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VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版

ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...

2023年06月12日
  • VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

    2023年05月29日
    食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉 2018年送出機関で約半年間勉強〈ハノイ〉 2018年来日→講習→技能実習〈福岡県〉 2021年特定技能外国人〈同じ会社〉 〈1999年生まれ、ハイズオン省出身〉 ◆このページの内容 • 幼いころから母をサポート • 技能実習の送出機関 • 日本での仕事の内容 • ベトナムに送ったお金 • 私の家計簿 • 休日の過ごし方 • ミスコンテストで入賞 • 日本語の勉強 • 将来の夢 幼いころから母をサポート 家族と親せき(右端が母) 私が2歳のとき、父が交通事故で亡くなりました。母はその後、1人で田畑を耕(たがや)して、私と弟を育ててくれました。母は米や野菜、果物を栽培し、私もときどき朝早く起きて、水路からおけで水をくみ、畑にまきました。私はこのように畑仕事を1時間ぐらい手伝ってから学校に行きました。また、6歳のときから母の料理を手伝い、12歳からは料理も掃除も私が1人で担当しました。 私の故郷では、日本に出稼ぎに行く人も多かったので、私も高校生のころから「将来は日本に行きたい」と思っていました。 お金を稼いで母を楽にしてあげられますし、自分のお金も貯めて、将来は故郷でブティックを開業したいという夢があったからです。そして、高校を卒業すると、親せきがハノイの送出機関を紹介してくれました。 技能実習の送出機関 私は高校を卒業してから約半年間、母の仕事を手伝い、技能実習の採用面接(今の会社の面接)に合格すると、ハノイの送出機関に入って日本語を勉強しました。面接には約150人が参加し、40人が選ばれました。 私は送出機関に7200 USDを米ドルで支払いましたが、契約書や領収証に書かれた費用は3500 USDでした。また、これ以外に寮費や食事代、日本に持って行く服など、約25万円(約45,000,000 VND)を使いました。 【編集部からのアドバイス】 送出機関の費用7,200 USDはベトナム政府の規定を大きく超えています。 高い費用を払っても、よい会社を紹介してもらえるとは限りません。 送出機関を選ぶときは、親せきや知人の紹介だけに頼らず、インターネットの口コミなども調べましょう。送出機関に無駄なお金を払わないために、KOKOROの記事もよく読んでください。 external link KOKORO|送出機関を決める前にこれだけは知っておこう! external link KOKORO|技能実習の費用と注意点 日本での仕事の内容 私は技能実習生として2018年8月に来日しました。私の職場は大きな弁当工場です。コンビニで販売する弁当やおにぎり、チルド食品(親子丼、オムライス)などを作っています。私の最初の仕事は、できあがった弁当を箱に詰め、台車に乗せてトラックの近くに運ぶことでした。ご飯やおかずを弁当箱に詰める仕事もときどきやりました。そして、3年間の技能実習が終わり、特定技能に移ってからは、厨房(ちゅうぼう)で各レーンに食材や調味料を配る担当になりました。 ところで、私の勤務は夜勤だけで、勤務時間は19時から翌朝6時まで(途中で休憩1時間)です。日勤のベトナム人は約50人、夜勤のベトナム人も約50人で、私は来日して2年目から夜勤のベトナム人のリーダーをしています。これは、私の日本語力や勤務態度が評価されたからで、リーダーとしての手当も付いています。 ベトナムに送ったお金 改修した実家の前で母と私 技能実習生のときの私の手取り給料は毎月15万円~17万円でした。毎月35~40時間の残業があり、深夜勤務手当てもあり、リーダー手当もあったので、かなり高い給料です。そして、特定技能外国人になってから手取り給料は毎月18万円~20万円に上がりました。私は来日して最初の1年間で約125万円をベトナムに送って来日前の借金を完済し、その後3年間でさらに約360万円を送り、一部は実家の改修に使ってもらいました。 ただ、日本に来てからずっと夜勤なので、体調が悪くなってきました。4年目から昼間の勤務に変更してもらった同期生もたくさんいますが、夜勤の方が日勤より毎月約3万円多くもらえるので、私は夜勤を続けてきました。しかし、疲れがたまってきたので、近いうちに会社に相談して日勤に変えてもらうつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:180,000円 給料 ¥180,000 *税金や社会保険、寮費、水道・光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(14,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) 支出:80,000円 食費(主に自炊) ¥40,000 生活雑貨、衣類、化粧品など ¥15,000 交際費、外食費など ¥35,000 毎月の差額:100,000円 休日の過ごし方 在日ベトナム人の間ではサッカーが盛んで、福岡でもベトナム人チームの試合や大会がよくあります。私は日曜によくサッカーの試合を見に行きます。試合会場に行くと、同じように応援に来ている人たちと友だちになれるので、一緒にお弁当を食べたり遊びに行ったりしています。 また、休日にベトナムの伝統的舞踊であるmúa(ムア)の練習をすることもあります。私の住む博多市内で地元の著名ベトナム人が自分の借りている部屋を開放し、ムアのダンスクラブ(参加費無料)を開催しています。そこに技能実習生や特定技能外国人が5、6人集まって練習をしています。ベトナムの幼稚園や小学校でムアを習いますが、私は高校生のときもYouTubeでムアの踊り方を研究して練習していました。大好きなムアを踊ると、ストレスが解消されます。 ミスコンテストで入賞 大きなミスコンで入賞〈福岡県で2022年1月〉 福岡では「在福岡ベトナム人協会」などベトナム人団体の活動が盛んで、毎年テト(旧正月)の時期に大きなお祭りがあります。そのときにミスコンテストも行われますが、私もインターネットでミスコンのことを知って参加したところ、入賞しました。 賞金をもらったほか、ミスコンの様子を公式動画に収録してもらいました。それ以外に、地元のアオザイ大会でも優勝しました。 日本語の勉強 私は来日前に約半年間、送出機関で朝から夕方まで日本語の授業を受け、夜も3、4時間自習しました。それでも、日本に来たばかりのときは、日本人の話す言葉が全然わかりませんでした。 しかし、来日後も毎日3、4時間勉強を続けたところ、3、4カ月で少し話せるようになり、今では毎日、職場の日本人と話をしています。このため、2年目からは職場のベトナム人のリーダーに選ばれ、日本人がベトナム人に仕事を指示する際に通訳をすることもあります。また、日本に来たばかりの実習生は日本語がまったく分からないので、約2カ月間、日本人と私が一緒に仕事を教えます。 こうして日本語を話せるようになったので、職場の日本人やネパール人留学たちと仲良くなり、仕事が終わってから日本語で少し話をしています。日本人の先輩と一緒に寺や公園に観光に行ったこともあります。 帰国後に日本語力を生かして送出機関の日本語の先生になろうと思っていた時期もありました。そのため、毎日3時間、眠いのをがまんして日本語の勉強をしていました。そして、来日して2年で日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しましたが、その後、日本語教師の給料があまり高くないことがわかり、最近は以前ほど勉強しなくなりました。 将来の夢 ハイズオン出身の福岡の友だち 私は技能実習を3年やり、もうすぐ特定技能も2年になります。日本で覚えた技術を母国に持ち帰って経済発展に生かすのが技能実習の建て前ですが、私も仲間も日本で働いて覚えたことを帰国後の仕事に生かすことは考えていません。そもそも、ベトナムでは日本ほど弁当が売れていないので、弁当工場もありません。 今後のことはまだ確定していませんが、多分、あと2、3年働いてベトナムに帰国し、故郷のハイズオンで結婚相手を探すと思います。日本の生活も楽しいですが、母や昔からの友だちに会えないのは寂しいので、やはり故郷で暮らす方が私には向いています。そして、日本で働いたお金の一部は母にあげ、残りのお金で婦人服を売るブティックを開業するのが私の夢です。
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 70 安く訪日し平均より多く送金

