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ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...
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【在ベトナム日本国大使館後援】
今回の先輩 ホアン・ティ・フエさん 2015年ミーロック高校卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在)) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 毎日勉強しN3合格 ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works 楽しかった日本生活 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 今回の先輩 Hoàng Thị Huệ(ホアン・ティ・フエ)さん 2015年Trường THPT Mỹ Lộc(ミーロック高校)卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 毎日勉強しN3合格 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 楽しかった日本生活 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉
2021年03月02日
今回の先輩 グエン・ティエン・タムさん 2009年高校卒業〈タイビン県〉 2009年農業〈ダクノン県〉 2010年徴兵(3年) 2012年農業〈ダクノン県〉 2014年大学入学〈ハノイ〉 2017年日本語センターで学習〈ハノイ〉 2017年日本語学校入学 /10月〈仙台市〉 2019年専門学校入学〈仙台市〉 2020年SGモータース就職内定(2021年4月から正社員) 〈1991年生まれ、タイビン省出身〉 日本で国際ボランティア団体などに参加し、日本語でたくさんの交流を重ねてきた留学生・タムさん。交流を通じて日本語も上達し、人脈も広がり、日本での就職もすんなり決まった。 〈このページの内容〉 • 社会人になってから日本留学 • 留学の費用 • 日本語学校から専門学校へ • アルバイト先の工場に就職内定 • ベトナム人コミュニティ • 国際交流 • 普段の生活と生活費 • 後輩へのアドバイス 社会人になってから日本留学 私の両親は私が10歳のときからダクノン省でコーヒーとコショウを栽培しており、年収は約400,000,000ドン(約183万円)です。私は弟や祖父母と生まれ故郷のタイビン省で育ち、高校卒業後は、徴兵に応じたり両親や親せきの農園を手伝ったりしたほか、大学にも行きましたが、中退しました。そんなある日、母が私の将来を考えて日本留学を勧めてくれたので、日本に行くことにしました。 こうして私は26歳のときにハノイの留学あっせん会社に依頼し、仙台の日本語学校を紹介してもらいました。ハノイでの日本語学習は4カ月間だけで、訪日直後は、日本人の話すことをほとんど理解できませんでした。 留学の費用 日本語学校で〈2019年3月〉 留学あっせん会社には計100,000,000ドン(約46万円)を払いました。ここには、授業料やキャンプ参加費、在留資格申請費、寮費、日本への飛行機代などが含まれています。また、在留資格を取得後、仙台の日本語学校の授業料1年分(約60万円=約132,000,000ドン)を追加で支払いました。 3年半の留学のために両親から出してもらった費用は全部で約600,000,000ドン(約275万円)で、私は日本で就職してから返すつもりです。 ※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 日本語学校を卒業して専門学校へ 自動車整備の専門学校 私は2017年10月に訪日し、日本語学校に1年半通い、2019年4月に自動車整備の勉強をするために同じ仙台市内の専門学校に入りました。専門学校は2年間で、入学金12万円、1年分の授業料は72万円です。卒業前に自動車整備士(2級)の国家試験があるので、現在、受験勉強を続けています。 アルバイト先の会社に就職内定 SGモータースでの休憩時間〈2018年〉 自動車整備士になることを決めたのは、仙台の自動車整備工場でアルバイトして、この仕事が気に入ったからです。アルバイト先は、ハノイの留学あっせん会社の幹部が紹介してくれた「SGモータース仙台店」です。幹部も仙台で留学経験があり、同店にコネがあったのです。 ハノイでの同期生は十数人ですが、日本語の成績の良かった私を含む4人だけが訪日前にSGモータースを紹介してもらえました。そのときに、幹部から「アルバイト先でまじめにやれば、卒業後に正社員になれる可能性がある」と聞かされていました。 バイト先へ仲間と自転車通勤〈2018年〉 SGモータースでは、自動車修理や整備の準備作業や掃除などを担当しています。国家資格を取得すれば、私も整備を担当できるようになります。勤務は月~金曜の18:00から5時間。夏休みでも勤務時間を増やしてもらえないのが残念ですが、お金は正社員になってから稼げばいいと考えています。 私と一緒にここで働いていた同期3人のうち2人はベトナムで大学を出ているので2020年4月に先に正社員になりました。私も2020年3月に試験と面接を受けて内定をいただきました。日本各地に工場を持つ会社なので、東京から来た面接官の面接を受けましたが、面接の日本語も問題なくこなせました。 ベトナム人コミュニティ 左:VYSAが協力した国際交流イベント〈宮城県で2018年〉, 右:VYSAの仲間数人で福島県にドライブ〈2018年〉 私は日本で様々な活動に参加しました。それによって仲間も増え、日本語の実践練習にもなりました。外国語は実生活で使うと格段に上達しますし、生活も充実します。ベトナム人コミュニティと国際交流に分けて紹介します。 【VYSA】 在日ベトナム学生青年協会。各地に支部があり、私はFacebookでVYSA仙台を知りました。仲の良かったリーダーが就職して東京に行ってからはあまり参加していませんが、以前は、イベントを手伝ったり、メンバーで旅行に行ったりしました。 Sen TVA主催のテトのイベント〈仙台市で2020年〉 【Sen TVA】 在仙台ベトナム人協会。日本各地のベトナム人協会の中でも特に活発に活動している団体です。私も以前、テト(旧正月)のイベントなどに参加しました。 これ以外に、ハノイの日本語センターの同期や日本の日本語学校、専門学校の仲間とも食事会をしたり、観光を楽しんだりしています。 国際交流 「心の港」のオフィスで食事会。共通言語は日本語か英語〈仙台市内で2018年〉 訪日直後は、日本人の話す言葉がほとんど分かりませんでしたが、国際交流活動で多くの日本人と知り合い、日本語力が上がりました。また、日本人の友だちができると、自分や友人が困っているときに相談に乗ってもらえるようになりました。 【Sing for Joy / 心の港】 2018年に仙台にできたカトリックのボランティア団体で、ベトナム人、カナダ人、フィリピン人、インドネシア人、日本人など約50人が参加しています。毎月1、2回、十数人で老人ホームに出向き、お年寄りと交流したり歌を歌ったりします。毎週水曜にミーティングがあり、菓子をたべながら英語や日本語で話し合います。カトリックの別のボランティア国際グループ「心の港」にも参加しています。 ベトアジで知り合った日本人たちと今も交流〈別の料理教室で2020年〉 【ベトアジなど】 ベトアジは「ベトナムの味」という意味で、日本各地にあるチャリティー・ベトナム料理教室です。スタッフが様々な国籍の参加者にベトナム料理を教えます。私はここで出会った日本人とも友だちになり、交流しています。 また、SGモータースでも休憩時間に日本人も含めて数人でおしゃべりをします。このように、生活の様々な場面で日本語での交流を重ね、日本語が上達しました。日本に来る前は、日本語がこんなに話せるようになるとは思っていませんでした。 普段の生活と生活費 私の部屋と近所の川原で採取した食用の草 私は歌うのが好きで、休日には歌の練習をしています。ベトナム語のポップやロック、バラードのほか、日本語の歌も少し歌います。アパートから専門学校までは自転車で約30分。学校が終わると、いったん帰宅して夕飯を食べ、再び自転車で約20分かけてSGモータースに行きます。 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校1年目の家計簿※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 収入(合計75,000円~85,000円) アルバイト1件 75,000 円~85,000円 支出(合計70,000円) 家賃 29,500円 ※水道代2,500円(固定)を含む ※一人暮らし(ワンルーム) 光熱費 3,000円 ※電気・ガスの合計 携帯電話 3,200円 ※インターネット+通話 食費 20,000円 ※自炊 雑費 15,000円 ※食事会、友人の誕生日など 差額・貯金(10,000円) 貯金 10,000円 ※これ以外に授業料720,000円(1年分)は両親が負担 仙台市郊外の港 専門学校の近くで 後輩へのアドバイス 左:仙台駅 , 右:仙台市内の商店街 私は日本で正社員になったら、両親にお金を送り、もっと旅行もするつもりです。そして、ベトナムでもこれから乗用車が増えていくので、いつか、ベトナムで自分の自動車整備工場を開くのが夢です。 留学生にとってお金は生命線ですが、アルバイトだけで授業料と生活費の両方をまかなうのは困難です。東北など授業料や家賃の安い地方都市に住んで、部屋もシェアすれば、授業料も含めて毎月10万円前後で生活できる可能性もあります。しかし、東京だと、アルバイトの時給も高いですが、授業料や家賃も高いので、かなり苦しいのではないでしょうか。 私のように就職してから返済する計画なら、学生時代にいろいろな体験をできて財産になります。これから日本に留学する人には様々な活動に参加していただければ幸いです。そうすれば、日本に早くなじみ、日本語のレベルも上がると思います。 今回の先輩 Nguyễn Tiến Tâm(グエン・ティエン・タム)さん 2009年高校卒業〈タイビン〉 2009年農業〈ダクノン〉 2010年徴兵(3年) 2012年農業〈ダクノン〉 2014年大学入学〈ハノイ〉 2017年日本語センターで学習〈ハノイ〉 2017年日本語学校入学 /10月〈仙台〉 2019年専門学校入学〈仙台〉 2020年SGモータース就職内定(2021年4月から正社員) 〈1991年生まれ、タイビン省出身〉 日本で国際ボランティア団体などに参加し、日本語でたくさんの交流を重ねてきた留学生・タムさん。交流を通じて日本語も上達し、人脈も広がり、日本での就職もすんなり決まった。 〈このページの内容〉 • 社会人になってから日本留学 • 留学の費用 • 日本語学校から専門学校へ • アルバイト先の工場に就職内定 • ベトナム人コミュニティ • 国際交流 • 普段の生活と生活費 • 後輩へのアドバイス 社会人になってから日本留学 私の両親は私が10歳のときからダクノン省でコーヒーとコショウを栽培しており、年収は約400,000,000ドン(約183万円)です。私は弟や祖父母と生まれ故郷のタイビン省で育ち、高校卒業後は、徴兵に応じたり両親や親せきの農園を手伝ったりしたほか、大学にも行きましたが、中退しました。そんなある日、母が私の将来を考えて日本留学を勧めてくれたので、日本に行くことにしました。 こうして私は26歳のときにハノイの留学あっせん会社に依頼し、仙台の日本語学校を紹介してもらいました。ハノイでの日本語学習は4カ月間だけで、訪日直後は、日本人の話すことをほとんど理解できませんでした。 留学の費用 留学あっせん会社には計100,000,000ドン(約46万円)を払いました。ここには、授業料やキャンプ参加費、在留資格申請費、寮費、日本への飛行機代などが含まれています。また、在留資格を取得後、仙台の日本語学校の授業料1年分(約60万円=約132,000,000ドン)を追加で支払いました。 3年半の留学のために両親から出してもらった費用は全部で約600,000,000ドン(約275万円)で、私は日本で就職してから返すつもりです。 ※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 日本語学校で〈2019年3月〉 日本語学校を卒業して専門学校へ 私は2017年10月に訪日し、日本語学校に1年半通い、2019年4月に自動車整備の勉強をするために同じ仙台市内の専門学校に入りました。専門学校は2年間で、入学金12万円、1年分の授業料は72万円です。卒業前に自動車整備士(2級)の国家試験があるので、現在、受験勉強を続けています。 自動車整備の専門学校 アルバイト先の会社に就職内定 自動車整備士になることを決めたのは、仙台の自動車整備工場でアルバイトして、この仕事が気に入ったからです。アルバイト先は、ハノイの留学あっせん会社の幹部が紹介してくれた「SGモータース仙台店」です。幹部も仙台で留学経験があり、同店にコネがあったのです。 ハノイでの同期生は十数人ですが、日本語の成績の良かった私を含む4人だけが訪日前にSGモータースを紹介してもらえました。そのときに、幹部から「アルバイト先でまじめにやれば、卒業後に正社員になれる可能性がある」と聞かされていました。 