カテゴリ | 最新ニュース

東京で生活・通学・仕事をする外国人の強い味方「東京都多言語相談ナビ」/無料

東京都で生活や仕事、勉強をしているベトナム人の皆さん、仕事や生活で困ったことがあったとき、「信頼できる相手に相談したい」と思ったことはありませんか? そのようなとき、あなたはベトナム人が運営するSNSで情報を探すことが多いことでしょう。しかし、SNSの情報の中には重大な間違いが含まれることもよくあります。「確かな相手に相談したい」「法律的な知識についても専門家に相談したい」。そんなときは、「東京都多言語相談ナビ」を使ってみてはいかがでしょうか? この記事では、公的機関が提供する電話相談サービス(無料)や地域の日本語教室(低額)を探すためのサイトについて紹介します。 〈このページの内容〉 1....

2025年02月26日
  • 108軍中央病院が日本の大学病院と提携

    2025年01月16日
    ベトナムのトップ医療機関の一つであるハノイの「108軍中央病院」のレ・フー・ソン理事長(院長)とラム・カイン元副理事長が2024年10月に来日しました。ソン理事長らは大阪公立大学医学部附属病院や富山大学附属病院と今後の提携に関する合意文書(MOU)を交わし、東邦大学医療センター(東京)とも今後の提携に向けて協議を行いました。108軍中央病院は日本のこれらの病院とどのような提携を目指すのでしょうか。ソン理事長にインタビューしました。 108軍中央病院はベトナムのトップ病院 ――まず、108軍中央病院がどのような病院なのか教えてください。 ソン理事長 当院は全ベトナムでトップ5に数えられる病院の一つで、軍病院としてはトップです。医師・看護師を含め約3,000人のスタッフがおり、通院患者は毎日約5,000人、入院患者は常時1,800〜2,000人います。要人を受け入れる病院としても知られており、今年7月に老衰と病気で亡くなった共産党最高指導者のチョン書記長も当院でケアしました。 軍病院は、政府関係や現役・退役軍人が治療を受けることが主眼ですが、軍に関係のない一般の人ももちろん受診できます。 当院は常に最新の医療設備・機器を採り入れています。医師もベトナムのトップレベルの医師を集め、世界レベルの医師も多数います。つまり、ベトナムで最新設備と先端技術で医療を提供している病院です。 ソン理事長 当院は全ベトナムでトップ5に数えられる病院の一つで、軍病院としてはトップです。医師・看護師を含め約3,000人のスタッフがおり、通院患者は毎日約5,000人、入院患者は常時1,800〜2,000人います。要人を受け入れる病院としても知られており、今年7月に老衰と病気で亡くなった共産党最高指導者のチョン書記長も当院でケアしました。 軍病院は、政府関係や現役・退役軍人が治療を受けることが主眼ですが、軍に関係のない一般の人ももちろん受診できます。 当院は常に最新の医療設備・機器を採り入れています。医師もベトナムのトップレベルの医師を集め、世界レベルの医師も多数います。つまり、ベトナムで最新設備と先端技術で医療を提供している病院です。 ――108軍中央病院の中で特に優れた技術を持つ医療分野は何ですか? ソン理事長 全体に高い水準ですが、特に挙げるなら、肝臓移植や幹細胞移植、骨髄移植、画像診断、脳血管疾患のカテーテル治療などです。 地理的にも文化的にも近い日本と提携 ――日本の大学病院と提携する理由は何ですか? ソン理事長 私たちは今まで多くの国々の医療機関と提携してきました。例えば、ドイツやオーストラリア、アメリカ、フランスなどです。そのなかでも、日本はベトナムから地理的に近く時差も2時間だけですし、両国には文化的な共通点もたくさんあります。また、越日両国の政府間では包括的戦略的パートナーシップも結ばれています。 これは、ベトナムのトゥオン国家主席が2023年11月に訪日して岸田首相と首脳会談を行い、両首脳は2国間関係を「アジアにおける平和と繁栄のための広範な戦略的パートナーシップ」から「アジアと世界における平和と繁栄のための包括的戦略的パートナーシップ」に格上げすると発表しました。「包括的戦略的パートナーシップ」はベトナム外交における最高レベルの2国間関係で、日本以外で同じ関係を結んでいるのは中国、ロシア、インド、韓国、米国の5カ国だけです。 交流の深い3つの大学病院を訪問 大阪公立大学医学部附属病院 ――今回、日本のどこの大学病院を訪問しましたか? ソン理事長 今回、大阪公立大学医学部附属病院と富山大学附属病院、東邦大学医療センター大橋病院(東京)の3病院とトップ会談をしました。このうち大阪・富山とは今後の医療技術の交換に関する合意文書(MOU)を締結しました。 ――これらの大学と108軍中央病院とのこれまでの関係を教えてください。 ソン理事長 大阪公立大学の前身である大阪市立大学と以前からMOUを結んでおり、医療技術に関する情報交換を続けていたほか、当院の若手医師を留学生として受け入れてもらい、1人が博士号を取得、3人が3カ月の短期留学プログラムを修了し、1人が現在も博士課程で研究中です。このような関係が下地となって、今回、大阪公立大学医学部附属病院と当院との間で新しいMOUを結びました。 富山大学とも以前から交換留学に関するMOUを結び、同大学で当院の医師4人が博士号を取得し、現在も2人が留学中です。今回は富山大学とのMOUを保持したまま、大学附属病院とも医療技術の交換に関する新たなMOUを交わしました。 東邦大学には当院から短期留学プログラムに参加した医師がいました。 医療技術習得のため日本に医師派遣へ ――大阪公立大学医学部附属病院とは今後どのような提携を目指しますか? 鶴田大輔・大阪公立大学医学部長とソン理事長 ソン理事長:今回のMOUの主な目的は次の通りです。➀医療技術の移転(習得)のために当院の医師を大阪に派遣する。➁両病院がさまざまな研究課題に共同で取り組む。③先方の医師を当院に招いて先端医療技術の指導やレクチャーを行ってもらう。④両病院が協力して医療に関するシンポジウム等を行う。 ――富山大学附属病院とは今後どのような提携を目指しますか? 林篤志院長(中央)ら富山大学附属病院の幹部とソン理事長 ソン理事長:富山大学附属病院から特に学びたいことはすい臓ガンの治療(手術を含む)と乳がんの手術、目の病気の治療です。まず、先方の教授や専門医を当院に招いてレクチャーを行ってもらいたいです。また、将来は、当院から富山に医師を3~6カ月間派遣し、すい臓ガン手術・治療を中心に医療技術について研修を受けさせたいと希望しています。 ――東邦大学医療センターとの提携についても教えてください。 ソン理事長と東邦大学医療センター大橋病院の渡邉学院長 ソン理事長 東邦大学医療センターはとても立派な病院でした。しかも、東京の都心にあるので、在日本ベトナム大使館職員や東京に住むベトナム要人の治療をお願いできるかも知れないと思いました。今後、両病院の協力関係を一層深めていきたいと思います。 今年4月には、乳がん治療にくわしい東邦大学医学部の長田拓哉准教授にも当院を訪れ、見学をして頂きました。近い将来、長田先生のご助力を得て当院に乳がん専門の診療科を設けられたらと考えています(現在は産婦人科などで診療)。 ベトナムから日本に伝えたい医療技術 ――逆に108軍中央病院から日本の大学病院に伝えたい医療技術は何ですか? ソン理事長 今回の訪問で日本の各大学病院に当院の次のような長所をお伝えしました。➀患者数が非常に多いし、日本には少ない症例もあるので、共同研究の貴重なパートナーとなり得る。➁若い医師が多く向上心も強いので、国際プロジェクトを組んで医療技術・知識を交換し、ともに発展するための相手として適している。 日本では少ない症例としては、マラリアやデング熱などの熱帯疾患があります。また、当院ではバイク・自転車での重傷事故患者の治療件数も非常に多いです。地球温暖化の進行で日本でもデング熱患者などが増え始めていますし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に見られるように、グローバル規模の感染症拡大に対する多国間協力の重要性も増しています。 医療分野における日越の協力は非常に重要であり、私は今後、こうした協力関係の発展に引き続き尽力していきたいと思います。 Lê Hữu Song(レ・フー・ソン) ベトナム108軍中央病院教授・理事長。ベトナム軍少将。臨床医薬研究所理事長。専門分野は感染症(ウイルス性感染症、細菌性感染症)と呼吸器疾患、消化器疾患、熱帯疾患(デング熱、マラリアなど)。
  • 2025年の大きなイベント 