    今回の先輩 グェン・ティ・ホアイ・トウーさん 2010年 高校卒業〈ホーチミン〉 2010年 専門学校入学 2013年 会社勤務、夜はアルバイト 2017年 送出機関〈ホーチミン〉 2018年 水産加工の技能実習〈北海道〉 2021年 技能実習修了、帰国 〈1990年生まれ、ホーチミン市出身〉 良心的な送出機関を選んだため、ベトナム政府が決めた安い費用で日本に行くことができたトゥーさん。訪日前に質の高い日本語授業を受け、自分でも努力したので、技能実習の職場でたくさんの日本人のおばさんたちと仲良くなりました。また、3年間で十分な送金もできました。 〈このページの内容〉 • 「日本に行けてお金も貯まる」 • 送出機関への支払いと3年間の送金額 • 水産加工の仕事の内容 • 職場のおばさんたちと友だちに • オンライン無料日本語教室 • 「最果ての地」にも多数のベトナム人 • 根室でハッピーライフ • まとめ 「日本に行けてお金も貯まる」 私は専門学校を卒業後、ホーチミンの会社で事務仕事をしていました(月給7,000,000 VND)。日本には以前から興味があり、行ってみたいとは思っていましたが、お金がありませんでした。 そんなとき、恋人が先に日本に技能実習に行き、自己資金がなくても借金で日本に行き、借金を返した上でさらに貯金もできると知りました。そのため、私も技能実習に応募することにしました。 送出機関への支払いと3年間の送金額 自転車で美しい海岸へ。根室では、お金をあまり使わずに生活を楽しめました。 私はホーチミンの送出機関「エスハイ」を選び、約50,000,000 VND(約25万円)の借金だけで日本に行くことができました。先に日本に行った恋人がインターネットで調べ、「費用が安い」「日本語教育の質も高い」という評価が多いエスハイを見つけ、私に紹介してくれたからです。 訪日後も、根室ではあまりお金を使う場所がないので、少し多めに貯金し、母に送ることができました。 ・エスハイで勉強を始めて4カ月目に最初の採用面接を受け、合格 ・エスハイに支払った費用は全部で約90,000,000 VND(約46万円)。教育費も含む。自宅から通ったので寮費は含まない。 ・技能実習の3年間で母への送金は約300万円(約585,000,000 VND) 【編集部からのアドバイス】 エスハイはベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。 external link 技能実習の費用と注意点 external link 送出機関の探し方・選び方 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,505 VND(2022年3月12日現在) 収入: 130,000円 手取り給与 ¥130,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は20,000円で、ここに電気・ガス・水道代・Wi-Fi代も含まれる) 支出: 40,000円 食材費 ¥25,000 外食費・雑費 ¥15,000 差額: 90,000円 *ほとんどを母に送金 水産加工の実習内容 私たちの工場で作った魚の加工食品〈根室市のAEONで2021年〉 私は2018年から3年間、北海道根室市で技能実習をしました。職場は魚を加工してさまざまな食品を作る工場でした。北海道はとても寒いうえ、工場では魚の鮮度を保つため暖房をあまり使いません。夏は涼しいですが、冬は寒い職場でした。仕事内容は次の通りです。 サンマやイワシがベルトコンベアで流れてくるので、6人の技能実習生が次のような作業を分担。 ・発砲スチロールの箱に氷と水を入れる ・箱の中に魚を入れ、水や氷と混ぜる ・箱にふたをする ・機械を使って箱をしばる 1年ごとに担当レーンが変わるので、次のような仕事もしました。 ・タラの頭を取り、はらわたもかき出し、機械で3枚に分ける ・マスなどの魚に味付けをする ・干物を箱に詰める 職場のおばさんたちと友だちに 根室市内のお気に入りのレストランで 日本で一番うれしかったことは、職場のおばさんたちと友だちになれたことです。おばさんたちは私たち技能実習生に次のようなことをしてくれました。 ・仕事も日本語も親切に教えてくれた。 ・休み時間に私たちとたくさん話をしてくれた。 ・私たちにおかずやチョコレート、果物、服など、いろいろなものをくれた。 おばさんの1人とは休日に一緒に食事に行くこともありました。また、彼女たちから日本の文化についても教えてもらいました。例えば、日本人はプレゼントをもらったら、そのときに「ありがとうございます」と言うのはもちろん、翌日相手に会ったときに「昨日はありがとうございました」ともう一度お礼を言います。 オンライン無料日本語教室 私を訪ねて来てくれたオンライン教室の石橋先生(右)。後ろは私たちの寮。 私は寮で毎日30分以上勉強し、オンライン無料日本語教室“Lotus Works”にも参加しました。日本人の先生が毎週1、2回、ビデオ電話で日本語能力試験(JLPT)に向けて勉強を教えてくれます。また、宿題も出してくれるので、毎日勉強するくせがつきます。 external link オンライン無料日本語教室 訪日前の勉強とLotus Worksの指導のおかげで、私は来日1年後にJLPT・N3に合格しました。試験会場は根室から400 km以上離れた札幌です。組合(管理団体)が大型バス2台をチャーターし、他社の実習生たちと一緒に札幌に行きました。行きは深夜に出て翌朝に着き、帰りは18:00に出て朝2:00に根室に戻りました。その後、3時間だけ眠って仕事に行きました。その後は、新型コロナの関係で、私たちが都会に行くのを会社が嫌がり、N2の試験は受けることができずに帰国しました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 「最果ての町」にも多数のベトナム人 仲間と寮でパーティー 根室は北海道の東のはしにあり、日本では「最果ての町」とも呼ばれています。しかし、そんな根室にもたくさんのベトナム人が働いています。日本では若い人が減っているので、外国人を雇う企業が増えています。私たちの会社にも23人(男3人、女20人)のベトナム人がいました。日本に来たばかりのころは、町でベトナム人と会うことはめったにありませんでしたが、滞在中の約3年間で急増し、休みの日にAEONに行くと、必ずベトナム人を見かけるようになりました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 根室でハッピーライフ 寮の仲間と回転寿司 日本滞在中に東京に遊びに行ったこともあります。ディズニーランドに行き、たくさん食べて買い物もして、楽しく過ごしました。ただし、何をするにもお金がかかりました。その点、根室は、お店は少ないですが、お金はあまりかかりません(貯金ができます)。 また、お店の少ない根室ですが、会社の人に聞いたりグーグルマップで調べたりしてお店を開拓し、食べ歩きを楽しむことができました。 〈私たちの北海道生活〉 ・安いバスツアーで北海道の名所を観光 ・月に1回のぜいたくは回転寿司(安い寿司店)。給料日直後に数人で食べに行く。 ・会社が実習生に自転車を貸すが、冬(11月~4月)は路面で雪が凍って危ないので自転車を返す。 左:雪の日の根室  右:寮の前の公園 まとめ 蹴上げインクライン 新型コロナの感染拡大で、3年間の技能実習を終えても、帰国困難を理由とする「特定活動」という在留資格を取って、引き続き半年や1年働く人も多かったのですが、私は一人暮らしの母のもとに早く帰りたかったので早めに帰国しました。そして、帰国後の2022年1月に長年交際した恋人と結婚しました。 私は少ない借金で日本に行き、日本でも安い費用で暮らせたので、3年間で平均以上の貯金(送金)ができました。そのうえ、職場の日本人は親切でしたし、寮の仲間とも楽しく過ごすことができました。私はこのようなよい技能実習ができて幸せでした。 今回の先輩 グェン・ティ・ホアイ・トウーさん 2010年高校卒業〈ホーチミン〉 2010年専門学校入学 2013年 会社勤務、夜はアルバイト 2017年 送出機関〈ホーチミン〉 2018年 水産加工の技能実習〈北海道〉 2021年 技能実習修了、帰国 〈1990年生まれ、ホーチミン市出身〉 良心的な送出機関を選んだため、ベトナム政府が決めた安い費用で日本に行くことができたトゥーさん。訪日前に質の高い日本語授業を受け、自分でも努力したので、技能実習の職場でたくさんの日本人のおばさんたちと仲良くなりました。また、3年間で十分な送金もできました。 〈このページの内容〉 • 「日本に行けてお金も貯まる」 • 送出機関への支払いと3年間の送金額 • 水産加工の仕事の内容 • 職場のおばさんたちと友だちに • オンライン無料日本語教室 • 「最果ての地」にも多数のベトナム人 • 根室でハッピーライフ • まとめ 「日本に行けてお金も貯まる」 私は専門学校を卒業後、ホーチミンの会社で事務仕事をしていました(月給7,000,000 VND)。日本には以前から興味があり、行ってみたいとは思っていましたが、お金がありませんでした。 そんなとき、恋人が先に日本に技能実習に行き、自己資金がなくても借金で日本に行き、借金を返した上でさらに貯金もできると知りました。そのため、私も技能実習に応募することにしました。 <!-- 日本語力を生かして日本語センターで講師のアルバイト --> 送出機関への支払いと3年間の送金額 私はホーチミンの送出機関「エスハイ」を選び、約50,000,000 VND(約25万円)の借金だけで日本に行くことができました。先に日本に行った恋人がインターネットで調べ、「費用が安い」「日本語教育の質も高い」という評価が多いエスハイを見つけ、私に紹介してくれたからです。 訪日後も、根室ではあまりお金を使う場所がないので、少し多めに貯金し、母に送ることができました。 ・エスハイで勉強を始めて4カ月目に最初の採用面接を受け、合格 ・エスハイに支払った費用は全部で約90,000,000 VND(約46万円)。教育費も含む。自宅から通ったので寮費は含まない。 ・技能実習の3年間で母への送金は約300万円(約585,000,000 VND) 自転車で美しい海岸へ。根室では、お金をあまり使わずに生活を楽しめました。 編集部からのアドバイス エスハイはベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。 external link 技能実習の費用と注意点 external link 送出機関の探し方・選び方 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,505 VND(2022年3月12日現在) 収入: 130,000円 手取り給与 ¥130,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は20,000円で、ここに電気・ガス・水道代・Wi-Fi代も含まれる) 支出: 40,000円 食材費 ¥25,000 外食費・雑費 ¥15,000 差額: 90,000円 *ほとんどを母に送金 水産加工の実習内容 私は2018年から3年間、北海道根室市で技能実習をしました。職場は魚を加工してさまざまな食品を作る工場でした。北海道はとても寒いうえ、工場では魚の鮮度を保つため暖房をあまり使いません。夏は涼しいですが、冬は寒い職場でした。仕事内容は次の通りです。 サンマやイワシがベルトコンベアで流れてくるので、6人の技能実習生が次のような作業を分担。 ・発砲スチロールの箱に氷と水を入れる ・箱の中に魚を入れ、水や氷と混ぜる ・箱にふたをする ・機械を使って箱をしばる 1年ごとに担当レーンが変わるので、次のような仕事もしました。 ・タラの頭を取り、はらわたもかき出し、機械で3枚に分ける ・マスなどの魚に味付けをする ・干物を箱に詰める 私たちの工場で作った魚の加工食品〈根室市のAEONで2021年〉 職場のおばさんたちと友だちに 日本で一番うれしかったことは、職場のおばさんたちと友だちになれたことです。おばさんたちは私たち技能実習生に次のようなことをしてくれました。 ・仕事も日本語も親切に教えてくれた。 ・休み時間に私たちとたくさん話をしてくれた。 ・私たちにおかずやチョコレート、果物、服など、いろいろなものをくれた。 おばさんの1人とは休日に一緒に食事に行くこともありました。また、彼女たちから日本の文化についても教えてもらいました。例えば、日本人はプレゼントをもらったら、そのときに「ありがとうございます」と言うのはもちろん、翌日相手に会ったときに「昨日はありがとうございました」ともう一度お礼を言います。 根室市内のお気に入りのレストランで オンライン無料日本語教室 私は寮で毎日30分以上勉強し、オンライン無料日本語教室“Lotus Works”にも参加しました。日本人の先生が毎週1、2回、ビデオ電話で日本語能力試験(JLPT)に向けて勉強を教えてくれます。また、宿題も出してくれるので、毎日勉強するくせがつきます。 external link オンライン無料日本語教室 訪日前の勉強とLotus Worksの指導のおかげで、私は来日1年後にJLPT・N3に合格しました。試験会場は根室から400 km以上離れた札幌です。組合(管理団体)が大型バス2台をチャーターし、他社の実習生たちと一緒に札幌に行きました。行きは深夜に出て翌朝に着き、帰りは18:00に出て朝2:00に根室に戻りました。その後、3時間だけ眠って仕事に行きました。その後は、新型コロナの関係で、私たちが都会に行くのを会社が嫌がり、N2の試験は受けることができずに帰国しました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 私を訪ねて来てくれたオンライン教室の石橋先生(右)。後ろは私たちの寮。 「最果ての町」にも多数のベトナム人 根室は北海道の東のはしにあり、日本では「最果ての町」とも呼ばれています。しかし、そんな根室にもたくさんのベトナム人が働いています。日本では若い人が減っているので、外国人を雇う企業が増えています。私たちの会社にも23人(男3人、女20人)のベトナム人がいました。日本に来たばかりのころは、町でベトナム人と会うことはめったにありませんでしたが、滞在中の約3年間で急増し、休みの日にAEONに行くと、必ずベトナム人を見かけるようになりました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 仲間と寮でパーティー 根室でハッピーライフ 日本滞在中に東京に遊びに行ったこともあります。ディズニーランドに行き、たくさん食べて買い物もして、楽しく過ごしました。ただし、何をするにもお金がかかりました。その点、根室は、お店は少ないですが、お金はあまりかかりません(貯金ができます)。 また、お店の少ない根室ですが、会社の人に聞いたりグーグルマップで調べたりしてお店を開拓し、食べ歩きを楽しむことができました。 〈私たちの北海道生活〉 ・安いバスツアーで北海道の名所を観光 ・月に1回のぜいたくは回転寿司(安い寿司店)。給料日直後に数人で食べに行く。 ・会社が実習生に自転車を貸すが、冬(11月~4月)は路面で雪が凍って危ないので自転車を返す。 寮の仲間と回転寿司 雪の日の根室  寮の前の公園 まとめ 新型コロナの感染拡大で、3年間の技能実習を終えても、帰国困難を理由とする「特定活動」という在留資格を取って、引き続き半年や1年働く人も多かったのですが、私は一人暮らしの母のもとに早く帰りたかったので早めに帰国しました。そして、帰国後の2022年1月に長年交際した恋人と結婚しました。 私は少ない借金で日本に行き、日本でも安い費用で暮らせたので、3年間で平均以上の貯金(送金)ができました。そのうえ、職場の日本人は親切でしたし、寮の仲間とも楽しく過ごすことができました。私はこのようなよい技能実習ができて幸せでした。

