く日本で働きたいと思っています。
トピックス
ハオハオ大好き
日本に来るときにインスタントラーメンのハオハオ60袋をスーツケースに入れて持ってきました。日本の税関で、「これは何に使うのですか」と英語で聞かれ、「自分で食べます」と答えました。どきどきしましたが、大丈夫でした。今は日本にベトナム食材店が増え、ハオハオも手に入りやすくなりました。
苦手な料理をがんばる
来日して初めて料理をするようになりました。よく作るのはチャーハンとインスタントラーメンです。そんな私に母はベトナムの調味料をよく送ってくれます(10㌔の箱=送料約2,000,000 VND)。まだ料理は苦手ですが、引き続きがんばります。
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Vol. 62 設計エンジニアとして活躍
今回の先輩 ロ・ヴァン・タインさん 2012年ゲアン省民族寄宿高校卒業 2012年水利大学入学〈ハノイ〉 2018年水利大学卒業 2018年建築設計会社で勤務〈ハノイ〉 2019年日本語教室で6カ月間勉強〈ハノイ〉 2019年訪日→建築会社入社〈静岡県〉 〈1995年生まれ、ゲアン省出身〉 職場の親切な日本人たちやベトナム人仲間に囲まれて日本での仕事や生活を楽しむエンジニアのタインさん。仕事の探し方や日本の企業文化などについて紹介する。 〈このページの内容〉 • 日本に来た理由 • 日本で働くには • エンジニアの仕事 • 来日1年半でN3合格 • 日本の企業文化 • 日本での生活 • ベトナム人仲間 • 日本で困ったこと 日本に来た理由 大学の仲間と一緒に〈ハノイ郊外で2017年〉 私の両親は農業(主に稲作と家畜)で生活を営み、食料は自給自足ですが、現金収入は年間40,000,000 VNDあまりです。そのため、私は海外留学は考えませんでしたが、私の大学では、卒業後にエンジニアとして日本で働く先輩が多かったので、私も日本に行って日本の建築設計技術や仕事のマナーを学び、お金も稼ぎたいと考えるようになりました。 大学では土木と産業建築を学び、CAD(コンピュータ設計支援)を使って建築の構造設計図を作成する実習もしました。卒業後は、大学の教官から紹介されたハノイの建築設計会社で10カ月間働き、ホテルや住宅(鉄筋コンクリート建築)の構造設計図を作成しました。 ※CAD:Computer Aided Designの略で、コンピュータに手伝ってもらいながら設計図を作るソフトのこと。 日本で働くには 日本語センターの仲間たち〈2019年〉 私はベトナムで設計の実務をある程度経験したので、いよいよ日本での就職先を探しました。親戚の紹介で大手人材会社に依頼し、静岡県の住宅建築会社を紹介してもらいました。この人材会社に支払ったのは総額6,000 USD(日本語教育費含む)で、米ドルで支払いました。お金はほかの親戚から借りました。紹介してもらったのは1社だけで、木造住宅を造る会社です。日本から社長が来て通訳付きで面接を受け、私を含む3人が合格しました。 その後6カ月間、私はこの人材会社の日本語センターで日本語を勉強し、2019年6月に訪日しました。日本語センターでは、技能実習に行く人たちと一緒に勉強し、私の成績はクラスの約20人の中で5、6番でした。 【編集部からのアドバイス】 ベトナムの人材会社が日本での仕事を紹介する際、就職先の会社から手数料を受け取るだけで労働者からは手数料を取らない会社もたくさんあります。また、6カ月間の教育費や在留資格取得手数料、飛行機代などを合計しても6,000 USDよりずっと安く済むケースがたくさんあります。 知人の紹介だけに頼らず、自分でも業者を探して複数の会社に依頼し、内容を比べましょう。 エンジニアの仕事 建築現場での仕事(右端が私) 私は今の会社でCADを使って木材住宅の構造設計図などを作成しており、この担当は5人(うちベトナム人は2人)います。建築士が作成した設計図をもとに私たちが壁や屋根などの構造設計図を作成します。次に、そのデータをUSBメモリーで自社工場の木材加工機械に入力し、壁や屋根などを製造します。こうしてできた部材を建築現場に運んで住宅を建築していきます。私も現場に行くことがあります。工場にはたくさんの従業員がいますが、私たちの働く事務所には約40人だけで、うち8人がベトナム人です。 私が作成した構造設計図 日本に来て最初の1カ月は研修期間で、木造住宅の構造やCADで使う日本語の意味などを日本人の先輩が親切に教えてくれました。私たちが仕事で間違いをすると社長から厳しく指導されますが、働きやすい職場です。いつかベトナムに帰ったら、木造住宅を建てる会社を設立するのが私の夢です。 来日1年半でN3合格 来日して最初の春〈2020年4月〉 仕事に関する指示や質問は日本語でやり取りします。私は日本語を半年間勉強してから来日しましたが、最初は日本人の言葉をなかなか聞き取れませんでした。しかし、職場の方々は私たちが聞き取りやすいように簡単な日本語でゆっくり説明してくれるようになり、だんだんと意味が分かるようになりました。 日本語については、NPO法人「Lotus 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※2DKに2人で居住。1人分の費用。 水道・光熱費 1人5,000円 ※水道・電気・ガスの合計を2人で折半 Wi-Fi 2,000円 食費 20,000円 雑費 10,000円~20,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計130,000円) ※毎月約12万円を実家に送金 ベトナム人仲間 友人に会うために訪れた北海道〈2000年12月〉 同じ大学出身のベトナム人仲間も日本にいます。同じ富士市には水道工事の現場で働くエンジニアの友人がいます。また、北海道には道路工事の現場監督をしている友人が4人(それぞれ別の会社に勤務)います。富士市の友人宅までは自転車で約20分なので、ときどき会っています。 ハノイの日本語センターで一緒に勉強をして仲良くなった女性(技能実習生)も北海道にいます。私は彼女や大学の友だちに会うために、これまで2回、飛行機で北海道に行きました。新型コロナウイルスの感染拡大が収束したら、東京や大阪、京都にも行ってみたいと思います。 日本で困ったこと 私のデビットカード 日本で困ったのはクレジットカードを作りにくいことでした。クレジットカードがあれば、Amazonや楽天市場などのオンラインマーケットで商品を買ってカードで決済できますし、飛行機のチケットを買う際にも、インターネットで予約後、ネット上で決済できます。しかし、クレジットカードがないと、予約後にコンビニに行って現金で支払わなければなりません。 私は飛行機のチケット購入に利用するためにクレジットカードを作ろうとしましたが、来日して年数が浅いためかカード会社の審査を通らず、作れませんでした。しかし、解決策がありました。それはデビットカードを作ることでした。デビットカードは銀行口座の預金額を限度に利用できるカードで、利用と同時に口座からお金が引き落とされます。飛行機のチケット購入にも使えますし、利用するとポイントが貯まり、ポイントは現金の代わりに使うことができます。 仕事中の私 私は大手航空会社ANAのHPからANAのデビットカードを申し込みました。このカードによって、カード払いが前提の携帯電話の通話契約もできました。私は格安SIMの「楽天モバイル」で契約し、毎月1,500円で通話とネット通信を確保しています。寮に帰るとWi-Fiがあるので、SIMを使ったネット通信量は2GBもあれば十分です。 私はこのように試行錯誤しながら日本生活をエンジョイしています。当面は日本で働き、日本の技術や考え方をもっともっと身に付けたいと思います。 今回の先輩 ロ・ヴァン・タインさん 2012年 ゲアン省民族寄宿高校卒業 2012年 ロ・ヴァン・タイン(Đại học Thủy Lợi)入学〈ハノイ〉 2018年 水利大学卒業 2018年 建築設計会社で勤務〈ハノイ〉 2019年 日本語教室で6カ月間勉強〈ハノイ〉 2019年 訪日→建築会社入社〈静岡県〉 〈1995年生まれ、ゲアン省出身〉 職場の親切な日本人たちやベトナム人仲間に囲まれて日本での仕事や生活を楽しむエンジニアのタインさん。