    2025年01月14日
    2025年が始まりました。今年、日本や世界では、どのようなイベントがあるのでしょうか?これから日本に来るベトナム人やすでに日本に住んでいるベトナム人の皆さんのために、日本を中心に今年の主なイベントを紹介します。【藤田裕伸】 阪神・淡路大震災から30年(1月17日) 大震災で倒壊した高速道路=神戸市で1995年1月17日(毎日新聞社提供) 死者・行方不明者6,434人を出した阪神・淡路大震災から30年を迎えます。 大震災で倒壊した高速道路=神戸市で1995年1月17日(毎日新聞社提供) 死者・行方不明者6,434人を出した阪神・淡路大震災から30年を迎えます。 米国でトランプ大統領が就任(1月20日) 米ホワイトハウス 1月20日、トランプ米大統領が就任します。「米国ファースト」を掲げ、関税によって中国などに貿易戦争を仕かけようとしています。世界経済の悪化が懸念されています。 米ホワイトハウス 1月20日、トランプ米大統領が就任します。「米国ファースト」を掲げ、関税によって中国などに貿易戦争を仕かけようとしています。世界経済の悪化が懸念されています。 ウクライナ侵攻から3年(2月24日) ウクライナの首都キーウ ロシアがウクライナに侵攻して丸3年となります。それまでに停戦合意を実現できるのでしょうか。 ウクライナの首都キーウ ロシアがウクライナに侵攻して丸3年となります。それまでに停戦合意を実現できるのでしょうか。 中国の全人代開幕(3月5日) 2024年3月の全人代(毎日新聞社提供) 中国の全国人民代表大会(全人代)が開幕します。習近平国家主席がどのような外交政策を示すのかに注目です。 2024年3月の全人代(毎日新聞社提供) 中国の全国人民代表大会(全人代)が開幕します。習近平国家主席がどのような外交政策を示すのかに注目です。 米大リーグ開幕(3月18日) 野球の米国メジャーリーグが開幕します。大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手が所属するドジャースと鈴木誠也(すずき・せいや)選手のカブスが東京ドームで対戦します。 野球の米国メジャーリーグが開幕します。大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手が所属するドジャースと鈴木誠也(すずき・せいや)選手のカブスが東京ドームで対戦します。 ラジオ放送開始100年(3月22日) 日本でラジオ放送が開始されてから100年を迎えます。テレビ放送の開始はそれから28年後の1953年ですが、テレビが普及するのには時間がかかり、長きにわたり、ラジオが日本の家庭での情報収集や娯楽の主役でした。 日本でラジオ放送が開始されてから100年を迎えます。テレビ放送の開始はそれから28年後の1953年ですが、テレビが普及するのには時間がかかり、長きにわたり、ラジオが日本の家庭での情報収集や娯楽の主役でした。 大阪・関西万博が開幕(4月13日) 大阪・関西万博の候補地(毎日新聞社提供) 2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)が開幕します。158の国と地域が参加する予定で、閉幕は6か月後の10月13日です。 大阪・関西万博の候補地(毎日新聞社提供) 2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)が開幕します。158の国と地域が参加する予定で、閉幕は6か月後の10月13日です。 日航ジャンボ機墜落事故から40年(8月12日) 墜落現場で見られた航空機の主翼=事故の翌日(毎日新聞社提供) 日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹山(おすたかやま)に墜落し、520人の死者を出した事故から40年。日本の民間航空史上最悪の事故。 墜落現場で見られた航空機の主翼=事故の翌日(毎日新聞社提供) 日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹山(おすたかやま)に墜落し、520人の死者を出した事故から40年。日本の民間航空史上最悪の事故。 終戦から80年(8月15日) 昭和天皇が終戦を告げるラジオ放送に聞き入る日本国民ら=1945年8月15日撮影(毎日新聞社提供) 第二次世界大戦で日本が敗戦してから80年。さまざまな式典が行われます。 昭和天皇が終戦を告げるラジオ放送に聞き入る日本国民ら=1945年8月15日撮影(毎日新聞社提供) 第二次世界大戦で日本が敗戦してから80年。さまざまな式典が行われます。 ベトナム建国80周年(9月2日) 今のホーチミン ベトナム建国から80年。1945年9月2日に故ホー・チ・ミン主席が独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国が成立しました。 今のホーチミン ベトナム建国から80年。1945年9月2日に故ホー・チ・ミン主席が独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国が成立しました。
  • 「正座」は日本の伝統的な座り方?