SGモータースでの休憩時間〈2018年〉 SGモータースでは、自動車修理や整備の準備作業や掃除などを担当しています。国家資格を取得すれば、私も整備を担当できるようになります。勤務は月~金曜の18:00から5時間。夏休みでも勤務時間を増やしてもらえないのが残念ですが、お金は正社員になってから稼げばいいと考えています。 私と一緒にここで働いていた同期3人のうち2人はベトナムで大学を出ているので2020年4月に先に正社員になりました。私も2020年3月に試験と面接を受けて内定をいただきました。日本各地に工場を持つ会社なので、東京から来た面接官の面接を受けましたが、面接の日本語も問題なくこなせました。 バイト先へ仲間と自転車通勤〈2018年〉 ベトナム人コミュニティ 私は日本で様々な活動に参加しました。それによって仲間も増え、日本語の実践練習にもなりました。外国語は実生活で使うと格段に上達しますし、生活も充実します。ベトナム人コミュニティと国際交流に分けて紹介します。 【VYSA】 在日ベトナム学生青年協会。各地に支部があり、私はFacebookでVYSA仙台を知りました。仲の良かったリーダーが就職して東京に行ってからはあまり参加していませんが、以前は、イベントを手伝ったり、メンバーで旅行に行ったりしました。 左:VYSAが協力した国際交流イベント〈宮城県で2018年〉, 右:VYSAの仲間数人で福島県にドライブ〈2018年〉 【Sen TVA】 在仙台ベトナム人協会。日本各地のベトナム人協会の中でも特に活発に活動している団体です。私も以前、テト(旧正月)のイベントなどに参加しました。 これ以外に、ハノイの日本語センターの同期や日本の日本語学校、専門学校の仲間とも食事会をしたり、観光を楽しんだりしています。 Sen TVA主催のテトのイベント〈仙台市で2020年〉 国際交流 訪日直後は、日本人の話す言葉がほとんど分かりませんでしたが、国際交流活動で多くの日本人と知り合い、日本語力が上がりました。また、日本人の友だちができると、自分や友人が困っているときに相談に乗ってもらえるようになりました。 【Sing for Joy / 心の港】 2018年に仙台にできたカトリックのボランティア団体で、ベトナム人、カナダ人、フィリピン人、インドネシア人、日本人など約50人が参加しています。毎月1、2回、十数人で老人ホームに出向き、お年寄りと交流したり歌を歌ったりします。毎週水曜にミーティングがあり、菓子をたべながら英語や日本語で話し合います。カトリックの別のボランティア国際グループ「心の港」にも参加しています。 「心の港」のオフィスで食事会。共通言語は日本語か英語〈仙台市内で2018年〉 【ベトアジなど】 ベトアジは「ベトナムの味」という意味で、日本各地にあるチャリティー・ベトナム料理教室です。スタッフが様々な国籍の参加者にベトナム料理を教えます。私はここで出会った日本人とも友だちになり、交流しています。 また、SGモータースでも休憩時間に日本人も含めて数人でおしゃべりをします。このように、生活の様々な場面で日本語での交流を重ね、日本語が上達しました。日本に来る前は、日本語がこんなに話せるようになるとは思っていませんでした。 ベトアジで知り合った日本人たちと今も交流〈別の料理教室で2020年〉 普段の生活と生活費 私は歌うのが好きで、休日には歌の練習をしています。ベトナム語のポップやロック、バラードのほか、日本語の歌も少し歌います。アパートから専門学校までは自転車で約30分。学校が終わると、いったん帰宅して夕飯を食べ、再び自転車で約20分かけてSGモータースに行きます。 私の部屋と近所の川原で採取した食用の草 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校1年目の家計簿 ※100円=21,910 VND(2021年2月15日現在) 収入(合計75,000円~85,000円) アルバイト1件 75,000 円~85,000円 支出(合計70,000円) 家賃 29,500円 ※水道代2,500円(固定)を含む ※一人暮らし(ワンルーム) 光熱費 3,000円 ※電気・ガスの合計 携帯電話 3,200円 ※インターネット+通話 食費 20,000円 ※自炊 雑費 15,000円 ※食事会、友人の誕生日など 差額・貯金(10,000円) 貯金 10,000円 ※これ以外に授業料720,000円(1年分)は両親が負担 仙台市郊外の港 専門学校の近くで 後輩へのアドバイス 私は日本で正社員になったら、両親にお金を送り、もっと旅行もするつもりです。そして、ベトナムでもこれから乗用車が増えていくので、いつか、ベトナムで自分の自動車整備工場を開くのが夢です。 留学生にとってお金は生命線ですが、アルバイトだけで授業料と生活費の両方をまかなうのは困難です。東北など授業料や家賃の安い地方都市に住んで、部屋もシェアすれば、授業料も含めて毎月10万円前後で生活できる可能性もあります。しかし、東京だと、アルバイトの時給も高いですが、授業料や家賃も高いので、かなり苦しいのではないでしょうか。 私のように就職してから返済する計画なら、学生時代にいろいろな体験をできて財産になります。これから日本に留学する人には様々な活動に参加していただければ幸いです。そうすれば、日本に早くなじみ、日本語のレベルも上がると思います。 左:仙台駅 , 右:仙台市内の商店街
2021年02月26日
今回の先輩 レ・ティ・シムさん 2005年チャンフンダオ高校卒業〈ハイフォン市〉 2009年ホアビン社勤務〈ハイフォン市〉 2011年結婚 2012年退職、長女出産 2014年長男出産 2017年送出機関登録 2018年訪日→講習→技能実習〈福島県〉 〈1987年生まれ、ハイフォン出身〉 山の中の寮から買い物先のスーパーまで車で1時間近くかかるのに、会社が連れて行ってくれるのは月に1度だけ。休日も毎月4、5日間だけで、GWも夏休みも正月休みもなし。悪条件の技能実習体験を紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日の理由と送出機関 • 山の中にある古い寮 • 鶏舎の環境 • スーパーまで30㌔ • 連休がない • 子どものために耐える母親たち • 子どもたちに毎日電話 • 日本語学習 • 日本での生活費と送金 訪日の理由と送出機関 送出機関で年下の仲間たちと一緒に日本語を勉強〈2018年1月〉 私は大学を卒業後、肥料や種子などを製造する会社で3年間働きましたが、出産前に退職し、その後は家事・子育てをしていました。夫の給料は平均以上ですが、私は子どもたちによい教育を受けさせたいのと、起業するための資金を貯めたいので日本に行くことにしました。現在、私の実家に両親と私の家族3人、妹家族3人の計8人が住み、私だけが日本にいます。 私は、日本で先に技能実習をした大学の同級生から、彼女が使ったハノイの送出機関を紹介してもらいました。紹介料はありません。費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて6,000ドルでした。このうち5,000ドルは別の友人から借り、訪日後1年間で返済しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・下記の記事を参考に、知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 山の中にある古い寮 私たちの寮の風呂〈2020年11月〉 私は2018年6月に訪日し、福島県の養鶏場で技能実習をしています。この養鶏場は全国組織で、福島県だけで9カ所に分かれて24人のベトナム人技能実習生が働いています。日本の監理団体の担当者(年配の男性)は毎月1回、私たちの職場や寮に来ますが、通訳は連れてきません。簡単な話しかできないので、この人を通じて会社にお願いし扇風機を買ってもらったことがあるぐらいです。技能実習生の寮は複数あり、新しい寮にはエアコンがありますが、私たちの寮はとても古く、エアコンもなく、お風呂もとても汚いです。 私たちの住む寮〈2020年11月〉 また、私は野菜栽培が好きなので、当初、寮の前で空心菜やトマト、ジャガイモなどを育てましたが、すべてイノシシに食べられてしまいました。無事だったのはカボチャぐらいなので、最近はカボチャだけを育てています。周囲にはイノシシやヘビがたくさんいますし、街灯もほとんどないので、夜は恐くて外に出られません。 鶏舎の環境 私たちの職場〈2020年〉 ニワトリにエサをあげたり病気の予防薬を投与したり、卵を拾って選別し箱に入れたりするのが私たちの主な仕事です。鶏舎内の掃除もします。鶏舎はにおいがきついうえ、冷暖房がなく、冬は寒く夏はとても暑いです。また、羽やチップなどでほこりがひどく、帽子やマスクを着けていても、覆いきれない部分が汚れて真っ黒になります。このため、仕事が終わって帰宅したら、まずは順番にシャワーを浴びます。 スーパーまで30㌔ スーパーでの買い物は月に1回だけ 私たちの職場や寮は山の中腹にあります。寮から一番近い商店はガソリンスタンドに併設された小さな売店ですが、そこまで約3・5㌔もあります。同僚と一緒に2、3度この店まで歩いて行ったことがありますが、往復約2時間かかりました。しかし、帰りはずっと上り坂なので自転車では行けません。また、街灯がほとんどないので、夕方以降は出歩けません。 スーパーマーケットのある市街地までは約30㌔もあり、車で1時間近くかかります。職場のおじいさん、おばあさんが私たちを乗用車で市街地に連れて行ってくれますが、一度に乗れるのは5人までで、順番が回ってくるのは月に1度だけです。朝9時に寮を出てショッピングモールなどを3、4軒回り、夕方5時に帰宅します。1カ月分の食料と日用品を買うので、すごい量の荷物になります。 連休がない 養鶏場からの風景。山から出られるのは月に1度だけ〈2020年11月〉 このように辺ぴな場所に住んでいるうえ、毎月4日間しか休みがないので、遊びに行くことがまったくできません。日本に来て2年半以上経ちましたが、外出は月1回の買い物だけで、観光地や娯楽施設に遊びに行ったことは一度もありません。 残業がなく、代わりに毎月4~5日間の休日出勤があるため、連休がありません。ゴールデンウイークや夏休みや正月休みもなく、単発の有給休暇がたまにつくだけです。日本にいる間に一度ぐらい、観光地に遊びに行きたいものです。 【編集部からのアドバイス】 ・このような不便な場所に住ませながら、会社が月1回しか買い物に連れて行かず、社員旅行に連れていくなどの配慮もしないのは、非常に条件の悪い事例です。このような実習先を避けるためにも、よい送出機関を選びましょう。下記の記事では送出機関の選び方も詳しく説明しています。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 ・半年以上勤務した技能実習生は1年に10~12日間の有給休暇をもらえます。有給休暇を十分にもらえない場合は、監理団体に相談しましょう。それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ・万一、OTITに相談しても解決しない場合は、次のような民間の相談機関もあります。 日越ともいき支援会 外国人実習生支援(Facebook) 子どものために耐える母親たち 山奥の冷暖房のない職場だとは知らずに応募しました このように条件の悪い職場ですが、この仕事に応募した理由は次の通りです。 ・早く日本に行きたいので、受かりそうな求人に応募した。30代の子持ちだと、人気のある職種には採用されにくいと思った。 ・送出機関の説明が不十分で、職場環境や寮の内容、休日の少なさがよく分からなかった。 今の生活はとても不便で労働環境も劣悪です。しかし、実習仲間のほとんどが母親で、子どもによい教育を受けさせたいという一心で、皆がまんして働いています。 子どもたちに毎日電話 長女と長男〈ハイフォンで2017年10月〉 私は長女(小3)や長男(小1)と毎晩約1時間、ビデオ電話で話をします。仕事の苦労や生活の不便はありますが、子どもたちの笑顔を見ると、もっと頑張ろうという気持ちになります。同僚仲間も皆、私と同じように子どもたちに毎日電話をしています。ただ、2年以上も子どもたちと会えずに過ごすのはとてもつらいです。娘も息子も電話のたびに「お母さんに会いたい」「お母さん早く帰ってきて」と私に言います。私も子どもたちに会いたくて仕方ありません。 日本語学習 Skypeで日本人先生と会話〈2020年11月〉 寮では毎晩約2時間、日本語の勉強をしています。休日も出かけることがほとんどないので、日本語を身に付けて将来の仕事の幅を広げたいと思って努力しています。教材は定番の「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える」シリーズなどです また、職場で日本人と会話をすることもあまりないので、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(教材編) Lotus Works 日本での生活費と送金 娘と一緒に〈ハイフォンで2015年6月〉 今の職場でよかった点は、新型コロナの感染拡大後も仕事が減らず、安定した給料をもらえたことです。毎月26~27日間働き、3カ月に一度、実家に平均30万円を送金します。3年間の仕送り総額は300万円を超えそうです。遊びにいけないので、お金を使う機会がないという理由もあります。 