    2022年03月27日

  • Vol.69 京都で暮らした1年間

    今回の先輩 グエン・ティ・オアインさん 2017年 高校卒業 2017年ハノイ国家大学・外国語大学・日本言語文化学部入学 2019年 明治大学の交流プログラムに参加〈東京、3週間〉 2020年 京都大学留学〈1年間〉 2021年 帰国 2022年 大学卒業(3月) 〈1997年生まれ、ハノイ出身〉 オアインさんは大学で初めて日本語を勉強し、成績が良かったので、国費で京都大学に1年間留学しました。彼女の学習方法や留学プログラムの内容、京都のお勧めの観光名所を紹介します。 〈このページの内容〉 • 日本語学習:私の工夫 • ハノイで日本人学生と交流 • 短期交流で初めて日本へ • 日本入国と留学生寮 • 新型コロナ禍での大学のプログラム • 地域のベトナム人との交流 • 私の好きな京都のスポット • まとめ 日本語学習:私の工夫 日本語力を生かして日本語センターで講師のアルバイト 私は日本のアニメやドラマが好きで、そこに出てくる日本の文化や景色にひかれました。そのため、大学で日本語や日本について勉強しようと思いました。大学で初めて日本語を学び、2年のときに日本語能力試験(JLPT)N3に合格、3年のときにN2に合格しました。 授業以外では、毎日2、3時間、自習(宿題と授業の復習)をしました。また、Netflixで日本のアニメやドラマを見てリスニングの練習をしました。 ・友だち4人とNetflixの費用をシェア ・特に好きなのは「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「5→9~私に恋したお坊さん~」など ・1回目はベトナム語の字幕付きで見て、2回目以降は日本語の字幕付きで見る ベトナムで日本人学生と交流 日本の大学生たちをニンビン省チャンアンに案内〈2019年〉 ハノイ国家大学には日本の大学生向けの短期交流プログラムがたくさんあります。私は大学2、3年のとき、多くのプログラムにボランティアで協力し、日本人学生とたくさん交流しました。 ・各プログラムの期間は1、2週間 ・日本各地の大学や外国語専門学校の学生が参加(大学ごとにプログラム) ・内容は簡単なベトナム語会話や文化交流など ・観光もあり、私たちボランティアが日本人学生たちをエスコート プログラムで友だちになった学生のうち数人とは、私が日本に留学したときに再会しました。中には、東京から京都に会いに来てくれた友人もいました。 短期交流で初めて日本へ 明治大学の学生たちと東京観光 私は大学2年生が終わった2019年6月に3週間、明治大学の短期交流プログラムに参加するために初めて来日しました。 ・この年は、私の学部から7人、ハノイ大学から3人が参加(成績優秀者) ・日本への飛行機代のみ自己負担 ・3週間の宿泊費と授業料は明治大学が負担 ・JASSOから1人80,000円の奨学金 このプログラムでは、明治大学の学生たちが私たちと一緒に研究をし、東京の案内もしてくれました。また、富山県の観光地に外国人観光客を誘致するための動画を制作したり、三味線(しゃみせん=日本の伝統楽器)を体験したり、神社で巫女(みこ)の服装や神楽舞(かぐらまい)を体験したりしました。 私たちが制作したFacebookページと動画 日本入国と留学生寮 寮の私の部屋 大学で私の成績は同学年約200人の中で2番でした。そのため、大学から国費留学の推薦をもらってハノイの日本国大使館で試験を受け、2020年9月から1年間、京都大学に留学させてもらえました。 新型コロナ対策で、日本入国後、成田空港近くのホテルで15日間隔離されました。その後、京都大学や大学院に留学するベトナム人3人と一緒に夜行バスで京都に行き、留学が始まりました。国費留学なので授業料は無料です。日本政府から十分な奨学金ももらっているので、アルバイトはしませんでした。 ・住居は大学の留学生寮:同じ棟に同級生11人(中国人5人、ベトナム人2人、ロシア・イギリス・インド・ルーマニア各1人) ・寮での共通言語は日本語 ・大学へは地下鉄とバスで通学(約30分)。春と秋は自転車だけで通学。 新型コロナ禍での大学のプログラム 京都大学の授業で書道の練習 大学では、新型コロナ対策でオンライン授業の方が多かったのですが、感染拡大が落ち着いている時期には対面授業もあり、週4回以上大学に行きました。授業はすべて日本語で、「日本の政治と法律」「現代日本の社会問題」「日本語概論」などがありました。留学生向けの特別授業が大半ですが、日本人と一緒に受ける授業も少しありました。 楽しみだったのは「日本文化研修プログラム」で、書道や和菓子作りなどを体験しました。日本の高校生ともオンラインで交流しましたが、通常なら学校を訪問するはずだったので、残念でした。観光名所への研修旅行も、本来は1泊2日のはずが、コロナの影響で日帰りになりました。 京都大学 しかし、先生や留学生仲間とは授業でたくさん交流しました。アカデミック・プレゼンテーションの授業では、研究結果をプレゼン資料にまとめて発表します。私は日本の家族関係に関する問題やベトナムの大気汚染の問題などを研究しました。この授業では同級生(留学生)と日本語でたくさん議論をし、日本語の文献を調べ、日本語の資料を作成します。そして、寮で発表の練習(日本語)もします。 また、日本人学生で留学生サポートをする人もいるので、その人たちともよく会話をしました。このように、日本語を使う機会はたくさんありました。 地域のベトナム人との交流 VYSA京都の仲間と三室戸寺を観光〈2020年11月〉 大学以外ではVYSA京都の活動に参加しました。京都・大阪や周辺のベトナム人大学生や大学院生、社会人が参加しています。新型コロナの影響で多くのイベントが中止になりましたが、コロナが少し落ち着いていた2020年11月に20人あまりで京都府の三室戸寺(みむろとじ)と平等院に行きました。 VYSAの活動で知り合った友だちと電車を乗り継いで奈良県の長谷寺(はせでら)に行ったこともあります。不便な場所にありますが、とてもステキなお寺でした! 在日ベトナム学生青年協会 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,900 VND(2022年3月10日現在) 収入:120,000円 日本政府の奨学金 ¥120,000 支出:110,000円 家賃(留学生寮) ¥13,000 授業料(無料) ¥0 電気・ガス・水道 ¥6,000 携帯電話(SIM使わず) ¥0 Wi-Fi ¥1,000 食材費・外食費 ¥40,000 教材費、交通費、雑費 ¥50,000 差額:10,000円 ※旅行などに利用 私の好きな京都のスポット 蹴上げインクライン 私は留学中、祇園や清水寺、八坂神社、平安神宮、鴨川など、京都市内のさまざまな観光名所に自転車で行きました。また、寮に近い南禅寺や蹴上(けあげ)インクライン、平安神宮などには、よく歩いて行きました。これらの名所を私なりにランキングすると次の通りです。 ① 鴨川:特に桜の咲く季節は本当にきれいです。川を眺めているだけで気持ちが落ち着きます。 ② 平安神宮と岡崎公園:巨大な鳥居と疎水(水路)沿いの散歩道を楽しめます。桜もたくさんあります。 ③ 南禅寺と蹴上インクライン:蹴上は超有名インスタスポット。南禅寺は四季を通じて趣があります。 ④ 祇園エリアと八坂神社 ⑤ 清水寺 鴨川 平安神宮 まとめ 奈良県の長谷寺 新型コロナの影響で留学プログラムの多くが制限または中止され、旅行にもほとんど行けませんでした。しかし、日本のトップ大学の一つで留学し、京都という素晴らしい町に住めたことは、かけがえのない経験になりました。 私は帰国して半年後の2022年3月に大学を卒業し、ハノイのIT企業で働いています。将来は、大学で日本語を教えることが夢です。