仕事の探し方や日本の企業文化などについて紹介する。 〈このページの内容〉 • 日本に来た理由 • 日本で働くには • エンジニアの仕事 • 来日1年半でN3合格 • 日本の企業文化 • 日本での生活 • ベトナム人仲間 • 日本で困ったこと 日本に来た理由 私の両親は農業(主に稲作と家畜)で生活を営み、食料は自給自足ですが、現金収入は年間40,000,000 VNDあまりです。そのため、私は海外留学は考えませんでしたが、私の大学では、卒業後にエンジニアとして日本で働く先輩が多かったので、私も日本に行って日本の建築設計技術や仕事のマナーを学び、お金も稼ぎたいと考えるようになりました。 大学では土木と産業建築を学び、CAD(コンピュータ設計支援)を使って建築の構造設計図を作成する実習もしました。卒業後は、大学の教官から紹介されたハノイの建築設計会社で10カ月間働き、ホテルや住宅(鉄筋コンクリート建築)の構造設計図を作成しました。 ※CAD:Computer Aided Designの略で、コンピュータに手伝ってもらいながら設計図を作るソフトのこと。 大学の仲間と一緒に〈ハノイ郊外で2017年〉 日本で働くには 私はベトナムで設計の実務をある程度経験したので、いよいよ日本での就職先を探しました。親戚の紹介で大手人材会社に依頼し、静岡県の住宅建築会社を紹介してもらいました。この人材会社に支払ったのは総額6,000 USD(日本語教育費含む)で、米ドルで支払いました。お金はほかの親戚から借りました。紹介してもらったのは1社だけで、木造住宅を造る会社です。日本から社長が来て通訳付きで面接を受け、私を含む3人が合格しました。 その後6カ月間、私はこの人材会社の日本語センターで日本語を勉強し、2019年6月に訪日しました。日本語センターでは、技能実習に行く人たちと一緒に勉強し、私の成績はクラスの約20人の中で5、6番でした。 日本語センターの仲間たち〈2019年〉 【編集部からのアドバイス】 ベトナムの人材会社が日本での仕事を紹介する際、就職先の会社から手数料を受け取るだけで労働者からは手数料を取らない会社もたくさんあります。また、6カ月間の教育費や在留資格取得手数料、飛行機代などを合計しても6,000 USDよりずっと安く済むケースがたくさんあります。 知人の紹介だけに頼らず、自分でも業者を探して複数の会社に依頼し、内容を比べましょう。 エンジニアの仕事 私は今の会社でCADを使って木材住宅の構造設計図などを作成しており、この担当は5人(うちベトナム人は2人)います。建築士が作成した設計図をもとに私たちが壁や屋根などの構造設計図を作成します。次に、そのデータをUSBメモリーで自社工場の木材加工機械に入力し、壁や屋根などを製造します。こうしてできた部材を建築現場に運んで住宅を建築していきます。私も現場に行くことがあります。工場にはたくさんの従業員がいますが、私たちの働く事務所には約40人だけで、うち8人がベトナム人です。 建築現場での仕事(右端が私) 日本に来て最初の1カ月は研修期間で、木造住宅の構造やCADで使う日本語の意味などを日本人の先輩が親切に教えてくれました。私たちが仕事で間違いをすると社長から厳しく指導されますが、働きやすい職場です。いつかベトナムに帰ったら、木造住宅を建てる会社を設立するのが私の夢です。 私が作成した構造設計図 来日1年半でN3合格 仕事に関する指示や質問は日本語でやり取りします。私は日本語を半年間勉強してから来日しましたが、最初は日本人の言葉をなかなか聞き取れませんでした。しかし、職場の方々は私たちが聞き取りやすいように簡単な日本語でゆっくり説明してくれるようになり、だんだんと意味が分かるようになりました。 日本語については、NPO法人「Lotus Works」の無料日本語教室で週1回、スカイプ(ビデオ電話)で日本人の先生の授業を受けています。また、「耳から覚える」シリーズや「新完全マスター」シリーズを使って毎日2時間以上、自習しています。“Nihongonomori”などのYouTube講座もよく聴いています。こうして私は日本に来て1年半で日本語能力試験(JLPT)N3に合格しました。 来日して最初の春〈2020年4月〉 日本の企業文化 私の勤務先にはベトナム人が8人(エンジニア5人、技能実習生3人)いますが、社長はときどきこの8人を居酒屋に連れて行ってくれます。また、訪日間もないころ、社長が車を運転して私たち(当時はベトナム人3人)を富士山に連れて行ってくれました。会社は静岡県富士市にあり、名前が「富士」市というだけあって、富士山がきれいに見えます。しかし、富士山の中腹までは遠いので、社長に連れて行ってもらえてとてもうれしかったです。 勤務先の日本人と職場以外で会うことはありませんが、職場では親切にしてもらっています。また、日本人と一緒に働くうちに日本の企業文化になじんできました。例えば、当社では17:30で終業ですが、自分の仕事が終わっていなければ約30分間、無償で残業します。無償の残業を日本では「サービス残業」といいますが、この程度のサービス残業は日本では一般的なことなので、私たちも日本人従業員にならって少しだけサービス残業をしています。 家の近くから眺めた富士山 日本での生活 私たちベトナム人8人は同じアパート(寮)に住み、部屋には会社が用意した家具や家電が備え付けられています。8人は同じ人材会社からの紹介で、技能実習生3人は監理団体(受入組合)から生活サポートを受けています。私たちエンジニアも1年間だけ同じ監理団体にサポートしてもらいました。 朝は8人一緒に自転車で通勤します。雨の日はレインコートを着て自転車をこぎます。帰りはばらばらですが、ときどき数人でラーメン屋に寄ったり、休日にだれかの部屋に集まって食事会をしたりして、仲良く暮らしています。 職場の仲間と部屋で食事会〈2021年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※現在の家計簿 ※100円=20,798ドン(2021年6月27日現在) 収入(合計200,000円) 手取り給料 200,000円 ※税金、社会保険費を差し引いた額 支出(合計70,000円) 家賃 1人22,500円 ※2DKに2人で居住。1人分の費用。 水道・光熱費 1人5,000円 ※水道・電気・ガスの合計を2人で折半 Wi-Fi 2,000円 食費 20,000円 雑費 10,000円~20,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計130,000円) ※毎月約12万円を実家に送金 ベトナム人仲間 同じ大学出身のベトナム人仲間も日本にいます。同じ富士市には水道工事の現場で働くエンジニアの友人がいます。また、北海道には道路工事の現場監督をしている友人が4人(それぞれ別の会社に勤務)います。富士市の友人宅までは自転車で約20分なので、ときどき会っています。 ハノイの日本語センターで一緒に勉強をして仲良くなった女性(技能実習生)も北海道にいます。私は彼女や大学の友だちに会うために、これまで2回、飛行機で北海道に行きました。新型コロナウイルスの感染拡大が収束したら、東京や大阪、京都にも行ってみたいと思います。 友人に会うために訪れた北海道〈2000年12月〉 日本で困ったこと 日本で困ったのはクレジットカードを作りにくいことでした。クレジットカードがあれば、Amazonや楽天市場などのオンラインマーケットで商品を買ってカードで決済できますし、飛行機のチケットを買う際にも、インターネットで予約後、ネット上で決済できます。しかし、クレジットカードがないと、予約後にコンビニに行って現金で支払わなければなりません。 私は飛行機のチケット購入に利用するためにクレジットカードを作ろうとしましたが、来日して年数が浅いためかカード会社の審査を通らず、作れませんでした。しかし、解決策がありました。それはデビットカードを作ることでした。デビットカードは銀行口座の預金額を限度に利用できるカードで、利用と同時に口座からお金が引き落とされます。飛行機のチケット購入にも使えますし、利用するとポイントが貯まり、ポイントは現金の代わりに使うことができます。 私のデビットカード 私は大手航空会社ANAのHPからANAのデビットカードを申し込みました。このカードによって、カード払いが前提の携帯電話の通話契約もできました。私は格安SIMの「楽天モバイル」で契約し、毎月1,500円で通話とネット通信を確保しています。寮に帰るとWi-Fiがあるので、SIMを使ったネット通信量は2GBもあれば十分です。 私はこのように試行錯誤しながら日本生活をエンジョイしています。当面は日本で働き、日本の技術や考え方をもっともっと身に付けたいと思います。 仕事中の私