実家に送ったお金から家族の生活費や教育費、友人への借金返済費などを引いても半分ぐらい残るので、そのお金で将来、肥料や種子などを販売する会社を設立したいと思っています。今の養鶏場には、技能実習を5年やる先輩や技能実習修了後に特定技能に移行した先輩もいますが、私は子どもたちが小さいので3年で帰国するつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) 100円=22,449 VND(2021年1月6日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※雑貨、医薬品など 差額・貯金(平均100,000円) 貯金 平均100,000円 ある日の買い物。1度の買い物でスーパーを3、4軒回ります。〈2020年〉 今回の先輩 Lê Thị Xim (レ・ティ・シム)さん 2005年Trần Hưng Đạo高校卒業〈ハイフォン〉 2009年Hoà Bình社勤務〈ハイフォン〉 2011年結婚 2012年退職、長女出産 2014年長男出産 2017年送出機関登録 2018年訪日→講習→技能実習〈福島〉 〈1987年生まれ、ハイフォン出身〉 山の中の寮から買い物先のスーパーまで車で1時間近くかかるのに、会社が連れて行ってくれるのは月に1度だけ。休日も毎月4、5日間だけで、GWも夏休みも正月休みもなし。悪条件の技能実習体験を紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日の理由と送出機関 • 山の中にある古い寮 • 鶏舎の環境 • スーパーまで30㌔ • 連休がない • 子どものために耐える母親たち • 子どもたちに毎日電話 • 日本語学習 • 日本での生活費と送金 訪日の理由と送出機関 私は大学を卒業後、肥料や種子などを製造する会社で3年間働きましたが、出産前に退職し、その後は家事・子育てをしていました。夫の給料は平均以上ですが、私は子どもたちによい教育を受けさせたいのと、起業するための資金を貯めたいので日本に行くことにしました。現在、私の実家に両親と私の家族3人、妹家族3人の計8人が住み、私だけが日本にいます。 私は、日本で先に技能実習をした大学の同級生から、彼女が使ったハノイの送出機関を紹介してもらいました。紹介料はありません。費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて6,000ドルでした。このうち5,000ドルは別の友人から借り、訪日後1年間で返済しました。 送出機関で年下の仲間たちと一緒に日本語を勉強〈2018年1月〉 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・下記の記事を参考に、知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 山の中にある古い寮 私は2018年6月に訪日し、福島県の養鶏場で技能実習をしています。この養鶏場は全国組織で、福島県だけで9カ所に分かれて24人のベトナム人技能実習生が働いています。日本の監理団体の担当者(年配の男性)は毎月1回、私たちの職場や寮に来ますが、通訳は連れてきません。簡単な話しかできないので、この人を通じて会社にお願いし扇風機を買ってもらったことがあるぐらいです。技能実習生の寮は複数あり、新しい寮にはエアコンがありますが、私たちの寮はとても古く、エアコンもなく、お風呂もとても汚いです。 私たちの寮の風呂〈2020年11月〉 また、私は野菜栽培が好きなので、当初、寮の前で空心菜やトマト、ジャガイモなどを育てましたが、すべてイノシシに食べられてしまいました。無事だったのはカボチャぐらいなので、最近はカボチャだけを育てています。周囲にはイノシシやヘビがたくさんいますし、街灯もほとんどないので、夜は恐くて外に出られません。 私たちの住む寮〈2020年11月〉 鶏舎の環境 ニワトリにエサをあげたり病気の予防薬を投与したり、卵を拾って選別し箱に入れたりするのが私たちの主な仕事です。鶏舎内の掃除もします。鶏舎はにおいがきついうえ、冷暖房がなく、冬は寒く夏はとても暑いです。また、羽やチップなどでほこりがひどく、帽子やマスクを着けていても、覆いきれない部分が汚れて真っ黒になります。このため、仕事が終わって帰宅したら、まずは順番にシャワーを浴びます。 私たちの職場〈2020年〉 スーパーまで30㌔ 私たちの職場や寮は山の中腹にあります。寮から一番近い商店はガソリンスタンドに併設された小さな売店ですが、そこまで約3・5㌔もあります。同僚と一緒に2、3度この店まで歩いて行ったことがありますが、往復約2時間かかりました。しかし、帰りはずっと上り坂なので自転車では行けません。また、街灯がほとんどないので、夕方以降は出歩けません。 スーパーマーケットのある市街地までは約30㌔もあり、車で1時間近くかかります。職場のおじいさん、おばあさんが私たちを乗用車で市街地に連れて行ってくれますが、一度に乗れるのは5人までで、順番が回ってくるのは月に1度だけです。朝9時に寮を出てショッピングモールなどを3、4軒回り、夕方5時に帰宅します。1カ月分の食料と日用品を買うので、すごい量の荷物になります。 スーパーでの買い物は月に1回だけ 連休がない このように辺ぴな場所に住んでいるうえ、毎月4日間しか休みがないので、遊びに行くことがまったくできません。日本に来て2年半以上経ちましたが、外出は月1回の買い物だけで、観光地や娯楽施設に遊びに行ったことは一度もありません。 残業がなく、代わりに毎月4~5日間の休日出勤があるため、連休がありません。ゴールデンウイークや夏休みや正月休みもなく、単発の有給休暇がたまにつくだけです。日本にいる間に一度ぐらい、観光地に遊びに行きたいものです。 養鶏場からの風景。山から出られるのは月に1度だけ〈2020年11月〉 【編集部からのアドバイス】 ・このような不便な場所に住ませながら、会社が月1回しか買い物に連れて行かず、社員旅行に連れていくなどの配慮もしないのは、非常に条件の悪い事例です。このような実習先を避けるためにも、よい送出機関を選びましょう。下記の記事では送出機関の選び方も詳しく説明しています。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 ・半年以上勤務した技能実習生は1年に10~12日間の有給休暇をもらえます。有給休暇を十分にもらえない場合は、監理団体に相談しましょう。それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ・万一、OTITに相談しても解決しない場合は、次のような民間の相談機関もあります。 日越ともいき支援会 外国人実習生支援(Facebook) 子どものために耐える母親たち このように条件の悪い職場ですが、この仕事に応募した理由は次の通りです。 ・早く日本に行きたいので、受かりそうな求人に応募した。30代の子持ちだと、人気のある職種には採用されにくいと思った。 ・送出機関の説明が不十分で、職場環境や寮の内容、休日の少なさがよく分からなかった。 今の生活はとても不便で労働環境も劣悪です。しかし、実習仲間のほとんどが母親で、子どもによい教育を受けさせたいという一心で、皆がまんして働いています。 山奥の冷暖房のない職場だとは知らずに応募しました 子どもたちに毎日電話 私は長女(小3)や長男(小1)と毎晩約1時間、ビデオ電話で話をします。仕事の苦労や生活の不便はありますが、子どもたちの笑顔を見ると、もっと頑張ろうという気持ちになります。同僚仲間も皆、私と同じように子どもたちに毎日電話をしています。ただ、2年以上も子どもたちと会えずに過ごすのはとてもつらいです。娘も息子も電話のたびに「お母さんに会いたい」「お母さん早く帰ってきて」と私に言います。私も子どもたちに会いたくて仕方ありません。 長女と長男〈ハイフォンで2017年10月〉 日本語学習 寮では毎晩約2時間、日本語の勉強をしています。休日も出かけることがほとんどないので、日本語を身に付けて将来の仕事の幅を広げたいと思って努力しています。教材は定番の「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える」シリーズなどです また、職場で日本人と会話をすることもあまりないので、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(教材編) Lotus Works Skypeで日本人先生と会話〈2020年11月〉 日本での生活費と送金 今の職場でよかった点は、新型コロナの感染拡大後も仕事が減らず、安定した給料をもらえたことです。毎月26~27日間働き、3カ月に一度、実家に平均30万円を送金します。3年間の仕送り総額は300万円を超えそうです。遊びにいけないので、お金を使う機会がないという理由もあります。 実家に送ったお金から家族の生活費や教育費、友人への借金返済費などを引いても半分ぐらい残るので、そのお金で将来、肥料や種子などを販売する会社を設立したいと思っています。今の養鶏場には、技能実習を5年やる先輩や技能実習修了後に特定技能に移行した先輩もいますが、私は子どもたちが小さいので3年で帰国するつもりです。 娘と一緒に〈ハイフォンで2015年6月〉 私の家計簿(1カ月の平均) 100円=22,449 VND(2021年1月6日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※雑貨、医薬品など 差額・貯金(平均100,000円) 貯金 平均100,000円 ある日の買い物。1度の買い物でスーパーを3、4軒回ります。〈2020年〉
2021年01月28日
今回の先輩 レ・ヴァン・タンさん 2011年レティファ高校卒業〈ラムドン県〉 2011年ドンズー日本語学校入学〈ホーチミン〉 2012年盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科入学 2014年大阪YMCA日本語学校進学準備コース入学 2015年茨城大学工学部入学 2019年茨城大学卒業 2019年株式会社越設立〈茨城県〉 〈1993年生まれ、ラムドン省出身〉 日本での大学時代に通訳のアルバイトをたくさん経験したタンさん。通訳業務を通じてできた人脈や知識を活かして大学卒業と同時に会社を設立し、ベトナム料理店を開店した。就職せず起業するに至ったプロセスを紹介する。 〈このページの内容〉 • 一流大学に合格、選んだのはドンズー • 日本の日本語学校の選び方 • アルバイト面接を確実に受ける方法 • 人生を変えた通訳アルバイト • 取り調べ通訳 • ベトナム人コミュニティ • 最小費用でベトナム料理店開店 •留学生時代の生活費 一流大学に合格、選んだのはドンズー ドンズー日本語学校の後輩たちと〈ホーチミン市で2012年〉 高校3年のときに学校の留学説明会でドンズー日本語学校のことを聞きました。米国留学には莫大な費用がかかりますが、ドンズーから日本に留学する場合、「訪日前の費用はあまりかからず、訪日後も、米国より授業料が安く、生活費もアルバイトである程度まかなえる」とのことでした。先生からドンズー出身の実業家も紹介してもらい、その人に会って話も聞きました。 私はホーチミン自然科学大学 (Trường Đại học Khoa học Tự nhiên - Đại học Quốc Gia TP.HCM)にも合格しましたが、ドンズーに進みました。ドンズーでは、留学後の心構えとして「お金を稼ぐのは社会人になってから。学生の間は勉強中心」と教えられました。 日本の日本語学校の選び方 大阪YMCAでベトナム人仲間と〈2015年〉 ドンズーで1年間勉強し、2012年10月に岩手県盛岡市の日本語学校に入りました。ここで1年半学んで秋田大学を受験しましたが、不合格。そこで、大阪YMCA日本語学校で浪人生活を送りました。 大阪YMCAに転校した理由は、ベトナム人の少ない環境で勉強したかったのと、日本語以外の授業も充実していたからでした。盛岡ではクラス11人中9人がドンズー生で、アパートにもドンズー生が18人固まって住んでいました。一方、大阪では留学生40人のうちベトナム人は6人で、クラスメートとの共通言語が日本語になりました。また、大阪では数学、化学、物理の授業も充実していました。1年後、私は3つの国立大学に合格し、茨城大に進みました。 アルバイト面接を確実に受ける方法 盛岡でのアルバイトは主に新聞配達でした。午前3時に起きて自転車で300部を配ります。夏は1時間15分で終わりますが、冬(11月~3月)の雪の日は路面が凍り、自転車がすべって転倒するので大変でした。転倒して新聞が路面に散らばってぬれると、店に新しい新聞を取りに帰ります。このため、雪の日の配達は平均3時間かかりました。しかも、盛岡の朝は寒く-15℃の日もありました。 新聞配達には会話がなく、周りに気をつかわない点は楽ですが、日本語も上達しません。そこで、大阪では人と接するバイトを探し、牛丼店とコンビニで働きました。牛丼店は先輩からの紹介で、コンビニについては独自の方法で採用してもらいました。その方法を紹介します。 大学の学園祭(フォー店)の準備。アルバイトも学校生活も充実〈2016年〉 まず、写真付きの履歴書や在留カードのコピー(両面)などの必要な書類をしっかり準備した上で、「アルバイト募集」のはり紙がある店にアポなしで入り、店長らしい人を探して声をかけます。「はり紙を見ました。アルバイトをさせていただけませんか?」。たいていは「履歴書を郵送してください」と言われますが、その場で履歴書などを渡せると、良い印象を与えられて、そのまま面接をしてもらえる場合があります。