    2024年05月04日
    足を折りたたんで座る「正座」。日本の江戸時代(1603~1868年)、武士が将軍に会うときは、正座をすることで将軍への忠誠心を示しました。現代でも、茶道や華道、書道など日本の伝統文化で正座は正式な座り方とされ、日常生活でも、和室で目上の人と会うときは正座が原則です。ただし、日本で正座が広まったのはそれほど昔のことではありません。それでは、正座は日本でいつごろからどうやって広まっていったのでしょうか? この記事は5カ国語の総合メディアJAPOと共同で制作しました。ベトナムでは、JAPOのウェブサイトに毎月15万件のアクセスがあり、雑誌も毎月2万部を配布しています。TV番組もあります。 昔は「立てひざ」や「あぐら」が一般的だった あぐら かつては「立てひざ」や「あぐら」が一般的 正座は日本の奈良時代(710~784年)に中国から伝わったと言われています。しかし、長らく、正座をするのは、神様や仏様に祈るときや高貴な人にひれ伏す場合などに限られていたようです。 江戸時代(1603~1868年)までは、公的な場でも、男性も女性も片方のひざを立てて座る「立てひざ」の座り方が多かったそうです。その後、座禅(ざぜん)の座り方に近い「あぐら」という座り方(上の写真)も広まっていきます。 十二単の着物 平安時代(794~1185年)の女性貴族や宮廷で働く女性たちの姿が当時の絵に描かれていますが、彼女たちの正装は十二単(じゅうにひとえ)という着物でした。この着物は下半身の部分がゆったりし、あぐらで座ることを前提にデザインされていました。また、平安時代の女性が正座を崩した「横座り」でくつろぐ姿も当時の絵で見られます。 武士や茶道での座り方 「あぐら」をかく武士 江戸時代までは、武士も「あぐら」か「立てひざ」、「そんきょ(しゃがむ姿勢)」の座り方で座っていました。正座で座ると、足がしびれますし、立ち上がるのに時間もかかるので、周囲の人から急に襲われた場合に対応できないという事情もありました。 千利休 また、今は茶道をするときは正座が原則ですが、昔は「あぐら」でよかったそうです。最も有名な茶人である千利休(せんのりきゅう、1522~1591年)もあぐらで茶道をしていたことが、当時の絵から分かります。 正座が広まり始めたのは17世紀 将軍が正座を導入 正座が広まっていくきっかけになったのは、江戸時代(1603~1868年)の初期に将軍(しょうぐん:全国の武士のトップ)が各地の大名(だいみょう:各地の武士のトップ)や家臣(かしん:身近な部下)に会う際に、相手に正座を義務付けたことでした。 将軍はKing of Samuraiなので、自分を神格化(しんかくか)したかったのかというと、そうでもないそうです。 相手に正座をさせると、相手が立ち上がって刀で斬(き)りかかるのが難しくなります。そこで、大名や家臣たちが将軍の前で座る際、将軍を攻撃する気持ちがないことや将軍への服従の気持ちを示す作法として正座が導入されたのです。 畳の普及で正座が広まる 将軍が大名や家臣に正座を義務付けたのをきっかけに、正座文化は武家社会で少しずつ広まっていきました。しかし、当時の住居は板間だけだったので、武士といえども、座り方の主流は引き続き立てひざやあぐらだったようです。武士の間で正座がもっと定着するのは、畳が登場した江戸時代中期以降でした。 畳の登場で武士の間に正座文化が定着すると、武士と交流がある商人たちも礼儀を示すために正座をするようになりました。 学校教育でさらに広まる そして、明治時代(1868~1912年)になると、正座は庶民にも広まります。これは、明治時代以降の政府が学校の「修身(しゅうしん)」という道徳教育の科目で、外国文化との違いを強調するために、日本人の正しい座り方として「正座」を教えたからです。「正座」という呼び方もこのときに生まれました。これによって、それまではあぐらでもよかった茶道の座り方も正座に統一されていきました。 同時に、それまではお金持ちの家にしかなかった畳が庶民の家にも普及し、正座をしやすい環境が生まれました。さらに、江戸時代に大流行した脚気(かっけ)という、足の痛みを伴う病気の治療法・予防法が明治時代に確立されました。脚気にかかると足が痛くて正座ができなかったのですが、脚気が激減したことも正座の普及を後押ししました。 正座が必要な場面と座り方 正座が必要な場面 現在、「正座」は茶道や華道、書道、落語、囲碁、将棋など日本文化の様々な場面で使われています。また、和室で目上の人と対面するときには、正座が礼儀正しい座り方ですし、日本で神様や仏様に祈る場合も正座をするのが一般的です。 正座の座り方 ①はじめに、床に両ひざをつきます。 ②お尻を落として、かかとの上に乗せます。 ③足の甲を床にぺたんとつけます。これで正座が完了です。 正座をしたら、両手はひざかももの上に置き、背筋を伸ばします。男性はひざとひざの間を少しだけ(こぶし一つ分)開き、女性はひざを閉じて座ることが多いです。 正座ができないとき 足をけがしている場合や高齢で正座が難しい場合などは、相手に事情を話して足を崩しましょう。 正座のよいところ 脳が活性化 勉強するときや気持ちを引き締めるときに正座をします。正座をして背筋も伸ばすと、脳が活性化され、集中力も高まります。 正座をすると足が短くなる? 「日本人は正座をするため外国人と比べて脚が短い」と考える人がいます。確かに、正座をすると下半身の血流が悪くなるため、脚が成長しにくくなるような気がします。 しかし、現在は、正座と脚の長さには関連性はないと言われています。日本人の脚が昔と比べて長くなったのは、正座をしなくなったためではなく、食生活の変化によるものと考えられています。 まとめ 正座は奈良時代に中国から伝わったと言われていますが、普段の生活の中では広まらず、「立てひざ」や「あぐら」の座り方が一般的でした。 正座が広まり始めたのは、江戸時代(1603~1868年)に将軍が大名や家臣に正座を義務付けてからでした。その後、畳の登場で武士の生活の中でも正座が広まりました。さらに、明治時代(1868~1912年)に畳が庶民にも普及したうえ、政府が学校教育で正座を推進したため、庶民の間でも正座が一気に広まりました。 日本の伝統的な座り方とされる「正座」ですが、世間一般に広まったのはそれほど昔ではなかったのですね。 ところで、あなたは正座ができますか?私は正座が苦手です。足が痛くなりますからね。

