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ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...
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【在ベトナム日本国大使館後援】
今回の先輩 Trần Như Hoài(チァン・ニュ・ホアイ)さん 1982年生まれ、ダナン市出身2000年 5月 LE QUY DON 高校卒業2000年 7月 ドンズー日本語学校入学2001年 3月 ドンズー日本語学校卒業2003年 3月 静岡日本語教育センター卒業2008年 3月 東京工業大学 経営工学科卒業2018年 3月 樹徳大学MBA卒業 2008年 4月 池下設計入社(正社員、施工設計部)2010年 1月 池下設計退社、帰国より退社2011年 1月 ダナン工科大学 プロジェクトマネジメント学科 講師2014年 3月 ダナン工科大学 プロジェクトマネジメント学科 退校2011年 6月 SIGNART設立2015年10月 NAL SOLUTIONS設立2017年 2月 UHOME設立 はじめに ベトナム人の日本留学がまだ珍しかったころ、日本でアルバイトも勉強も必死にがんばったホアイさん。有名大学に進み、優良会社で2年間勤務して帰国後、日本語力に加え日本で培った人脈を生かして起業した。日本での経験や日本で育んだ仕事への情熱を生かして事業を好調に展開しているホアイさんの留学体験を紹介する。 出張先のシアトルで【2016年】 見聞を広めようと留学を決意 私が高校を卒業したころ、ホーチミンのドンズー日本語学校が留学候補者を集めていました。当時のホエ校長が「ベトナムの発展のために、もっと多くの若者を日本に行かせたい」と考えて奨学制度を設け、全国の成績のよい生徒を集めており、私はダナンのHoi Khuyen Hoc(学習促進協会)から打診されて応じました。見聞を広めたいと思ったからです。 ドンズー日本語学校の創立25年周年記念パーティーでホエ先生(中央)と【2016年】 ドンズーで日本語を9カ月間勉強し、2001年4月に静岡の日本語学校に入りました。奨学制度でホーチミンでの生活費や授業料、日本への渡航費は無料でした。また、静岡での学費も、ドンズーの生徒は卒業までに払えばよいことになっており、借金なしで留学できました。 ドンズーの先輩たちがサポート 日本での当初の生活はドンズーの先輩たちにサポートしていただき、本当に助かりました。「ベトナムの発展のために努力し、助け合おう」という校長の指導もあり、同窓生のつながりが昔も今も強いのです。当時、ドンズーからの留学先は東京と静岡だけで、静岡での同窓生(大学生、日本語学校生)は十数人。同期生も東京と静岡を合わせて20人だけでした。 ドンズーの留学生仲間とフットサル大会に参加【大学生時代】 住居は、ドンズーの先輩たちが住んでいた古い一軒家に一緒に住ませていただき、5人で暮らしました。テレビや冷蔵庫、洗濯機も、卒業した先輩たちから引き継がれたものでした。 50回以上電話してアルバイト獲得 最初は日本語をあまり話せなかったので、アルバイト探しも先輩が頼りでした。訪日から2週間後、先輩が働いていた鮮魚店でバイトを始めました。魚をパックして値札を貼り、店頭に並べる仕事です。勤務は朝5時か6時から2、3時間で、休日なしでした。時給600~700円、1カ月20,000~30,000円でした。 授業料と生活費と大学の入学金を稼ぐには、これでは足りないので、アルバイト紹介雑誌を見て電話をかけました。先輩に教わった通り「◎◎を見て電話しましたが、まだアルバイトの募集はしていますか」と尋ねます。しかし、相手がたくさん話すと聞き取れません。そんなときは、「すみませんでした」と言って電話を切りました。しかし、何回か電話するうちに耳も慣れていき、聞き取りやすい話し方をしてくれる人もいました。 ちなみに、アルバイト探しの電話は公衆電話からでした。携帯電話やインターネットは十分に普及しておらず、2,000円や3,000円のテレホンカードを買っても、ベトナムに電話できるのはわずか数分間で、ベトナムに恋人のいる留学仲間は大変でした。 私は50回以上電話して飲食店の皿洗いの面接にこぎつけ、採用されました。100回以上電話しても1度も面接を受けられない同期生もいたので、私は本当にラッキーでした。私はこの店でほぼ毎日、夕方から深夜まで働きました。さらに、惣菜工場の仕事も加わり、皿洗いの後で午前2時まで勤務しました。朝は鮮魚店にも行くので、睡眠3時間前後の時期もありました。昼に授業が終わってから皿洗いに行くまでは受験勉強もしました。留学生へのアルバイト時間の制限は、当時はありませんでした。 ・ 私の家計簿(1カ月の平均) ※日本語学校時代※100円=21,707 VND(2020年4月19日現在) 収入(合計約150,000~180,000円) アルバイト(惣菜工場など三つ) 計150,000~180,000円※一番多いときの収入(睡眠3時間) 支出総額(覚えていない) 家賃+水道・光熱費 10,000~13,000円※5人でシェア 食費 覚えていない※バイト先で安いまかないを食べることも多かった 学費 50,000円 雑費 覚えていない 差額・貯金(数万円~10万円以上) ※余ったお金は大学の入学金に充てるために貯金した。 テレビ番組で日本語上達 鮮魚店の店長が親切な人だったので、いつまでも言葉が分からず迷惑をかけ続けるわけにはいかないと思い、必死で勉強しました。学校の勉強だけでは足りないので、どうしたら日本語がもっと早く上達するか考えました。そして、公園で小さな子どもが日本語を話すのを見て、「大人は考えすぎるから言葉が上達しないのでは」と思い、テレビでドラマやお笑い番組を見るようにしました。勉強中にもテレビをつけ、常に日本語が聞こえている状態にしました。ドラマでいい台詞があれば、翌日のバイト中に思い出して覚えました。こうしたことを半年間続けると、聞くのも話すのもかなり上達しました。 日本語学校を2年間で卒業しましたが、大阪大学の受験に失敗しました。そこで、当時の盛岡情報ビジネス専門学校で日本語学科の立ち上げを手伝いながら受験勉強に本腰を入れ、翌2008年、東京工業大学に合格しました。 東京の浅草寺で【2007年ごろ】 ベトナムでの自立を見すえて職業選択 私は大学入学後、「ベトナムがこれから経済発展していく中で建設業も伸びるので、それを支える仕事でベトナムに貢献しよう」と思い、設計図を描くアルバイトを探しました。その結果、3年生から「池下設計」でアルバイトをし、2008年の卒業と同時に、同社に就職しました。 施工図(池下設計のHPより) 同社は生産設計(施工図)や施工管理を行い、高層ビルや複合施設などゼネコンの下請けで大規模建築を手がける会社です。私はやりがいを感じながら忙しく仕事をしました。しかし、リーマンショックで経営が悪化し、日本の建設業界の将来に不安を感じました。ずっと忙しくて帰国のタイミングをつかみ損ねたという先輩ベトナム人の話も聞いていたので、このタイミングで退職し、2010年1月にダナンに帰国しました。 池下設計時代、勉強のため日本のモデルルームを見学【2009年7月】 ベトナムで起業 帰国後、ダナン工科大学の講師になりました。並行して2011年、日本に留学した友人たちとSIGNART(サインアート)社を設立しました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、日本の工務店の依頼で構造設計図を作成し建築確認申請書類も作成しています。また、2015年、ソフトウェア開発のNAL SOLUTIONS社の設立にも参加しました。後輩の日本留学生がハノイで起こしたIT会社がダナンで事業展開する際に経営に共同参加したものです。いずれも日本の仕事をオフショアで受託し、ベトナムで作業をしています。他にもいくつかの事業に関わっています。 NAL SOLUTIONSにて【2017年】 事業を拡大 私はその後、SIGNARTで蓄積した日本の木造住宅の設計ノウハウを生かし、ベトナム人向けの戸建て住宅の設計・販売に乗り出しました。