そして、採用してくれる確率も高くなると思います。 私はこの方法で、大阪でコンビニに採用され、茨城でもロッテリアとコンビニに採用されました。ロッテリアの場合は、求人情報誌で募集を知ったのに、電話をせず店に直接行って採用されました。当時、留学生仲間は求人情報誌を見て電話をかけまくるのが通常でしたが、その場合は「100件電話して10件面接、1件合格」が相場でした。 人生を変えた通訳アルバイト 観光ガイドの仕事で観光客たちを迎えに関西空港へ〈2014年〉 大阪では観光ガイドもしました。大阪・京都・神戸の観光地や店でベトナム人観光客のガイド兼通訳をしたのです。旅行会社に勤めるドンズーの先輩からの依頼で、茨城に移ってからも東京などの案内をしました。 観光ガイドで通訳をかじった私は大学2年のときにもう少し本格的な通訳を始めました。最初は、大学の先輩ベトナム人の紹介で、大きなホテルでのバイトでした。このホテルにはベトナムからの団体客も多く、朝食時に通訳兼ウェイターが必要だったのです。場所が遠いので1年半でやめましたが、通訳の手始めとして最適でした。 また、この年には留学生の就職支援をする会社でも働きました。その仕事を通じて茨城県庁や茨城県観光物産協会などの方々と知り合い、役所などの公的機関から通訳の依頼を受けるようになりました。例えば、ベトナムから茨城県にバイヤーを招いて酒造会社の見学会を行うといった場合、朝から晩まで通訳をします。報酬は1日30,000円~40,000円になることもあります(安い仕事もあります)。そして、見学会後に企業間の個別取引が始まると、メールや書類の翻訳、打ち合わせの通訳などを企業から依頼されることもありました。 開始年 終了年 通訳などのアルバイト 報酬・謝礼 2014 2016 観光ガイド 20,000円以上/日 2015 2016 ホテルでの通訳 1,500円/h 2015 2016 技能実習生への日本語講習 10,000円~15,000円 / 日 2015 継続中 ビジネス関連の見学会、商談、行政の会議など(公的機関や企業からの依頼) 最高40,000円/日(安い仕事もある) 2016 継続中 警察などの通訳 6,300~6,600円 / h※遠隔地の場合は交通費も 2017 2018 法律関係書類やビジネス書類、広告などの翻訳 内容次第 コン・フォン選手の通訳も担当〈2016年〉 こうしてビジネス現場に関わるようになった私はビジネスに興味を持ち、ビジネスの勉強会にも参加するようになりました。そこで知り合った経営者たちの影響を受け、卒業と同時に起業する大きなきっかけになりました。 ちなみに、「ベトナムのメッシ」と呼ばれるサッカーのベトナム代表、グエン・コン・フォン選手が2016年に茨城県内のプロサッカーチームでプレーした際には、インタビューなどで十数回、彼の通訳を担当しました。県庁関係者の紹介でチームから依頼された仕事でした。 取り調べ通訳 県庁の仕事以外に、大学の先輩の紹介で茨城県警や水戸地方検察庁の通訳もしました。在留ベトナム人が増え、残念なことにベトナム人の犯罪も増えました。ベトナム人が逮捕されて警察や検察の取り調べを受ける際、通訳が必要です。担当した中で一番多いのはオーバーステイで、次は万引きです。 ある殺人事件では容疑者や参考人が多く、5人で通訳を分担しました。この事件では、取り調べが1日8時間に及ぶこともざらでした。取り調べ通訳は普通の通訳の何倍も疲れるので、8時間もやるとくたくたです。また、深夜や早朝の通訳もあります。容疑者が夜に逮捕されると、深夜に警察に呼び出されて通訳をします。また、容疑者を早朝に任意同行したり逮捕したりする場合、夜明け前に容疑者宅付近に集まり、夜が明けてから逮捕するのが通例です。捜査官が相手に氏名を確認したり逮捕の理由を伝えたりする際に通訳が必要です。 ベトナム人コミュニティ 私の店で行った無料相談会(左から相談者、私、弁護士)〈2020年10月〉 大学時代、Facebookグループで地元ベトナム人を集めて一緒に遊びに行ったり、監理団体のアルバイトで知り合った技能実習生から困りごとの相談に乗ったりするなど、地域のベトナム人コミュニティへの関与を心がけました。そんな中、2019年に筑波大学医学部のカン准教授から持ちかけられ、一緒に茨城県ベトナム人協会の設立を準備しました。協会の最初のイベントは2020年1月のテト(旧正月)の祝賀会で、約200人が参加しました。この年の主な活動は以下の通りです。 ・Facebookで新型コロナなどの情報を発信 ・新型コロナで生活に困っているベトナム人への食料支援 ・写真撮影大会 ・サッカー大会(約20チーム参加、2回) ・バレーボール大会(8チーム参加) ・弁護士を招いて無料相談会(7月~12月に計6回) 最小費用でベトナム料理店開店 ベトナム料理店123Dzô〈2020年〉 ビジネス勉強会で親しくなった経営者には飲食業界の人も多く、影響を受けました。また、専門学校や大学の学園祭で提供したベトナム料理が人気だったこともあり、ベトナム料理店の経営が私の目標になりました。そこで、大学3年だった2017年から、日本人と結婚しているベトナム人女性が立ち上げたフォー店の運営をサポートし、レシピを作ったりチラシを配ったりしました。 2019年に女性は家庭の事情で経営から退き、この年に大学を卒業した私が店を継ぎました。私は店の運営会社を設立して同年8月、店を別の場所に移してベトナム料理店「123Dzô(モッハイバーヨー)」を開きました。場所はJR水戸駅から約1㌔の幹線沿いで、店名はベトナムでの乾杯のかけ声です。 店内ではベトナムの食品や調味料も販売 店舗は2階建ての一軒家です。前のテナントの居酒屋が残していった備品があり、次のようなコストが浮きました。 ・業務用エアコン3台(新規購入なら400万円以上) ・料理を1階から2階に上げる機械(同300万円以上) ・業務用冷蔵庫 ・業務用冷凍庫 ・厨房設備一式 また、私は日曜大工が好きなので、内装も自前でやりました。1人でできない部分は、教え子の技能実習生たちが手伝ってくれました。こうして、一からそろえると約6,000万円かかる店の準備費が計数十万円で済みました。経営は順調で、お客さんは日本人とベトナム人が半々です。将来は、営利度外視の日本語学校を日本で設立し、多くのベトナム人留学生を大学に進学させるのが夢です。 留学生時代の生活費 大学4年のときに勤務先のフォー店で知り合った妻と結婚〈水戸市で2019年〉 最後に私の留学時代の生活費について紹介します。 ◎学費 ・大阪の専門学校:入学金100,000円、年間授業料660,000円 ・茨城大学:入学金282,000円、学費免除(4年間) ◎奨学金など ・茨城大学の育成奨励金:40,000円×10カ月(大学1年) ・筑波銀行の奨学金:50,000円×1年(大学2年) ・ニトリの奨学金:110,000円×2年(大学3、4年) 奨学金は、大学からの紹介以外にJASSOのウェブサイトにまとめがあります。私は1年で5、6件応募したこともあります。奨学金を目標に勉強もがんばりました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3~4年のとき※100円=22,148ドン(2021年1月11日現在) 収入(合計約260,000円) 似鳥国際奨学財団の奨学金 110,000円 警察などの通訳 約150,000円 支出(合計約113,000円) 家賃 18,000円 ※3人暮らし(1人分の分担額) 授業料 免除 光熱費 10,000円 ※水道・電気・ガスの合計(1人分) インターネット なし ※自宅では使わなかった 携帯電話 5,000円 ※Y-mobile 食費 40,000円 ※昼食は学食で、朝夕は自炊 マイカーの維持費 30,000円 ※ガソリン、保険、メンテナスなど 雑費 10,000円 ※ビジネス勉強会参加費など 毎月の差額・貯金(約147,000円) 貯金 約147,000円 今回の先輩 Lê Văn Thành(レ・ヴァン・タン)さん 2011年レティファ(Le Thi Pha)高校卒業〈ラムドン〉 2011年ドンズー日本語学校入学〈ホーチミン〉 2012年盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科入学 2014年大阪YMCA日本語学校進学準備コース入学 2015年茨城大学工学部入学 2019年茨城大学卒業 2019年株式会社越設立〈茨城〉 〈1993年生まれ、ラムドン省出身〉タンさん 日本での大学時代に通訳のアルバイトをたくさん経験したタンさん。通訳業務を通じてできた人脈や知識を活かして大学卒業と同時に会社を設立し、ベトナム料理店を開店した。就職せず起業するに至ったプロセスを紹介する。 〈このページの内容〉 • 一流大学に合格、選んだのはドンズー • 日本の日本語学校の選び方 • アルバイト面接を確実に受ける方法 • 人生を変えた通訳アルバイト • 取り調べ通訳 • ベトナム人コミュニティ • 最小費用でベトナム料理店開店 •留学生時代の生活費 一流大学に合格、選んだのはドンズー 高校3年のときに学校の留学説明会でドンズー日本語学校のことを聞きました。米国留学には莫大な費用がかかりますが、ドンズーから日本に留学する場合、「訪日前の費用はあまりかからず、訪日後も、米国より授業料が安く、生活費もアルバイトである程度まかなえる」とのことでした。先生からドンズー出身の実業家も紹介してもらい、その人に会って話も聞きました。 私はホーチミン自然科学大学 (Trường Đại học Khoa học Tự nhiên - Đại học Quốc Gia TP.HCM)にも合格しましたが、ドンズーに進みました。ドンズーでは、留学後の心構えとして「お金を稼ぐのは社会人になってから。学生の間は勉強中心」と教えられました。 ドンズー日本語学校の後輩たちと〈ホーチミン市で2012年〉 日本の日本語学校の選び方 ドンズーで1年間勉強し、2012年10月に岩手県盛岡市の日本語学校に入りました。ここで1年半学んで秋田大学を受験しましたが、不合格。そこで、大阪YMCA日本語学校で浪人生活を送りました。 大阪YMCAに転校した理由は、ベトナム人の少ない環境で勉強したかったのと、日本語以外の授業も充実していたからでした。盛岡ではクラス11人中9人がドンズー生で、アパートにもドンズー生が18人固まって住んでいました。一方、大阪では留学生40人のうちベトナム人は6人で、クラスメートとの共通言語が日本語になりました。また、大阪では数学、化学、物理の授業も充実していました。1年後、私は3つの国立大学に合格し、茨城大に進みました。 大阪YMCAでベトナム人仲間と〈2015年〉 アルバイト面接を確実に受ける方法 盛岡でのアルバイトは主に新聞配達でした。午前3時に起きて自転車で300部を配ります。夏は1時間15分で終わりますが、冬(11月~3月)の雪の日は路面が凍り、自転車がすべって転倒するので大変でした。転倒して新聞が路面に散らばってぬれると、店に新しい新聞を取りに帰ります。このため、雪の日の配達は平均3時間かかりました。しかも、盛岡の朝は寒く-15℃の日もありました。 新聞配達には会話がなく、周りに気をつかわない点は楽ですが、日本語も上達しません。そこで、大阪では人と接するバイトを探し、牛丼店とコンビニで働きました。牛丼店は先輩からの紹介で、コンビニについては独自の方法で採用してもらいました。その方法を紹介します。 まず、写真付きの履歴書や在留カードのコピー(両面)などの必要な書類をしっかり準備した上で、「アルバイト募集」のはり紙がある店にアポなしで入り、店長らしい人を探して声をかけます。「はり紙を見ました。アルバイトをさせていただけませんか?」。たいていは「履歴書を郵送してください」と言われますが、その場で履歴書などを渡せると、良い印象を与えられて、そのまま面接をしてもらえる場合があります。そして、採用してくれる確率も高くなると思います。 私はこの方法で、大阪でコンビニに採用され、茨城でもロッテリアとコンビニに採用されました。ロッテリアの場合は、求人情報誌で募集を知ったのに、電話をせず店に直接行って採用されました。当時、留学生仲間は求人情報誌を見て電話をかけまくるのが通常でしたが、その場合は「100件電話して10件面接、1件合格」が相場でした。 大学の学園祭(フォー店)の準備。アルバイトも学校生活も充実〈2016年〉 人生を変えた通訳アルバイト 大阪では観光ガイドもしました。大阪・京都・神戸の観光地や店でベトナム人観光客のガイド兼通訳をしたのです。旅行会社に勤めるドンズーの先輩からの依頼で、茨城に移ってからも東京などの案内をしました。 観光ガイドで通訳をかじった私は大学2年のときにもう少し本格的な通訳を始めました。最初は、大学の先輩ベトナム人の紹介で、大きなホテルでのバイトでした。このホテルにはベトナムからの団体客も多く、朝食時に通訳兼ウェイターが必要だったのです。場所が遠いので1年半でやめましたが、通訳の手始めとして最適でした。 観光ガイドの仕事で観光客たちを迎えに関西空港へ〈2014年〉 また、この年には留学生の就職支援をする会社でも働きました。その仕事を通じて茨城県庁や茨城県観光物産協会などの方々と知り合い、役所などの公的機関から通訳の依頼を受けるようになりました。例えば、ベトナムから茨城県にバイヤーを招いて酒造会社の見学会を行うといった場合、朝から晩まで通訳をします。報酬は1日30,000円~40,000円になることもあります(安い仕事もあります)。そして、見学会後に企業間の個別取引が始まると、メールや書類の翻訳、打ち合わせの通訳などを企業から依頼されることもありました。 