これからも日本や日本語と関わっていきたいと思います。 今回の先輩 グエン・ティ・オアインさん 2017年高校卒業 2017年ハノイ国家大学・外国語大学・日本言語文化学部入学 2019年 明治大学の交流プログラムに参加〈東京、3週間〉 2020年 京都大学留学〈1年間〉 2021年 帰国 2022年 大学卒業(3月) 〈1997年生まれ、ハノイ出身〉 オアインさんは大学で初めて日本語を勉強し、成績が良かったので、国費で京都大学に1年間留学しました。彼女の学習方法や留学プログラムの内容、京都のお勧めの観光名所を紹介します。 〈このページの内容〉 • 日本語学習:私の工夫 • ハノイで日本人学生と交流 • 短期交流で初めて日本へ • 日本入国と留学生寮 • 新型コロナ禍での大学のプログラム • 地域のベトナム人との交流 • 私の好きな京都のスポット • まとめ 日本語学習:私の工夫 私は日本のアニメやドラマが好きで、そこに出てくる日本の文化や景色にひかれました。そのため、大学で日本語や日本について勉強しようと思いました。大学で初めて日本語を学び、2年のときに日本語能力試験(JLPT)N3に合格、3年のときにN2に合格しました。 授業以外では、毎日2、3時間、自習(宿題と授業の復習)をしました。また、Netflixで日本のアニメやドラマを見てリスニングの練習をしました。 ・友だち4人とNetflixの費用をシェア ・特に好きなのは「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「5→9~私に恋したお坊さん~」など ・1回目はベトナム語の字幕付きで見て、2回目以降は日本語の字幕付きで見る 日本語力を生かして日本語センターで講師のアルバイト ベトナムで日本人学生と交流 ハノイ国家大学には日本の大学生向けの短期交流プログラムがたくさんあります。私は大学2、3年のとき、多くのプログラムにボランティアで協力し、日本人学生とたくさん交流しました。 ・各プログラムの期間は1、2週間 ・日本各地の大学や外国語専門学校の学生が参加(大学ごとにプログラム) ・内容は簡単なベトナム語会話や文化交流など ・観光もあり、私たちボランティアが日本人学生たちをエスコート プログラムで友だちになった学生のうち数人とは、私が日本に留学したときに再会しました。中には、東京から京都に会いに来てくれた友人もいました。 日本の大学生たちをニンビン省チャンアンに案内〈2019年〉 短期交流で初めて日本へ 私は大学2年生が終わった2019年6月に3週間、明治大学の短期交流プログラムに参加するために初めて来日しました。 ・この年は、私の学部から7人、ハノイ大学から3人が参加(成績優秀者) ・日本への飛行機代のみ自己負担 ・3週間の宿泊費と授業料は明治大学が負担 ・JASSOから1人80,000円の奨学金 このプログラムでは、明治大学の学生たちが私たちと一緒に研究をし、東京の案内もしてくれました。また、富山県の観光地に外国人観光客を誘致するための動画を制作したり、三味線(しゃみせん=日本の伝統楽器)を体験したり、神社で巫女(みこ)の服装や神楽舞(かぐらまい)を体験したりしました。 私たちが制作したFacebookページと動画 明治大学の学生たちと東京観光 日本入国と留学生寮 大学で私の成績は同学年約200人の中で2番でした。そのため、大学から国費留学の推薦をもらってハノイの日本国大使館で試験を受け、2020年9月から1年間、京都大学に留学させてもらえました。 新型コロナ対策で、日本入国後、成田空港近くのホテルで15日間隔離されました。その後、京都大学や大学院に留学するベトナム人3人と一緒に夜行バスで京都に行き、留学が始まりました。国費留学なので授業料は無料です。日本政府から十分な奨学金ももらっているので、アルバイトはしませんでした。 ・住居は大学の留学生寮:同じ棟に同級生11人(中国人5人、ベトナム人2人、ロシア・イギリス・インド・ルーマニア各1人) ・寮での共通言語は日本語 ・大学へは地下鉄とバスで通学(約30分)。春と秋は自転車だけで通学。 寮の私の部屋 新型コロナ禍での大学のプログラム 大学では、新型コロナ対策でオンライン授業の方が多かったのですが、感染拡大が落ち着いている時期には対面授業もあり、週4回以上大学に行きました。授業はすべて日本語で、「日本の政治と法律」「現代日本の社会問題」「日本語概論」などがありました。留学生向けの特別授業が大半ですが、日本人と一緒に受ける授業も少しありました。 楽しみだったのは「日本文化研修プログラム」で、書道や和菓子作りなどを体験しました。日本の高校生ともオンラインで交流しましたが、通常なら学校を訪問するはずだったので、残念でした。観光名所への研修旅行も、本来は1泊2日のはずが、コロナの影響で日帰りになりました。 京都大学の授業で書道の練習 しかし、先生や留学生仲間とは授業でたくさん交流しました。アカデミック・プレゼンテーションの授業では、研究結果をプレゼン資料にまとめて発表します。私は日本の家族関係に関する問題やベトナムの大気汚染の問題などを研究しました。この授業では同級生(留学生)と日本語でたくさん議論をし、日本語の文献を調べ、日本語の資料を作成します。そして、寮で発表の練習(日本語)もします。 また、日本人学生で留学生サポートをする人もいるので、その人たちともよく会話をしました。このように、日本語を使う機会はたくさんありました。 京都大学 地域のベトナム人との交流 大学以外ではVYSA京都の活動に参加しました。京都・大阪や周辺のベトナム人大学生や大学院生、社会人が参加しています。新型コロナの影響で多くのイベントが中止になりましたが、コロナが少し落ち着いていた2020年11月に20人あまりで京都府の三室戸寺(みむろとじ)と平等院に行きました。 VYSAの活動で知り合った友だちと電車を乗り継いで奈良県の長谷寺(はせでら)に行ったこともあります。不便な場所にありますが、とてもステキなお寺でした! 在日ベトナム学生青年協会 VYSA京都の仲間と三室戸寺を観光〈2020年11月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,900 VND(2022年3月10日現在) 収入:120,000円 日本政府の奨学金 ¥120,000 支出:110,000円 家賃(留学生寮) ¥13,000 授業料(無料) ¥0 電気・ガス・水道 ¥6,000 携帯電話(SIM使わず) ¥0 Wi-Fi ¥1,000 食材費・外食費 ¥40,000 教材費、交通費、雑費 ¥50,000 差額:10,000円 ※旅行などに利用 私の好きな京都のスポット 私は留学中、祇園や清水寺、八坂神社、平安神宮、鴨川など、京都市内のさまざまな観光名所に自転車で行きました。また、寮に近い南禅寺や蹴上(けあげ)インクライン、平安神宮などには、よく歩いて行きました。これらの名所を私なりにランキングすると次の通りです。 ① 鴨川:特に桜の咲く季節は本当にきれいです。川を眺めているだけで気持ちが落ち着きます。 ② 平安神宮と岡崎公園:巨大な鳥居と疎水(水路)沿いの散歩道を楽しめます。桜もたくさんあります。 ③ 南禅寺と蹴上インクライン:蹴上は超有名インスタスポット。南禅寺は四季を通じて趣があります。 ④ 祇園エリアと八坂神社 ⑤ 清水寺 蹴上げインクライン 鴨川 平安神宮 まとめ 新型コロナの影響で留学プログラムの多くが制限または中止され、旅行にもほとんど行けませんでした。しかし、日本のトップ大学の一つで留学し、京都という素晴らしい町に住めたことは、かけがえのない経験になりました。 私は帰国して半年後の2022年3月に大学を卒業し、ハノイのIT企業で働いています。将来は、大学で日本語を教えることが夢です。これからも日本や日本語と関わっていきたいと思います。 奈良県の長谷寺