日本品質の住みよい住宅をベトナム人にも提供したいと思ったのです。 ベトナムの住宅は、間口が狭く採光や通気が悪い(=暗くて暑い)ですし、大都市では地価も高騰しています。そこで、住み心地がよくて庶民にも買える価格の住宅を提供しようと、クアンガイ省で宅地開発を行い、2016年に200戸の戸建て住宅の販売を始めました。ベトナムの大都市以外では建て売り住宅は珍しいのですが、顧客に設計のすぐれた点を説明していくと、2018年の完工前に完売しました。建築現場を見学して安心し購入を決めたお客様もいました。不動産開発部門は2017年に切り離し、UHOME(ユーホーム)という会社にしました。 クアンガイ省で進めた住宅建築工事。左奥は先に完成した住宅。【2018年】 留学中にネットワークを広げよう 私は池下設計でコンピュータの設計支援ツール(CAD)を使って施工図を作っていました。SIGNARTで間取り図を元に構造設計図を作る際にその経験が生きています。また、UHOMEでは、日本で学んだ建築・施工設計・管理知識が非常に役に立っています。今の仕事で、日本語力も役立っていますが、日本で培った人間関係やプロ意識、「いい住宅を提供したい」という日本的な情熱が仕事に反映され、信頼につながっているように思います。私は留学中に勉強やアルバイトに加え、留学生支援活動や大学のサークル(フットサル)などいろいろな活動にも参加しました。後輩の留学生の皆さんも、せっかく日本に行くなら、日本語はもちろん、それ以外の経験も積んで、技術・知識やネットワークを育んでください。それが将来に役立ちます。 UHOMEにて【2019年8月】
2020年04月29日
今回の先輩 OKADA CÚC(岡田クック)さん 1993年生まれ、ハイズオン省出身2011年 5月 TU KY 2 高校卒業2012年 2月 住友電工グループのSDVN入社2013年12月 SDVN退社2014年 6月 住友電工グループのSVAW入社2015年10月 SVAWを退社し、送出機関で勉強2016年 7月 研修後、奈良県で技能実習開始2019年 7月 技能実習修了2019年 5月 実習先の同僚の日本人と結婚2019年 9月 実習先の関連施設でパート OKADA CÚC(岡田クック)さん 1993年生まれ、ハイズオン省出身2011年 5月 TU KY 2 高校卒業2012年 2月 住友電工グループのSDVN入社2013年12月 SDVN退社2014年 6月 住友電工グループのSVAW入社2015年10月 SVAWを退社し、送出機関で勉強2016年 7月 研修後、奈良県で技能実習開始2019年 7月 技能実習修了2019年 5月 実習先の同僚の日本人と結婚2019年 9月 実習先の関連施設でパート はじめに 技能実習中に職場の日本人男性からプロポーズされ、結婚して日本に住み続けているクックさん。相手がクックさんと結婚したいと思ったポイントは何だったのか、クックさんの体験談をお読みください。 技能実習でキャリアアップを目指す 私は高校卒業後、地元の日系企業2社で計約3年間働きました。いずれも住友電工グループの会社(SDVN社、SVAW社)で、自動車の電気系統の部品を作る会社でした。私は両社で製品の検品を担当しましたが、同僚が先に技能実習で日本に行ったこともあり、私も「日本に行ってみたい」「日本語も勉強したい」と思うようになり、技能実習生になりました。帰国後は、住友電工グループに戻り、語学力を生かして今までよりよいポジションで働くのが目標でした。 送出機関への支払い 元同僚の紹介でハノイの送出機関を選び、6カ月間勉強して日本に行きました。送出手数料や寮費、食費、授業料など全部で約200,000,000 VDN(ベトナム・ドン)を送出機関に支払い、日本には現金3万円だけを持って行きました。両親は訪日の備品代も含めて約260,000,000 VDNを借り、私は技能実習で18カ月間かけて返済しました。 【編集部からのアドバイス】 ベトナム政府の規定では、日本語の事前教育費は約520時間に対し590万ドン以下、送出手数料は3,600ドル以下(3年契約の場合)となっています。また、日本への往復の旅費は日本の技能実習先(受入企業)が負担することになっています。これらを上回る金額の場合は、内容を確認した上で領収書をもらいましょう。また、金額が不透明な場合は、他の送出機関の選択も検討しましょう。 ベトナム人仲間と京都・嵐山へ。しかし、借金完済までは、ほとんど観光に行けませんでした。【2016年11月】 ベトナム人仲間と京都・嵐山へ。しかし、借金完済までは、ほとんど観光に行けませんでした。【2016年11月】 ※送出機関を選ぶ際の注意点については下記の記事を参照にしてください。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 特集:こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 実習で伝統料理を製造 私は2016年8月、奈良県の食品製造・販売会社に入りました。「柿の葉ずし」という奈良の伝統的なすしを製造・販売する会社です。私の仕事は工場ですしに柿の葉を巻くことなどでした。 柿の葉ずし 同じ送出機関から2人の同期と一緒にこの会社に入り、私たちが初めてのベトナム人実習生でした。すでに中国人の実習生は6人おり、私たちを含めて約20人の工場でした。柿の葉を巻く以外に、焼き鯖(さば)ずしを作ったり、ちらしずしを作って弁当箱に詰めたりもしました。 私がすしに柿の葉を巻く様子です。日本人向けの求人情報の写真モデルに選ばれました。 私がすしに柿の葉を巻く様子です。日本人向けの求人情報の写真モデルに選ばれました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,876 VND(2020年4月14日現在)※借金完済までの期間の家計簿 手取り給料(100,000円) 手取り給料 100,000円※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額※控除額のうち寮費は16,000円(寮は個室)※残業はあまりなかった 支出(合計 20,000円) 水道・光熱費 6,000円※電気・ガス・水道の合計 Wi-Fi 600円※利用者で分担 食費 8,000~8,500円※主に自炊(昼も弁当持参) 雑費 5,000円※衣類やたまに外食 差額・貯金(平均80,000円) ※実家には2カ月ごとに16万円を送金※借金が多かったので、返済完了までの1年半はほとんど遊びに行けず。 寮の近くで桜の花見【2017年4月】 後輩の実習生と長谷寺(奈良県)へ【2017年11月】 日本語の勉強と日本人との交流 実習でキャリアアップするのが目標だったので、私は仕事後に寮で毎晩2時間勉強し、訪日から2年後、日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しました。また、公民館で日本人のボランティアが日曜日に日本語を無料で2時間教えてくれるボランティア教室があり、毎週通いました。授業を真剣に受け続けたこともあり、教室でのスピーチ大会の発表者にも選ばれました。 日本語教室のスピーチ大会で勉強の体験を発表 私が日本学習に使った教材 また、無料日本語教室の100人の生徒のほとんどがベトナム人で、他の会社の実習生とも交流できました。一緒に出かけたり食事会をしたりして、友だちがたくさんできました。 日本語教室の先生やベトナム人仲間とバーベキュー【2018年】 日本語教室の年末パーティーでベトナム人仲間と【2017年12月】 夫との出会いと国際結婚 訪日から1年後の2017年9月、同じ職場に2歳年上の日本人男性が転職で入ってきました。彼は今は商品開発などを担当していますが、最初は柿の葉ずしを巻く仕事から始めました。私は実習生の中で一番日本語を話せるようになっていたので、葉の巻き方や掃除の仕方などを彼に教える担当になりました。