体験談(留学・高度)
今回の先輩
Duong Thuy Linh(ズオン・トゥイ・リンさん)
1988年生まれ、タインホア省出身
2006年 5月LAM SON専門高校卒業(専攻:英語)
2006年 9月ハノイ国家大学外国語大学東洋言語文化学部入学(専攻:日本語)
2010年 5月ハノイ国家大学外国語大学東洋言語文化学部卒業
2010年 9月佐賀大学文化教育学部研究生
2012年 4月佐賀大学大学院社会教育学研究科(修士課程)入学
2014年 3月佐賀大学大学院社会教育学研究科(修士課程)卒業
2014年 4月長崎国際大学(グローバル人材育成プログラム担当)
2017年 4月東京の日本外国語専門学校で日本語教師
2019年 4月帰国し、ホーチミン在住、長期出張でハノイの日本語センター校長
2020年 1月エスハイ留学事業部長
E-mail: dlinh.nihon@gmail.com
はじめに
日本で8年半暮らし、大学院生や日本語学校教師などを経験し、ベトナムに戻った今は留学希望者の指導を担当しているリンさん。リンさんは日本で、歌やロータリークラブの活動、在留ベトナム人支援のコミュニティサイト制作、日本語学習支援のYou Tube チャンネル運営など、多彩な活動を展開した。学習と社会活動、そして充実した仕事。リンさんが日本で得た多くのものを、本人が体験談として紹介する。
日本行きを決心
私は高校で英語を専攻しましたが、大学の学部を決める際、「英語を流ちょうに話す人はとても多いので、ほかの言語を習った方が活躍の場が多いのでは」と母からアドバイスされ、日本語を専攻することにしました。日本語を選んだ理由には次のようなものがあります。
・自宅にヤマハのオートバイやソニーのテレビなどがあり、日本に親近感があった。
・中学時代にテレビ番組「おしん」がベトナムで大流行し、日本人の忍耐力に感嘆した。
大学での日本語の勉強では、新たに習った単語を使って文章を作り、それを繰り返し音読しました。その後、日本語力を生かした仕事をできるようになりたいと思い、日本留学を決意しました。
ロータリークラブの奨学金を受給
私はハノイ国家大学と提携する佐賀大学の研究生になりました。大学院進学の準備コースのような位置付けです。留学手続きはすべて大学がやってくれました。
研究生の間は、唐揚げ店の店員やスーパーの寿司コーナーの調理室でアルバイトをして生活しましたが、大学院の2年間は、ロータリークラブの奨学金(毎月14万円)を受給できました。佐賀大学大学院でこの奨学金のベトナム人への支給枠は2名で、学内掲示板で知って応募しました。社会貢献への思いなどを書いた志望理由書や研究生のときの成績、大学院入試(日本語、英語、面接)の成績などが選考材料となりました。
【編集部からのアドバイス】
リンさんの奨学金は「ロータリー米山記念奨学会」から支給されました。これは、日本に在留している外国人留学生に対し、日本全国のロータリークラブ会員の寄付金を財源として奨学金を支給する団体です。将来、母国と日本とのかけ橋となって国際社会で活躍する優秀な留学生を支援することを目的としています。全国で年間860人への奨学金支給枠があり、民間の国際奨学団体としては日本で最大です。
歌との出会い
日本には毎週日曜、「NHKのど自慢」という人気テレビ番組があります。全国各地で開催され、一般の人が予選に参加できます。20組だけ本選に進め、本選でうまく歌うと合格の合図の鐘がたくさん鳴ります。合格は3人に1人ぐらいです。私は訪日1年後、佐賀市文化会館で開かれた「のど自慢」に参加し、数百人の中から予選を突破して本選に進み、合格しました。そのとき、千数百人のお客さんから大きな拍手をもらって気分が高揚し、これからもたくさんの人に自分の歌を聞いてもらいたいと思うようになりました。
私は子どものころから歌うのが好きでした。佐賀大学の近くにカラオケ喫茶があり、気晴らしのために、日本人の学友と一緒に月2回ほど通うようになりました(この友人とは今も交流があり、ベトナムにも遊びに来てくれました)。ここの常連客に元歌手がいて、その人の紹介で「のど自慢」を始め地元の様々な歌の大会に出るようになったのです。大会で入賞してもらったトロフィーは15本あります。その後、就職してからはライブ活動も始め、東京でも2年間で2回、帰国後にハノイでも1回、ライブを開催しました。
YouTubeで日本語学習支援
私は訪日後間もなく、Youtube で日本語学習動画を流し始めました。漢字の覚え方▽日本人と話す際に注意すること(発音の特徴など)▽日本語能力試験(JLPT)の解き方のこつーーといった内容です。後輩へのアドバイスのため、自分が日本人と会話する中で気づいたことを中心に伝えました。このYou Tubeチャンネルは人気が出て、再生回数が20万回に上る動画もありました。これから日本に来るベトナムの後輩の方々にも役に立つと思いますので、よかったら参考にしてください。私が歌う日本語の歌もアップされています。
Dương Linh Official channel(登録者1.85万人)
日本で就職、そして転職
奨学金でお世話になったロータリークラブの方々とはよく交流し、アオザイ姿でロータリーの行事に出てベトナム文化を紹介したこともあります。この奨学金を受給する学生の会の会長にもなり、遠方のロータリーに呼ばれて留学生活について話したこともあります。ロータリーの皆さまとの交流は今も続いています。
ロータリーには留学生担当のカウンセラーがおられ、生活や勉強の相談に乗ってくださいました。私はその方を「お父さん」と呼んでいました。大学院を卒業後、「お父さん」の紹介で長崎国際大学に就職しました。そこでは、ベトナム人留学生への日本語会話授業を担当したほか、多文化共生のための合宿研修や多国籍料理イベントなどを企画・開催しました。
長崎で3年働いた後、東京の「日本外国語専門学校」の教師になりました。大きな外国語学校です。私はベトナム人向けの「日越通訳・翻訳科」と日本人向けの「ベトナム語科」を担当し、毎日8時半から21時まで働きました。授業以外に教材作成や採点、生徒募集などの仕事があり、都内の日本語学校約30校を回ってベトナム人生徒を募集したり、生徒募集イベントを企画したりしました。赴任時に約20人だったベトナム人学生は2年間で4倍近くに増えました。
授業はやりがいがあり生徒たちも慕ってくれるので、生徒たちがかわいくて仕方ありませんでした。忙しくて、毎日昼休みにカップラーメンやコンビニのおにぎりを食べている私を見て、お弁当を作って持ってきてくれる生徒もいました。ベトナム語で「ズオン先生、大好き」と書いたカードをくれる生徒たちもいました。
私の家計簿(1カ月の平均)
※東京での暮らしがどういうものか、就職後の東京での家計簿を参考に紹介します。
※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在)
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これから日本に来る生徒達のために
日本で暮らした8年半は私にとってかけがえのない時間です。たくさんの出会いと親切に支えられた九州での6年半。そこには私の青春の思い出が詰まっています。また、上司や同僚の教師たちと家族のように付き合い、生徒たちとも深く関わった東京での教師生活もとても充実していました。
2019年4月に帰国後も日本語教育に関わる仕事を続けています。この年には、ハノイの人材会社の日本語センターで校長を任されました。また、2020年1月からはホーチミンの大手人材会社「エスハイ」の留学事業部長として、日本への留学を目指す生徒たちの指導を担当しています。後輩の皆さんにも、できるだけいい留学生活をしてほしいので、困ったときは相談メールを送ってください(時間の許す範囲で対応します)。