    2022年03月23日

  • Vol.68 快適な職場で技能実習4年目

    今回の先輩 マイ・ティ・フォン・タインさん 2015年 高校卒業〈ナムディン〉 2016年 飲食店に2年間勤務〈ナムディン〉 2018年 送出機関で勉強〈ハノイ〉 2018年 講習後、清掃会社で技能実習〈香川県〉 <1997生まれ、ナムディン省出身> タインさんは技能実習(清掃)の3年間でJLPT・N2に合格しました。オンライン無料日本語教室を利用したほか、清掃現場まで車で移動する時間があるので、車内で日本人とたくさん話し、勉強で覚えた日本語を実際に使うことができました。 〈このページの内容〉 • 送出機関への支払いと3年間の送金 • 来日して3年でN2に合格! • ホテル清掃の仕事の内容 • 親切な社長と元社長 • ベトナム人仲間 • まとめ 送出機関への支払いと3年間の送金 送出機関の先生と同級生たち 私の父は2019年に亡くなり、母が飲食店で働いていますが、月給は3,000,000 VNDぐらいです。私は4人兄弟の末っ子で、高校を出てから地元のフォー店で約1年間働きましたが、給料は月4,000,000 VNDでした。 そのようなつつましい生活の中、いとこが技能実習で日本に行き、彼女の母(私のおば)の勧めで、私も技能実習に行くことにしました。家計を助けたいと思ったのです。いとこが使ったハノイの送出機関を私も使い、日本語を約6カ月間勉強してから日本に行きました。この送出機関には日本人の先生が2人いました。 external link 技能実習の費用と注意点 ◆借金と仕送り 送出機関に支払ったお金 手数料と飛行機代 (*1) 178,200,000 ₫ 教育費など 10,000,000 ₫ 資金調達 親せきから借金 140,000,000 ₫ 親の貯金と自分の貯金 80,000,000 ₫ 3年間で両親に送ったお金 給料から送金(*2) 458,000,000 ₫ (*1)$7,800をドンに換算 (*2)¥2,300,000をドンに換算 いずれも2022年3月6日の為替レート 来日して3年でN2に合格! JLPTに合格した技能実習生のために元社長が開いてくれた食事会〈2021年〉 私は2018年10月に来日し、2020年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格、2021年7月にN2に合格しました。 日本に来たばかりのとき、一番困ったことは言葉です。ベトナムで半年間勉強したのに、日本人の話すことがさっぱりわからず、「すみません。もう一度言ってください」の繰り返しでした。そこで、送出機関の先生にSNSで相談し、オンライン日本語教室のLotus Worksを紹介してもらいました。週に1、2回、日本人の先生がSkypeで文法や漢字などの授業をしてくれます。次の授業までに宿題をしなければならないので、毎日勉強するくせがつきました。 external link オンライン無料日本語教室 清掃現場の一つ。現場でも現場に向かう車内でも日本人とたくさん会話。 Lotus Worksの勉強以外にも日本語と触れる機会をつくりました。 毎日家で1、2時間勉強 ・使った教材:「耳から覚える」シリーズ(語彙)など ・Youtubeの学習チャンネル:Dũng Mori, Onomappu, Thao Le JP ・日本のアニメ:ヒアリングの練習に使う 職場で日本人とたくさん会話 ・毎日、会社から仕事場に向かう車内(往復40~120分)で日本人2、3人と会話 ・休憩時間も日本人と会話 ホテル清掃の仕事の内容 私の実習(仕事)の内容を紹介します。職場には私を含めて5人の技能実習生がいます。 ・7:20出社→朝礼→車で移動→清掃→車で帰社(勤務は8時間) ・清掃現場:ホテル、住宅、オフィス、店、老人ホーム ・床掃除(機械やモップを使う)、ワックスがけ、窓ふき、トイレ・風呂の掃除 ・日本人2、3人とベトナム人1人が組んで仕事をすることが多い ・休みは週1、2回 親切な社長と元社長 会社が実習生全員に「うな重」をご馳走〈2021年〉 私たちの会社では、元社長とその奥さん(今の社長)が私たちの面倒をよくみてくれるので、快適に暮らしています。 ・元社長が技能実習生をときどき食事に連れて行ってくれます。 ・社長がときどき車で買い物に連れて行ってくれます。 ・新型コロナの影響で社員パーティーが中止になったときは、会社が実習生全員に高価な「うな重」の出前をとってくれました。 ・JLPTの試験のときは、組合が会場まで車で送迎してくれます。 ・寮は2階建てで、寝室4つを実習生5人で使用。場所は会社のそば。 ・職場の上司がボーリングなどに連れて行ってくれることもあります。 会社が実習生のために開いてくれた食事会(左)、寮(右) ベトナム人仲間 ベトナム人仲間とテーマパークへ〈香川県〉 元社長は私たちが来日した後に組合(監理団体)を設立し、組合のパーティーや忘年会にいろいろな会社の実習生を招待してくれます。そのような場でベトナム人仲間が増え、さらにその友だちともつながって、休みの日にいろいろなところに一緒に遊びに行っています。また、高校時代の親友が隣の岡山県で技能実習をしているので、彼女と一緒に遊びにいくこともあります。 これまで、友だちと一緒に香川県の丸亀城やレオマワールド(テーマパーク)などに行きました。その中で一番好きなのは金刀比羅宮(ことひらぐう)です。将来は大阪や東京、北海道にも行ってみたいです。 external link 私の香川観光ブログ 私の家計簿(1か月の平均) ※100円=約19,900 VND(2022年3月6日現在) 収入: ¥125,000 手取り給与 ¥125,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は¥13,000、電気・ガス・水道代は¥5,000) *以前は ¥110,000→4年目に入って給料アップ 支出: ¥40,000 食材費 ¥20,000 外食費・雑費 ¥20,000 差額: ¥85,000 *ほとんどを母に送金 まとめ 私は3年間の技能実習(技能実習1号・2号)が終わり、2021年10月から技能実習3号に切り替えて引き続き日本で働いています。3号になって、給料が少し上がりました。あと2年間の実習が終わって帰国したら、故郷のナムディンかハノイで日本語を使う仕事をしたいと思っています。 今回の先輩 マイ・ティ・フォン・タインさん 2015年高校卒業〈ナムディン〉 2016年飲食店に2年間勤務〈ナムディン〉 2018年 送出機関で勉強〈ハノイ〉 2018年 講習後、清掃会社で技能実習〈香川県〉 <1997生まれ、ナムディン省出身> タインさんは技能実習(清掃)の3年間でJLPT・N2に合格しました。オンライン無料日本語教室を利用したほか、清掃現場まで車で移動する時間があるので、車内で日本人とたくさん話し、勉強で覚えた日本語を実際に使うことができました。 〈このページの内容〉 • 送出機関への支払いと3年間の送金 • 来日して3年でN2に合格! • ホテル清掃の仕事の内容 • 親切な社長と元社長 • ベトナム人仲間 • まとめ 送出機関への支払いと3年間の送金 私の父は2019年に亡くなり、母が飲食店で働いていますが、月給は3,000,000 VNDぐらいです。私は4人兄弟の末っ子で、高校を出てから地元のフォー店で約1年間働きましたが、給料は月4,000,000 VNDでした。 そのようなつつましい生活の中、いとこが技能実習で日本に行き、彼女の母(私のおば)の勧めで、私も技能実習に行くことにしました。家計を助けたいと思ったのです。いとこが使ったハノイの送出機関を私も使い、日本語を約6カ月間勉強してから日本に行きました。この送出機関には日本人の先生が2人いました。 external link 技能実習の費用と注意点 送出機関の先生と同級生たち ◆借金と仕送り 送出機関に支払ったお金 手数料と飛行機代 (*1) 178,200,000 ₫ 教育費など 10,000,000 ₫ 資金調達 親せきから借金 140,000,000 ₫ 親の貯金と自分の貯金 80,000,000 ₫ 3年間で両親に送ったお金 給料から送金(*2) 458,000,000 ₫ (*1)$7,800をドンに換算 (*2)¥2,300,000をドンに換算 いずれも2022年3月6日の為替レート 来日して3年でN2に合格! 私は2018年10月に来日し、2020年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格、2021年7月にN2に合格しました。 日本に来たばかりのとき、一番困ったことは言葉です。ベトナムで半年間勉強したのに、日本人の話すことがさっぱりわからず、「すみません。もう一度言ってください」の繰り返しでした。そこで、送出機関の先生にSNSで相談し、オンライン日本語教室のLotus Worksを紹介してもらいました。週に1、2回、日本人の先生がSkypeで文法や漢字などの授業をしてくれます。次の授業までに宿題をしなければならないので、毎日勉強するくせがつきました。 external link オンライン無料日本語教室 JLPTに合格した技能実習生のために元社長が開いてくれた食事会〈2021年〉 Lotus Worksの勉強以外にも日本語と触れる機会をつくりました。 毎日家で1、2時間勉強 ・使った教材:「耳から覚える」シリーズ(語彙)など ・Youtubeの学習チャンネル:Dũng Mori, Onomappu, Thao Le JP ・日本のアニメ:ヒアリングの練習に使う 職場で日本人とたくさん会話 ・毎日、会社から仕事場に向かう車内(往復40~120分)で日本人2、3人と会話 ・休憩時間も日本人と会話 清掃現場の一つ。現場でも現場に向かう車内でも日本人とたくさん会話。 ホテル清掃の仕事の内容 私の実習(仕事)の内容を紹介します。職場には私を含めて5人の技能実習生がいます。 ・7:20出社→朝礼→車で移動→清掃→車で帰社(勤務は8時間) ・清掃現場:ホテル、住宅、オフィス、店、老人ホーム ・床掃除(機械やモップを使う)、ワックスがけ、窓ふき、トイレ・風呂の掃除 ・日本人2、3人とベトナム人1人が組んで仕事をすることが多い ・休みは週1、2回 親切な社長と元社長 私たちの会社では、元社長とその奥さん(今の社長)が私たちの面倒をよくみてくれるので、快適に暮らしています。 ・元社長が技能実習生をときどき食事に連れて行ってくれます。 ・社長がときどき車で買い物に連れて行ってくれます。 ・新型コロナの影響で社員パーティーが中止になったときは、会社が実習生全員に高価な「うな重」の出前をとってくれました。 ・JLPTの試験のときは、組合が会場まで車で送迎してくれます。 ・寮は2階建てで、寝室4つを実習生5人で使用。場所は会社のそば。 ・職場の上司がボーリングなどに連れて行ってくれることもあります。 会社が実習生全員に「うな重」をご馳走〈2021年〉 会社が実習生のために開いてくれた食事会 寮 ベトナム人仲間 元社長は私たちが来日した後に組合(監理団体)を設立し、組合のパーティーや忘年会にいろいろな会社の実習生を招待してくれます。そのような場でベトナム人仲間が増え、さらにその友だちともつながって、休みの日にいろいろなところに一緒に遊びに行っています。また、高校時代の親友が隣の岡山県で技能実習をしているので、彼女と一緒に遊びにいくこともあります。 これまで、友だちと一緒に香川県の丸亀城やレオマワールド(テーマパーク)などに行きました。その中で一番好きなのは金刀比羅宮(ことひらぐう)です。将来は大阪や東京、北海道にも行ってみたいです。 external link 私の香川観光ブログ ベトナム人仲間とテーマパークへ〈香川県〉 私の家計簿(1か月の平均) ※100円=約19,900 VND(2022年3月6日現在) 収入: ¥125,000 手取り給与 ¥125,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は¥13,000、電気・ガス・水道代は¥5,000) *以前は ¥110,000→4年目に入って給料アップ 支出: ¥40,000 食材費 ¥20,000 外食費・雑費 ¥20,000 差額: ¥85,000 *ほとんどを母に送金 まとめ 私は3年間の技能実習(技能実習1号・2号)が終わり、2021年10月から技能実習3号に切り替えて引き続き日本で働いています。3号になって、給料が少し上がりました。あと2年間の実習が終わって帰国したら、故郷のナムディンかハノイで日本語を使う仕事をしたいと思っています。