こうして仕事のやり取りをしているうち、彼から頼まれてLINEでつながり、勤務時間外にLINEでやり取りをするようになりました。「こんばんは。今何しているの?」「今、勉強中です」。こんなやり取りから始まって交際に発展し、一緒に食事やドライブに行くようになりました。 (2枚とも)結婚前から毎年1度、夫と訪れている三重県の「なばなの里」【2020年1月】 実習中に日本人と交際しても帰国すると連絡が途絶える――といった投稿をFacebookでよく見かけます。しかし、彼は2018年2月、「実習が終わったら結婚しよう」と言ってくれ、2019年5月に日本で婚姻届けを出し、記念撮影をしました。国際結婚について、母は最初、「ベトナムに帰ってきてほしい」と言いましたが、何度か電話で話すうちに承諾してくれました。結婚式は2020年2月に私の故郷で行う予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で延期しました。 婚姻届を出した際の記念写真【2019年5月】 夫の実家で結婚生活 私たちは夫の両親や妹と同居しています。両親が喜ぶと思い、私が夫に同居を勧めたのです。私は毎日、義母と一緒に料理を作り、義母の経営するビジネスホテルが忙しいときは、シーツ交換も手伝います。義母は私に親切で、一緒に買い物に行ったり、お店でランチを楽しんだりしています。夫の誕生日には、私がベトナムの揚げ春巻き(Bánh đa nem rán)や卵焼き(Trứng cuộn thịt rán)、焼きとり(gà rán)、サラダ(Rau trộn củ quả)を作り、家族に食べてもらいました。休日には家族で旅行に出かけたり、花火見物をしたり、おいしいものを食べに行ったりすることも多く、楽しい結婚生活です。 家族で夫の誕生祝い【2019年2月】 奈良市内で夫と2人で花見【2019年4月】 家族5人でドライブ【2019年10月】 【インタビュー】クックさんの夫、岡田拓也さんの話 クックさんの夫はクックさんのどんなところに引かれたのでしょうか?編集部がインタビューしました。 ・クックさんと初めて会ったときの様子は?――白衣とマスクで頭部を覆って仕事をしているため、お互い目しか見えませんが、実習生は話をすれば外国人と分かります。しかし、クックだけは日本語が上手ですし仕事の手際もいいので、しばらくは日本人だと思っていました。働き始めて1、2週間たって名前を聞き、初めてベトナム人だと分かりました。 ・交際のきっかけは?――日本語で十分に会話ができ、容姿もかわいいので、LINEで交信し食事に誘いました。 ・短い期間で結婚を決めましたね。――付き合い始めて話をすると、家族思いですし、明るく優しい人でした。また、朝3時に起きて4時から13時まで実習していたのに、寮で毎日2時間勉強し、日曜日も日本語教室に通っていました。他の人より努力している姿勢に強く引かれました。 ・どんなお嫁さんですか?――よく気が利いて家事も積極的にやってくれます。母にもかわいがられ、よく一緒に買い物に行ったりランチに行ったりしています。人なつこいですし、父母のことも大事にするので、母にとってもかわいくて仕方がないようです。 夫と私【2019年12月】
2020年04月29日
今回の先輩 LƯƠNG QUANG BÌNH(ルオン・クアン・ビン)さん 1999年生まれ、ハイズオン省出身2017年 7月 Phuc Thanh 高校卒業2017年 7月 地元の縫製会社入社2018年 3月 縫製会社退職2018年 4月 LACOLI日本語教育センター入学2019年 5月 中島水産で技能実習開始 LƯƠNG QUANG BÌNH(ルオン・クアン・ビン)さん 1999年生まれ、ハイズオン省出身2017年 7月 Phuc Thanh 高校卒業2017年 7月 地元の縫製会社入社2018年 3月 縫製会社退職2018年 4月 LACOLI日本語教育センター入学2019年 5月 中島水産で技能実習開始 はじめに 東京の水産会社で技能実習を続けるビンさん。残業はないが、実習先の職場環境がよいうえ、寮費が安いので手取り月給は平均水準に達している。また、ベトナムの経済文化研究所や消費者保護センターから「トップ20」企業に選ばれた送出機関を使ったので、送出機関に支払った費用が安く、借金なしで訪日できた。ビンさんの体験談を紹介する。 ハノイの送出機関LACOLIで同級生たちと(右端がビンさん)【2019年】 借金なしで訪日 私は高校を卒業後、地元の縫製会社に勤めましたが、日本で働く経験をしたかったのと、お金も稼ぎたかったので、技能実習生を目指しました。送出機関はおじが働いていたハノイのLACOLI(Laco Labour Cooperation Company Limited)を選びました。 この送出機関は、費用が適正で日本語教育の内容もよいため、日本のメディアからたくさんの取材を受けています。私がLACOLIに支払った費用は、送出手数料・寮費・教育費などすべてを含めて105,000,000 VND(これ以外に食事は自費)だけだったので、借金をせずに訪日できました。 LACOLIは消費者にとって優良な「トップ20」企業として経済文化研究所などから表彰された【2019年】 ハノイのノイバイ国際空港で親族に見送られて日本へ【2019年4月】 水産会社での仕事 私はLACOLIで1年間勉強して2019年4月に訪日し、東京の中島水産という会社で技能実習を始めました。中島水産は魚の卸売りと小売りを手がける大きな会社で、ベトナムにもお店があります。私の職場は、東京の有名な豊洲市場の中にあります。私はいろいろな鮮魚・冷凍魚を加工する部門で干物をつくる仕事を中心に実習をしています。 実習先の魚の加工場【2020年3月】 同じ職場にLACOLIの同級生のアイン君もいます。中島水産の人事部長がハノイで行った面接で12人の中から私とアイン君の2人が選ばれ、一緒に日本に来ました。私たち2人がこの会社で初めての技能実習生で、一緒に働いています。私たちの部署は私たち2人と日本人数名で、皆さんが親切に仕事を教えてくださるので、気持ちよく実習をしています。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 中島水産 アイン君(左)と私。約10㌔の箱を運んでいます。【2020年3月】 職場の休憩室でアイン君(右)と【2020年3月】 朝早い仕事です。4時半に起き、アイン君と一緒に5時半に寮を出て電車で会社に向かいます。会社まで約80分かかりますが、東京では珍しいことではありません。勤務は7時~16時(休憩1時間含む)で、冬は夕日を眺めながら帰ることも多いです。 帰宅途中で中島水産の近くで見た夕日【2019年11月】 毎日の実習内容以外の技術も習得 実習先では魚のさばき方なども教えてもらっています。今では、魚を3枚におろすことは難なくできるようになり、もともと得意だった料理に磨きがかかりました。 干物づくりのプロセスです。先生のやり方をよく見て覚えます。【2019年5月】 自分たちでも魚をさばけるようになりました。【2019年12月】 日本での生活 寮は横浜市内にあり、会社が所有するマンションです。私もアイン君も別々の部屋で、寝室と台所があり、冷蔵庫や電子レンジなどの家具もそろっています。きれいな部屋です。 寮の部屋はすべて個室 私とアイン君が住む寮 自作の昼弁当 実習が終わったら寮の近くで食材を購入して帰宅し、夕食を作ります。子どものころに母が海外で働いていた時期があり、私はそのころから自分で料理をしていました。今も、昼弁当を含めて3食を自分で作っています。夕食後は家族や恋人とメッセンジャー電話で話し、翌朝に備えて21時半には寝ます。 残業(残業代)はありませんが、寮費が安いので助かっています。これから実習先を選ぶ人は、給料だけではなく寮費など福利厚生もチェックしてください。また、私が送出機関のLACOLIに支払った費用はほかに比べてかなり安く、借金なしで日本に来られたので、借金返済の必要もありません。自分で調べて複数の選択肢の中から送出機関を選びましょう。