留学生・技能実習生・エンジニアをサポートするサイト

【在ベトナム日本国大使館後援】

  • 日本の春の悩み「花粉症」

    新型コロナが流行する以前から、毎年2月後半~5月前半の日本ではマスクを付ける人がたくさんいました。鼻や目の粘膜が花粉に反応して強いアレルギー症状を起こす「花粉症」の患者が日本にはとても多く、マスクなどで対策をします。実は私も日本に来て花粉症になりました。日本での花粉症体験と対策をレポートします。 「花粉症」とは? ⬤ 花粉症の症状 鼻や目の強いかゆみ、何度も出るくしゃみが「花粉症」の最大の特徴で、鼻水や鼻づまり、頭痛を伴うこともよくあります。花粉症を特に引き起こしやすいのはスギとヒノキで、日本の山に大量に植えられています。 2月から5月にかけて、下記の症状が見られれば、残念ながらあなたは既に花粉症にかかっているか、今後花粉症になる可能性が高いと言えます。 ・鼻のかゆみとひんぱんなくしゃみ、鼻水、鼻づまり ・目のかゆみ ・のどのかゆみ ・頭痛、めまい ⬤ ベトナム人の私も花粉症に 血液検査でスギとヒノキの花粉症であることが判明 花粉症になっても命に別状はありませんが、長期間続くので、かかった人はとても苦しみます。私も5年前、花粉症にかかりました。鼻のかゆみとくしゃみ、目のかゆみがひどく、1週間経っても10日経っても治りません。もう我慢できず、耳鼻咽喉科クリニックに行くと、「花粉症」と診断されてびっくりしました。 花粉症は日本の国民病? なぜ日本では花粉症の人が多いのでしょうか? 花粉症は1970年ごろから増え始めました。第二次世界大戦後の1945年から20年あまりの間に、木材資源としてスギやヒノキが各地に大量に植えられ、1970年ごろから花をつけるようになったからです。不幸なことに、現在日本の人口の約4分の1がスギやヒノキの花粉症を患っていると言われています。 花粉症の原因は日本の山から飛んでくる花粉なので、日本を離れると症状はたちどころに治まります。この季節に花粉症の日本人がベトナムに旅行や出張に行くと、花粉症から即座に解放され、快適に過ごせるそうです。 新型コロナと花粉症、どう見分ける? 今年は新型コロナの流行が収まらない中花粉シーズンが到来。まさに弱り目に祟り目ですね。鼻水、鼻づまり、頭痛、めまいなどの症状が出ると、「花粉症かな?コロナかな?」と心配する人も多いと思います。でも、コロナと花粉症には大きな違いがあります。「強い鼻のかゆみ」「止まらないくしゃみ」「目のかゆみ」といった症状は花粉症特有のものです。また、花粉症の場合は、コロナのように高熱や筋肉痛などの症状は基本的にはありません。ただ、気になる場合は医療機関に行ってくださいね。 花粉症対策(薬品) ドラッグストアの花粉症対策コーナー 毎年花粉症と戦う日本人は、そのための“武器”や“戦略”をたくさん考えてきました。今回は私が花粉症と5年間戦ってきた経験と対策をご紹介しましょう。万が一花粉症になってしまったら、実践してみてください。まずは薬を使った対策から。 ⬤ 花粉症対策の薬 花粉症対策の目薬 私にとって一番効果的な対策は薬です。花粉症の季節には、日本の多くのドラッグストアに専用のコーナーが設けられ、「花粉症対策」と書かれた薬が並びます。 ■服用薬 花粉症の症状を抑えます。この種の薬の多くは、飲むと眠くなりますが、眠くならないとPRしている薬もあります。値段はさまざまで、私の場合、1カ月分で約3.800円です。 ■点鼻薬 鼻詰まりや鼻水を治す薬で、値段は700円〜800円です。 ■目薬 目のかゆみを抑える薬で、値段は数百円〜数千円とさまざま。 ⬤ 医師の処方箋で薬は安くなる 上記の薬の利点はドラッグストアやネット販売で手軽に購入できることです。医師の処方せんは不要です(コロナが心配で、医療機関に行きたくない人もいますね)。ただし、高価です。 一方、クリニックや病院で受診すると、処方せんをもらえます。健康保険に加入している人が処方せんと引き換えに薬を買うと、代金の一部が保険でカバーされるので、ドラッグストアで買うより安くすみます。 花粉症対策(薬以外) 100円ショップでも売られている花粉対策メガネ 薬のほかに下記のような花粉症対策もあります。 ■マスク 今や日常品となったマスク。コロナウィルスもまだ収まっていないので、マスクの着用を続けましょう。 ■目を洗う 目の粘膜に付着した花粉を洗い流します。洗浄液もあります。 ■鼻うがい 鼻の洗浄のことで、花粉を鼻腔から洗い流します。慣れないうちは痛いかもしれませんが、慣れると鼻をスッキリさせることができます。鼻うがい用の洗浄液もあります。 ■花粉対策メガネ 私は花粉から目を守るため、外出時にいつも花粉対策メガネをかけています。花粉侵入を防ぐフード(防護カバー)がついており、「花粉の侵入を90%以上カット」とうたっているメガネもあります。100円ショップで購入できる花粉対策メガネもあります。 ■衣類や毛布を外で干さない 衣類や寝具への花粉の付着を防ぐため、室内で干すか乾燥機で乾かしましょう。部屋干しは、この季節に中国から飛んでくる黄砂の付着を防ぐためにも有効ですね。 ■空気清浄機 できれば高性能の空気清浄機を部屋で使いましょう。室内の花粉を減らすことができますし、加湿機能を使うと、花粉の拡散も抑えられます。 今回は、日本人の多くがかかっている花粉症についてお伝えしました。日本に来る前には「花粉症」という言葉を聞いたことがなかった人も多いと思いますが、私のように日本に来てすぐ花粉症になるケースもあります。万が一、花粉症になってしまったときは、このブログを思い出してくださいね。