    2022年03月21日

  • Vol.67 N2合格→無試験で大学合格

    今回の先輩 ト・ティ・タイン・ヴァンさん 2018年 高校卒業〈ホーチミン〉 2019年 日本語学校入学〈北海道〉 2020年 日本語能力試験N2合格 2021年 札幌学院大学入学〈北海道〉 〈2000年生まれ、ホーチミン市出身〉 ベトナムで14カ月間、日本語をしっかり勉強してから日本に留学したヴァンさん。来日して2年目でJLPT・N2に合格したため、大学に面接だけで入学できました。ヴァンさんの留学生活を紹介します。 〈このページの内容〉 • 留学前の日本語学習 • 来日後の日本語学習 • 親切な人たちに囲まれてアルバイト • N2合格→無試験で大学入学 • 留学の費用と家計簿 • ベトナム人コミュニティ • 北海道での暮らし • 落とした財布が戻ってきた! • トピックス <!-- --> 留学前の日本語学習 日本に向けて旅立つ前、空港で家族とお別れ〈2019年〉 日本語センターで14カ月間勉強 母の勧めで留学を決め、高校3年のときから14カ月間、ホーチミンの日本語センターで日本語能力試験(JLPT)N4レベルまで勉強しました。毎日、学校で7時間、自宅で3時間勉強しました。 北海道に決めた理由 東京の日本語学校に入ろうとしましたが、在留許可を取れなかったので、半年後に、北海道の日本語学校に入る前提で再トライしました。すると、在留資格を取れました。私と同じように東京の学校がだめだったので地方に変更するという人はたくさんいます。 来日後の日本語学習 自宅で漢字の勉強 私の来日後の日本語学習について紹介します。 ・来日(2019年4月)→N3合格(2020年12月)→N2合格(2021年12月) ・使った教材:みんなの日本語、「新完全マスター」シリーズ、「総まとめ」シリーズ、「耳から覚える」シリーズなど ・日本語学校でも大学でもなるべく日本語で会話(友人や先生と) ・新型コロナで登校する機会が減ったときは、YouTubeの日本語ニュースや日本語のアニメやドラマ(ベトナム語字幕付き)でも勉強 親切な人たちに囲まれてアルバイト カニ料理店 ・最初のアルバイト(1年間)。皿洗い。 ・学校からの紹介 ・時給は高いが、とても忙しかった。あまり日本語を話さない。 ・その後、居酒屋でも働いたが、帰宅が夜遅いので、2カ月で退職 スーパーマーケット ・おかずをパックに入れる仕事(1年間) ・先輩留学生からの紹介 ・平日は13:00~17:00、土日は7:00~16:00 ・会話が多く、日本語が上達した。 ・余ったおかずをもらえることもあった。 スーパーでは、若者は自分だけで、おじいさんやおばあさんの先輩の皆さんがとても親切にしてくれました。昼休みや休憩のときにご飯やお菓子を食べながらたくさん話をしました。私の誕生日にはケーキを買ってくれ、お祝いの歌も歌ってくれました。大学進学後は、自宅から遠くなったので退職しましたが、今でもおばあさん3、4人とLINEで連絡を取り合っています。 大学に入ってからは、食品工場で深夜勤務(週3回、21:00~6:00)をしました。時給は高かったのですが、勉強に支障があるのですぐにやめました。今はバインミー店で働いています。 N2合格→無試験で大学入学 大学の留学生仲間とキャンパス(右) 私が通っている札幌学院大学では日本留学試験(EJU)の日本語(400点満点)の得点が 200点以上かJLPT・N2なら、筆記の入学試験を免除されます。私はEJU194点でしたが、N2だったので、面接だけで大学に入れました。 日本語学校が開いたオンラインの大学説明会に地元の約10大学が参加しました。その中で、この大学は成績優秀者への授業料割引(奨学金)が充実していました。GPA2以上なら授業料30%引き、3以上なら75%引きです。 大学の授業はすべて日本語です。毎週課題があり、パソコンでレポートを作ります。漢字を選ぶのが難しく、辞書アプリで調べながらがんばっています。 external link 日本語の辞書アプリはどれがいい? 留学の費用と家計簿 日本語学校で 留学の最初にかかった費用 ・日本語学校の1年目の授業料や飛行機代など(約1,000,000円) ・日本語センターへの手数料(240,000,000 VND) ・両親が貯金から払った。 日本での授業料など ・日本語学校(年間):¥760,000 ・大学(年間):¥1,104,000-¥340,000=¥764,000(私の成績に応じて減額) ・今は節約生活。就職したら旅行をしたい。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学1年のときの家計簿 ※100円=約19,800 VND(2022年3月4日現在) 収入:¥80,000~¥90,000 アルバイト1件(飲食店) ¥80,000 支出:¥136,000 家賃(ワンルーム) ¥18,000 授業料(割引後) ¥67,000 電気・ガス・水道 ¥13,000 携帯電話(LINEモバイル) ¥3,000 Wi-Fi ¥4,000 健康保険 ¥4,000 食材費 ¥12,000 外食費・交通費・雑費 ¥15,000 毎月の差額:▲¥46,000~¥56,000 ※仕送りと夏休みなどに長く働いて補てん ベトナム人コミュニティ ベトナム人との交流は日本語学校の同級生が中心ですが、VYSA北海道の活動にも参加しています。最初は、2019年10月に札幌市内の公園で開かれた「ベトナムフェスティバルin 札幌」=写真=で、アオザイを着て踊ったりベトナム料理を売ったりしました。VYSAのFacebookを見て友人と一緒に申し込みました。準備や練習のために何度も集まり、打ち上げ会にも参加しました。 これをきっかけにVYSAのイベントによく参加しています。ベトナム人の友だちが増えますし、先輩留学生にいろいろなことを教えてもらえます。イベントのとき以外にも飲み会があります。 external link 在日ベトナム人学生青年協会(VYSA) 北海道での暮らし ときどき大雪の日があります スクーター 日本でスクーターの運転免許を取って乗っている友だちが東京や大阪に3、4人います。私もスクーター購入を検討しましたが、北海道では冬に路面が凍ってバイクに乗れないので、あきらめました。 留学生に自転車プレゼント 札幌市は留学生に自転車をプレゼントしてくれます。学校を通じて申請します。ただし、かぎはかけましょう。来日して1年目、自転車にかぎをかけずにアパートの前に置いていたら、夜に盗まれました。日本は安全な国ですが、最低限の注意は必要です! 落とした財布が戻ってきた! ある日、買い物帰りに地下鉄の駅で財布を落としました。帰宅して気付き、駅に戻って駅員さんに言うと、次の日に地下鉄から「財布が見つかりました」と電話がありました。駅で受け取り、中に入っていた現金20,000円や在留カードは無事でした! 日本で初めて一人暮らしを体験し、最初は苦労もありましたが、バイト先でおばあさんたちにやさしくしてもらったり、財布を落としても見つかったりして、日本が大好きになりました。日本人はやさしいですし、仕事にまじめにとりくみ、規則も守ります。卒業後もできるだけ長く日本で働きたいと思っています。 トピックス ハオハオ大好き 日本に来るときにインスタントラーメンのハオハオ60袋をスーツケースに入れて持ってきました。日本の税関で、「これは何に使うのですか」と英語で聞かれ、「自分で食べます」と答えました。どきどきしましたが、大丈夫でした。今は日本にベトナム食材店が増え、ハオハオも手に入りやすくなりました。 苦手な料理をがんばる 来日して初めて料理をするようになりました。よく作るのはチャーハンとインスタントラーメンです。そんな私に母はベトナムの調味料をよく送ってくれます(10㌔の箱=送料約2,000,000 VND)。まだ料理は苦手ですが、引き続きがんばります。 今回の先輩 ト・ティ・タイン・ヴァンさん 2018年 高校卒業〈ホーチミン〉 2019年 日本語学校入学〈北海道〉 2020年 日本語能力試験N2合格 2021年 札幌学院大学入学〈北海道〉 〈2000年生まれ、ホーチミン市出身〉 ベトナムで14カ月間、日本語をしっかり勉強してから日本に留学したヴァンさん。来日して2年目でJLPT・N2に合格したため、大学に面接だけで入学できました。ヴァンさんの留学生活を紹介します。 <!-- --> 〈このページの内容〉 • 留学前の日本語学習 • 来日後の日本語学習 • 親切な人たちに囲まれてアルバイト • N2合格→無試験で大学入学 • 留学の費用と家計簿 • ベトナム人コミュニティ • 北海道での暮らし • 落とした財布が戻ってきた! • トピックス 留学前の日本語学習 日本語センターで14カ月間勉強 母の勧めで留学を決め、高校3年のときから14カ月間、ホーチミンの日本語センターで日本語能力試験(JLPT)N4レベルまで勉強しました。毎日、学校で7時間、自宅で3時間勉強しました。 北海道に決めた理由 東京の日本語学校に入ろうとしましたが、在留許可を取れなかったので、半年後に、北海道の日本語学校に入る前提で再トライしました。すると、在留資格を取れました。私と同じように東京の学校がだめだったので地方に変更するという人はたくさんいます。 日本に向けて旅立つ前、空港で家族とお別れ〈2019年〉 来日後の日本語学習 私の来日後の日本語学習について紹介します。 ・来日(2019年4月)→N3合格(2020年12月)→N2合格(2021年12月) ・使った教材:みんなの日本語、「新完全マスター」シリーズ、「総まとめ」シリーズ、「耳から覚える」シリーズなど ・日本語学校でも大学でもなるべく日本語で会話(友人や先生と) ・新型コロナで登校する機会が減ったときは、YouTubeの日本語ニュースや日本語のアニメやドラマ(ベトナム語字幕付き)でも勉強 自宅で漢字の勉強 親切な人たちに囲まれてアルバイト カニ料理店 ・最初のアルバイト(1年間)。皿洗い。 ・学校からの紹介 ・時給は高いが、とても忙しかった。あまり日本語を話さない。 ・その後、居酒屋でも働いたが、帰宅が夜遅いので、2カ月で退職 スーパーマーケット ・おかずをパックに入れる仕事(1年間) ・先輩留学生からの紹介 ・平日は13:00~17:00、土日は7:00~16:00 ・会話が多く、日本語が上達した。 ・余ったおかずをもらえることもあった。 スーパーでは、若者は自分だけで、おじいさんやおばあさんの先輩の皆さんがとても親切にしてくれました。昼休みや休憩のときにご飯やお菓子を食べながらたくさん話をしました。私の誕生日にはケーキを買ってくれ、お祝いの歌も歌ってくれました。大学進学後は、自宅から遠くなったので退職しましたが、今でもおばあさん3、4人とLINEで連絡を取り合っています。 大学に入ってからは、食品工場で深夜勤務(週3回、21:00~6:00)をしました。時給は高かったのですが、勉強に支障があるのですぐにやめました。今はバインミー店で働いています。 N2合格→無試験で大学入学 私が通っている札幌学院大学は日本留学試験(EJU) 200点以上かJLPT・N2なら、筆記の入学試験を免除されます。私はEJU194点でしたが、N2だったので、面接だけで大学に入れました。 日本語学校が開いたオンラインの大学説明会に地元の約10大学が参加しました。その中で、この大学は成績優秀者への授業料割引(奨学金)が充実していました。GPA2以上なら授業料30%引き、3以上なら75%引きです。 大学の授業はすべて日本語です。毎週課題があり、パソコンでレポートを作ります。漢字を選ぶのが難しく、辞書アプリで調べながらがんばっています。 external link 日本語の辞書アプリはどれがいい? 大学の留学生仲間とキャンパス(右) 留学の費用と家計簿 留学の最初にかかった費用 ・日本語学校の1年目の授業料や飛行機代など(約1,000,000円) ・日本語センターへの手数料(240,000,000 VND) ・両親が貯金から払った。 日本での授業料など ・日本語学校(年間):¥760,000 ・大学(年間):¥1,104,000-¥340,000=¥764,000(私の成績に応じて減額) ・今は節約生活。就職したら旅行をしたい。 日本語学校で 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学1年のときの家計簿 ※100円=約19,800 VND(2022年3月4日現在) 収入:¥80,000~¥90,000 アルバイト1件(飲食店) ¥80,000 支出:¥136,000 家賃(ワンルーム) ¥18,000 授業料(割引後) ¥67,000 電気・ガス・水道 ¥13,000 携帯電話(LINEモバイル) ¥3,000 Wi-Fi ¥4,000 健康保険 ¥4,000 食材費 ¥12,000 外食費・交通費・雑費 ¥15,000 毎月の差額:▲¥46,000~¥56,000 ※仕送りと夏休みなどに長く働いて補てん ベトナム人コミュニティ ベトナム人との交流は日本語学校の同級生が中心ですが、VYSA北海道の活動にも参加しています。最初は、2019年10月に札幌市内の公園で開かれた「ベトナムフェスティバルin 札幌」=写真=で、アオザイを着て踊ったりベトナム料理を売ったりしました。VYSAのFacebookを見て友人と一緒に申し込みました。準備や練習のために何度も集まり、打ち上げ会にも参加しました。 これをきっかけにVYSAのイベントによく参加しています。ベトナム人の友だちが増えますし、先輩留学生にいろいろなことを教えてもらえます。イベントのとき以外にも飲み会があります。 external link 在日ベトナム人学生青年協会(VYSA) 北海道での暮らし スクーター 日本でスクーターの運転免許を取って乗っている友だちが東京や大阪に3、4人います。私もスクーター購入を検討しましたが、北海道では冬に路面が凍ってバイクに乗れないので、あきらめました。 留学生に自転車プレゼント 札幌市は留学生に自転車をプレゼントしてくれます。学校を通じて申請します。ただし、かぎはかけましょう。来日して1年目、自転車にかぎをかけずにアパートの前に置いていたら、夜に盗まれました。日本は安全な国ですが、最低限の注意は必要です! ときどき大雪の日があります 落とした財布が戻ってきた! ある日、買い物帰りに地下鉄の駅で財布を落としました。帰宅して気付き、駅に戻って駅員さんに言うと、次の日に地下鉄から「財布が見つかりました」と電話がありました。駅で受け取り、中に入っていた現金20,000円や在留カードは無事でした! 日本で初めて一人暮らしを体験し、最初は苦労もありましたが、バイト先でおばあさんたちにやさしくしてもらったり、財布を落としても見つかったりして、日本が大好きになりました。日本人はやさしいですし、仕事にまじめにとりくみ、規則も守ります。卒業後もできるだけ長く日本で働きたいと思っています。 トピックス ハオハオ大好き 日本に来るときにインスタントラーメンのハオハオ60袋をスーツケースに入れて持ってきました。日本の税関で、「これは何に使うのですか」と英語で聞かれ、「自分で食べます」と答えました。どきどきしましたが、大丈夫でした。今は日本にベトナム食材店が増え、ハオハオも手に入りやすくなりました。 苦手な料理をがんばる 来日して初めて料理をするようになりました。よく作るのはチャーハンとインスタントラーメンです。そんな私に母はベトナムの調味料をよく送ってくれます(10㌔の箱=送料約2,000,000 VND)。まだ料理は苦手ですが、引き続きがんばります。