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,900 VND(2020年4月13日現在) 手取り給料(150,000円) 手取り給料 150,000円※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額※控除額のうち寮費は10,000円※控除額のうち水道・光熱費は平均6,000円※寮のWi-Fiは無料※1年目なので住民税なし(所得税のみ)。2年目からは住民税も控除される。 支出(合計 40,000円) 食費 30,000円※主に自炊 雑費 10,000円※衣類、たまに外食 差額・貯金(平均110,000円) ※3カ月ごとに30万円を両親に送金 ※2年目からは住民税を支払うので貯金・送金は少し減る 寮の近くでアイン君とスケボー【2020年2月】 日本語の勉強 LACOLIでの成績は中ぐらいでした。訪日して半年後の2019年12月に日本語能力試験(JLPT)のN3を受けましたが、だめだったので、2020年7月の再挑戦に向けて勉強を続けています。主に使っている教材は次の通りです。通勤時間には携帯電話でmaziiを見て勉強しています。 ・「耳から覚える日本語能力試験」シリーズ(アルク) ・「新完全マスター日本語能力試験」シリーズ(スリーエーネットワーク) ・サイト&アプリ“mazii”(無料)=単語、文法、ニュース 訪日前にLACOLIの教室で LACOLIの仲間と過ごす休日 休みの日はLACOLIから一緒に関東に来た仲間と過ごすことが多いです。私とビン君以外に神奈川県内で4人(建設3人、工場1人)が実習しています。毎月1回、仲間の部屋でご飯を食べたり一緒に出かけたりしています。新型コロナウイルスの影響が落ち着いたら、これからは観光地も訪ねたいと思っています。 LACOLIの仲間たちと訪問した東京のベトナムフェスティバル【2019年6月】 LACOLIの仲間たちと横浜市内で【2019年4月】 将来もこの会社で 中島水産はアジア各国に魚屋や寿司販売店、和食店など99店を展開しており、ベトナムでもイオンの中などに計7店あります。働きやすい会社なので、技能実習も日本語の勉強もがんばって、帰国後は中島水産の現地法人で働けたらと希望しています。 よい実習先に来るには、まずよい送出機関を選ぶことが大切です。送出機関によって費用も教育内容も大きく違います。これから技能実習をする皆さまは、KOKOROサイトやKOKORO・FBの情報を読んだり、インターネットの書き込みを調べたり、先輩の実習生から情報を集めたりして、よい送出機関を選んでください。 会社の休憩室で【2020年3月】
2020年04月25日
今回の先輩 Pham Thi Ngoc Diep(ファム・ティ・ゴック・ジェップ)さん 2012年5月Thanh An高校卒業 2012年8月ドンズー日本語学校入学 2013年9月ドンズー日本語学校卒業 2013年10月静岡日本語教育センター入学 2015年3月静岡日本語教育センター卒業 2015年4月公立大学法人宮城大学食産業学部入学 2019年3月公立大学法人宮城大学食産業学部卒業 2019年4月三谷産業入社 〈1994年生まれ、カントー省出身〉 はじめに 宮城県の「やくらいガーデン」で【2018年9月】 日本の大学を卒業し、日本の優良商社で働くジェップさん。大学生のときに後輩留学生たちに2年半に渡って勉強を教えたほか、在日ベトナム学生青年協会 や「ベト味」など様々な活動に参加し、交友を広げてきた。留学や技能実習で日本に行った後、どうやって仲間を増やしたらいいのか、彼女の多彩な活動にヒントを得てほしい。以下にジェップさんの体験談を紹介する。 ベトナム人がたくさん務める商社に就職 三谷産業に一緒に入ったベトナム人仲間(新人研修で)【2019年4月】 私は公立大学を卒業後、2019年に三谷産業に入りました。私の所属するライフサイエンス営業部は食材の輸入、および機能性食品や食品添加物の受託生産を行っています。食材は欧州や東南アジアなどから輸入し、食品メーカーに納めます。受託生産では、食品メーカーからの注文に沿って協力会社に生産を委託します。私の仕事は、注文通りに生産できるように生産技術について協力会社と打ち合わせたり製造現場で指導したりすることです。大学で学んだ食品の知識を生かせています。 出張先の大阪市内の夕暮れ【2019年12月】 三谷産業は、ベトナムにもグループ会社が7社あり、食品原料を含む様々なものをベトナムで製造しています。私の仕事は出張が多く、入社1年目だけで、大阪・神戸に5回以上、韓国やベトナムにも2回ずつ出張しました。ベトナムや韓国には、顧客と一緒に工場に生産の監視に行きました。 北海道・美瑛の「青い池」【2019年10月】 休日も充実しています。2019年10月には、休暇に初めて北海道に行き、美瑛などを観光しました。シーズンオフなので仲間と予定が合わず一人旅でしたが、素晴らしい景色だったので、次回は友だちと一緒に行って感動を分かち合いたいと思います。 ベト味 仙台での「ベト味」の様子【2018年】 私は日本でたくさんの友だちができました。そのこつの一つは、いろいろなグループに所属し、活動に参加することでした。その一部を紹介します。 「ベト味」は各地に支部があり、ベトナム人が日本人と一緒にベトナム料理を作る集まりで、中心メンバーが交代で先生役をします。仙台では、日本人だけで30人参加することもありました。参加費の一部をベトナムで暮らす貧しい子どもたちに寄付しています。 仙台国際観光協会など 大学時代は、仙台国際観光協会の委員もしました。主に国公立大の留学生が仙台の情報を発信したり、在留外国人のサポ-トをしたりします。ベト味の仲間に教えてもらい、審査を経て採用されました。委員は10人で任期は2年です。私は大学2年から2年間参加しました。また、“Go! Go!! Tohoku!!!” という地元放送局の企画にも参加し、みんなで農家に1泊して農業体験もしました。 仙台国際交流協会 https://www.facebook.com/sendai.sira/ (2枚とも)農家に泊まる企画でりんごや大根の収穫、そば作りを体験【2018年11月】 また、在留ベトナム人の写真愛好家の集まり「ディスカバー東北」の撮影会にも参加し、いろいろな観光地を訪ねました。 ディスカバー東北の撮影会で会津若松へ【2018年11月】 在日ベトナム学生青年協会 (VYSA) VYSAの仲間と仙台市内の河原でバーベキュー【2018年6月】 大学時代はVYSAの活動にも力を入れました。VYSAは各地に支部があるベトナム人の若者の組織で、仙台では、大学・専門学校・日本語学校の学生や技能実習生、主婦など約1,500人が参加していました。 https://www.facebook.com/VYSAJP/ バーベキューの後は、みんなで歌ったり、花火をしたり【2018年6月】 私は大学3、4年の時に仙台支部の副会長を務め、文化イベントやバーベキューなどを企画し、楽しい思い出がたくさんできました。 就職してからもたまに仙台に戻って活動を手伝っています。2020年1月には、後輩と一緒にテト(旧正月)のイベントを開き、ベトナム人と日本人計約150人が集まりました。ベトナム文化を広める狙いで、このイベントには3年連続で関わっています。 学生時代のつながりが今も 学生時代のつながりの延長で東京でも友人がたくさんできました。11月には、学生時代にVYSAの総会で知り合った友人やその友だちと富士山周辺に行きました。この地域には、昔からの親友や仙台のイベントで知り合った友人とも行きました。 富士山周辺の芦ノ湖で【2019年11月30日~12月1日】 山梨県の新倉山浅間神社で【2019年11月31日~12月1日】 ドンズー同窓会 私はホーチミンのドンズー日本語学校を卒業しました。ドンズー仲間のつながりは強く、私も東京の同窓生数人で食事をしたり、同窓会のサマーキャンプに参加したりしています。 甲府市内でドンズー卒業生がキャンプ。10代から30代の計100人が参加。