    2021年03月12日

  • Vol. 38 留学生の妻として訪日・出産・進学

    今回の先輩 ファム・フィ・イェンさん 2002年 5月グエンビンキエム高校卒業〈ヴィンロン県〉 2002年 9月ホーチミン国家大学・工科大学建築学部入学 2007年 4月外資系インテリア会社入社→4年勤務〈ホーチミン〉 2010年 10月留学中の夫と結婚 2011年 4月訪日〈大阪〉 2012年 12月出産 2013年 10月日本語学校入学→1年間 2014年 4月ヘアブラシメーカー入社→2年間勤務 2016年 11月出産 2017年 10月大阪大学大学院言語文化研究科研究生 2018年 4月大阪大学大学院修士課程入学 2020年 4月大阪大学大学院博士課程入学 〈1984年生まれ、ヴィンロン省出身〉 はじめに 家族でマイカーでお出かけ〈2020年5月〉 最初は数年間住むだけのつもりで訪日したイェンさん。その後、日本で娘2人を出産し、大学院にも進み、最近は家も購入した。イェンさんはどうやって日本語を身に付け、どうやって仲間を増やしていったのか――出産・育児やアルバイトの様子とともに本人がリポートする。 家族でマイカーでお出かけ〈2020年5月〉 恋人が日本へ、そして結婚 左:ホーチミン市内の公園で勤務先の同僚と〈2007年〉右:ホーチミンの勤務先で〈2011年〉 私は高校2年のときに同級生と交際を始め、彼と同じ大学に進みました。しかし、彼はその翌年から日本の文部科学省の奨学金で6年間留学(日本語学校1年、高専3年、大学2年)することになりました。私は留学には興味がなく、その後、ホーチミンで就職しやりがいを感じて仕事をしていました。彼とはめったに会えませんでしたが、毎日国際電話をかけてきてくれ、1時間ぐらい話しました。こうして遠距離恋愛の末、私たちは結婚しました。夫は大学院1年目、私は社会人4年目でした。 左:ホーチミン市内の公園で勤務先の同僚と〈2007年〉; 右:ホーチミンの勤務先で〈2011年〉 ◇遠距離恋愛の末に結婚〈2010年〉 夫と同居するため日本へ 結婚して半年後の2011年4月、私は仕事を辞めて訪日しました。夫は設計会社への入社が内定していました。そのときは、日本に長く住むことになるとは思っていませんでした。 私はベトナムの外資系企業で英語で仕事をしていましたが、日本では英語が通じません。当初は友だちも少なく、日本語もできなかったので、ずっと家にいてストレスがたまりました。そんなとき、留学生の妻仲間(ベトナム人)が地元の国際交流協会の日本語教室を紹介してくれました。ボランティアの日本人先生が教える無料教室(1回1時間)です。私は週2回通いました。生徒は20~30人(うちベトナム人4人)で、大阪大学の留学生の家族が大半でした。 私たちの略歴 私たちの略歴 私 夫 2002年 ホーチミン国家大学入学 2004年 日本の日本語学校 2005年 高専 2007年 卒業→ベトナムで就職 2008年 大阪大学工学部 2010年 大阪大学大学院 2010年 結    婚 2011年 退社→訪日 2012年 出産 日本で就職 2013年 日本語学校→1年間 2014年 日本の会社で勤務→2年間 2016年 出産 2018年 大阪大学大学院(修士課程) 2020年 大阪大学大学院(博士課程) 母親生活は寂しいスタート 長女と近所の公園で〈2014年春〉 日本に来て数カ月後、日本語学校に通うお金を貯めるため、留学生の妻仲間の紹介でクリーニング店でパートを始めました。週末だけの仕事で、洗濯とアイロンの担当でした。そして、ほどなく妊娠が判明しました。どの病院がよいのか分からず困っていると、アパートの家主さん(医師)が「大きな病院で産む方がよい」と教えてくれました。そして、マイカーで私たちを病院に連れて行き、受診手続きもしてくれました。その後は夫に通訳として付き添ってもらって受診を続け、2012年10月に長女を出産しました。 産後は、母がベトナムから1カ月間手伝いにきてくれましたが、夫は仕事が忙しくていつも遅い帰宅でした。私は言葉の壁もあり、乳児の予防接種や親子ふれ合いイベントなどの情報も十分に得られませんでした。 長女と近所の公園で〈2014年春〉 保育所を活用し日本語学校へ 日本語学校のクラスメイトと教室で 出産2カ月後、私は週末のパートに復帰しました。そして、出産1年後、娘を保育所に預けて日本語学校(授業料・年間65万円)に入り、1年間通いました。ボランティア教室で学んだおかげで、日本語学校は中級からスタートできましたが、娘がよく発熱したので半分近く休みました。それを補うため、毎晩2時間、自分で勉強しました。 自習に使った主な教材を紹介します。 ・「ペアで覚えるいろいろなことば」(武蔵野書院)=日本語教師の推薦 ・小学生の国語ドリル ・小学生新聞 ・News Web Easy(オンラインニュース)=音声も聞ける 日本語学校のクラスメイトと教室で 日本語学校を経て「就職」 勤務先の会社のベトナム代理人との懇親会で通訳〈2015年〉 日本語力がついたので2014年から2年間、大阪市のヘアブラシメーカーで働きました。ベトナム人の友人が退職する際に後任として紹介してもらいました。同社はベトナムの工場でも委託生産しており、翻訳・通訳が主な仕事内容でした。半年間は日本語学校に通いながらで、残り1年半はフルタイムでした。二女の出産(2016年11月)に備えて退社するまで、社長はじめ社員の皆さまに親切にしていただき、楽しく働けました。 勤務先の会社のベトナム代理人との懇親会で通訳〈2015年〉 キャリアアップを目指し大学院へ 左:大阪大学のベトナム語専攻の教官や院生らと食事会 右:大阪大学で修士課程の修了式〈2020年3月〉 2017年10月、大阪大学大学院の研究生になりました。ここで準備して入試を受け、半年後に大学院に進みました。私の在留資格は「家族滞在」で「留学」ではないので、日本人と同じ入試でした。よい仕事が見つかるようキャリアアップしたいと思ったのが進学理由です。2020年4月からは博士課程に進み、在日ベトナム人の子どもへのベトナム語の教え方について研究しています。なお、大学院入学後に在留資格を「留学」に変更し、修士2年目は文部科学省の奨学金を毎月148,000円受給し、授業料も免除されました。