開始年 終了年 通訳などのアルバイト 報酬・謝礼 2014 2016 観光ガイド 20,000円以上/日 2015 2016 ホテルでの通訳 1,500円/h 2015 2016 技能実習生への日本語講習 10,000円~15,000円 / 日 2015 継続中 ビジネス関連の見学会、商談、行政の会議など(公的機関や企業からの依頼) 最高40,000円/日(安い仕事もある) 2016 継続中 警察などの通訳 6,300~6,600円 / h※遠隔地の場合は交通費も 2017 2018 法律関係書類やビジネス書類、広告などの翻訳 内容次第 こうしてビジネス現場に関わるようになった私はビジネスに興味を持ち、ビジネスの勉強会にも参加するようになりました。そこで知り合った経営者たちの影響を受け、卒業と同時に起業する大きなきっかけになりました。 ちなみに、「ベトナムのメッシ」と呼ばれるサッカーのベトナム代表、グエン・コン・フォン選手が2016年に茨城県内のプロサッカーチームでプレーした際には、インタビューなどで十数回、彼の通訳を担当しました。県庁関係者の紹介でチームから依頼された仕事でした。 コン・フォン選手の通訳も担当〈2016年〉 取り調べ通訳 県庁の仕事以外に、大学の先輩の紹介で茨城県警や水戸地方検察庁の通訳もしました。在留ベトナム人が増え、残念なことにベトナム人の犯罪も増えました。ベトナム人が逮捕されて警察や検察の取り調べを受ける際、通訳が必要です。担当した中で一番多いのはオーバーステイで、次は万引きです。 ある殺人事件では容疑者や参考人が多く、5人で通訳を分担しました。この事件では、取り調べが1日8時間に及ぶこともざらでした。取り調べ通訳は普通の通訳の何倍も疲れるので、8時間もやるとくたくたです。また、深夜や早朝の通訳もあります。容疑者が夜に逮捕されると、深夜に警察に呼び出されて通訳をします。また、容疑者を早朝に任意同行したり逮捕したりする場合、夜明け前に容疑者宅付近に集まり、夜が明けてから逮捕するのが通例です。捜査官が相手に氏名を確認したり逮捕の理由を伝えたりする際に通訳が必要です。 ベトナム人コミュニティ 大学時代、Facebookグループで地元ベトナム人を集めて一緒に遊びに行ったり、監理団体のアルバイトで知り合った技能実習生から困りごとの相談に乗ったりするなど、地域のベトナム人コミュニティへの関与を心がけました。そんな中、2019年に筑波大学医学部のカン准教授から持ちかけられ、一緒に茨城県ベトナム人協会の設立を準備しました。協会の最初のイベントは2020年1月のテト(旧正月)の祝賀会で、約200人が参加しました。この年の主な活動は以下の通りです。 ・Facebookで新型コロナなどの情報を発信 ・新型コロナで生活に困っているベトナム人への食料支援 ・写真撮影大会 ・サッカー大会(約20チーム参加、2回) ・バレーボール大会(8チーム参加) ・弁護士を招いて無料相談会(7月~12月に計6回) 私の店で行った無料相談会(左から相談者、私、弁護士)〈2020年10月〉 最小費用でベトナム料理店開店 ビジネス勉強会で親しくなった経営者には飲食業界の人も多く、影響を受けました。また、専門学校や大学の学園祭で提供したベトナム料理が人気だったこともあり、ベトナム料理店の経営が私の目標になりました。そこで、大学3年だった2017年から、日本人と結婚しているベトナム人女性が立ち上げたフォー店の運営をサポートし、レシピを作ったりチラシを配ったりしました。 2019年に女性は家庭の事情で経営から退き、この年に大学を卒業した私が店を継ぎました。私は店の運営会社を設立して同年8月、店を別の場所に移してベトナム料理店「123Dzô(モッハイバーヨー)」を開きました。場所はJR水戸駅から約1㌔の幹線沿いで、店名はベトナムでの乾杯のかけ声です。 ベトナム料理店123Dzô〈2020年〉 店舗は2階建ての一軒家です。前のテナントの居酒屋が残していった備品があり、次のようなコストが浮きました。 ・業務用エアコン3台(新規購入なら400万円以上) ・料理を1階から2階に上げる機械(同300万円以上) ・業務用冷蔵庫 ・業務用冷凍庫 ・厨房設備一式 また、私は日曜大工が好きなので、内装も自前でやりました。1人でできない部分は、教え子の技能実習生たちが手伝ってくれました。こうして、一からそろえると約6,000万円かかる店の準備費が計数十万円で済みました。経営は順調で、お客さんは日本人とベトナム人が半々です。将来は、営利度外視の日本語学校を日本で設立し、多くのベトナム人留学生を大学に進学させるのが夢です。 店内ではベトナムの食品や調味料も販売 留学生時代の生活費 最後に私の留学時代の生活費について紹介します。 ◎学費 ・大阪の専門学校:入学金100,000円、年間授業料660,000円 ・茨城大学:入学金282,000円、学費免除(4年間) ◎奨学金など ・茨城大学の育成奨励金:40,000円×10カ月(大学1年) ・筑波銀行の奨学金:50,000円×1年(大学2年) ・ニトリの奨学金:110,000円×2年(大学3、4年) 奨学金は、大学からの紹介以外にJASSOのウェブサイトにまとめがあります。私は1年で5、6件応募したこともあります。奨学金を目標に勉強もがんばりました。 大学4年のときに勤務先のフォー店で知り合った妻と結婚〈水戸市で2019年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3~4年のとき ※100円=22,148ドン(2021年1月11日現在) 収入(合計約260,000円) 似鳥国際奨学財団の奨学金 110,000円 警察などの通訳 約150,000円 支出(合計約113,000円) 家賃 18,000円 ※3人暮らし(1人分の分担額) 授業料 免除 光熱費 10,000円 ※水道・電気・ガスの合計(1人分) インターネット なし ※自宅では使わなかった 携帯電話 5,000円 ※Y-mobile 食費 40,000円 ※昼食は学食で、朝夕は自炊 マイカーの維持費 30,000円 ※ガソリン、保険、メンテナスなど 雑費 10,000円 ※ビジネス勉強会参加費など 毎月の差額・貯金(約147,000円) 貯金 約147,000円
2021年01月25日
今回の先輩 グエン・ティ・ムンさん 2015年レホンフォン高校卒業〈ゲアン県〉 2015年バリアブンタウ大学入学 2016年大学中退、送出機関登録〈ハノイ〉 2017年訪日。講習後、技能実習開始〈長野県〉 2018年失踪〈長野県→愛知県〉 2019年転職〈大阪〉 〈1997年生まれ、ゲアン省出身〉 工場での技能実習以外に動物の世話やベビーシッターを長時間させられ、残業代ももらえなかったムンさん。社長の度重なる暴言もあって失踪したが、残った後輩たちを助けようと支援機関に相談した。すると、労基署が捜査に乗り出し、OTITも動いて……。 〈このページの内容〉 • 大学を中退し技能実習 • 送出機関 • 工場勤務なのにペットショップの仕事 • ベビーシッター • 心の糸が切れて失踪 • 日本人は親切だった • 失踪生活 •「外国人実習生支援」 • 行政が動いた! • 転籍 • 新しい職場 • 今の生活 大学を中退し技能実習 送出機関の日本語センターの先生や仲間〈ハノイで2017年〉 私は6人兄弟の5番目です。父は病気で2009年から仕事ができず(2019年に死亡)、母が農業で家計を支えていました。私は大学で1年間勉強しましたが、実家が苦しいのに自分だけ大学に通うことが心苦しく、中退して技能実習をすることを決意しました。家族は中退に反対しましたが、私の故郷では、多くの友人が大学に進まず外国で働いていたので、私も同じように働いて両親を助けたいと思ったのです。 送出機関 私はハノイの送出機関に登録し、全部で6,400ドルを支払いました。それ以外に、送出機関を紹介してくれた親せきの友人にも20,000,000ドン払いました。他に食費や交通費もあり、父は計200,000,000ドンを銀行から借りました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高くても日本での給料が高いとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、送出機関の日本語教育費は約520時間に対し5,900,000VND以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関は、紹介者が紹介料を受け取ることを認めてはいけません。 ☆この記事を参考に送出機関を自分でも探しましょう。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 工場勤務なのにペットショップの仕事 飼育小屋で清掃をする同僚〈2017年〉 私は2017年6月に長野県の工場で技能実習を始めました。しかし、機械加工の実習以外に、この会社が経営するペットショップでも仕事をさせられました。毎日、朝から工場で働いた後、私を含む3人が車でペットショップに移動し、15時から19時まで仕事をしました。鳥や動物へのエサやり▽飼育小屋の掃除▽販売用のエサの包装――などです。土曜日は朝から晩までペットショップで、隣接するバラ園でせん定や掃除もさせられました。 また、寮で最初の1年間はWi-Fiのパスワードを教えてもらえず、自由に電話できませんでした。先輩も社長から怒られるので、パスワードを教えてくれません。訪日して約3カ月たったある日、先輩の携帯電話を借りて初めて家族に連絡できました。その後も、社長の目があるので自由に電話できませんでした。 ベビーシッター 仕事を記録した私のメモ(黒塗り部分は赤ちゃんの名前)〈2018年1月〉 技能実習生は工場のそばの寮に住みましたが、私を含む数人だけが2017年11月、ペットショップに近い監理団体の研修センターに移されました。社長は監理団体の理事長も兼ねており、私たちをセンターに住ませ、自分も2018年1月に1歳の娘と2人でここに移ってきました。それ以来、私たち実習生が社長の食事作りや洗濯、赤ちゃんの子守をすることになりました。また、毎日朝から鳥や犬にエサをあげたり、深夜に社長の飼っていたハトの世話をしたりもしました。 後輩実習生たちと私〈センターで2018年8月〉 失踪までの約10カ月間、私は毎日ベビーシッターをしました。赤ちゃんは私に一番なついていたので、主に私の担当でした。19時にセンターに帰り、23時から赤ちゃんと遊んだり寝かしつけたりし、1時までかかることもよくありました。おむつ交換もしました。休日もペットショップの仕事か赤ちゃんの世話です。私はこの子が好きでしたが、残業代は一円ももらえませんでした。 心の糸が切れて失踪 このような無賃労働に加え、私たちは社長からよく怒鳴られました。2018年8月に来た後輩実習生3人は日本語が分からず、社長の指示を理解できません。そんなとき、社長は「なぜ、こいつらにきちんと仕事を教えないんだ!」と私に怒鳴りました。社長はそれ以外にも気に入らないことがあるとよく激高しました。そのため男の実習生2人が失踪しました。私も同年10月のある夜、理由も分からずにひどく怒鳴られ、心の糸が切れてしまいました。 「もうここには居られない」と思い立ち、怒鳴られた3時間後にセンターを出ました。夜0時ごろのことでした。約600㍍離れた高速バス乗り場まで歩き、「私、名古屋に行きたいですけど、バスはどれですか」と聞いて名古屋行きのバスに乗ったのです。 日本人は親切だった 向かった先は愛知県の技能実習生たちの寮でした。彼らの1人を訪日前に紹介され、SNSで情報交換を続けていました。悩みを聞いてもらうこともあり、「もし失踪したら、うちにおいで」と言ってくれていました。しかし、実際に失踪するつもりはなかったので、寮への行き方が分かりません。そんな私を、道行く人たちが助けてくれました。 *高速バスを降り、タクシーに乗ろうとしましたが、目的地まで約2万円かかるとのことで断念。友人に電車での行き方を聞くにも、私の携帯電話はWi-Fiがないと使えません。そこで、運転手さんが携帯電話を貸してくれました。 *駅に着くと、今度は切符の買い方が分かりません。社長が怒るので外出許可を申請しにくく、長野県から出たことがなかったからです。通行人の少年に尋ねると、代わりに切符を買い、自動改札機まで連れて行ってくれました。 *電車内では乗客のおばさんに電話を借り、目的の駅に着いたときに教えてもらいました。 *電車を降り、切符を入れずに自動改札機を通ろうとしてアラームが鳴りました。しかし、駅員さんがやさしく助けてくれました。 失踪生活 友人は3ベッドルームの寮に3人で住んでいました。私はこのうち1室に、再就職するまで約11カ月間住ませてもらいました。失踪時、私の口座には約30万円ありましたが、途中でなくなり、彼らにお金を借りて暮らしました。失踪中は、日本語を毎日8時間勉強しました。不法就労をあっせんする有名なFacebookページは詐欺も多いので使わず、先輩や友人に仕事探しをお願いしました。また、友だちと花見などに行って気晴らしをしましたが、収入がないので遠くには行きませんでした。失踪中は「日本で働いて借金を返す前に警察に見つかってベトナムに送り返されたら……」といつも不安でした。後輩の皆さん、失踪だけはしないでください。 「外国人実習生支援」 「外国人実習生支援」のFBページ。ここからメッセージを送れます。 そんなある日、Facebookで榑松(くれまつ)さんのことを知りました。ある実習生が労働問題を彼に解決してもらったという投稿でした。榑松さんは「外国人実習生支援」というFacebookページで実習生の相談を受けています。