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Vol. 57 N2取得し最初から大学に留学
今回の先輩 ド・ミン・ハンさん 2014年 高校卒業 2014年 ナムディン日本語日本文化学院(8月) 2016年 ナムディン学院卒業(5月)、自習 2017年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2021年 南九州大学卒業(3月) 2021年 食品会社に就職(正社員)〈熊本県〉 〈1996年生まれ、ナムディン省出身〉 ベトナムで猛勉強してJLPT・N2を取得し、最初から大学で日本留学を始めたハンさん。訪日後はさらに日本語力を高め、日本での就職も決まった。ハンさんの日本語学習や就職活動について紹介する。 〈このページの内容〉 • ベトナムでJLPT・N2取得 • 最初から大学に留学 • 大学の授業は予習で乗り切る • 大学からのさまざまなサポート • 留学費用とアルバイト • 就職活動の流れ • 面接での受け答え • 日本で働くにあたって ベトナムでJLPT・N2取得 ナムディン学院の教室で〈2015年〉 ナムディン日本語日本文化学院 のロイ校長は私の親せきで、かねてロイ先生や父から「将来のために日本語を学習してはどうか」と勧められていました。私はベトナムの大学受験に失敗したこともあり、助言に従って日本語を勉強することにしました。 ナムディン学院には2014年8月~2016年5月に通い、2015年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、翌年7月にはN2に合格しました。同校では、午前に授業を受け、自宅で昼食を食べたらまた登校して自習や運動をし、夕食後もまた学校に戻って自習しました。このようにして、授業以外に仲間と一緒に毎日6時間ぐらい自習しました。人生で一番勉強した時期で、先生方のご指導や仲間たちのお陰で続けられました。このときの努力がもとになって日本の大学に留学し日本で就職もできることになりました。 最初から大学に留学 日本に向かう際にノイバイ国際空港で〈2017年〉 私は宮崎県にある南九州大学・短大のナムディン事務所で小論文の試験とオンライン面接を受けて合格し、2017年4月に南九州大学で留学を始めました。日本語に囲まれて生活することで本物の日本語を身に付けることと日本で就職することが私の留学の目的です。しかし、最初は、日本人の話すスピードが速すぎて、あまり聞き取れませんでした。 ナムディン学院の先輩・後輩と食事会〈宮崎市内で2019年〉 私は菓子づくりが好きなので食品開発科学科を選びました。同じ年にナムディン学院から南九州大学に入学したのは私1人(短大には2人)でしたが、2年生と3年生に計3人の男子のナムディン学院卒業生がおり、3人で同じアパートに住んでいました。私は女子寮に住み、先輩たちのアパートに食事に招いてもらい、日本のことや勉強の仕方などをたくさん教えていただきました。寮では外国人は私だけでしたが、次第に寮の仲間とも仲良くなりました。 南九州大学・短大はナムディン学院と提携関係があり、大学・短大でのナムディン学院卒業生は計19人(2020年)いました。ほとんどが「後輩」ですが、ナムディン学院卒業生には、技能実習でお金を貯めてから再訪日して留学する人も多いので、「後輩」の中には私より年上の人もたくさんいました。 大学の授業は予習で乗り切る 大学の近くの公園で〈2017年4月〉 南九州大学での授業はすべて日本語で行われました。N2を取得して訪日しましたが、最初は、専門用語の多い授業は半分ぐらいしか理解できませんでした。私はこのままではだめだと思い、まず、授業の予習をていねいにやりました。先にテキストを読んで、分かる部分は頭に入れ、分からない日本語があれば調べました。そして、授業中に分からない言葉が出ればメモをして家で調べました。特に化学や微生物、発酵(はっこう)の授業では難しい言葉が多いので、予習も復習もしっかりやりました。ただし、日本語の力がついた3年生以降は復習だけで大丈夫でした。 日本語学習の教材はナムディン学院のオリジナルテキストと一般の動画(ドラもえん、ちびまる子ちゃん、ドラマ、ニュースなど)でした。動画は音も字幕も日本語のものが役に立ちました。 大学からのさまざまなサポート 南九州大学・短大のキャンパス〈2017年〉 日本での生活については、大学からのサポートもありました。日本では、外国人も含めて会社員は「厚生年金保険」に加入させられ、年金保険料を支払います。20歳以上の学生や自営業者は厚生年金保険ではなく「国民年金保険」に加入しなければなりません。しかし、学生については年金保険料の納付が猶予される「学生納付特例制度」があります。国民年金保険加入や特例制度の手続きを大学がサポートしてくれました。 南九州大学の学園祭〈2019年〉 2年生の終わりに寮からアパートに引っ越す際は、大学の職員の方々が荷物を運んでくれました。また、1年前からは、大学の学生支援課が卒業生からまだ使えそうな不要品を集め、それを必要とする留学生に分配する取り組みも始まりました。 研究室の先生(教授)も親切で、ある日「困っていることはないですか」と聞いてくれたので、アルバイト先での悩みや学費が重荷になっていることを話すと、やさしく励ましてくださいました。先生方と学生たちとの距離が近い大学で、学生1人1人へのケアが細かいと感じました。 留学費用とアルバイト 鹿児島県の水族館で〈2020年〉 南九州大学では、留学生の授業料は日本人の半額でした。半額での学費は入学金125,000円(約26,400,000ドン)、毎年の授業料589,000円(約124,200,000ドン)で、入学金と1年目の学費は訪日前に両親が大学に振り込んでくれました。また、大学生協とメールでやり取りをして住む家を決めてから訪日しました。 日本に来てからの主なアルバイト先は飲食店とスーパーでした。求人情報誌で回転寿司店や焼肉店に電話して面接を受けたり、友人(日本人、ベトナム人)の紹介で中華料理店やスーパーで勤務したりしました。焼肉店では日本人の友だちもでき、一緒に遊びに行ったり、私のアパートで食事会をしたりしました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年時の家計簿 ※100円=21,085ドン(2021年3月14日現在) 収入(合計90,000円~120,000円) アルバイト2件 90,000円~120,000円 ※飲食店、スーパー 支出(合計107,000円~119,000円) 家賃 25,000円 ※アパート、1人暮らし 授業料 50,000円 ※2年目から授業料も自己負担 水道・光熱費 6,000~8,000円 ※水道・電気・ガスの合計 携帯電話など 6000円 ※格安SIMとモバイルWi-Fi 食費 15,000~20,000円 ※アルバイト先のスーパーが売れ残った惣菜をくれるときもある。 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨など 毎月の差額・貯金(平均 5,000円~10,000円) ※両親から1年間に50,000円~100,000円の仕送りを受けた。 ※夏休みや春休みのアルバイト収入は少し増える。 左:ナムディン学院の仲間と学院の理事長宅を訪問〈鹿児島で2018年〉;右:宮崎県内で観光〈2017年〉 就職活動の流れ マイナビの留学生向け求人サイト 就職活動については、大手人材会社「マイナビ」などの求人サイトで企業を探して会社説明会に参加し、自分に合うと思ったら履歴書を送りました。