博士課程では、年齢制限でこの奨学金は受給できなくなりました。 左:大阪大学のベトナム語専攻の教官や院生らと食事会; 右:大阪大学で修士課程の修了式〈2020年3月〉 ベトナム人コミュニティ 左:国際交流協会の活動で仲良くなったベトナム人女性らとテトのイベントを開催〈2016年〉右:東京のベトナム人の友だちを訪ねて〈上野公園で2016年〉 当初は留学生の妻仲間しか友人がいませんでした。しかし、大阪のベトナム人留学生が集まる大きなグループがあり、毎年テト(旧正月)に大阪大学の施設に集まってお祝いをします。このような機会にベトナム人の友だちが増えていきました。国際交流協会の活動を通じて友だちになったベトナム人仲間もいます。また、夫の妹が2014年から日本で留学し近所に住み始めました。義妹はその後、日本で就職しました。義妹の娘は私の長女と同学年で、彼女たちとは今も一緒に食事をしたり買い物や旅行に行ったりします。 左:国際交流協会の活動で仲良くなったベトナム人女性らとテトのイベントを開催〈2016年〉; 右:東京のベトナム人の友だちを訪ねて〈上野公園で2016年〉 親切な日本人のママ友たち 親切な日本人のママ友たち ママ友たちと近所の公園で桜の花見〈2019年4月〉 日本語が話せるようになると、日本人のママ友だちもできました。友だちになるきっかけはいろいろあります。保育所で私から「すみません」と話しかけて質問する▽向こうから「初めまして」と声をかけてくれる▽子ども同士が遊んで親切にしてもらった後で、「この間は仲良くしていただいてありがとうございました」とお礼を言う――などです。私の住む地域のママさんたちは親切な人が多く、今では彼女たちとの付き合いが中心です。 ママ友たちと近所の公園で桜の花見〈2019年4月〉 アルバイトとボランティア アルバイトとボランティア 日本語力がつくと、ボランティアやアルバイトの依頼・紹介が増えました。例えば、2018年からは大阪大学外国語学部(ベトナム語専攻)の学生の卒業論文(ベトナム語)の執筆をサポートする「ティーチング・アシスタント」をしています。 また、2017年から隣の市の公立小学校でスクール・サポートをしています。大学院の先生から紹介されたボランティア的な仕事です。技術者などで日本に来るベトナム人の子どもたちが日本語力ゼロで小学校に入ります。彼らのために一般授業で通訳をしたり、特別授業を設けて日本人教師と一緒に国語や算数を教えたりします。単独で日本語を教えることもあります。こうした児童が現在5人います。学校から保護者への連絡文書を翻訳したり、保護者懇談で通訳をしたりもします。 開始年 終了年 アルバイト・ボランティア 報酬・謝礼(交通費含む) 頻度 2013 箕面市国際交流協会(ベトナム文化の紹介、翻訳、イベント手伝い 無償 不定期 2016 2018 ベトナム語個人レッスン1名 1時間1,500円 週1回(2時間) 2017 小学校で授業サポート 3時間5,000円 週1回(大学の長期休暇時は週4回) 2017 小学校で事務サポート(ベトナム人保護者への連絡分翻訳など) 1回2,400円 2018 2019 箕面市国際交流協会(ベトナム語教室) 1人1回500円 週1回(1時間) 2018 みのお外国人医療サポートネット(ベトナム人の受診で通訳) 1回3,000円 月1回程度 2018 大阪大学(ティーチングアシスタント) 1時間1,600円 2020 NHK文化センター(ベトナム語教室) 1人1コマ1,000円 2週に1回(日曜、80分×2コマ) 2020 大阪の専門学校(ベトナム語講師) 1回4,000円+交通費 週1回(90分) 2020 神戸の専門学校(ベトナム語・ベトナム文化 非常勤講師) 1コマ6,000円 週1回(90分×2コマ) 開始年 終了年 アルバイト・ボランティア 報酬・謝礼(交通費含む) 頻度 2013 箕面市国際交流協会(ベトナム文化の紹介、翻訳、イベント手伝い 無償 不定期 2016 2018 ベトナム語個人レッスン1名 1時間1,500円 週1回(2時間) 2017 小学校で授業サポート 3時間5,000円 週1回(大学の長期休暇時は週4回) 2017 小学校で事務サポート(ベトナム人保護者への連絡分翻訳など) 1回2,400円 2018 2019 箕面市国際交流協会(ベトナム語教室) 1人1回500円 週1回(1時間) 2018 みのお外国人医療サポートネット(ベトナム人の受診で通訳) 1回3,000円 月1回程度 2018 大阪大学(ティーチングアシスタント) 1時間1,600円 2020 NHK文化センター(ベトナム語教室) 1人1コマ1,000円 2週に1回(日曜、80分×2コマ) 2020 大阪の専門学校(ベトナム語講師) 1回4,000円+交通費 週1回(90分) 2020 神戸の専門学校(ベトナム語・ベトナム文化 非常勤講師) 1コマ6,000円 週1回(90分×2コマ) ◎ベトナム語個人レッスン=インターネットの紹介サイトに登録。https://hello-sensei.com/ ◎外国人医療サポート=国際交流協会からの依頼 ◎NHK文化センター、大阪の専門学校=前任者(大阪大学の関係者)からの紹介 ◎神戸の専門学校=大学院の友人からの紹介 自宅の庭でおやつを食べる次女〈2020年〉 自宅の庭でおやつを食べる次女〈2020年〉 自宅で夕食の準備〈2020年〉 日本に慣れ親しんで 自宅で遊ぶ娘たち〈2020年5月〉 娘たちは現在、小学2年と3歳です。娘たちが学校や保育所で過ごす朝から夕方までの間に、私は勉強・家事・アルバイトをこなします。夜も授業準備などがあり、睡眠は5時間ぐらいです。 当初は、数年でベトナムに帰るつもりでしたが、日本で子育てを続けるうちに娘たちに日本の教育を受けさせたいと思うようになりました。日本の学校では生活マナーなども教えてくれるからです。また、日本に長く住み、便利な生活や仕事に対する日本的な考え方にも慣れ親しみました。今ベトナムに帰っても適応できるかどうか分かりません。こうして私たちは2018年、住宅ローンを借りて一軒家を購入しました。当面は、家族や仲間と一緒に日本で学び、働き、生活を続けていきたいと思っています。 自宅で遊ぶ娘たち〈2020年5月〉