私は長野に残っている後輩たちの処遇を改善してもらえないかと思い、2019年3月、思い切って榑松さんにSNSで連絡しました。 「仲間が工場勤務なのに他の仕事をやらされている」などと、簡単な日本語でメッセージを送り、社長が怒鳴っている動画も送りました。そして、約2週間後に彼の事務所(名古屋市)を訪ねました。彼はとても親身に相談に乗り、外国人技能実習機構(OTIT)や労基署に一緒に行って説明をしたり、電車のパスカードを作ってくれたりしました。 行政が動いた! 榑松さんに相談してからの経過は次の通りです。労基署やOTITが動いてくれました。 〈2019年〉 ・3月11日:榑松さんと面会。一緒にOTIT名古屋事務所を訪問。 ・3月20日:国会議員が私たちの事例を取り上げ、国会で質問(それを聞いてNHKが取材)。 ・4月1日:社長が怒鳴っている動画などをNHKが放送。 ・4月3日:労基署とOTITが長野県の会社に立ち入り調査。OTITが後輩実習生3人をホテルに保護。3人はその後、OTITの手配で別の会社に転職。 ・6月:フィリピン人の後輩数人もOTITに保護され、その後転職。 ・7月:私が長野県の労基署を訪問し残業代不払いを訴え。 ・11月:労基署は「小売店(ペットショップ)の清掃などを行わせた時間外労働について、技能実習生らに約1年間にわたって割増賃金を支払っていない」などとして、労働基準法違反(割増賃金不払いなど)の疑いでこの会社を送検。 厚労省発表の指導事例にも掲載(2020年10月) 〈2020年〉 ・2月:入管庁と厚労省はこの会社の技能実習計画の認定を取り消し。同社社長が理事長を務める監理団体への許可も取り消し。 NHKが全国放送〈2019年4月〉 転籍 榑松さん(左)は私の日本でのお父さん〈名古屋市で2019年9月〉 こうして会社は処分され、後輩たちは転籍できました。ただ、一度失踪したためか、私の転職先だけは決まりませんでした。榑松さんがあちこちに聞いて私の転職先を探してくれましたが、私と同じ職種の女性実習生は少なく、仕事があっても女子寮がないなどの理由で、なかなか見つかりませんでした。そんななか、榑松さんと懇意の黒田さんというベトナム語通訳の女性(西日本技能センター)が大阪府の抱月工業という会社にお願いしてくださり、就職できることになりました。2019年9月のことでした。 ・(監理団体)協同組合 西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 新しい職場 作業中の私〈2020年8月〉 抱月工業(大久保尚容社長)は従業員約70人で、2003年から実習生を受け入れ、今はエンジニアと実習生で計11人のベトナム人がいます。これまで女性実習生はいなかったので、私のために新たにアパートを借りてくれました。同社では、下記のようによい意味で驚きの連続でした。 ・社長が親切でやさしい。 ・現場リーダーたちが実習生に困ったことはないかよく聞いてくれる。仕事のやり方に関する意見交換会もある。 ・日本語能力試験(JLPT)に合格したら毎月の給料が上がる(N4:5,000円、N3:10,000円、N2:15,000円)。ほぼ全員がN3以上を取得して帰国する。 ・社員旅行がある(過去にベトナムに行った年もあった)。 とても働きやすい職場で、私は技能実習3号や特定技能などでできるだけ長くここで働きたいと希望しています。 抱月工業の工場 会社の忘年会(右から2人目が社長) 今の生活 私のJLPT・N3合格を祝って日本語教室の先生たちと食事会〈2020年2月〉 抱月工業の先輩たちは親切で、私と一緒に遊びに行ってくれる人もいます。また、私は地元の国際交流協会が主催する無料日本語教室に通っており、先生方の家に遊びに行ったりもします。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,303 VND(2020年12月30日現在) 手取り給料(平均150,000円) 手取り給料 130,000円~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(合計 30,000円~50,000円) 食費 15,000円~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 15,000円~20,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(100,000円~130,000円) 差額 100,000円~130,000円 ※1カ月110,000円~150,000円を実家に送金 榑松さんや黒田さん、今の社長のおかげで、私は今、充実した実習生活を送っています。後輩の実習生の皆さん、実習先で困ったことがあっても、悪い仲間に引き込まれたり、不法就労に走ったりせず、支援機関に粘り強く相談してください。 【編集部からのアドバイス】 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語でも相談できます。電話もあります(0120-250-168)が、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が無難です。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援機関もあります。 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com 今回の先輩 Nguyễn Thị Mừng (グエン・ティ・ムン)さん 2015年レホンフォン高校卒業〈ゲアン〉 2015年バリアブンタウ大学入学 2016年大学中退、送出機関登録〈ハノイ〉 2017年訪日。講習後、技能実習開始〈長野〉 2018年失踪〈長野→愛知〉 2019年転職〈大阪〉 〈1997年生まれ、ゲアン省出身〉 工場での技能実習以外に動物の世話やベビーシッターを長時間させられ、残業代ももらえなかったムンさん。社長の度重なる暴言もあって失踪したが、残った後輩たちを助けようと支援機関に相談した。すると、労基署が捜査に乗り出し、OTITも動いて……。 〈このページの内容〉 • 大学を中退し技能実習 • 送出機関 • 工場勤務なのにペットショップの仕事 • ベビーシッター • 心の糸が切れて失踪 • 日本人は親切だった • 失踪生活 •「外国人実習生支援」 • 行政が動いた! • 転籍 • 新しい職場 • 今の生活 大学を中退し技能実習 私は6人兄弟の5番目です。父は病気で2009年から仕事ができず(2019年に死亡)、母が農業で家計を支えていました。私は大学で1年間勉強しましたが、実家が苦しいのに自分だけ大学に通うことが心苦しく、中退して技能実習をすることを決意しました。家族は中退に反対しましたが、私の故郷では、多くの友人が大学に進まず外国で働いていたので、私も同じように働いて両親を助けたいと思ったのです。 送出機関の日本語センターの先生や仲間〈ハノイで2017年〉 送出機関 私はハノイの送出機関に登録し、全部で6,400ドルを支払いました。それ以外に、送出機関を紹介してくれた親せきの友人にも20,000,000ドン払いました。他に食費や交通費もあり、父は計200,000,000ドンを銀行から借りました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高くても日本での給料が高いとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、送出機関の日本語教育費は約520時間に対し5,900,000VND以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関は、紹介者が紹介料を受け取ることを認めてはいけません。 ☆この記事を参考に送出機関を自分でも探しましょう。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 工場勤務なのにペットショップの仕事 私は2017年6月に長野県の工場で技能実習を始めました。しかし、機械加工の実習以外に、この会社が経営するペットショップでも仕事をさせられました。毎日、朝から工場で働いた後、私を含む3人が車でペットショップに移動し、15時から19時まで仕事をしました。鳥や動物へのエサやり▽飼育小屋の掃除▽販売用のエサの包装――などです。土曜日は朝から晩までペットショップで、隣接するバラ園でせん定や掃除もさせられました。 また、寮で最初の1年間はWi-Fiのパスワードを教えてもらえず、自由に電話できませんでした。先輩も社長から怒られるので、パスワードを教えてくれません。訪日して約3カ月たったある日、先輩の携帯電話を借りて初めて家族に連絡できました。その後も、社長の目があるので自由に電話できませんでした。 飼育小屋で清掃をする同僚〈2017年〉 ベビーシッター 技能実習生は工場のそばの寮に住みましたが、私を含む数人だけが2017年11月、ペットショップに近い監理団体の研修センターに移されました。社長は監理団体の理事長も兼ねており、私たちをセンターに住ませ、自分も2018年1月に1歳の娘と2人でここに移ってきました。それ以来、私たち実習生が社長の食事作りや洗濯、赤ちゃんの子守をすることになりました。また、毎日朝から鳥や犬にエサをあげたり、深夜に社長の飼っていたハトの世話をしたりもしました。 仕事を記録した私のメモ(黒塗り部分は赤ちゃんの名前)〈2018年1月〉 失踪までの約10カ月間、私は毎日ベビーシッターをしました。赤ちゃんは私に一番なついていたので、主に私の担当でした。19時にセンターに帰り、23時から赤ちゃんと遊んだり寝かしつけたりし、1時までかかることもよくありました。おむつ交換もしました。休日もペットショップの仕事か赤ちゃんの世話です。私はこの子が好きでしたが、残業代は一円ももらえませんでした。 後輩実習生たちと私〈センターで2018年8月〉 心の糸が切れて失踪 このような無賃労働に加え、私たちは社長からよく怒鳴られました。2018年8月に来た後輩実習生3人は日本語が分からず、社長の指示を理解できません。そんなとき、社長は「なぜ、こいつらにきちんと仕事を教えないんだ!」と私に怒鳴りました。社長はそれ以外にも気に入らないことがあるとよく激高しました。そのため男の実習生2人が失踪しました。私も同年10月のある夜、理由も分からずにひどく怒鳴られ、心の糸が切れてしまいました。 「もうここには居られない」と思い立ち、怒鳴られた3時間後にセンターを出ました。夜0時ごろのことでした。約600㍍離れた高速バス乗り場まで歩き、「私、名古屋に行きたいですけど、バスはどれですか」と聞いて名古屋行きのバスに乗ったのです。 日本人は親切だった 向かった先は愛知県の技能実習生たちの寮でした。彼らの1人を訪日前に紹介され、SNSで情報交換を続けていました。悩みを聞いてもらうこともあり、「もし失踪したら、うちにおいで」と言ってくれていました。しかし、実際に失踪するつもりはなかったので、寮への行き方が分かりません。そんな私を、道行く人たちが助けてくれました。 *高速バスを降り、タクシーに乗ろうとしましたが、目的地まで約2万円かかるとのことで断念。友人に電車での行き方を聞くにも、私の携帯電話はWi-Fiがないと使えません。そこで、運転手さんが携帯電話を貸してくれました。 *駅に着くと、今度は切符の買い方が分かりません。社長が怒るので外出許可を申請しにくく、長野県から出たことがなかったからです。通行人の少年に尋ねると、代わりに切符を買い、自動改札機まで連れて行ってくれました。 *電車内では乗客のおばさんに電話を借り、目的の駅に着いたときに教えてもらいました。 *電車を降り、切符を入れずに自動改札機を通ろうとしてアラームが鳴りました。しかし、駅員さんがやさしく助けてくれました。 失踪生活 友人は3ベッドルームの寮に3人で住んでいました。私はこのうち1室に、再就職するまで約11カ月間住ませてもらいました。失踪時、私の口座には約30万円ありましたが、途中でなくなり、彼らにお金を借りて暮らしました。失踪中は、日本語を毎日8時間勉強しました。不法就労をあっせんする有名なFacebookページは詐欺も多いので使わず、先輩や友人に仕事探しをお願いしました。また、友だちと花見などに行って気晴らしをしましたが、収入がないので遠くには行きませんでした。失踪中は「日本で働いて借金を返す前に警察に見つかってベトナムに送り返されたら……」といつも不安でした。後輩の皆さん、失踪だけはしないでください。 「外国人実習生支援」 そんなある日、Facebookで榑松(くれまつ)さんのことを知りました。ある実習生が労働問題を彼に解決してもらったという投稿でした。榑松さんは「外国人実習生支援」というFacebookページで実習生の相談を受けています。私は長野に残っている後輩たちの処遇を改善してもらえないかと思い、2019年3月、思い切って榑松さんにSNSで連絡しました。 「仲間が工場勤務なのに他の仕事をやらされている」などと、簡単な日本語でメッセージを送り、社長が怒鳴っている動画も送りました。そして、約2週間後に彼の事務所(名古屋市)を訪ねました。彼はとても親身に相談に乗り、外国人技能実習機構(OTIT)や労基署に一緒に行って説明をしたり、電車のパスカードを作ってくれたりしました。 「外国人実習生支援」のFBページ。ここからメッセージを送れます。 自分に日本語で話しかける 榑松さんに相談してからの経過は次の通りです。労基署やOTITが動いてくれました。 〈2019年〉 ・3月11日:榑松さんと面会。