大学の就職課が履歴書の書き方の指導や面接練習をしてくれました。私は熊本県の食品製造販売会社に総合職として採用され、今年4月から働きます。九州各地に店舗を持つ大きな会社で、外国人技能実習生もたくさん働いています。私は約10社の説明会(オンラインを含む)に参加して4社の面接を受け、この会社に採用されました。 私が会社探しを始めたのは2020年1月、会社説明会へのエントリーを始めたのは2月、説明会は3~7月でした。新型コロナの影響で説明会が遅れた企業も多く、6~7月でも説明会はたくさんありました。面接などで福岡や大阪にも行ったので、就活に計約110,000円(約23,200,000ドン)かかりました。就職することになった会社については、3年生の終わりの2020年3月に熊本での説明会に参加し、同じ月に1回目の面接、5月に2回目の面接を受けました。説明会と最初の面接では、交通費の半分を会社が出してくれ、2回目の面接では全額出してくれました。宮崎から熊本へはバスによる移動(往復約10,000円)でした。 面接での受け答え 新型コロナの影響でオンライン面接も経験しました。明太子メーカーのオンライン面接では「当社にどうやって貢献できますか」と聞かれ、「売り上げアップに貢献します」と答えましたが、事前の準備不足で、どうやって売り上げアップを実現するかは説明できませんでした。この会社には採用してもらえませんでした。これはよく聞かれる質問なので、その会社の事業内容をよく調べて自分が実際にどのように貢献できるかをよく考え、答える練習をしてから面接に臨む方がよいと思います。 それ以外に面接で聞かれた主な事柄は、履歴書に書いたことや「入社したら何をがんばりたいか」「尊敬する人とその理由」などでした。 採用内定をいただいた会社の2次面接では、最初に自己PRがあり、私は履歴書に書いたことを中心に話しました。面接官からは、アルバイトのことと日本語学習のことを中心に質問されました。また、「最近気になったニュース」についても聞かれたので、新型コロナに関するベトナムの状況を話しました。 また、この会社の説明会では、自分の人生の浮き沈みを曲線で表し、それぞれの年に何があったのかを説明する場面がありました。参加者は十数人で1人の持ち時間は2分ぐらいです。私はベトナムの大学受験で落ちたことや、日本で日本人の友だちに助けられたことなどを話しました。 日本で働くにあたって 私の家族〈モックチャウで2015年〉 留学中は学費を工面するのが大変で、旅行にはほとんど行きませんでしたが、正社員になったら少し旅行もしたいと思っています。特に行きたいのは京都です。また、これからは学費を払わなくてもいいし給料も増えるので、ベトナムの両親にときどきお金を送りたいと思っています。 宮崎は人が親切で物価も安く、暮らしやすい町ですが、電車やバスが少なく交通が不便でした。今後は熊本県で働くので、大きな空港のある福岡に少し近くなります。日本で4年間暮らしてみて感じたことは、日本語を身に付ければ、日本で働く方が給料も高いですし、生活が便利で食べ物もおいしく、快適に暮らすことができます。今後、日本で何歳まで働くかはまだ決めていませんが、場合によってはずっと働き続けることも視野に入れて仕事に取り組んでいきたいと思います。 今回の先輩 (ド・ミン・ハン)さん 2014年 高校卒業 2014年 ナムディン日本語日本文化学院(8月) 2016年 ナムディン学院卒業(5月)、自習 2017年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2021年 南九州大学卒業(3月) 2021年 食品会社に就職(正社員)〈熊本県〉 〈1996年生まれ、ナムディン省出身〉 ベトナムで猛勉強してJLPT・N2を取得し、最初から大学で日本留学を始めたハンさん。訪日後はさらに日本語力を高め、日本での就職も決まった。ハンさんの日本語学習や就職活動について紹介する。 〈このページの内容〉 • ベトナムでJLPT・N2取得 • 最初から大学に留学 • 大学の授業は予習で乗り切る • 大学からのさまざまなサポート • 留学費用とアルバイト • 就職活動の流れ • 面接での受け答え • 日本で働くにあたって ベトナムでJLPT・N2取得 ナムディン日本語日本文化学院 のロイ校長は私の親せきで、かねてロイ先生や父から「将来のために日本語を学習してはどうか」と勧められていました。私はベトナムの大学受験に失敗したこともあり、助言に従って日本語を勉強することにしました。 ナムディン学院には2014年8月~2016年5月に通い、2015年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、翌年7月にはN2に合格しました。同校では、午前に授業を受け、自宅で昼食を食べたらまた登校して自習や運動をし、夕食後もまた学校に戻って自習しました。このようにして、授業以外に仲間と一緒に毎日6時間ぐらい自習しました。人生で一番勉強した時期で、先生方のご指導や仲間たちのお陰で続けられました。このときの努力がもとになって日本の大学に留学し日本で就職もできることになりました。 ナムディン学院の教室で〈2015年 最初から大学に留学 私は宮崎県にある南九州大学・短大のナムディン事務所で小論文の試験とオンライン面接を受けて合格し、2017年4月に南九州大学で留学を始めました。日本語に囲まれて生活することで本物の日本語を身に付けることと日本で就職することが私の留学の目的です。しかし、最初は、日本人の話すスピードが速すぎて、あまり聞き取れませんでした。 日本に向かう際にノイバイ国際空港で〈2017年〉 私は菓子づくりが好きなので食品開発科学科を選びました。同じ年にナムディン学院から南九州大学に入学したのは私1人(短大には2人)でしたが、2年生と3年生に計3人の男子のナムディン学院卒業生がおり、3人で同じアパートに住んでいました。私は女子寮に住み、先輩たちのアパートに食事に招いてもらい、日本のことや勉強の仕方などをたくさん教えていただきました。寮では外国人は私だけでしたが、次第に寮の仲間とも仲良くなりました。 南九州大学・短大はナムディン学院と提携関係があり、大学・短大でのナムディン学院卒業生は計19人(2020年)いました。ほとんどが「後輩」ですが、ナムディン学院卒業生には、技能実習でお金を貯めてから再訪日して留学する人も多いので、「後輩」の中には私より年上の人もたくさんいました。 ナムディン学院の先輩・後輩と食事会〈宮崎市内で2019年〉 大学の授業は予習で乗り切る 南九州大学での授業はすべて日本語で行われました。N2を取得して訪日しましたが、最初は、専門用語の多い授業は半分ぐらいしか理解できませんでした。私はこのままではだめだと思い、まず、授業の予習をていねいにやりました。先にテキストを読んで、分かる部分は頭に入れ、分からない日本語があれば調べました。そして、授業中に分からない言葉が出ればメモをして家で調べました。特に化学や微生物、発酵(はっこう)の授業では難しい言葉が多いので、予習も復習もしっかりやりました。ただし、日本語の力がついた3年生以降は復習だけで大丈夫でした。 日本語学習の教材はナムディン学院のオリジナルテキストと一般の動画(ドラもえん、ちびまる子ちゃん、ドラマ、ニュースなど)でした。動画は音も字幕も日本語のものが役に立ちました。 大学の近くの公園で〈2017年4月〉 大学からのさまざまなサポート 日本での生活については、大学からのサポートもありました。日本では、外国人も含めて会社員は「厚生年金保険」に加入させられ、年金保険料を支払います。20歳以上の学生や自営業者は厚生年金保険ではなく「国民年金保険」に加入しなければなりません。しかし、学生については年金保険料の納付が猶予される「学生納付特例制度」があります。国民年金保険加入や特例制度の手続きを大学がサポートしてくれました。 南九州大学・短大のキャンパス〈2017年〉 2年生の終わりに寮からアパートに引っ越す際は、大学の職員の方々が荷物を運んでくれました。また、1年前からは、大学の学生支援課が卒業生からまだ使えそうな不要品を集め、それを必要とする留学生に分配する取り組みも始まりました。 