    2020年08月07日

  • Vol. 37 多彩な仲間づくりで留学が充実

    今回の先輩 レ・チュン・ハイさん 2014年 5月ファンチヤウチン高校卒業〈ダナン市〉 2014年 9月ドンズー日本語学校入学〈ホーチミン〉 2015年 10月ドンズー日本語学校卒業 2015年 10月神村学園専修学校日本語学科入学〈鹿児島県〉 2017年 3月神村学園専修学校日本語学科卒業 2017年 4月長崎県立大学経営学科入学〈長崎県〉 〈1996年生まれ、ダナン市出身〉 はじめに 外国人客が多い佐世保のバーで大学の仲間たち(ベトナム人、日本人、中国人)と〈2018年〉 「日本で知識と人脈を広げ、将来ベトナムの発展に貢献する」という目標を持ち、まじめに勉強を続け、仲間との時間も大切にするハイさん。多彩な交流を積み重ねるハイさんの留学生活は、他の留学生やこれから日本に来る留学生にも参考になることだろう。 外国人客が多い佐世保のバーで大学の仲間たち(ベトナム人、日本人、中国人)と〈2018年〉 留学前にみっちり勉強 私はベトナムで大学受験に合格しましたが、日本に留学して成功した親せきの話を聞いて自分も留学したくなり、まずドンズー日本語学校を受験しました。 ホーチミンのドンズー日本語学校「ビンミー留学生日本語センター」では、日本の大学を目指す学生向けにハイレベルの日本語教育を行っています。私はここで1年間、寮生活をしました。日本語は初めてでしたが、1年で日本語能力試験(JLPT)のN3程度のレベルになりました。授業は平日の朝から夕方までと土曜日の午前で、毎月、試験の成績でクラス分けが行われました。授業のレベルについていけず、途中で退学する仲間もいました。 ドンズーの教室(左奥が私)。1日中勉強するので、授業の合間に仮眠する生徒も多い ドンズーの教室(左奥が私)。1日中勉強するので、授業の合間に仮眠する生徒も多い 同級生と一緒にホーチミンから福岡空港を経て留学先の鹿児島に到着〈2015年10月〉 日本語学習 神村学園で一緒に勉強した仲間たち〈2017年〉 2015年10月、ドンズーの提携校である神村学園専修学校(鹿児島県)に入学し、1年半学びました。日本留学試験(EJU)のための勉強は自分でやりました。 授業以外での日本語学習には下記の教材を使いました。 ・「新完全マスター」シリーズ ・「スピードマスター」シリーズ ・「日本語総まとめ」シリーズ テレビやインターネットも活用しました。 ・テレビのニュース ・日本のアニメ(字幕:ベトナム語、音声:日本語) ・日本の音楽 神村学園で一緒に勉強した仲間たち〈2017年〉 日本留学試験(EJU)の勉強 佐世保のドンズー仲間(同期+後輩)の食事会。ドンズー生の結束は強い。〈2016年〉 EJU対策には「日本留学試験対策問題集 ハイレベル」シリーズ(アスク出版)や「理解しやすい数学I+A」(文英堂)などを使いました。また、ドンズーの先輩たち(大学生)が集まって模擬試験を作り、年2回のEJUの直前に後輩の私たちに受けさせて採点し、個別指導もしてくれました。こうして、私は長崎県立大学(佐世保市)に合格しました。 佐世保のドンズー仲間(同期+後輩)の食事会。ドンズー生の結束は強い。〈2016年〉 学費と奨学金 神村学園専修学校の学園祭〈2016年11月〉 神村学園の学費…入学金約10万円。ドンズーとの提携料金で「学費+寮費+光熱費」が毎月数万円。 長崎県立大学の学費…入学金37万円。授業料は年間535,800円ですが、留学生向けの授業料減免制度で毎年半額になりました。これには成績などの条件があります。 また、ロータリークラブの奨学金(毎月10万円)を2019年4月から受給しています(2年間)。 Link: ロータリー米山記念奨学会 神村学園専修学校の学園祭〈2016年11月〉 アルバイト アルバイト先のリゾートホテルでバイト仲間と。背後は「ハウステンボス」。〈2018年ごろ〉 私は週28時間(長期休暇時は40時間)の決まりを守りながらさまざまなアルバイトを続け、夏休みには遠方で住み込みの農業アルバイトもしました。アルバイトを通じて日本語を話す機会が増えましたし、仲間もたくさんできました。 アルバイト先のリゾートホテルでバイト仲間と。背後は「ハウステンボス」。〈2018年ごろ〉 時期 主なアルバイト 神村学園 ▪ ラーメン店(学校の紹介) 日本語の練習のためホール担当を希望。最初は「いらっしゃいませ」「決まりましたらお呼びください」「ご注文は以上でおそろいですか」など決まり文句と商品名だけを覚えて対応(→わからないことを聞かれたら店長を呼ぶ)。その後、だんだんと日本語がわかるようになった。 大学1~3年 ▪ リゾートホテル 観光施設「ハウステンボス」の併設ホテル。結婚式の準備や料理の配膳、レストラン店員など。自宅から1時間かかるので、週末だけ勤務。新型コロナの影響で仕事がなくなった。 大学2~3年 ▪ コンビニ 平日は、自宅に近いコンビニで勤務。週末は、ビジネスホテルの仕事とリゾートホテルの仕事。 大学3~4年 ▪ ビジネスホテル 部屋の清掃とベッドメイク。9:30~14:30。当初は週末だけだったが、大学で必要な単位をほとんど取得したので、大学4年からは平日も勤務。 大学4年 ▪ 牛丼店 リゾートホテルの仕事がなくなったため。 夏休み(1~3年) ▪ 農業アルバイト(ドンズーの先輩の紹介) 岩手県で住み込みで農作業。朝4時起床。大根の収穫など。大学2年の夏は1カ月半滞在して約40日間働き、手取り給料42万円。3年の夏は滞在1カ月、手取り22万円。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年のときの家計簿 ※100円=21,639ドン(2020年7月23日現在) 収入(合計170,000円~180,000円) 収入 ・アルバイト3件 70,000円~80,000円 ※コンビニ、ビジネスホテル、リゾートホテル ※大学の定期試験がある月は約30,000円 ・奨学金 100,000円 ※ロータリー米山記念奨学会 支出(合計94,000円~110,000円) 家賃 26,000円 ※1人暮らし、ワンルーム、wi-fi・水道費込み 授業料 25,000円 光熱費 10,000円 ※電気・ガスの合計(自炊のためガス代がかさむ) 携帯電話 3,000円 ※Au ※Wi-Fiのある大学図書館で勉強することが多かったので通信料低額 食費 15,000円 ※バイト先のコンビニで廃棄弁当をもらえることもあった 雑費 15,000円~30,000円 ※衣類、交通費、外食費など 差額・貯金(70,000円~80,000円) 差額 70,000円~80,000円 ※緊急時(新型コロナなど)や定期試験の時期など収入減に備えてプール ※2年に1回ベトナムに帰国 ※長期休みに旅行 ベトナム料理の食材も地元の店で入手〈2020年7月〉 ベトナム料理の食材も地元の店で入手〈2020年7月〉 アルバイト仲間 ラーメン店のバイト修了後、仲間が私の誕生日祝い。ケーキは店長の差し入れ。〈2016年〉 アルバイトがきっかけでたくさんの仲間ができました。神村学園時代にはベトナム人の同級生6人でラーメン店やその姉妹店でアルバイトをしましたが、2歳年上の店長が店員と一緒に私たちの寮によく遊びに来てくれました。私たちはベトナム料理を作って迎え、一緒にビールを飲んで過ごしました。 大学に入ってからは、リゾートホテルのバイト仲間で集まって食事会をしたり、そのメンバーの友人の技能実習生たちの寮に集まって食事会をしたりしています。 ラーメン店のバイト修了後、仲間が私の誕生日祝い。ケーキは店長の差し入れ。〈2016年〉 地域のベトナム人コミュニティ 長崎県佐世保市の町並み 地域のベトナム人の交流もあります。友人やその友人がテト(旧正月)や週末に一緒に食事をしたり、新しく日本に来た人をサポートしたりします。今年のテトには、日本語学校の留学生やアルバイト仲間、大学の同級生など地元のベトナム人十数人が後輩留学生の家に集まってお祝いをしました。長崎では大都会と比べてベトナム人が少ないこともあってか、地域のベトナム人のつながりが強いように思います。 長崎県佐世保市の町並み 旅行とドンズー仲間 旅行先の横浜でドンズーの同期と食事会〈2018年〉 ドンズー卒業生は全国に散らばっており、旅行の際は互いの家に泊め合います。私も九州各地や関西、東京、横浜、福島などさまざまな地域に旅行しました。普段の生活でも、地元のドンズー卒業生との交流はたくさんあります。 旅行先の横浜でドンズーの同期と食事会〈2018年〉 ロータリークラブの活動 長崎県雲仙市でRCの相談担当の方と〈2019年12月〉 大学3年からロータリークラブ(RC)の奨学金を受給しているため、RCの活動によく参加します。これを通じて各国からの奨学生仲間や日本の方々との交流も生まれました。私は長崎県内各地のRCでこれまでに6回、卓話(ミニ講演)を担当しました。奨学生の相談担当のRCメンバーがおられ、卓話担当後に観光に連れて行ってくれたりもします。 長崎県雲仙市でRCの相談担当の方と〈2019年12月〉 長崎県の鎮西学院高校の生徒らと交流〈2019年〉 奨学生がRCメンバーに手料理をふるまうイベントや高校生と交流するイベントなどもあります。2019年は、奨学生14人が長崎県諫早(いさはや)市へのRCの研修旅行(1泊2日)に同行させていただき、地元の高校生らと交流しました。 長崎県の鎮西学院高校の生徒らと交流〈2019年〉 農業アルバイトで実習生活を体験 左:農園の昼休み〈2018年〉右:農園の寮。早朝に起床し、車で農園へ〈2018年〉 私は週28時間(長期休暇時は40時間)の決まりを守りながらさまざまなアルバイトを続け、夏休みには遠方で住み込みの農業アルバイトもしました。アルバイトを通じて日本語を話す機会が増えましたし、仲間もたくさんできました。 しかし、2年前のある日、上司のやり方に不満を持った実習生1人が技能実習をやめると言い出しました。他の実習生も同じ不満を抱えていますが、日本語を十分に話せません。そこで、私が彼らと農園幹部の間に入って話し合いが行われました。実習生1人は結局ベトナムに帰国しましたが、この話し合いをきっかけに実習生の処遇が改善され、最近では、幹部が彼らを旅行に連れて行くなどよい関係が続いているようです。 左:農園の昼休み〈2018年〉右:農園の寮。早朝に起床し、車で農園へ〈2018年〉 鹿児島・長崎のよさ リゾートホテルのバイト仲間の家で食事会〈2019年〉 東京や大阪に遊びに行くこともありますが、人々がいつも忙しそうで、余裕がないように見受けられます。都会で学ぶベトナム人仲間には、「日本が好きになれない」「卒業したら帰国したいと」いう人も少なくありません。 都会での人間関係を聞くと、鹿児島・長崎とは違うように感じます。私はここで親切な日本人に多く出会い、日本になじむことができました。アルバイト先でもたくさんのお客さんに話しかけていただきました。地域のベトナム人コミュニティのつながりもあります。地方で留学できてよかったと思っています。 リゾートホテルのバイト仲間の家で食事会〈2019年〉 大学での勉強と将来 勉強もがんばっています。大学3年間で必要単位をすべて取り、あとは卒業論文だけです。大学では保険と企業のリスクマネジメントについて学びましたが、もう少し勉強したくて大学院の推薦入試を受け、合格しました。卒業後は日本で保険関係の仕事をし、将来はベトナムに知識やノウハウを還元したいと思っています。