    2022年03月18日

  • Vol. 66 留学と就職 / 大阪を選んで正解!

    今回の先輩  チャン・ティ・キュー・チンさん 2009年 高校卒業〈ドンナイ省〉 2009年 ホーチミン市外国語・技術情報大学入学 2013年 ホーチミン市外国語・技術情報大学卒業 2013年 衣料品販売会社入社〈ホーチミン〉 2015年 日系企業入社〈ホーチミン〉 2017年 アークアカデミー日本語学校入学(7月)〈大阪〉 2019年 エール学園入学(4月) 2019年 アカカベ入社(10月)〈大阪〉 〈1991年生まれ、ドンナイ省出身〉 チンさんは「東京より物価が安く、人情のある町で住みやすい」と聞いた大阪を留学先に選んで大正解だったと感じている。また、アルバイト先の人情豊かなおばさんたちから日本語を教えてもらい、日本語力がぐんぐん伸びた。チンさんの留学&就活体験記を紹介する。 〈このページの内容〉 • 会社をやめて留学の夢を実現 • 大阪を選んだ理由 • 日本語学校の選び方 • アルバイトで会話力向上 • 就職に強い「エール学園」 • 学園の就活プログラムを活用 • アカカベでの仕事 • 日本での生活 • ベトナムと日本を行き来したい 会社をやめて留学の夢を実現 勤務先の日系企業で〈2017年〉 私はいつか留学したいと思っていましたが、大学時代は資金もなく、就職してからは、交際していた彼(今の夫)が同意してくれなかったので、留学を実行に移せませんでした。そんな中、衣料品メーカーに2年間勤務後、日系企業(ミシンとプリンターのメーカー)に転職しました。日本語は片言だったので、私が同社で使う言葉は英語でした。大学の講義がすべて英語だったので、英語は得意だったのです。仕事内容はオンラインマーケティングや顧客管理などでした。そして、日本人社長が尊敬できる人だったこともあり、留学するなら日本に行きたいと思い始めていたころ、彼も留学に同意してくれたので、ついに留学を実行することになりました!そのころには、留学の資金もたまっていました。 大阪を選んだ理由 ハロウィンの夜〈大阪で2017年〉 留学センター(留学あっせん会社)は、先輩留学生(大学での友人)から「留学生の間で評判が高い」と紹介された「Yoko 日本語センター」を選びました。私は日本語は別の学校で学んだので、ここに支払ったのは留学手続きの費用だけで、合計8,775,000 VND(約42,300円)でした。センターでは約150校の日本語学校のリストを見せられました。私は東京にするか大阪にするか悩んでいましたが、スタッフの人が「東京は人が多すぎるし、物価も高い」として、大阪を勧めてくれました。勤務先の社長からも「大阪はホーチミンと雰囲気が似ていて住みやすい」と聞いていました。 その後、私は大阪に4年以上住んでいますが、大都会で公共交通が便利ですし、コンビニもスーパーもどこにでもあり、アルバイトもたくさんあります。また、大阪にはフレンドリーな人が多く、例えば、通行人に携帯電話の画面を見せて「ここに行きたいのですが」と尋ねると、たいていはとても親切に教えてくれます。一番大きな都市の方がいいと思って東京を選ぶ人も多いですが、大阪の住みやすさや人情は外国人にとって大変ありがたく、東京を選んだ友だちで「大阪にすればよかった」と悔やんでいる人が結構たくさんいます。 external link Yoko 日本語センター(ベトナム語) 日本語学校の選び方 アークのクラスメートたち〈2018年〉 日本語センターで「なるべくベトナム人が少ない日本語学校を紹介してください」とお願いし、「アークアカデミー日本語学校」を紹介されました。私は2017年7月に来日し、アークに入学しました。アークでは1クラス10~15人で、どのクラスにもベトナム人は1、2人だけでした。クラスメートの国籍はノルウェー、スペイン、韓国、インドネシア、台湾などで、授業以外でも日本語で会話するしかありません。当時の仲間とは今もLINE(日本語)で連絡を取り合っています。 アークの学校行事で日本文化体験〈2018年〉 初年度にアークに支払ったのは合計820,000円(約170,000,000 VND)で、内訳は選考料30,000円、入学金70,000円、授業料(1年)720,000円でした。アークでは欧米人の生徒が多く、彼らは要望を学校や教師にしっかり伝えるので、先生方の教え方や対応がとてもていねいでした。授業の中で特に良かったのはシャドーイングでした。 なお、来日前の7カ月間、仕事をしながら夜間に「ドンズー日本語学校」に通いました。週3回(1回1時間半)で7カ月間の授業料は6,000,000 VND(約28,900円)で、日本語能力試験(JLPT)のN5コースを終え、N4コースの途中まで学んでから来日しました。 external link アークアカデミー日本語学校・大阪校(日本語) アルバイトで会話力向上 ホテルで一緒に働いたおばさんや同僚たち〈2019年〉 私は初年度の留学費用はベトナムで貯めたお金で払い、2年目(日本語学校半年、専門学校半年)は、もともとの貯金と日本でのアルバイト収入で支払いました。アルバイトはホテルのレストランでの仕事で、勤務時間は主に6:00から12:00か13:00までで、たまに夜も働きました。一緒に働いた年配の女性たちがとても親切で、私が学校で習った言葉を職場で使って「今の使い方で合っていますか?」と聞くと、違っていれば細かく教えてくれました。授業で分からなかったことや生活で使う言葉も、彼女たちがいつも親切に教えてくれました。こうして、学校で習った日本語を実際の会話で使い、修正もしてもらえるので、日本語力がぐんぐん上がりました。 また、漢字の試験の直前には洗い場の担当をさせてもらい、自分で書いた漢字のメモを見ながら洗いものをしました。こうして、来日して1年半でJLPT・N2に合格しました。これから留学する皆さんも日本語を使えるアルバイトをぜひ見つけてくださいね! 就職に強い「エール学園」 エール学園での就活イベントの一例〈2019年〉 私は日本語学校を1年半で卒業し、アルバイト仲間から紹介された「エール学園」のデュアルビジネスコースに進みました。このコースは1年間だけで、就職にめっぽう強いのが特色です。私は日本語力に関する入試と面接に合格し、このコースに入ることができました。私は就職が早く決まってエール学園を半年で退学したので、学園に払ったのは入学金70,000円と半年の学費420,000円だけでした。 external link エール学園デュアルビジネスコース  学園の就活プログラムを活用 就活イベントに一緒に参加した同級生たち〈エール学園で2019年5月〉 入学の翌月の2019年5月、学園内で生徒16人と地元企業約20社が集うイベントがあり、私も参加しました。まず私たちが日本語で1分ずつ自己紹介をします。その後、企業の方々と名詞を交換し、その会社の事業や仕事内容をお聞きしたり、相手の質問に答えたりします。その中でドラッグストアを経営する株式会社アカカベの前田さんが私を気にかけてくださいました。そして、私は7月に3週間、アカカベでインターンシップをすることになりました。 インターンシップは1日6時間で週3回あり、エール学園の単位に組み込まれます。私はアカカベの店で商品を並べたり、レジを担当したり、外国人観光客向けの英語のポップを作ったりしました。そして、前田さんと会って食事をしたり会社の様子を聞いたりし、「当社はこれから海外事業を拡大するので、一緒に働いてほしい」と誘っていただきました。私は前田さんのお人柄とアカカベの海外事業の可能性に引かれ、ここでお世話になることに決めました。 アカカベでの仕事 アカカベのドラッグストア 私はエール学園を半年で出てアカカベに入社しました。当社は大阪府にドラッグストアと調剤薬局を計約90店展開しています。日本のドラッグストアは大型で、ベトナムの薬局と違って医薬品以外に化粧品や生活用品、飲食料品なども販売しています。私は当初は店での仕事が中心でしたが、入社半年後ぐらいから海外事業が中心になりました。入社直後の2019年10月、社長や前田さんと一緒にベトナムのダナンに出張し、現地企業と交流するイベントに参加しました。 その後、新型コロナの感染が始まり、2020年春に日本でマスクが極端に品薄になりました。当社はダナンで交流した会社と交渉し、同社からマスクを大量に購入しました。その際、私はマスクの仕様や契約内容などについて先方と交渉しました。