研究室の先生(教授)も親切で、ある日「困っていることはないですか」と聞いてくれたので、アルバイト先での悩みや学費が重荷になっていることを話すと、やさしく励ましてくださいました。先生方と学生たちとの距離が近い大学で、学生1人1人へのケアが細かいと感じました。 南九州大学の学園祭〈2019年〉 留学費用とアルバイト 南九州大学では、留学生の授業料は日本人の半額でした。半額での学費は入学金125,000円(約26,400,000ドン)、毎年の授業料589,000円(約124,200,000ドン)で、入学金と1年目の学費は訪日前に両親が大学に振り込んでくれました。また、大学生協とメールでやり取りをして住む家を決めてから訪日しました。 日本に来てからの主なアルバイト先は飲食店とスーパーでした。求人情報誌で回転寿司店や焼肉店に電話して面接を受けたり、友人(日本人、ベトナム人)の紹介で中華料理店やスーパーで勤務したりしました。焼肉店では日本人の友だちもでき、一緒に遊びに行ったり、私のアパートで食事会をしたりしました。 鹿児島県の水族館で〈2020年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年時の家計簿 ※100円=21,085ドン(2021年3月14日現在) 収入(合計90,000円~120,000円) アルバイト2件 90,000円~120,000円 ※飲食店、スーパー 支出(合計107,000円~119,000円) 家賃 25,000円 ※アパート、1人暮らし 授業料 50,000円 ※2年目から授業料も自己負担 水道・光熱費 6,000~8,000円 ※水道・電気・ガスの合計 携帯電話など 6000円 ※格安SIMとモバイルWi-Fi 食費 15,000~20,000円 ※アルバイト先のスーパーが売れ残った惣菜をくれるときもある。 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨など 毎月の差額・貯金(平均 5,000円~10,000円) ※両親から1年間に50,000円~100,000円の仕送りを受けた。 ※夏休みや春休みのアルバイト収入は少し増える。 左:ナムディン学院の仲間と学院の理事長宅を訪問〈鹿児島で2018年〉;右:宮崎県内で観光〈2017年〉 就職活動の流れ 就職活動については、大手人材会社「マイナビ」などの求人サイトで企業を探して会社説明会に参加し、自分に合うと思ったら履歴書を送りました。大学の就職課が履歴書の書き方の指導や面接練習をしてくれました。私は熊本県の食品製造販売会社に総合職として採用され、今年4月から働きます。九州各地に店舗を持つ大きな会社で、外国人技能実習生もたくさん働いています。私は約10社の説明会(オンラインを含む)に参加して4社の面接を受け、この会社に採用されました。 私が会社探しを始めたのは2020年1月、会社説明会へのエントリーを始めたのは2月、説明会は3~7月でした。新型コロナの影響で説明会が遅れた企業も多く、6~7月でも説明会はたくさんありました。面接などで福岡や大阪にも行ったので、就活に計約110,000円(約23,200,000ドン)かかりました。就職することになった会社については、3年生の終わりの2020年3月に熊本での説明会に参加し、同じ月に1回目の面接、5月に2回目の面接を受けました。説明会と最初の面接では、交通費の半分を会社が出してくれ、2回目の面接では全額出してくれました。宮崎から熊本へはバスによる移動(往復約10,000円)でした。 マイナビの留学生向け求人サイト 面接での受け答え 新型コロナの影響でオンライン面接も経験しました。明太子メーカーのオンライン面接では「当社にどうやって貢献できますか」と聞かれ、「売り上げアップに貢献します」と答えましたが、事前の準備不足で、どうやって売り上げアップを実現するかは説明できませんでした。この会社には採用してもらえませんでした。これはよく聞かれる質問なので、その会社の事業内容をよく調べて自分が実際にどのように貢献できるかをよく考え、答える練習をしてから面接に臨む方がよいと思います。 それ以外に面接で聞かれた主な事柄は、履歴書に書いたことや「入社したら何をがんばりたいか」「尊敬する人とその理由」などでした。 採用内定をいただいた会社の2次面接では、最初に自己PRがあり、私は履歴書に書いたことを中心に話しました。面接官からは、アルバイトのことと日本語学習のことを中心に質問されました。また、「最近気になったニュース」についても聞かれたので、新型コロナに関するベトナムの状況を話しました。 また、この会社の説明会では、自分の人生の浮き沈みを曲線で表し、それぞれの年に何があったのかを説明する場面がありました。参加者は十数人で1人の持ち時間は2分ぐらいです。私はベトナムの大学受験で落ちたことや、日本で日本人の友だちに助けられたことなどを話しました。 日本で働くにあたって 留学中は学費を工面するのが大変で、旅行にはほとんど行きませんでしたが、正社員になったら少し旅行もしたいと思っています。特に行きたいのは京都です。また、これからは学費を払わなくてもいいし給料も増えるので、ベトナムの両親にときどきお金を送りたいと思っています。 宮崎は人が親切で物価も安く、暮らしやすい町ですが、電車やバスが少なく交通が不便でした。今後は熊本県で働くので、大きな空港のある福岡に少し近くなります。日本で4年間暮らしてみて感じたことは、日本語を身に付ければ、日本で働く方が給料も高いですし、生活が便利で食べ物もおいしく、快適に暮らすことができます。今後、日本で何歳まで働くかはまだ決めていませんが、場合によってはずっと働き続けることも視野に入れて仕事に取り組んでいきたいと思います。 私の家族〈モックチャウで2015年〉
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Vol. 51 国際交流グループで友だちづくり
今回の先輩 グエン・ティエン・タムさん 2009年高校卒業〈タイビン県〉 2009年農業〈ダクノン県〉 2010年徴兵(3年) 2012年農業〈ダクノン県〉 2014年大学入学〈ハノイ〉 2017年日本語センターで学習〈ハノイ〉 2017年日本語学校入学 /10月〈仙台市〉 2019年専門学校入学〈仙台市〉 2020年SGモータース就職内定(2021年4月から正社員) 〈1991年生まれ、タイビン省出身〉 日本で国際ボランティア団体などに参加し、日本語でたくさんの交流を重ねてきた留学生・タムさん。交流を通じて日本語も上達し、人脈も広がり、日本での就職もすんなり決まった。 〈このページの内容〉 • 社会人になってから日本留学 • 留学の費用 • 日本語学校から専門学校へ • アルバイト先の工場に就職内定 • ベトナム人コミュニティ • 国際交流 • 普段の生活と生活費 • 後輩へのアドバイス 社会人になってから日本留学 私の両親は私が10歳のときからダクノン省でコーヒーとコショウを栽培しており、年収は約400,000,000ドン(約183万円)です。私は弟や祖父母と生まれ故郷のタイビン省で育ち、高校卒業後は、徴兵に応じたり両親や親せきの農園を手伝ったりしたほか、大学にも行きましたが、中退しました。そんなある日、母が私の将来を考えて日本留学を勧めてくれたので、日本に行くことにしました。 こうして私は26歳のときにハノイの留学あっせん会社に依頼し、仙台の日本語学校を紹介してもらいました。ハノイでの日本語学習は4カ月間だけで、訪日直後は、日本人の話すことをほとんど理解できませんでした。 留学の費用 日本語学校で〈2019年3月〉 留学あっせん会社には計100,000,000ドン(約46万円)を払いました。ここには、授業料やキャンプ参加費、在留資格申請費、寮費、日本への飛行機代などが含まれています。また、在留資格を取得後、仙台の日本語学校の授業料1年分(約60万円=約132,000,000ドン)を追加で支払いました。 3年半の留学のために両親から出してもらった費用は全部で約600,000,000ドン(約275万円)で、私は日本で就職してから返すつもりです。 ※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 日本語学校を卒業して専門学校へ 自動車整備の専門学校 私は2017年10月に訪日し、日本語学校に1年半通い、2019年4月に自動車整備の勉強をするために同じ仙台市内の専門学校に入りました。専門学校は2年間で、入学金12万円、1年分の授業料は72万円です。卒業前に自動車整備士(2級)の国家試験があるので、現在、受験勉強を続けています。 アルバイト先の会社に就職内定 SGモータースでの休憩時間〈2018年〉 自動車整備士になることを決めたのは、仙台の自動車整備工場でアルバイトして、この仕事が気に入ったからです。アルバイト先は、ハノイの留学あっせん会社の幹部が紹介してくれた「SGモータース仙台店」です。幹部も仙台で留学経験があり、同店にコネがあったのです。 ハノイでの同期生は十数人ですが、日本語の成績の良かった私を含む4人だけが訪日前にSGモータースを紹介してもらえました。そのときに、幹部から「アルバイト先でまじめにやれば、卒業後に正社員になれる可能性がある」と聞かされていました。 バイト先へ仲間と自転車通勤〈2018年〉 SGモータースでは、自動車修理や整備の準備作業や掃除などを担当しています。国家資格を取得すれば、私も整備を担当できるようになります。勤務は月~金曜の18:00から5時間。夏休みでも勤務時間を増やしてもらえないのが残念ですが、お金は正社員になってから稼げばいいと考えています。 私と一緒にここで働いていた同期3人のうち2人はベトナムで大学を出ているので2020年4月に先に正社員になりました。私も2020年3月に試験と面接を受けて内定をいただきました。日本各地に工場を持つ会社なので、東京から来た面接官の面接を受けましたが、面接の日本語も問題なくこなせました。 ベトナム人コミュニティ 左:VYSAが協力した国際交流イベント〈宮城県で2018年〉, 右:VYSAの仲間数人で福島県にドライブ〈2018年〉 私は日本で様々な活動に参加しました。それによって仲間も増え、日本語の実践練習にもなりました。外国語は実生活で使うと格段に上達しますし、生活も充実します。ベトナム人コミュニティと国際交流に分けて紹介します。 【VYSA】 在日ベトナム学生青年協会。各地に支部があり、私はFacebookでVYSA仙台を知りました。仲の良かったリーダーが就職して東京に行ってからはあまり参加していませんが、以前は、イベントを手伝ったり、メンバーで旅行に行ったりしました。 Sen TVA主催のテトのイベント〈仙台市で2020年〉 【Sen TVA】 在仙台ベトナム人協会。日本各地のベトナム人協会の中でも特に活発に活動している団体です。私も以前、テト(旧正月)のイベントなどに参加しました。 これ以外に、ハノイの日本語センターの同期や日本の日本語学校、専門学校の仲間とも食事会をしたり、観光を楽しんだりしています。 国際交流 「心の港」のオフィスで食事会。共通言語は日本語か英語〈仙台市内で2018年〉 訪日直後は、日本人の話す言葉がほとんど分かりませんでしたが、国際交流活動で多くの日本人と知り合い、日本語力が上がりました。また、日本人の友だちができると、自分や友人が困っているときに相談に乗ってもらえるようになりました。 【Sing for Joy / 心の港】 2018年に仙台にできたカトリックのボランティア団体で、ベトナム人、カナダ人、フィリピン人、インドネシア人、日本人など約50人が参加しています。毎月1、2回、十数人で老人ホームに出向き、お年寄りと交流したり歌を歌ったりします。毎週水曜にミーティングがあり、菓子をたべながら英語や日本語で話し合います。カトリックの別のボランティア国際グループ「心の港」にも参加しています。 ベトアジで知り合った日本人たちと今も交流〈別の料理教室で2020年〉 【ベトアジなど】 ベトアジは「ベトナムの味」という意味で、日本各地にあるチャリティー・ベトナム料理教室です。スタッフが様々な国籍の参加者にベトナム料理を教えます。私はここで出会った日本人とも友だちになり、交流しています。 また、SGモータースでも休憩時間に日本人も含めて数人でおしゃべりをします。このように、生活の様々な場面で日本語での交流を重ね、日本語が上達しました。日本に来る前は、日本語がこんなに話せるようになるとは思っていませんでした。 普段の生活と生活費 私の部屋と近所の川原で採取した食用の草 私は歌うのが好きで、休日には歌の練習をしています。ベトナム語のポップやロック、バラードのほか、日本語の歌も少し歌います。アパートから専門学校までは自転車で約30分。学校が終わると、いったん帰宅して夕飯を食べ、再び自転車で約20分かけてSGモータースに行きます。 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校1年目の家計簿※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 収入(合計75,000円~85,000円) アルバイト1件 75,000 円~85,000円 支出(合計70,000円) 家賃 29,500円 ※水道代2,500円(固定)を含む ※一人暮らし(ワンルーム) 光熱費 3,000円 ※電気・ガスの合計 携帯電話 3,200円 ※インターネット+通話 食費 20,000円 ※自炊 雑費 15,000円 ※食事会、友人の誕生日など 差額・貯金(10,000円) 貯金 10,000円 ※これ以外に授業料720,000円(1年分)は両親が負担 仙台市郊外の港 専門学校の近くで 後輩へのアドバイス 左:仙台駅 , 右:仙台市内の商店街 私は日本で正社員になったら、両親にお金を送り、もっと旅行もするつもりです。そして、ベトナムでもこれから乗用車が増えていくので、いつか、ベトナムで自分の自動車整備工場を開くのが夢です。 留学生にとってお金は生命線ですが、アルバイトだけで授業料と生活費の両方をまかなうのは困難です。東北など授業料や家賃の安い地方都市に住んで、部屋もシェアすれば、授業料も含めて毎月10万円前後で生活できる可能性もあります。しかし、東京だと、アルバイトの時給も高いですが、授業料や家賃も高いので、かなり苦しいのではないでしょうか。 私のように就職してから返済する計画なら、学生時代にいろいろな体験をできて財産になります。これから日本に留学する人には様々な活動に参加していただければ幸いです。そうすれば、日本に早くなじみ、日本語のレベルも上がると思います。 今回の先輩 Nguyễn Tiến Tâm(グエン・ティエン・タム)さん 2009年高校卒業〈タイビン〉 2009年農業〈ダクノン〉 2010年徴兵(3年) 2012年農業〈ダクノン〉 2014年大学入学〈ハノイ〉 2017年日本語センターで学習〈ハノイ〉 2017年日本語学校入学 /10月〈仙台〉 2019年専門学校入学〈仙台〉 2020年SGモータース就職内定(2021年4月から正社員) 〈1991年生まれ、タイビン省出身〉 日本で国際ボランティア団体などに参加し、日本語でたくさんの交流を重ねてきた留学生・タムさん。交流を通じて日本語も上達し、人脈も広がり、日本での就職もすんなり決まった。 〈このページの内容〉 • 社会人になってから日本留学 • 留学の費用 • 日本語学校から専門学校へ • アルバイト先の工場に就職内定 • ベトナム人コミュニティ • 国際交流 • 普段の生活と生活費 • 後輩へのアドバイス 社会人になってから日本留学 私の両親は私が10歳のときからダクノン省でコーヒーとコショウを栽培しており、年収は約400,000,000ドン(約183万円)です。私は弟や祖父母と生まれ故郷のタイビン省で育ち、高校卒業後は、徴兵に応じたり両親や親せきの農園を手伝ったりしたほか、大学にも行きましたが、中退しました。そんなある日、母が私の将来を考えて日本留学を勧めてくれたので、日本に行くことにしました。 こうして私は26歳のときにハノイの留学あっせん会社に依頼し、仙台の日本語学校を紹介してもらいました。ハノイでの日本語学習は4カ月間だけで、訪日直後は、日本人の話すことをほとんど理解できませんでした。 留学の費用 留学あっせん会社には計100,000,000ドン(約46万円)を払いました。