【2019年8月】 ドンズー仲間数名で日光東照宮を観光【2019年11月】 学習会 勉強会の生徒たちが私の大学卒業式に駆け付けてくれました【2019年3月】 静岡県の日本語学校時代、私や同期はドンズーの先輩から無料で勉強を教えてもらいました。私も大学2年の秋、仙台でドンズーの後輩3人に勉強を教え始めました。その後、ドンズー卒業生以外も受け入れ、多いときは10人が参加しました。毎週2回(各2時間)で、留学生試験対策の日本語を教え、大学入試の面接や小論文、志望理由の書き方も指導しました。この勉強会は、体調が悪くても大雨が降っても雪が積もっても休みませんでした。心やさしい生徒ばかりで、私も彼らから多くを学びました。 東京での勉強会【2020年2月】 就職後も東京で2019年12月に勉強会を始めました。在日ベトナム人協会の協力で都内に場所を借り、毎週1回(4時間)教えています。知人からの依頼がきっかけで、大学進学希望のベトナム人が対象です。 日本での勉強と暮らし 大学生時代に仙台市内で 私は日本に来た翌年に日本語能力試験(JLPT)のN2とN1に合格しました。日本語学校時代は、先生に積極的に日本語で質問し、授業後も図書室で3時間勉強しました。学習教材は「耳から覚える日本語能力試験」シリーズ(アルク)の「語彙トレーニング」と「聴解トレーニング」を主に使いました。また、日本語で日記を毎日書き、日本語学校の先生に時々添削してもらいました。さらに、日本人とたくさん会話するように心がけました。アルバイトは居酒屋が中心で、勤務中にたくさん会話ができました。 学生時代の生活 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学生時代※100円=21,839 VND(2020年4月15日現在) 収入(合計約130,000円) アルバイト(居酒屋、auショップ) 計80,000円 奨学金 50,000円 ※奨学金は大学1年:JASSO、2年:西仙台ロータリークラブ、3・4年:亀井財団 支出(合計 約120,000円) 家賃 25,000円 ※1人暮らし、寝室・台所別 水道。光熱費 10,000円 ※電気・ガス・水道の合計 Wi-Fi 5,000円 携帯電話 5,000円 学費 22,000円 ※基準以上の成績で、学費は毎年半額免除になった 食費 30,000円 ※夜はバイト先の飲食店で格安で食べる日もあった 雑費 20,000~25,000円 ※交流費や衣類など 差額・貯金(平均10,000円) 差額 平均10,000円 ※親への仕送りはなし。 ※長期休暇時に増えるアルバイト代などを貯金し、旅行などに使った。 大学時代に蔵王を観光【2016年】 後輩へのアドバイス 私は日本が好きです。日本には四季があり、景色がきれいで、経済も発展しています。また、私の勤務先では福利厚生も充実しています。例えば、私の住む寮は東京都内の新しいマンション(寝室・台所)ですが、Wi-Fiも付いていて寮費は10,000円だけです。いい就職をするまでには困難もありますが、前向きにがんばっていると、助けてくれる人が必ず現れます。留学や技能実習でせっかく日本に行くなら、将来の目標を持って努力をやめないでください。 山梨県の新倉山浅間神社で【2019年】 また、私は日本でいろんなグループに参加して交友の輪を広げました。グループ参加が苦手でも、そのイベントに参加して周りの人と話すだけで友だちができるかもしれません。そういう機会を逃さず、いい仲間と巡り合ってくださいね。 勉強会の生徒たちと仙台市内で【2018年12月】 今回の先輩 Pham Thi Ngoc Diep(ファム・ティ・ゴック・ジェップ)さん 2012年5月Thanh An高校卒業 2012年8月ドンズー日本語学校入学 2013年9月ドンズー日本語学校卒業 2013年10月静岡日本語教育センター入学 2015年3月静岡日本語教育センター卒業 2015年4月公立大学法人宮城大学食産業学部入学 2019年3月公立大学法人宮城大学食産業学部卒業 2019年4月三谷産業入社 〈1994年生まれ、カントー省出身〉 はじめに 日本の大学を卒業し、日本の優良商社で働くジェップさん。大学生のときに後輩留学生たちに2年半に渡って勉強を教えたほか、在日ベトナム学生青年協会 や「ベト味」など様々な活動に参加し、交友を広げてきた。留学や技能実習で日本に行った後、どうやって仲間を増やしたらいいのか、彼女の多彩な活動にヒントを得てほしい。以下にジェップさんの体験談を紹介する。 宮城県の「やくらいガーデン」で【2018年9月】 ベトナム人がたくさん務める商社に就職 私は公立大学を卒業後、2019年に三谷産業に入りました。私の所属するライフサイエンス営業部は食材の輸入、および機能性食品や食品添加物の受託生産を行っています。食材は欧州や東南アジアなどから輸入し、食品メーカーに納めます。受託生産では、食品メーカーからの注文に沿って協力会社に生産を委託します。私の仕事は、注文通りに生産できるように生産技術について協力会社と打ち合わせたり製造現場で指導したりすることです。大学で学んだ食品の知識を生かせています。 三谷産業に一緒に入ったベトナム人仲間(新人研修で)【2019年4月】 三谷産業は、ベトナムにもグループ会社が7社あり、食品原料を含む様々なものをベトナムで製造しています。私の仕事は出張が多く、入社1年目だけで、大阪・神戸に5回以上、韓国やベトナムにも2回ずつ出張しました。ベトナムや韓国には、顧客と一緒に工場に生産の監視に行きました。 出張先の大阪市内の夕暮れ【2019年12月】 休日も充実しています。2019年10月には、休暇に初めて北海道に行き、美瑛などを観光しました。シーズンオフなので仲間と予定が合わず一人旅でしたが、素晴らしい景色だったので、次回は友だちと一緒に行って感動を分かち合いたいと思います。 北海道・美瑛の「青い池」【2019年10月】 ベト味 私は日本でたくさんの友だちができました。そのこつの一つは、いろいろなグループに所属し、活動に参加することでした。その一部を紹介します。 「ベト味」は各地に支部があり、ベトナム人が日本人と一緒にベトナム料理を作る集まりで、中心メンバーが交代で先生役をします。仙台では、日本人だけで30人参加することもありました。参加費の一部をベトナムで暮らす貧しい子どもたちに寄付しています。 仙台での「ベト味」の様子【2018年】 仙台国際観光協会など 大学時代は、仙台国際観光協会の委員もしました。主に国公立大の留学生が仙台の情報を発信したり、在留外国人のサポ-トをしたりします。ベト味の仲間に教えてもらい、審査を経て採用されました。委員は10人で任期は2年です。私は大学2年から2年間参加しました。また、“Go! Go!! Tohoku!!!” という地元放送局の企画にも参加し、みんなで農家に1泊して農業体験もしました。 仙台国際交流協会 https://www.facebook.com/sendai.sira/ (2枚とも)農家に泊まる企画でりんごや大根の収穫、そば作りを体験【2018年11月】 また、在留ベトナム人の写真愛好家の集まり「ディスカバー東北」の撮影会にも参加し、いろいろな観光地を訪ねました。 ディスカバー東北の撮影会で会津若松へ【2018年11月】 在日ベトナム学生青年協会 (VYSA) 大学時代はVYSAの活動にも力を入れました。VYSAは各地に支部があるベトナム人の若者の組織で、仙台では、大学・専門学校・日本語学校の学生や技能実習生、主婦など約1,500人が参加していました。 https://www.facebook.com/VYSAJP/ VYSAの仲間と仙台市内の河原でバーベキュー【2018年6月】 私は大学3、4年の時に仙台支部の副会長を務め、文化イベントやバーベキューなどを企画し、楽しい思い出がたくさんできました。 就職してからもたまに仙台に戻って活動を手伝っています。2020年1月には、後輩と一緒にテト(旧正月)のイベントを開き、ベトナム人と日本人計約150人が集まりました。ベトナム文化を広める狙いで、このイベントには3年連続で関わっています。 バーベキューの後は、みんなで歌ったり、花火をしたり【2018年6月】 学生時代のつながりが今も 学生時代のつながりの延長で東京でも友人がたくさんできました。