    2021年09月27日

  • Vol.65 食品加工会社に転職

    今回の先輩  グエン・ティ・リー さん 2016年 高校卒業〈ハイズオン省〉 2016年 送出機関登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→研修→農業の技能実習開始〈福岡県〉 2020年 技能実習修了、新型コロナの特例で仕事を継続 2021年 転職について支援団体に相談(3月)〈東京都〉 2021年 食品加工会社に転職(5月)〈岡山県〉 〈1998年生まれ、ハイズオン省出身〉 リーさんの技能実習先の農家では失踪者が続出。リーさんは失踪せず3年半働いたが、転職できることを知って組合に相談した。ところが、組合は「あなたはここでしか働けない」とウソの説明。組合が信用できないため、リーさんたちが頼った先は……。 岡三食品 〈このページの内容〉 • 送出機関に支払った費用 • 農業の技能実習 • 失踪続発 • 自由な有給休暇なし • 日本での生活と実家への送金 • 組合のサポートが欠如 • NPOの施設で合宿生活 • 日本にも親切な人がたくさん 送出機関に支払った費用 ハノイの街並み 私の両親は米や野菜を作っていますが、自給自足分だけで現金収入はありません。また、弟はまだ大学1年生です。私は送出機関で働いている親せきから技能実習制度を紹介され、家計を助けるために日本で働くことにしました。台湾も選べましたが、桜を見たかったのと、日本の方が経済が発展していると思い、日本に行くことにしました。 高校を卒業して3カ月後の2016年9月、ハノイの送出機関に登録。その直後に受けた最初の面接に合格して実習先が決まり、それから約9カ月間、送出機関の日本語センターで勉強しました。送出機関には手数料と授業料で計6,500 USDを支払いました。それ以外に寮費や準備費も必要だったので、約200,000,000 VND(約97万円)を銀行などから借りました。 ※100円=20,678 VND(2021年9月9日現在) 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関ごとに費用が違います。高い費用を払っても日本で高い給料をもらえるわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。そうすれば、費用を数千ドル安くできる場合があります。 external link こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 農業の技能実習 毎月、給料をもらったら、仲間数人で何か食べに行きました。 私は2016年6月に来日し、翌月から福岡県の農家(会社)で技能実習を始めました。栗、みかん、柿、梨、すもも、キーウイなどの苗木を栽培して他の農家に販売する会社で、日本人は社長と奥さん、息子さん、従業員3人の計6人でした。勤務時間は8:00~17:00(休憩含む)で、畑で雑草を刈ったり、殺虫剤散布を手伝ったりしました。ビニルハウスも3棟あり、ハノイでの面接では社長から「温室で働く仕事」だと説明を受けていましたが、実際には、温室で働いたのは数えるほどで、ほとんど畑での作業でした 失踪続発 仲間でバーベキューを楽しむこともありましが、失踪が続いて人数が減っていきました。 この農場の技能実習生はすべて女性で、最初は先輩5人、同期3人(私を含む)でした。しかし、先輩のうち3人は後に失踪し、私の1年後に来日した後輩3人のうち1人も約1年で帰国しました。最初に失踪したカンボジア人の先輩は、社長にスコップで頭をたたかれて大きなこぶができ、しばらくして失踪しました。 別の先輩が畑で熱中症のような状態になり、社長に「午後は休ませてください」とお願いしたところ、社長は「それだったら、1カ月間休みなさい」と言いました。1カ月も休むと給料がありません。このようなことがあったので、先輩も私たちも体調が悪くても休めず、無理して働くしかありませんでした。その後、ベトナム人の先輩2人も失踪しました。 寮の窓からの眺め 社長は短気で、すぐに怒鳴りました。来日して間もないころ、私は畑で社長から「スコップを持ってきてください」と言われました。しかし、来日前に「シャベル」という日本語は習いましたが、「スコップ」という言葉は教わらなかったので、すぐには返事ができませんでした。すると、社長は大きな声で怒鳴り始めました。そして、仕事の途中だったのに、私は社長が運転する車で事務所に連れて帰られました。社長は車内でも怒鳴り続け、「しばらく仕事を休んで日本語を勉強しなさい!」と私に言いました。私はそれを聞いて泣きました。そして、約2週間仕事に行けず、寮で1人で日本語の勉強をしました。 自由な有給休暇なし 日本では、勤務開始から6カ月経つと、10日間の有給休暇を取る権利を得られます。その後、さらに1年経つごとに11日間、12日間の有給休暇を追加で得られます。有給休暇は自分の好きな日を申請し、会社は申請を認めるか代わりの日を提案しなければなりません。私たちは年末年始とお盆に連休をもらいましたが、自分の好きな日に休めることは教えられていませんでした。そして、会社は雨で畑仕事が出来ない日に私たちを休ませ、その日を有給休暇扱いにしていました。 私は技能実習の3年間を修了し、新型コロナの特例で引き続きこの会社で働いていましたが、転職できることを知って他社の面接を受けようとしました。しかし、会社が休ませてくれないので、面接を受けられません。そのときに技能実習制度に詳しいベトナム人に相談し、本当は好きな日に有給休暇を申請できることを知りました。 日本での生活と実家への送金 年に一度の社員旅行〈2020年〉 問題の多い会社でしたが、私たちを1年に1回、1泊2日で長崎や熊本に旅行に連れて行ってくれました。ただし、自分で遊びに行くには社長の奥さんの許可が必要で、新型コロナのこともあり、自由旅行は一度もできませんでした。仕事がハードなので、休日は疲れてよく眠ったこともあまり外出しなかった原因です。仕事と買い物以外は、寮で過ごすことがほとんどでした。 その分、お金を使わずに済んだので、私は3年間で約250万円(約517,000,000 VND)を実家に送ることができました。そのお金で私の来日時の借金も実家にもともとあった借金(家の建築費用)も完済することができました。今は弟の学費と家族の生活費のために送金しています。ただし、季節によって仕事量や収入が違いました。冬は残業がたくさんあって、手取り給料が約160,000円の月もありました。一方、6~8月は手取り給料が75,000円~80,000円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=20,678 VND(2021年9月9日現在) 手取り給料(平均75,000~160,000円) 手取り給料 75,000~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※差引額のうち寮費15,000円、水道・光熱費5,000円、Wi-Fi 1,000円 支出(平均 25,000円) 食費 20,000円  ※自炊 雑費 5,000円  ※生活雑貨など 差額・貯金(50,000~130,000円) 組合のサポートが欠如 私たちは監理団体(組合)のサポートをほとんど受けられませんでした。組合の担当者(日本人)が私たちに会うのは技能試験の直前など年に1、2回だけで、通訳も連れてきません。そのときに「社長が厳し過ぎます」と訴えても取り合わず、「がんばってください」と言うのみでした。また、組合の通訳と実習生たちが連絡を取り合うLINEやメッセンジャーのグループもありませんでした。そこで、組合に連絡を取るには社長の奥さんに頼むしかありませんでした。 組合の代わりにサポートしてくれたNPOの吉水代表(右端)。左端が私。 来日して3年半経っても給料が上がらないので、私と同僚は2021年2月、社長や奥さんに「他社に転職したいです。組合と相談させてください」と告げました。社長は机をたたいて怒り、その日から私たちを無視するようになりました。私たちはFacebookで見た求人情報に連絡を取り、オンラインで一次面接を受けて合格しましたが、二次面接は対面なので、会社を休まなければなりません。私たちは奥さんに「転職の面接を受けたいので、明日、2時間だけ有給を取りたい」とお願いしましたが、「休みたいなら1週間前に言いなさい」と断られました。 このようなことが3回ぐらい続き、私たちは奥さんに何度も頼んで組合に来てもらい、2021年3月、社長、奥さん、組合担当者2人と転職について話し合いました。通訳も途中から電話で参加しました。私たちはその2日前からNPO法人「日越ともいき支援会」に相談し、転職する方法を理解していたので、組合担当者に転職手続きのサポートを依頼しました。しかし、担当者は「あなたたちのビザ(在留資格)では他社では働けない。そのNPOの人は悪い人で、あなたたちはだまされている」とウソをつきました。私たちは「組合がサポートしてくれないのなら、NPOに依頼します」と伝えました。 NPOの施設で合宿生活

    2021年09月17日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.