ここには、授業料やキャンプ参加費、在留資格申請費、寮費、日本への飛行機代などが含まれています。また、在留資格を取得後、仙台の日本語学校の授業料1年分(約60万円=約132,000,000ドン)を追加で支払いました。 3年半の留学のために両親から出してもらった費用は全部で約600,000,000ドン(約275万円)で、私は日本で就職してから返すつもりです。 ※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 日本語学校で〈2019年3月〉 日本語学校を卒業して専門学校へ 私は2017年10月に訪日し、日本語学校に1年半通い、2019年4月に自動車整備の勉強をするために同じ仙台市内の専門学校に入りました。専門学校は2年間で、入学金12万円、1年分の授業料は72万円です。卒業前に自動車整備士(2級)の国家試験があるので、現在、受験勉強を続けています。 自動車整備の専門学校 アルバイト先の会社に就職内定 自動車整備士になることを決めたのは、仙台の自動車整備工場でアルバイトして、この仕事が気に入ったからです。アルバイト先は、ハノイの留学あっせん会社の幹部が紹介してくれた「SGモータース仙台店」です。幹部も仙台で留学経験があり、同店にコネがあったのです。 ハノイでの同期生は十数人ですが、日本語の成績の良かった私を含む4人だけが訪日前にSGモータースを紹介してもらえました。そのときに、幹部から「アルバイト先でまじめにやれば、卒業後に正社員になれる可能性がある」と聞かされていました。 SGモータースでの休憩時間〈2018年〉 SGモータースでは、自動車修理や整備の準備作業や掃除などを担当しています。国家資格を取得すれば、私も整備を担当できるようになります。勤務は月~金曜の18:00から5時間。夏休みでも勤務時間を増やしてもらえないのが残念ですが、お金は正社員になってから稼げばいいと考えています。 私と一緒にここで働いていた同期3人のうち2人はベトナムで大学を出ているので2020年4月に先に正社員になりました。私も2020年3月に試験と面接を受けて内定をいただきました。日本各地に工場を持つ会社なので、東京から来た面接官の面接を受けましたが、面接の日本語も問題なくこなせました。 バイト先へ仲間と自転車通勤〈2018年〉 ベトナム人コミュニティ 私は日本で様々な活動に参加しました。それによって仲間も増え、日本語の実践練習にもなりました。外国語は実生活で使うと格段に上達しますし、生活も充実します。ベトナム人コミュニティと国際交流に分けて紹介します。 【VYSA】 在日ベトナム学生青年協会。各地に支部があり、私はFacebookでVYSA仙台を知りました。仲の良かったリーダーが就職して東京に行ってからはあまり参加していませんが、以前は、イベントを手伝ったり、メンバーで旅行に行ったりしました。 左:VYSAが協力した国際交流イベント〈宮城県で2018年〉, 右:VYSAの仲間数人で福島県にドライブ〈2018年〉 【Sen TVA】 在仙台ベトナム人協会。日本各地のベトナム人協会の中でも特に活発に活動している団体です。私も以前、テト(旧正月)のイベントなどに参加しました。 これ以外に、ハノイの日本語センターの同期や日本の日本語学校、専門学校の仲間とも食事会をしたり、観光を楽しんだりしています。 Sen TVA主催のテトのイベント〈仙台市で2020年〉 国際交流 訪日直後は、日本人の話す言葉がほとんど分かりませんでしたが、国際交流活動で多くの日本人と知り合い、日本語力が上がりました。また、日本人の友だちができると、自分や友人が困っているときに相談に乗ってもらえるようになりました。 【Sing for Joy / 心の港】 2018年に仙台にできたカトリックのボランティア団体で、ベトナム人、カナダ人、フィリピン人、インドネシア人、日本人など約50人が参加しています。毎月1、2回、十数人で老人ホームに出向き、お年寄りと交流したり歌を歌ったりします。毎週水曜にミーティングがあり、菓子をたべながら英語や日本語で話し合います。カトリックの別のボランティア国際グループ「心の港」にも参加しています。 「心の港」のオフィスで食事会。共通言語は日本語か英語〈仙台市内で2018年〉 【ベトアジなど】 ベトアジは「ベトナムの味」という意味で、日本各地にあるチャリティー・ベトナム料理教室です。スタッフが様々な国籍の参加者にベトナム料理を教えます。私はここで出会った日本人とも友だちになり、交流しています。 また、SGモータースでも休憩時間に日本人も含めて数人でおしゃべりをします。このように、生活の様々な場面で日本語での交流を重ね、日本語が上達しました。日本に来る前は、日本語がこんなに話せるようになるとは思っていませんでした。 ベトアジで知り合った日本人たちと今も交流〈別の料理教室で2020年〉 普段の生活と生活費 私は歌うのが好きで、休日には歌の練習をしています。ベトナム語のポップやロック、バラードのほか、日本語の歌も少し歌います。アパートから専門学校までは自転車で約30分。学校が終わると、いったん帰宅して夕飯を食べ、再び自転車で約20分かけてSGモータースに行きます。 私の部屋と近所の川原で採取した食用の草 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校1年目の家計簿 ※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 収入(合計75,000円~85,000円) アルバイト1件 75,000 円~85,000円 支出(合計70,000円) 家賃 29,500円 ※水道代2,500円(固定)を含む ※一人暮らし(ワンルーム) 光熱費 3,000円 ※電気・ガスの合計 携帯電話 3,200円 ※インターネット+通話 食費 20,000円 ※自炊 雑費 15,000円 ※食事会、友人の誕生日など 差額・貯金(10,000円) 貯金 10,000円 ※これ以外に授業料720,000円(1年分)は両親が負担 仙台市郊外の港 専門学校の近くで 後輩へのアドバイス 私は日本で正社員になったら、両親にお金を送り、もっと旅行もするつもりです。そして、ベトナムでもこれから乗用車が増えていくので、いつか、ベトナムで自分の自動車整備工場を開くのが夢です。 留学生にとってお金は生命線ですが、アルバイトだけで授業料と生活費の両方をまかなうのは困難です。東北など授業料や家賃の安い地方都市に住んで、部屋もシェアすれば、授業料も含めて毎月10万円前後で生活できる可能性もあります。しかし、東京だと、アルバイトの時給も高いですが、授業料や家賃も高いので、かなり苦しいのではないでしょうか。 私のように就職してから返済する計画なら、学生時代にいろいろな体験をできて財産になります。これから日本に留学する人には様々な活動に参加していただければ幸いです。そうすれば、日本に早くなじみ、日本語のレベルも上がると思います。 左:仙台駅 , 右:仙台市内の商店街
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Vol. 40 あの手この手で日本語上達