一緒にOTIT名古屋事務所を訪問。 ・3月20日:国会議員が私たちの事例を取り上げ、国会で質問(それを聞いてNHKが取材)。 ・4月1日:社長が怒鳴っている動画などをNHKが放送。 ・4月3日:労基署とOTITが長野県の会社に立ち入り調査。OTITが後輩実習生3人をホテルに保護。3人はその後、OTITの手配で別の会社に転職。 ・6月:フィリピン人の後輩数人もOTITに保護され、その後転職。 ・7月:私が長野県の労基署を訪問し残業代不払いを訴え。 ・11月:労基署は「小売店(ペットショップ)の清掃などを行わせた時間外労働について、技能実習生らに約1年間にわたって割増賃金を支払っていない」などとして、労働基準法違反(割増賃金不払いなど)の疑いでこの会社を送検。 厚労省発表の指導事例にも掲載(2020年10月) 〈2020年〉 ・2月:入管庁と厚労省はこの会社の技能実習計画の認定を取り消し。同社社長が理事長を務める監理団体への許可も取り消し。 NHKが全国放送〈2019年4月〉 転籍 こうして会社は処分され、後輩たちは転籍できました。ただ、一度失踪したためか、私の転職先だけは決まりませんでした。榑松さんがあちこちに聞いて私の転職先を探してくれましたが、私と同じ職種の女性実習生は少なく、仕事があっても女子寮がないなどの理由で、なかなか見つかりませんでした。そんななか、榑松さんと懇意の黒田さんというベトナム語通訳の女性(西日本技能センター)が大阪府の抱月工業という会社にお願いしてくださり、就職できることになりました。2019年9月のことでした。 ・(監理団体)協同組合 西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 榑松さん(左)は私の日本でのお父さん〈名古屋市で2019年9月〉 新しい職場 抱月工業(大久保尚容社長)は従業員約70人で、2003年から実習生を受け入れ、今はエンジニアと実習生で計11人のベトナム人がいます。これまで女性実習生はいなかったので、私のために新たにアパートを借りてくれました。同社では、下記のようによい意味で驚きの連続でした。 ・社長が親切でやさしい。 ・現場リーダーたちが実習生に困ったことはないかよく聞いてくれる。仕事のやり方に関する意見交換会もある。 ・日本語能力試験(JLPT)に合格したら毎月の給料が上がる(N4:5,000円、N3:10,000円、N2:15,000円)。ほぼ全員がN3以上を取得して帰国する。 ・社員旅行がある(過去にベトナムに行った年もあった)。 とても働きやすい職場で、私は技能実習3号や特定技能などでできるだけ長くここで働きたいと希望しています。 作業中の私〈2020年8月〉 抱月工業の工場 会社の忘年会(右から2人目が社長) 今の生活 抱月工業の先輩たちは親切で、私と一緒に遊びに行ってくれる人もいます。また、私は地元の国際交流協会が主催する無料日本語教室に通っており、先生方の家に遊びに行ったりもします。 私のJLPT・N3合格を祝って日本語教室の先生たちと食事会〈2020年2月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,303 VND(2020年12月30日現在) 手取り給料(平均150,000円) 手取り給料 130,000円~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(合計 30,000円~50,000円) 食費 15,000円~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 15,000円~20,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(100,000円~130,000円) 差額 100,000円~130,000円 ※1カ月110,000円~150,000円を実家に送金 榑松さんや黒田さん、今の社長のおかげで、私は今、充実した実習生活を送っています。後輩の実習生の皆さん、実習先で困ったことがあっても、悪い仲間に引き込まれたり、不法就労に走ったりせず、支援機関に粘り強く相談してください。 【編集部からのアドバイス】 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語でも相談できます。電話もあります(0120-250-168)が、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が無難です。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援機関もあります。 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com
2021年01月04日
今回の先輩 チャン・ジエウ・アインさん 2011年グエンジャティエウ高校卒業〈ハノイ〉 2011年ハノイ国家大学・人文社会科学大学東洋研究部日本研究科入学 2013年東京大学留学(10カ月) 2016年ハノイ国家大学・日越大学地域研究部日本研究科(大学院)入学 2017年東京大学留学(4カ月) 2018年日系損保会社入社〈ハノイ〉 2020年商社入社〈東京〉 〈1993年生まれ、ハノイ市出身〉 ハノイの大イベントで「さくら親善大使」に選ばれたアインさん。華やかなイメージだけではなく、日本語も英語も流ちょうに話す。大学院を経て日本の商社に就職し、現在は東京で働く。外国語を身に付けるある方法や採用面接の準備の仕方など、学歴を問わずあらゆる留学生や留学希望者の役に立つ勉強や就職活動のノウハウを、アインさんが紹介する。 ハノイ市内で〈2017年〉 〈このページの内容〉 • さくら親善大使 • 大学でトップの成績 • 東京での留学生活(私の家計簿) • ハノイの日系企業に就職 • 就職活動:自己負担ゼロで海外面接 • 就職活動:面接前にすべき3つのこと • 就職活動:実際の面接で聞かれたこと • その日に習ったことをその日に覚える • 自分に日本語で話しかける • アルバイトでも日本語上達 • 日本のここが好き • 商社の仕事 さくら親善大使 さくら親善大使に選出〈2019年3月〉 ハノイで2年に1度、ハノイ市や在ベトナム日本国大使館、AICグループが「さくら親善大使」を選びます。私は大学院生だった2019年、日本大使館勤務の大学の先輩から依頼され、応募しました。私はこういう華やかな世界とは無縁だと思っていたので、義理だけで応募し、気楽に参加できました。また、書類選考や面接で残ったトップ15人の中で日本語力に関しては私が有利だったので、最後までリラックスして臨めました。 ただ、最後に残った5人の中で私の身長(162㌢)が一番低く、慣れない12㌢のヒールの靴をはいて歩くのが大変でした。他の参加者もハイヒールだったので、結局、身長差は縮まらなかったのですが……。その後、思いがけずグランプリに選ばれ、とても驚きました。こうして選ばれたおかげで、訪日して首相をはじめ要人の方々とお会いする機会をいただきました。また、さまざまな日越交流イベントに司会やゲストとして招かれました。 準グランプリの女性と私〈2019年〉 日本関係のイベントで当時の日本大使ご夫妻と〈ハノイで2019年〉 大学でトップの成績 大学の仲間と食事会〈2016年〉 一方、大学では、日本の政治・経済や外交、文化などを勉強しました。2年のときのGPA(Grade Point Average)は3.82(満点4.00)で研究科トップ、卒業時は2番でした。成績が認められ、3年のときにAIKOMという交換留学プログラムで東京大学に約10カ月間、留学しました。東大では、英語での授業(総合日本研究、日本文化分析など)と日本語に関する授業がありました。 東京での留学生活 東大では授業料を免除され、大学の寮に住みました。また、佐藤陽国際奨学財団から毎月10万円の奨学金を受給したほか、アルバイトを3つ経験しました。 ・牛丼店(2カ月間勤務)…Facebookの求人広告 ・日本語学校(2カ月間勤務、通訳とベトナム人学生のサポート)…Facebookの求人広告 ・別の日本語学校(週1回、約8カ月間勤務)…妹の留学先。先方から勧誘。 留学中は、AIKOMの英語授業を一緒に受けた東大生や訪日前にハノイで知り合った東京の私大生たちと交流しました。寮で部屋が隣だった中国人留学生とは、よく一緒に外食や買い物、旅行に行きました。同じ奨学金を受給していたベトナム人仲間や妹の留学生仲間とも行動を共にしました。 留学中に奨学金受給者の集まりで友だちになった日本人〈ハノイで2017年〉 私と同時期に日本留学中だった妹(中央)やその友人と東京観光〈2014年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,161 VND(2020年12月3日現在) 収入(合計14,000円) 奨学金 100,000円 アルバイト1件 40,000円 ※長期休暇時以外は1件のみ 支出(合計93,500円~103,500円) 家賃 10,000円 ※大学の寮(ワンルーム) 水道・光熱費 5,000円 ※電気・ガス・水道の合計 インターネット 2,500円 ※寮の定価 携帯電話 6,000円 食費 30,000円 ※主に自炊 雑費 40,000円~50,000円 ※衣類、学習教材、交通費など 差額・貯金(平均約40,000円) 差額 40,000円 ※旅行などに利用 寮の自室からの眺め〈2013年11月〉 留学後もときどき日本を訪問〈鎌倉で2016年〉 ハノイの日系企業に就職 当時の天皇・皇后両陛下に謁見〈ハノイで2017年〉 大学の最後の年、日本の大手航空会社から採用内定をいただきました。両親は喜びましたが、大学教授の勧めで大学院に進むことに決め、内定を辞退しました。大学院の授業料は免除され、修士2年の2017年には、訪越中の当時の天皇・皇后両陛下や安倍晋三首相に日越大学の学生代表としてお会いさせていただきました。また同年、大学院のカリキュラムで再び東大に4カ月間、留学できました。 就職後も「さくら親善大使」として日越交流イベントに参加〈ホイアンで2019年8月〉 しかし、企業で働きたいという思いを捨てきれず、修士課程在学中、人材会社の紹介で日本の大手損保の現地法人に就職しました。法人顧客を担当し、やりがいがありましたが、仕事で日本語をあまり使いませんでした。そこで、もっと日本語を使って上達するために日本で働くことにしました。 2回目の留学中に東京で大雪〈寮の庭で2018年1月〉 就職活動:自己負担ゼロで海外面接 ここからは、私が日本での仕事をどうやって得たかを紹介します。皆様の参考になれば幸いです。 大学時代に航空会社から内定をいただいたきっかけはConnect Job JAPAN主催のジョブフェアでした。書類選考で選ばれてシンガポールで面接を受け、次の面接を日本で受けました。両国への渡航費は主催者や企業がすべて負担してくれました。この企画に参加するには一定の英語力か日本語力が必要でした。 今の仕事は日経HRのジョブフェアで見つけました。書類選考と同社の面接で参加を認められ、2019年8月、東京でのジョブフェアに参加し、今の勤務先から内定をいただきました。日本語力を生かして働くなら、日本で働く方がポストも多く、給料もよいと思います。また、ジョブフェアを利用すれば、自己負担なしで外国で面接を受けられます。 就職活動:採用面接前にすべき3つのこと 私は以前、日本人ビジネスマンから採用面接での心構えを教えてもらい、それをヒントにしっかり準備をしました。その手順はこうです。 ❶自分は何をやりたいか、どの会社でそれができるかを考える。 ❷その企業が求める人物像を調べる。インターネット、先輩、知り合いなどから情報を集める。 ❸企業のビジョンや経営方針、事業内容からキーワードを見つけ、自分のエピソードと結びつける。 ※自分の長所・短所・やりたいことなどを分析し、企業ビジョンと合致している部分について面接でアピールする。その際、自分の経験やエピソードも交えて話す。 就職活動:実際の面接で聞かれたこと さくら親善大使の選考会に参加したメンバーと横浜観光〈2019年9月〉 商社の面接で実際に聞かれたことは▽自分の長所・短所▽なぜこの会社で働きたいのか▽具体的にどのような仕事をしたいか▽10年後のキャリア――などでした。私は知人から「商社では銀行と違って積極的な性格を売り込んだ方がよい」と助言されていたので、「アフリカの僻地で空港を作りたい」という夢を、この商社の事業と関連づけながら話しました。私の話の内容だけではなく、話し方や意気込み、バックボーンなども見られたのではないかと思います。ちなみに、この会社の最初の2回の面接は英語、最終面接は日本語でした。 その日に習ったことはその日に覚える 私は日本語能力試験(JLPT)N1です。私はアニメ「銀魂」の登場人物の性格や考え方が好きで日本に興味を持ち、大学で初めて日本語を勉強しました。外国語大学と比べて日本語の授業は少なかったのですが、私は授業の復習に力を入れ、その日に習ったことはその日のうちに覚えました。そして、試験のときにまた復習しました。こうすると、学んだことが頭に定着します。 また、日本語の勉強を兼ねてアニメ動画(音声・日本語、字幕・ベトナム語)もよく見ました。漫画本を読んでストーリーを覚えているので、なるべく音声に集中しました。 自分に日本語で話しかける 年に2、3回、私の大学で東京の大学生たちと一緒に研究をし、一緒に日本語で発表する取り組みがありました。東京に留学した際も彼らと交流し、日本語を使う機会を増やしました。