11月には、学生時代にVYSAの総会で知り合った友人やその友だちと富士山周辺に行きました。この地域には、昔からの親友や仙台のイベントで知り合った友人とも行きました。 富士山周辺の芦ノ湖で【2019年11月30日~12月1日】 山梨県の新倉山浅間神社で【2019年11月31日~12月1日】 ドンズー同窓会 私はホーチミンのドンズー日本語学校を卒業しました。ドンズー仲間のつながりは強く、私も東京の同窓生数人で食事をしたり、同窓会のサマーキャンプに参加したりしています。 甲府市内でドンズー卒業生がキャンプ。10代から30代の計100人が参加。【2019年8月】 ドンズー仲間数名で日光東照宮を観光【2019年11月】 学習会 静岡県の日本語学校時代、私や同期はドンズーの先輩から無料で勉強を教えてもらいました。私も大学2年の秋、仙台でドンズーの後輩3人に勉強を教え始めました。その後、ドンズー卒業生以外も受け入れ、多いときは10人が参加しました。毎週2回(各2時間)で、留学生試験対策の日本語を教え、大学入試の面接や小論文、志望理由の書き方も指導しました。この勉強会は、体調が悪くても大雨が降っても雪が積もっても休みませんでした。心やさしい生徒ばかりで、私も彼らから多くを学びました。 勉強会の生徒たちが私の大学卒業式に駆け付けてくれました【2019年3月】 就職後も東京で2019年12月に勉強会を始めました。在日ベトナム人協会の協力で都内に場所を借り、毎週1回(4時間)教えています。知人からの依頼がきっかけで、大学進学希望のベトナム人が対象です。 東京での勉強会【2020年2月】 日本での勉強と暮らし 私は日本に来た翌年に日本語能力試験(JLPT)のN2とN1に合格しました。日本語学校時代は、先生に積極的に日本語で質問し、授業後も図書室で3時間勉強しました。学習教材は「耳から覚える日本語能力試験」シリーズ(アルク)の「語彙トレーニング」と「聴解トレーニング」を主に使いました。また、日本語で日記を毎日書き、日本語学校の先生に時々添削してもらいました。さらに、日本人とたくさん会話するように心がけました。アルバイトは居酒屋が中心で、勤務中にたくさん会話ができました。 大学生時代に仙台市内で 学生時代の生活 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学生時代 ※100円=21,839 VND(2020年4月15日現在) 収入(合計約130,000円) アルバイト(居酒屋、auショップ) 計80,000円 奨学金 50,000円 ※奨学金は大学1年:JASSO、2年:西仙台ロータリークラブ、3・4年:亀井財団 支出(合計 約120,000円) 家賃 25,000円 ※1人暮らし、寝室・台所別 水道。光熱費 10,000円 ※電気・ガス・水道の合計 Wi-Fi 5,000円 携帯電話 5,000円 学費 22,000円 ※基準以上の成績で、学費は毎年半額免除になった 食費 30,000円 ※夜はバイト先の飲食店で格安で食べる日もあった 雑費 20,000~25,000円 ※交流費や衣類など 差額・貯金(平均10,000円) 差額 平均10,000円 ※親への仕送りはなし。 ※長期休暇時に増えるアルバイト代などを貯金し、旅行などに使った。 大学時代に蔵王を観光【2016年】 後輩へのアドバイス 私は日本が好きです。日本には四季があり、景色がきれいで、経済も発展しています。また、私の勤務先では福利厚生も充実しています。例えば、私の住む寮は東京都内の新しいマンション(寝室・台所)ですが、Wi-Fiも付いていて寮費は10,000円だけです。いい就職をするまでには困難もありますが、前向きにがんばっていると、助けてくれる人が必ず現れます。留学や技能実習でせっかく日本に行くなら、将来の目標を持って努力をやめないでください。 山梨県の新倉山浅間神社で【2019年】 また、私は日本でいろんなグループに参加して交友の輪を広げました。グループ参加が苦手でも、そのイベントに参加して周りの人と話すだけで友だちができるかもしれません。そういう機会を逃さず、いい仲間と巡り合ってくださいね。 勉強会の生徒たちと仙台市内で【2018年12月】
2020年04月24日
今回の先輩 Nguyễn Thị Linh(グエン・ティ・リン)さん 1992年生まれ、Dak Lak(ダクラク)省出身2010年 6月 Nguyen Cong Tru高校卒業2010年 9月 ホーチミン工業大学経営管理学部(短期大学課程)入学2013年 11月 ホーチミン工業大学経営管理学部(短期大学課程)卒業2014年 9月 KAIZEN吉田スクール入学2015年 9月 KAIZEN吉田スクール卒業2015年 9月 栃木県の工場で技能実習開始2018年 9月 実習修了2018年 9月 送出機関で日本語教師2019年 11月 人材紹介会社入社 Nguyễn Thị Linh(グエン・ティ・リン)さん 1992年生まれ、Dak Lak(ダクラク)省出身2010年 6月 Nguyen Cong Tru高校卒業2010年 9月 ホーチミン工業大学経営管理学部(短期大学課程)入学2013年 11月 ホーチミン工業大学経営管理学部(短期大学課程)卒業2014年 9月 KAIZEN吉田スクール入学2015年 9月 KAIZEN吉田スクール卒業2015年 9月 栃木県の工場で技能実習開始2018年 9月 実習修了2018年 9月 送出機関で日本語教師2019年 11月 人材紹介会社入社 はじめに 外国生活に興味があったリンさんは、インターネットで評判のよい送出機関を探して1年間勉強し、技能実習で日本に行った。実習先にはベトナム人が100人。残業代は少なかったが、送出機関の費用が安かったので、借金返済には困らなかった。日本に行く前も行ってからも日本語の勉強をがんばったため、職場の日本人たちと仲良くなり、食事や観光に何度も連れて行ってもらった。日本語能力試験(JLPT)N3に合格して帰国したが、会話力はN2以上のレベルだ。楽しかった実習生活とその秘訣をリンさんの体験談で紹介する。 技能実習先の日本人・ベトナム人で川遊び。黄色い服(右)がリンさん。【2017年】 ネットの書き込みで送出機関を選択 私は短大卒業後、日本で働いたことのある男性から「日本はきれいな国で、日本人はとても親切だ」と聞きました。外国生活にも興味があったので、技能実習で日本に行くことにしました。送出機関はインターネットで探しました。「Muon di nhat cong ty nao uy tin(日本に行きたいが、どの会社がよいか)」と検索し、レビューが一番よかった「エスハイ(KAIZEN吉田スクール)」を選びました。 全寮制ではなく授業は午後だけで、午前はアルバイトをしました。エスハイでは、いくつかの会社から自分で選んで面接を受け、最低8カ月間、日本語を勉強します。私は1年間勉強してから日本に行きました。エスハイに支払った費用はほかの送出機関に比べて安く、ほとんど借金をせずに訪日することができました。 KAIZEN吉田スクールの仲間とホーチミンのバーガーショップでおしゃべり 【インタビュー】※編集部がエスハイの責任者に聞きました。 ・技能実習生がエスハイに支払う費用はいくらですか?――送出手数料はDOLAB通達の3,600 USD以下で、学費を含めても、借金なしで支払える費用に抑えています。出稼ぎではなくキャリアアップのために訪日してもらいたいので、生徒の負担をなるべく小さくするのが当社の方針です。・ブローカー(紹介エージェント)への手数料はだれが負担しますか?――当社は学生募集部を持っており、外部からの生徒紹介は受けていません。 ・技能実習生へのアドバイスは。 ――お金を稼ぐためだけに日本に行くと、味気ない滞在になります。実習だけで日本語が上達するわけではなく、3年間住んでもJLPTでN4を取れない人もたくさんいます。しかし、日本語や日本のことを学べば学ぶほど、実習や生活が楽しくなり、帰国後の可能性も大きく広がります。 