今回の先輩 ロ・ティ・マインさん 2015年5月ソンタイ高校卒業〈ハノイ〉 2015年8月ハノイ国家大学・外国語大学 日本言語文化学部入学 2018年3月交換留学で明治大学情報コミュニケーション学部=1年間〈東京〉 2019年6月明治大学に短期留学(1カ月間) 2020年7月日系IT企業に就職〈ハノイ〉 2020年7月ハノイ国家大学卒業 〈1997年生まれ、ハノイ市出身〉 はじめに ボランティアでお菓子配り〈ハノイで2017年12月〉 ハノイの若い女性たちが応募する「さくら親善大使」のコンテストでトップ5に選ばれるなど華やかな経歴のマインさん。学生としては、さまざまなやり方で積極的に日本語を学び、1年間の交換留学生に選ばれた。日本語の勉強方法や留学生活、日系企業への就職活動について、マインさんが体験談を紹介する。 ボランティアでお菓子配り〈ハノイで2017年12月〉 ハノイの日系企業に就職 職場の人たちとハノイのレストランで〈2020年7月〉 私は日本語や日本文化を学び日本に留学もしたので、日本での就職を希望していました。しかし、新型コロナウイルスの影響で渡航できなくなり、2020年7月に地元のハノイで就職しました。就職活動では、自分が今何をしたいのか、また将来はどうなりたいのかをまず考えました。その上で、求人サイトや知人の紹介で求人を探し、出願しました。 就職した会社には日越2カ国語の履歴書を出し、日本語で面接を受けました。事前に面接で聞かれることを考え、何度も受け答えの練習をしました。実際の面接では、「当社はまだ新しく小さな会社ですが、あなたはそれでも大丈夫ですか?」などと聞かれ、「皆さまと一緒に会社を育て、将来、会社に不可欠な人材になりたい」と答えました。 職場の人たちとハノイのレストランで〈2020年7月〉 日本語の勉強 越日学生会議のメンバーと〈ハノイで2016年2月〉 私が大学時代に取り組んだ日本語の勉強方法を紹介します。 ❶学習グループ 大学1年のとき、苦手だった漢字を克服するために日越親友会(JVC)に参加しました。JVCは当時、漢字・会話・文法・読解などに分かれてグループ学習をするサークルでした。ここで知り合った仲間とは、このサークル以外でも一緒に日本語能力試験(JLPT)対策の勉強をしました。 Link:日越親友会 ❷越日学生会議(VJSC) ハノイの各大学から有志が集まり、日本の大学生たちと交流しました。日本から来た大学生たちに観光案内をしたり、日越の文化紹介のプレゼン資料(日本語)を一緒に作ったりしました。 Link:越日学生会議 越日学生会議のメンバーと〈ハノイで2016年2月〉 Riki 日本語センターで講師のアルバイト ❸日本人主催のボランティア活動に参加 ホアンキエム湖周辺でのボランティアのゴミ拾いに月2回ほど参加しました。日本人の主催で、終了後、コーヒーを飲みながら日本語会話などの練習をします。 Link:Lam sach dep Ho Guom voi Ninomiya ❹アルバイト 日本語力がついてからは、Riki日本語センターという日本語教室でN4受験クラスの講師をしました。 ❺日本のドラマやアニメ 日本のドラマやアニメ(音声は日本語、字幕はベトナム語)も見ました。リスニング力が向上し、好きなセリフをまねることで発音もきれいになりました。 Riki 日本語センターで講師のアルバイト 日本語学習のツール 大学時代は、授業以外に1日3時間ぐらい日本語を勉強しました。私の使った教材を紹介します。 ◆みんなの日本語=定番の日本語入門書 ◆「新完全マスター」シリーズ(スリーエーネットワーク)=JLPT受験者に評価が高い。練習問題が多い。「読解」が特に人気。 ◆「耳から覚える日本語能力試験」シリーズ(アルク)=「語彙」が特に人気。CDやMP3もあり、聞きながら言葉を覚える。 ◆「日本語総まとめ」シリーズ(アスク出版)=「新完全マスター」と比べて練習問題は少ないが、毎日2ページずつ8週間で完成するプログラムで、独学でも続けやすい。 ◆NHK のNews Web Easy(オンライン)=やさしい日本語ニュースが読める。映像もあり、リスニングの練習にもなる。 時間があるときはYou Tubeの学習チャンネルも見ます。何かをしながら日本の歌を聴くこともあります。 1. あかね的日本語教室 2. Hiro Vlog 3. The Hanoi Chamomile 4. Samurai Chan 5. Giang Vũ 1年間の交換留学 明治大学で留学仲間と〈2019年〉 日本語が上達したので、大学3年のときに約1年間、交換留学生として東京の明治大学に留学しました。留学中は、牛丼店でホール担当(接客、配膳、レジ)としてアルバイトをしました。牛丼店で最初は日本人の同僚の言うことが分からないときもありましたが、同僚たちはとても親切で、分からない日本語があると、いつも親切に教えてくれました。休みの日には彼女たちと一緒に遊びにいくこともありました。 牛丼店のアルバイトはタウンワークというウェブサイト(日本語)で探しました。 明治大学で留学仲間と〈2019年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※交換留学中の東京での生活費 ※100円=21,943 ドン(2020年8月9日現在) ※交換留学中の東京での生活費 ※100円=21,943 ドン(2020年8月9日現在) 収入(合計115,000円~120,000円) アルバイト1件 115,000円~120,000円 ※牛丼店 支出(合計92,000円~97,000円) 家賃 50,000円 ※水道・電気・ガス・Wi-Fiの料金込み ※ワンルーム(家具付き)に1人 ※風呂・シャワー・キッチン・トイレは共同 学費 0円 ※ハノイ国家大学と明治大学との協定で学費免除 携帯電話 2,000円 ※LINE Sim利用 食費 25,000円 ※バイト中は店のメニューを6割引で食べられた 雑費 15,000円~20,000円 ※外食、衣類、交通費、化粧品 毎月の差額・貯金(平均23,000円) 差額 平均23,000円 ※長期休暇時に長く働いて10カ月足らずで約30万円を貯め、一部を帰国の飛行機代や土産(ユニクロの服や菓子、化粧品など)に使った。 住居は、大学から紹介されたシェアハウスで、社会人もいました。食堂・台所が共用なので入居者同士で仲良くなり、5~20人で宴会をすることが毎月ありました。宴会では私もときどきベトナム料理を振る舞いました。特に仲がよかったのは年上の社会人の女性と言語学の研究をしている男性でした。彼らとは一緒に観光や外食にも行きました。 東京のシェアハウスで宴会〈2018年8月〉 東京のシェアハウスで宴会〈2018年8月〉 シェアハウスの仲間と高尾山(東京)へ〈2018年11月〉 シェアハウスの仲間と高尾山(東京)へ〈2018年11月〉 学部大使として再訪日 派遣留学のプログラムで浴衣体験〈2019年6月〉 交換留学からハノイに戻って3カ月後、明治大学に再び1カ月間留学しました。日本言語文化学部で毎年行われるJapan Day Festivalの大使コンテストで優勝し、学部の大使として派遣留学(旅費・滞在費無料)をさせていただいたのです。大学の仲間6人と一緒に渡航して大学のゼミなどに参加したほか、立山(富山県)や鎌倉(神奈川県)を観光し、皇居や国会議事堂、明治神宮などを見学しました。 派遣留学のプログラムで浴衣体験〈2019年6月〉 日本人女性の化粧 以前は化粧にそれほど興味がなかったのですが、留学して日本人女性のナチュラルで美しい化粧に感心しました。例えば、ほおが薄いピンクになっている人がたくさんいます。最初は地肌かと思っていましたが、やがて化粧だと分かり、びっくりしました。それからは、私もネットで化粧の勉強をしたり、デパートの化粧品売り場でメイクをしてもらったりして参考にしました。留学の1年間で化粧がずいぶんうまくなったように思います。 留学後も、航空便のキャビンアテンダントをしている友人にときどきお願いし、日本で化粧品を買ってきてもらっています。 さくら親善大使ファイナリスト 「さくら親善大使」の最終選考でトップ5に入選〈2019年3月〉 ハノイでは2年に1回、ハノイ市や在ベトナム日本国大使館、AICグループの共催で「さくら親善大使」を選ぶイベントがあります。ハノイ市在住の18~28歳のベトナム人女性で日本語を話せることが応募条件です。2019年3月、書類選考で選ばれた50人のうち面接で15人が最終選考に進みました。私もこの15人に入り、お茶会やすし作りなど日本文化を体験したほか、同年9月に日本に約1週間行かせていただきました。 「さくら親善大使」の最終選考でトップ5に入選〈2019年3月〉 将来の夢 私は現在、ITコミュニケーターをしています。日本の親会社が日本で受注したアプリ開発業務を私たちの会社が請け負う際、顧客の依頼内容をエンジニアに伝える役割です。発注に関する日本語資料をベトナム語に翻訳する仕事も含まれます。 将来は、親会社で勤務する機会があればと希望しています。日本語力をもっと高めたいですし、日本ではベトナムより給料も高いからです。留学が楽しかったので、もう一度日本に住みたいという気持ちもあります。当面は、今の仕事で会社に貢献できるよう、しっかりがんばりたいと思います。