東大の日本語の授業も役立ちました。外国語の上達はネイティブ・スピーカーと話すことで早まると思います。 また、私はよく日本語で自分に話しかけました。その日のできごとを自分に話して聞かせ、それに対して自分で質問したり、その質問に自分で答えたりします。これをすべて日本語で行い、学んだばかりの単語や文法を用います。言葉は使わなければ忘れてしまいます。英語もこの手法で身に付けました。 アルバイトでも日本語上達 アルバイトで貯めたお金で高校での親友とタイに旅行〈プーケットで2018年〉 交換留学が終わってから就職するまで4年間、私はハノイで日本人にベトナム語を教えました。日本語を使いながら教えるので、私の日本語も上達しました。最初は教室だけで教えましたが、途中から家庭教師もしました。相手はJICA、JETROや企業の駐在員やご家族で、人間関係も広がりました。また、Facebookで見つけた通訳のアルバイトもしました。イベントでの通訳が多く、家庭教師と合わせてよいアルバイト収入になりました。 日本のここが好き ベトナム人仲間で食事会〈東京で2020年9月〉 日本人の気遣いと「おもてなし」の精神が好きです。日本では、道路にほとんどゴミが落ちていませんし、電車内で大声で話す人もいません。お店でのサービスも粋です。例えば、買い物をして袋をもらわないとき、店員さんが商品にシールを貼ってくれますが、そのシールの端っこを折り曲げ、あとではがしやすいようにしてくれます。また、日本では飲食店で自席にかばんを置いてトイレに行く人がたくさんいます。だれもかばんを盗まないからです。電車内にものを置き忘れても、鉄道会社に連絡すると帰ってくるケースがよくあります。 商社の仕事 英語を話せるので、日本の次に好きな米国での就職も考えましたが、日本文化の高尚さにひかれて日本を選びました。また、前の職場の同僚が以前働いていた米国系企業である日突然、大量解雇があり、その日に出勤停止になったそうです。日本企業なら事前通告が通例です。雇用慣習でも日本企業に利があると考えました。 私は現在、ベトナムでのDX(デジタルトランスフォーメーション)事業を担当しています。仕事で使う言葉は主に日本語で、日本人と現地のベトナム人が一緒に話す場面では英語を使います。将来、仕事を通じてベトナムの社会課題の解決ができればと希望しています。2020年11月下旬からはベトナムへの長期出張もあり、やりがいを感じて仕事をしています。 今回の先輩 Trần Diệu Anh(チャン・ジエウ・アイン)さん 2011年NGUYỄN GIA THIỀU高校卒業〈ハノイ〉 2011年ハノイ国家大学・人文社会科学大学東洋研究部日本研究科入学 2013年東京大学留学(10カ月) 2016年ハノイ国家大学・日越大学地域研究部日本研究科(大学院)入学 2017年東京大学留学(4カ月) 2018年日系損保会社入社〈ハノイ〉 2020年商社入社〈東京〉 〈1993年生まれ、ハノイ市出身〉 ハノイの大イベントで「さくら親善大使」に選ばれたアインさん。華やかなイメージだけではなく、日本語も英語も流ちょうに話す。大学院を経て日本の商社に就職し、現在は東京で働く。外国語を身に付けるある方法や採用面接の準備の仕方など、学歴を問わずあらゆる留学生や留学希望者の役に立つ勉強や就職活動のノウハウを、アインさんが紹介する。 ハノイ市内で〈2017年〉 〈このページの内容〉 • さくら親善大使 • 大学でトップの成績 • 東京での留学生活(私の家計簿) • ハノイの日系企業に就職 • 就職活動:自己負担ゼロで海外面接 • 就職活動:面接前にすべき3つのこと • 就職活動:実際の面接で聞かれたこと • その日に習ったことをその日に覚える • 自分に日本語で話しかける • アルバイトでも日本語上達 • 日本のここが好き • 商社の仕事 さくら親善大使 ハノイで2年に1度、ハノイ市や在ベトナム日本国大使館、AICグループが「さくら親善大使」を選びます。私は大学院生だった2019年、日本大使館勤務の大学の先輩から依頼され、応募しました。私はこういう華やかな世界とは無縁だと思っていたので、義理だけで応募し、気楽に参加できました。また、書類選考や面接で残ったトップ15人の中で日本語力に関しては私が有利だったので、最後までリラックスして臨めました。 ただ、最後に残った5人の中で私の身長(162㌢)が一番低く、慣れない12㌢のヒールの靴をはいて歩くのが大変でした。他の参加者もハイヒールだったので、結局、身長差は縮まらなかったのですが……。その後、思いがけずグランプリに選ばれ、とても驚きました。こうして選ばれたおかげで、訪日して首相をはじめ要人の方々とお会いする機会をいただきました。また、さまざまな日越交流イベントに司会やゲストとして招かれました。 さくら親善大使に選出〈2019年3月〉 準グランプリの女性と私〈2019年〉 日本関係のイベントで当時の日本大使ご夫妻と〈ハノイで2019年〉 大学でトップの成績 一方、大学では、日本の政治・経済や外交、文化などを勉強しました。2年のときのGPA(Grade Point Average)は3.82(満点4.00)で研究科トップ、卒業時は2番でした。成績が認められ、3年のときにAIKOMという交換留学プログラムで東京大学に約10カ月間、留学しました。東大では、英語での授業(総合日本研究、日本文化分析など)と日本語に関する授業がありました。 大学の仲間と食事会〈2016年〉 東京での留学生活 東大では授業料を免除され、大学の寮に住みました。また、佐藤陽国際奨学財団から毎月10万円の奨学金を受給したほか、アルバイトを3つ経験しました。 ・牛丼店(2カ月間勤務)…Facebookの求人広告 ・日本語学校(2カ月間勤務、通訳とベトナム人学生のサポート)…Facebookの求人広告 ・別の日本語学校(週1回、約8カ月間勤務)…妹の留学先。先方から勧誘。 留学中は、AIKOMの英語授業を一緒に受けた東大生や訪日前にハノイで知り合った東京の私大生たちと交流しました。寮で部屋が隣だった中国人留学生とは、よく一緒に外食や買い物、旅行に行きました。同じ奨学金を受給していたベトナム人仲間や妹の留学生仲間とも行動を共にしました。 留学中に奨学金受給者の集まりで友だちになった日本人〈ハノイで2017年〉 私と同時期に日本留学中だった妹(中央)やその友人と東京観光〈2014年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,161 VND(2020年12月3日現在) 収入(合計14,000円) 奨学金 100,000円 アルバイト1件 40,000円 ※長期休暇時以外は1件のみ 支出(合計93,500円~103,500円) 家賃 10,000円 ※大学の寮(ワンルーム) 水道・光熱費 5,000円 ※電気・ガス・水道の合計 インターネット 2,500円 ※寮の定価 携帯電話 6,000円 食費 30,000円 ※主に自炊 雑費 40,000円~50,000円 ※衣類、学習教材、交通費など 差額・貯金(平均約40,000円) 差額 40,000円 ※旅行などに利用 寮の自室からの眺め〈2013年11月〉 留学後もときどき日本を訪問〈鎌倉で2016年〉 ハノイの日系企業に就職 大学の最後の年、日本の大手航空会社から採用内定をいただきました。両親は喜びましたが、大学教授の勧めで大学院に進むことに決め、内定を辞退しました。大学院の授業料は免除され、修士2年の2017年には、訪越中の当時の天皇・皇后両陛下や安倍晋三首相に日越大学の学生代表としてお会いさせていただきました。また同年、大学院のカリキュラムで再び東大に4カ月間、留学できました。 当時の天皇・皇后両陛下に謁見〈ハノイで2017年〉 しかし、企業で働きたいという思いを捨てきれず、修士課程在学中、人材会社の紹介で日本の大手損保の現地法人に就職しました。法人顧客を担当し、やりがいがありましたが、仕事で日本語をあまり使いませんでした。そこで、もっと日本語を使って上達するために日本で働くことにしました。 就職後も「さくら親善大使」として日越交流イベントに参加〈ホイアンで2019年8月〉 2回目の留学中に東京で大雪〈寮の庭で2018年1月〉 就職活動:自己負担ゼロで海外面接 ここからは、私が日本での仕事をどうやって得たかを紹介します。皆様の参考になれば幸いです。 大学時代に航空会社から内定をいただいたきっかけはConnect Job JAPAN主催のジョブフェアでした。書類選考で選ばれてシンガポールで面接を受け、次の面接を日本で受けました。両国への渡航費は主催者や企業がすべて負担してくれました。この企画に参加するには一定の英語力か日本語力が必要でした。 今の仕事は日経HRのジョブフェアで見つけました。書類選考と同社の面接で参加を認められ、2019年8月、東京でのジョブフェアに参加し、今の勤務先から内定をいただきました。日本語力を生かして働くなら、日本で働く方がポストも多く、給料もよいと思います。また、ジョブフェアを利用すれば、自己負担なしで外国で面接を受けられます。 就職活動:採用面接前にすべき3つのこと 私は以前、日本人ビジネスマンから採用面接での心構えを教えてもらい、それをヒントにしっかり準備をしました。その手順はこうです。 ❶自分は何をやりたいか、どの会社でそれができるかを考える。 ❷その企業が求める人物像を調べる。インターネット、先輩、知り合いなどから情報を集める。 ❸企業のビジョンや経営方針、事業内容からキーワードを見つけ、自分のエピソードと結びつける。 ※自分の長所・短所・やりたいことなどを分析し、企業ビジョンと合致している部分について面接でアピールする。その際、自分の経験やエピソードも交えて話す。 就職活動:実際の面接で聞かれたこと 商社の面接で実際に聞かれたことは▽自分の長所・短所▽なぜこの会社で働きたいのか▽具体的にどのような仕事をしたいか▽10年後のキャリア――などでした。私は知人から「商社では銀行と違って積極的な性格を売り込んだ方がよい」と助言されていたので、「アフリカの僻地で空港を作りたい」という夢を、この商社の事業と関連づけながら話しました。私の話の内容だけではなく、話し方や意気込み、バックボーンなども見られたのではないかと思います。ちなみに、この会社の最初の2回の面接は英語、最終面接は日本語でした。 さくら親善大使の選考会に参加したメンバーと横浜観光〈2019年9月〉 その日に習ったことはその日に覚える 私は日本語能力試験(JLPT)N1です。私はアニメ「銀魂」の登場人物の性格や考え方が好きで日本に興味を持ち、大学で初めて日本語を勉強しました。外国語大学と比べて日本語の授業は少なかったのですが、私は授業の復習に力を入れ、その日に習ったことはその日のうちに覚えました。そして、試験のときにまた復習しました。こうすると、学んだことが頭に定着します。 また、日本語の勉強を兼ねてアニメ動画(音声・日本語、字幕・ベトナム語)もよく見ました。漫画本を読んでストーリーを覚えているので、なるべく音声に集中しました。 自分に日本語で話しかける 年に2、3回、私の大学で東京の大学生たちと一緒に研究をし、一緒に日本語で発表する取り組みがありました。東京に留学した際も彼らと交流し、日本語を使う機会を増やしました。東大の日本語の授業も役立ちました。外国語の上達はネイティブ・スピーカーと話すことで早まると思います。 また、私はよく日本語で自分に話しかけました。その日のできごとを自分に話して聞かせ、それに対して自分で質問したり、その質問に自分で答えたりします。これをすべて日本語で行い、学んだばかりの単語や文法を用います。言葉は使わなければ忘れてしまいます。英語もこの手法で身に付けました。 アルバイトでも日本語上達 交換留学が終わってから就職するまで4年間、私はハノイで日本人にベトナム語を教えました。日本語を使いながら教えるので、私の日本語も上達しました。最初は教室だけで教えましたが、途中から家庭教師もしました。相手はJICA、JETROや企業の駐在員やご家族で、人間関係も広がりました。また、Facebookで見つけた通訳のアルバイトもしました。イベントでの通訳が多く、家庭教師と合わせてよいアルバイト収入になりました。 アルバイトで貯めたお金で高校での親友とタイに旅行〈プーケットで2018年〉 日本のここが好き 日本人の気遣いと「おもてなし」の精神が好きです。日本では、道路にほとんどゴミが落ちていませんし、電車内で大声で話す人もいません。お店でのサービスも粋です。例えば、買い物をして袋をもらわないとき、店員さんが商品にシールを貼ってくれますが、そのシールの端っこを折り曲げ、あとではがしやすいようにしてくれます。また、日本では飲食店で自席にかばんを置いてトイレに行く人がたくさんいます。だれもかばんを盗まないからです。電車内にものを置き忘れても、鉄道会社に連絡すると帰ってくるケースがよくあります。 ベトナム人仲間で食事会〈東京で2020年9月〉 商社の仕事 英語を話せるので、日本の次に好きな米国での就職も考えましたが、日本文化の高尚さにひかれて日本を選びました。また、前の職場の同僚が以前働いていた米国系企業である日突然、大量解雇があり、その日に出勤停止になったそうです。日本企業なら事前通告が通例です。雇用慣習でも日本企業に利があると考えました。 私は現在、ベトナムでのDX(デジタルトランスフォーメーション)事業を担当しています。仕事で使う言葉は主に日本語で、日本人と現地のベトナム人が一緒に話す場面では英語を使います。将来、仕事を通じてベトナムの社会課題の解決ができればと希望しています。2020年11月下旬からはベトナムへの長期出張もあり、やりがいを感じて仕事をしています。
2020年12月09日