実習先の会社の敷地で集めた桜の花【2018年4月】 日本での仕事と生活 私は2015年9月、栃木県で技能実習を始めました。ベトナム人実習生が約100人(男女半々)いる大きな工場で、歯科医が使う医療機器の組み立てや検査が私の仕事でした。残業の少ない部署だったのであまり貯金はできませんでしたが、ベトナム人仲間が多く、職場の日本人もとても親切だったので、とても楽しい3年間でした。また、送出機関に支払う費用が少なかったので、借金返済で苦労することもありませんでした。 実習先の寮の部屋で仲間とおしゃべり(壁には日本語の単語表)【2018年】 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,900 VND(2020年4月13日現在) 収入(約100,000円) 手取り給料 100,000円※税金、社会保険料、寮費、水道・光熱費を引いた後の手取り額※このうち寮費は23,000円(水道・光熱費込み、Wi-Fi代込み、米支給)。4人で1部屋。 支出(合計 40,000円) 食費 25,000円※自炊 外食 5,000~10,000円 雑費 5,000~10,000円※生活用品、衣類 差額(貯金)60,000円 ※実家への送金は年間約50~60万円。残りは日本での旅行などに使った。 職場の日本人とベトナム人で紅葉見物【2016年10月】 ベトナム人仲間と寮の近くで【2016年】 ベトナム人仲間のつながり たくさんのベトナム人仲間と寮生活を共にしたので、休みの日には一緒に買い物に行ったり、お弁当を持って近くにピクニックに出かけたりしました。先輩たちが実習を修了するときや、代わりに後輩の実習生が入ってくるときは、みんなで送別会や歓迎会もしました。 新しく来た後輩実習生を歓迎するため、寮の仲間で野外で食事会【2016年】 大きなスーパーまで自転車で15分かかり、1人だと寂しいので、いつも寮の仲間数名で一緒に行きました。その時は、回転寿司(=安く寿司を食べられる店)やうどんを一緒に食べて帰るのも楽しみでした。ただ、残業代が少ないので、私も仲間も節約を心がけていました。 買い物のため桜並木の道を仲間と一緒に自転車で【2016年】 親切な日本人の先輩たち 職場の日本人たちは本当に親切でした。仕事もていねいに教えてくれ、週末に雪や雨で自転車に乗りにくいときは、車で買い物に連れて行ってくれました。また、食事や観光にもよく連れて行ってくれました。 先輩たちが車で寮に迎えに来て、寮で作ったお弁当やコンビニで買ったおにぎりを公園で食べたりもしました。先輩たち私のことを「リンちゃん」と呼び、遊びでも仕事の休憩時間でもよく一緒におしゃべりをしました。楽しかったですし、日本語の会話力もつきました。技能実習は、給料だけではなく職場環境も大事だと思いました。 日本人の先輩や実習仲間と夜桜見物【2017年4月】 日本人の先輩や実習仲間と栃木県益子町のひまわり畑へ【2018年8月】 職場全体に日本人と実習生との交流が深く、大人数での飲み会や社員旅行もありました。特にお世話になった先輩たちとは帰国後も連絡を取り合い、先輩たちがベトナムに遊びに来てくれることもあります。私の結婚式にも2人の先輩が出席してくれました。 帰国が近付いた実習生たちのために、職場の日本人とベトナム人とで野外で食事会【2016年7月】 私の帰国後、ホーチミンに来てくれた日本人の先輩3人と実習仲間とで食事会【2019年】 日本語学校の同級生と結婚 私と同じころに福岡県で技能実習をしたKAIZEN吉田スクールの同級生が今の夫です。最初はただの同級生同士でしたが、日本で実習場所が違っても多くの同級生と連絡を取り合ううち、夫から「元気ですか」「仕事はうまく行っていますか」など個別メッセージが来るようになりました。やがて互いの交信が頻繁になり、交際するようになりました。互いの実習先が遠かったので、長期休暇のときに会って一緒に観光や食事を楽しみ、帰国後に結婚しました。 今の夫と福岡市内で【2017年12月】 日本語の勉強 残業が少なかった分、仕事が終わってから毎晩2時間(20時~22時)、日本語の勉強ができました。また、毎週末、日本人のボランティアによる無料の日本語教室(2時間)に通いました。さらに、1年間毎日のように日本語で日記を書き、それを職場のリーダーに時々添削していただきました。 無料日本語教室の先生の紹介で浴衣をレンタルし、実習仲間で日本の夏をエンジョイ【2017年】 こうして、訪日から約2年後、JLPTのN3に合格しました。寮のルームメート2名もN3に合格し、あと1人はN2に合格しました。教材やYou Tube番組は次のようなものを使いました。 ・You Tube “Chữ Hán Đơn Giản(簡単な漢字)” ・You Tube “日本語の森” ・「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク) https://www.alc.co.jp/jpn/article/nihongo/n3-n5/ 実習仲間と一緒に浴衣姿で花火見物【2017年】 帰国後 私は2018年9月に帰国後、知人の紹介である送出機関で日本語教師をしました(手取り月給約8,000,000 VND)が、結婚を機に1年で退職しました。今は、ホーチミンの人材会社で勤務(手取り月給約12,000,000 VND)しており、勤務先の社長(日本人)と話すときや日本語を使う仕事への応募者と面接する際に日本語力が役に立っています。今の仕事はFacebookで求人情報を見たのですが、「N3」「短大以上」が条件でした。 技能実習時代に寮の近くで【2017年】 後輩へのアドバイス 私はもしチャンスがあれば、また日本で暮らしたいと思っています。これから技能実習をする人には、仕事以外では、よく遊びよく学んでほしいと思います。また、ベトナム人がこれからも日本で温かく受け入れられるよう、ルールを守って過ごしましょう。 埼玉県の氷川神社で【2017年8月】 そして、せっかく日本に行くなら、日本語をしっかり身に付けた方が帰国後も役に立ちます。日本に行く前からしっかり勉強しておくと、職場の日本人も仕事を教えやすく、日本人と早く仲良くなり、日本語が早く上達します。また、実習経験者から情報を集め、給料だけではなく職場環境も重視して実習先を選んでください。 日本人の先輩や実習仲間と一緒に休日にお出かけ【2016年7月】
2020年04月23日
今回の先輩 Trần Thanh Sơn (チャン・タン・ソン)さん 1991年生まれ、ハノイ市出身2009年 6月 VAN NOI高校卒業2009年 9月 Phuong Dong(フンドン)大学工学部入学(メカトロニクス専攻)2014年 1月 Phuong Dong大学工学部卒業2014年 6月 静岡県の工場で技能実習開始2017年 5月 技能実習修了2017年 6月 ハイフォン送出機関入社2018年 2月 送出機関退社2018年 3月 SEI CONSULTING VIETNAM (SEIV)入社=正社員 はじめに 「住友電気工業(住友電工)」グループは世界に28万人以上の従業員を抱え、2018年度は約3兆1780億円(約692,609,871,870,000 VND)を売り上げた世界有数の企業グループだ。ベトナムにも15社あり、40,000人以上(うち日本人は約100人)が働いていている。技能実習中に日本語能力試験(JLPT)N2を取得し、帰国後にこのグループに就職したソンさんは、働きぶりが認められている。ソンさんは実習中にどうやって勉強しどんな交流をしたのか、今の会社に採用されたポイントは何だったのか、ソンさんの体験談や人事担当者の話を紹介する。 職場で仕事をするソンさん【2020年2月】 住友電工グループでの仕事 住友電工グループは電線・ケーブルの開発技術を基幹として、「自動車」「情報通信」「エレクトロニクス」「環境エネルギー」「産業素材」の5分野で事業を展開しています。私が務めるSEIV社はベトナムのグループ各社にコーポレートサービスを提供する会社で、私はハノイ市郊外のタンロン工業団地で働いています。通訳兼エンジニアスタッフとして、グループ各社の技術研修の講師や通訳、資料の翻訳などを担当しています。 