体験談(技能)
今回の先輩
レ・ヴァン・ロイさん
1989年生まれ、タインホア省出身
2007年 6月 Le Viet Tao高校 卒業
2007年 9月 Truong Dai Hoc Cong Nghiep Viet Hung(ベトナムハンガリー工業大学専門学校)入学
2010年 6月 Truong Dai Hoc Cong Nghiep Viet Hung 卒業
2010年 7月 IIG旅行社日本語学科 入学
2011年 1月 IIG旅行社日本語学科 卒業
2011年 2月 株式会社テクノタイヨーで技能実習開始
2014年 2月 株式会社テクノタイヨーで技能実習修了
2014年 3月 テクノタイヨー・ハノイ事務所勤務
2019年10月 テクノタイヨー・ベトナム有限会社設立
Mail: Loi@techno-t.co.jp
はじめに
大阪の中小企業の工場で3年間技能実習をし、帰国後に同社の二つのベトナム現地法人の社長を任されているロイさん。6才と1才の息子の父で、月収約24,000,000ドン(約11万円)。社長として、営業や取引先のケア、製造委託先に製品の仕様を説明し品質を管理する仕事、現地法人の人材育成などを担当し、日々、駆け回っている。日本の品質をハノイで見事に実現し、現地法人はJETROが選出した「ベトナム優良企業(北・中部ベトナム編)2019」にも掲載されるようになった。
実習先の社長、水野敏雄さんは「受入組合から勧められて実習生の受け入れを始めた。最初は安く雇える人材としか考えていなかったが、ロイ君が来てくれて、彼の仕事ぶりや能力、考え方に感銘を受けた。今は、実習生や元実習生を会社の財産と考えており、日本人並みの待遇も提供している」と話す。水野社長に信頼され、現地法人を任されるようになったロイさんの体験談を以下に紹介する。
訪日前の勉強が大事
私は大学卒業前、送出機関が大学で行った説明会に参加しました。当時、技能実習生の受け入れは現在ほど多くはなく、面接合格者の多くは大学卒や短大卒でした。私は、大学で専攻した機械関係の知識を高めたかったので実習生に応募しました。
送出機関では半年間勉強しました。毎月試験があり、クラス36人の中で1、2番の成績でした。そのためには、授業だけではなく自習もがんばりました。朝5時に起きて7時~11時に勉強します。午後は4時間授業を受け、寮に戻ったら19時~22時に勉強し、23時に消灯です。つまり、1日のうち授業が4時間、自習が7時間でした。さらに、試験前には朝2時~5時にも自習をしました。ほかにも同じように努力している人が何人かいました。
こうした努力が実り、2011年2月に訪日後、同年7月に日本語能力試験(JLPT)N4に合格、2013年7月にN3に合格、帰国直後の2014年7月にN2に合格しました。最近は、ほとんど話せない状態で日本に行く人もいますが、その場合は、行ってから苦労します。そして、基礎的な日本語力や学習の習慣がついていないので、日本に3年間住んでも日本語はあまり上達しません。
日本での暮らし
日本では、3年間で約350万円を両親に送りました。両親は送出機関への支払いのために借りた約60万円を返済後、残ったお金で私名義の土地を地元で買いました。私の場合は、手取り給料が十分にあったうえ寮費も安かったので、十分な送金ができました(こうした状況は実習先によって異なります)。
寮は実習先から自転車で7分の所にあり、2ベッドルームでした。ここに1年目は1人で住み、2年目は2人で住みました。電化製品や家具は会社が用意してくれました。
私の家計簿
※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在)
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日本では、送出機関や受入組合の研修での同期生たちとよく会いました。実習先はばらばらですが、メンバーの誕生日や長期休暇の時に集まり、近くに旅行したり、ご飯を食べたりしました。実習先の日本人の先輩たちとも時々飲みに行きました。
実習修了後、現地事務所で勤務
実習先のテクノタイヨーでは、金属材料を機械で削って加工する仕事をしました。機械の操作に専門知識が役立ちました。また、訪日前に日本語をしっかり勉強し、訪日後も勉強を続けたので、職場での日本人との会話も日に日に上達しました。
社長の水野さんは私の仕事ぶりや語学力を気に入ってくれ、「君の実習が終わってからも一緒に仕事をしたい」と言ってくれました。私が2014年2月に帰国する約1年前から、社長は私を伴って何回かベトナムを訪れてハノイ事務所を開設し、製品製造の委託先をいくつか見つけました。そして、これまで日本だけで製造していた製品をベトナムでも委託生産し、日本に輸出するという新事業が始まり、私は帰国と同時に新事業の責任者になりました。その後、後輩実習生2人も帰国して事業に加わり、2015年に現地法人「テクノタイヨー・ベトナム(TTV)」を設立し、私が社長になりました。
自社工場を設立
さらに、2018年4月にはもう一つの現地法人「ヴィナテクノ(VT)を」設立し、ハノイに自社工場を開設しました。ステンレスを加工して台所用品などを製造する工場です。TTVは製造の注文を取ってテクノタイヨーに輸出する商社、VTはTTVが製造を委託するメーカーの一つです。技能実習時代に寮でルームメートだったタオさん(30)がVTでの品質管理や出荷計画、納期管理、人事・総務などを担当しています。TTVは7名、VTは25名で、全員ベトナム人です。
私は自社製品に自信を持っています。今、ベトナムで広く売られている大半のキッチンウエア(中国製、韓国製、ベトナム製)と比べ、当社製品は表面処理がすぐれ、手にけがをすることもありませんし、さびにくいです。今後は、ベトナム国内にも販路を開拓していきたいと思っています。
いずれもヴィナテクノ社の製品
技能実習先の社長
水野社長は社員を大事にしてくれます。私たち技能実習生が借金をかかえて訪日することを知っているので、受注の少ない時期でも残業をなるべく私たちに回してくれました。私の帰国後、兄もこの会社で実習をしていますが、私たちの父が亡くなった2018年7月、兄が帰国するための航空券を社長が買ってくれたうえ、兄を空港まで車で送ってくれました。タインホアで行った私の結婚式(2014年7月)にも参加してくれました。また、簡単な仕事だけでなく難しい仕事もベトナム人に振り分け、日本人と平等に扱ってくれました。
日本のよさと実習生へのアドバイス
日本に行ってすぐ、電車の乗り継ぎに迷ったことがあります。監理団体の研修会場から会社の寮に初めて一人で帰る際、大阪の天王寺駅でどの電車に乗り換えたらいいか分からなくなりました。この駅では乗り場が20カ所近くあり、とても複雑だったのです。困り果てて、近くにいたおばあさんに片言の日本語で聞くと、言葉が通じないためホームまで連れて行って電車のドアが閉まるまで待ち、手を振って見送ってくれました。私はありがたくて涙が出そうになりました。これに限らず、日本には親切な人が多いと感じました。私が勤務した大阪は特に人情の厚い町として知られています。
また、日本人の仕事のやり方はとても勉強になりました。
①責任感が強く、失敗してもあまり言い訳をせず、同じ失敗を繰り返さないように努力します。
②計画を立ててその通りになるように努力します。
③ 時間や約束を守ります(ベトナム人も守ろうとしますが、困難に出会うと簡単に約束を破り、言い訳をするケースが多く見られます)。
日本でこういう姿勢を身につけることができ、本当によかったです。これから日本に来る実習生の皆さんも日本で自分を成長させてください。そのためにも、まずは日本語の勉強をまじめにがんばりましょう。