事業イメージ(住友電工のHPより) 住友電工グループの面接 私は2017年に技能実習を終えて帰国しました。帰国直後は、実習前にお世話になった送出機関から誘われて入社し、日本語教師などを担当しました。しかし、仕事内容に満足していなかったので、翌年、人材会社の紹介でSEIV社の面接を受けました。日本人3人による日本語での面接でした。面接官の1人が社員研修を模して技術に関する説明を行い、それを私が通訳するという、模擬通訳も行いました 。 住友電工グループの面接時にソンさんが提出した履歴書【2018年】 履歴書に多くは書きませんでしたが、面接で聞かれて多くを答えました。日本で経験したこととして、▽スケジュールを守るなど仕事のやり方を学んだこと▽分からないことは日本人の先輩に聞き、技術も日本語も上達したこと▽毎週、ボランティアの日本語教室に通い、スピーチコンテストにも出たこと▽日本人の先生の家で文化交流会に参加したこと――などを話しました。 ボランティアの日本語教室の先生が自宅で開いた国際交流会に参加【2017年3月】 【インタビュー】※編集部が、ソンさんの面接をしたうちの1人、三島憲彰(けんしょう)さんに聞きました。 ・ソンさんの働きぶりはどうですか?――とてもまじめに前向きに働いてくれています。今も日本語の勉強を続け、日本語力がさらに上がっています。また、明るくて、だれとでも仲良くできます。 ・日本帰りのベトナム人にどういう役割を期待していますか?――ビジネスでも使える日本語力があれば、通訳兼スタッフとして日本の本社とのやり取りを任せたり、研修講師を担当してもらったりします。また、日本語力がそこまでいかなくても、日本の仕事の文化をよく理解している人には、日本人とベトナム人の橋渡し役を期待します。 ・日本から帰国したベトナム人を採用する際、面接で何を重視しますか?――日本在留歴よりも日本語か英語の実際の会話力をまず見ます。また、在留中に何を身に付けたのか、何を努力したのかなどを明確に説明できるかどうかが大切です。単に「日本で仕事や勉強をしました」というだけでは、ほかの人と同じなので、決め手にはなりません。 職場でベトナム人の先輩と【2020年2月】 技能実習 私は大学でロボットクラブに入り、「ABUロボコン」というロボットコンテストに3回参加しました。ロボット工学が好きだったので、日本の技術を学びたいという気持ちもあり、技能実習に応募しました。2013年1月に実習の面接に合格し、翌月から4カ月間勉強して日本に行きました。エンジニアより技能実習の方が早く訪日できると人材会社から説明され、実習を選びました。 コンテストに向けて仲間と一緒に取り組んだロボット製作【大学時代】 実習先は山梨県富士市内の工場で、エアコンや冷蔵庫の部品を製造していました。プレス加工や溶接、組み立て作業、ベトナム人の後輩と会社との間の通訳などを担当しました。 技能実習先の工場で先輩・同僚の方々と【2016年3月】 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,540 VND(2020年3月29日現在) 手取り給料(80,000円~120,000円) 手取り給料 80,000円~120,000円※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額※このうち寮費は25,000円(水道・光熱費含む、寮は1室に4人=2段ベッド二つで狭かった) 支出(合計 30,000円~50,000円) Wi-Fi 500円※8人で分担 食費 20,000~25,000円※主に自炊 雑費・交通費 10,000~20,000円※衣類、交通費、たまに外食 差額(貯金) 50,000円~80,000円 ※3、4カ月に1度、両親に送金(=3年間で200万円以上)※残ったお金で少しだけ旅行 ベトナム人12人で登った富士山の頂上。あこがれだった桜、富士山、金閣寺、寿司のすべてを日本で体験できました。【2016年8月】 日本語の先生やベトナム人の生徒仲間と「西湖いやしの里根場」へ【2015年】 日本語での勉強 訪日直後は日本語があまり分かりませんでしたが、こつこつ勉強し、訪日半年後の2014年12月にN4に合格、15年7月にN3に合格、16年7月にN2に合格しました。 実習先の寮は狭く、1室に4人だったので、集中できるように仲間が眠っている時間に勉強しました。夜11時に寝て朝4時に起き、6時まで勉強です。ベッドわきの小さな机が勉強スペースでした。仲間の寝顔に明かりが当たらないよう、ついたてなどで光をさえぎって勉強しました。また、音読は玄関の外に出て廊下でやりました(冬は寒かったです)。昼休みにもノートで復習しました。 ベッドわきの小さな机が私の勉強スペース 教材は「みんなの日本語(26~50巻=N4対策)」やNHKの” News Web Easy“というサイトを使いました。このサイトでは簡単な日本語でニュースが紹介され、漢字にフリガナも付いています。携帯電話やアイパッドで読んで廊下で音読しました。それ以外には主に下記の教材を使いました。 N3向け 「耳から覚える日本語能力試験 語彙トレーニングN3」 「日本語総まとめ N3 文法」 「KANJI LOOK AND LEARN」 N2向け 「新完全マスター読解 日本語能力試験N2」 「耳から覚える日本語能力試験 語彙トレーニングN2」 「日本語総まとめN3文法」 「mazi」(インターネット) mazii https://mazii.net/ mazii https://mazii.net/search?hl=vi-VN N2、N3の試験直前 「パターン別 徹底ドリル 日本語能力試験」 私のノート 私は、帰国後の仕事を考えた結果、せっかく長く日本に住むのだから、お金を稼ぐだけではなく日本語学習をがんばろうと思いました。そして、机上の学習に加え、できるだけ会話の機会を作りました。職場では日本人に積極的に話しかけ、休日もいろんな人と交流しました。 職場でも昼休みに30分間、日本語を勉強【2016年11月】 国際交流の民間活動に参加 実習先のベトナム人の先輩から教えられ、毎週日曜日に2時間、日本人ボランティアによる日本語授業を受けました。寮から教室までは下り坂なので、行きは自転車で30分、帰りは80分かかりました。生徒はベトナム人が最多で約20人(実習生、エンジニア)おり、東南アジアや南米など様々な国の生徒がいました。ここでの共通言語は日本語で、休日も日本語を使う機会ができました。 FILSで参加した最後の授業。同レベルの生徒でクラス分けされ、日本語で話し、日本人教師から指導を受けました。【2017年5月】 これは富士市国際交流ラウンジFILS(フィス)という国際交流団体でした。FILSの活動で、日本語学習だけでなく、お祭りや敬老会など様々な地域活動にも参加しました。代表の斎藤先生や奥さんの玉子先生は年に数回、パーティーを開催したり、私たちを観光地に連れて行ったりもしてくれました。私たちはこのご夫婦を「パパさん、ママさん」と呼んでいました。 約100人が参加し日本人と外国人が交流したFILSの忘年会【2016年12月】 後輩の方々へ 日本人には親切でやさしい人がたくさんいました。彼らは仕事に対する責任感が強く、自分を管理して計画的に仕事をします。そして、日本の景色はとてもきれいですし、鉄道などの公共交通が発達していてとても便利です。また、和食(特に寿司)が美味しいです。日本に行く価値はとても大きいと思います。 寮の近くの公園でベトナム人の実習生仲間と【2017年4月】 私は、日本での様々な体験や努力のおかげで、帰国後によい会社に就職できました。ここでは、大学で学んだ知識も技能実習中に学んだ職業文化や日本語も仕事に生かせますし、毎日の仕事がさらに勉強になります。このような会社で働くことで、妻や娘(0歳)を持つ身としては安心感もあります。これから日本に行く皆さんも、行く前にしっかり準備をし、行ってからは時間を有効に使って、今後の人生に役立つものを積極的に身に付けてください。応援しています。
2020年04月23日