    2020年08月05日

  • Vol. 37. Hành trình du học trọn vẹn ý nghĩa nhờ vòng kết nối bạn bè phong phú

    Gặp gỡ sempai số này Lê Trung Hải Tháng 5/2014Tốt nghiệp trường THPT Phan Châu Trinh 〈TP Đà Nẵng〉 Tháng 9/2014Nhập học trường Nhật ngữ Đông Du 〈Hồ Chí Minh〉 Tháng 10/2015Tốt nghiệp trường Nhật ngữ Đông Du Tháng 10/2015Nhập học khoa tiếng Nhật trường Kamimura Gakuen 〈Tỉnh Kagoshima〉 Tháng 3/2017Tốt nghiệp khoa tiếng Nhât trường Kamimura Gakuen Tháng 4/2017Nhập học ngành Quản trị kinh doanh trường Đại học tỉnh lập Nagasaki 〈Tỉnh Nagasaki〉 〈Sinh năm 1996 tại thành phố Đà Nẵng〉 Lời mở đầu Ảnh chụp cùng các bạn đại học (người Việt, Nhật và Trung) tại một quán bar đông khách ngoại quốc ở Sasebo〈2018〉 Ở số này chúng ta sẽ gặp gỡ Lê Trung Hải, chàng trai luôn giữ vững mục tiêu “Học thành tài và mở rộng các mối quan hệ trên đất Nhật để cống hiến cho sự phát triển của Việt Nam”, không ngừng nỗ lực học tập và trân trọng khoảng thời gian cùng bạn bè. Hy vọng câu chuyện du học với trải nghiệm giao lưu phong phú của Hải sẽ là một kênh tham khảo cho các bạn du học sinh cũng như các bạn sắp lên đường đến Nhật Bản ! Ảnh chụp cùng các bạn đại học (người Việt, Nhật và Trung) tại một quán bar đông khách ngoại quốc ở Sasebo〈2018〉 Quá trình học tập miệt mài trước khi đi du học     Mặc dù đã thi đỗ trong kỳ thi tuyển sinh đại học ở Việt Nam, nhưng sau khi nghe câu chuyện của một người họ hàng từng dụ học Nhật và rất thành công, tôi lại muốn được đi du học. Và bước đầu tiên để hiện thực hóa điều đó chính là nhập học trường Nhật ngữ Đông Du.      Trung tâm đào tạo du học Bình Mỹ của trường Nhật ngữ Đông Du áp dụng một chương trình giáo dục tiếng Nhật trình độ cao dành riêng cho các học sinh nhắm đến các trường đại học của Nhật Bản. Tôi đã ở nội trú tại đây trong vòng một năm. Dù bắt đầu từ con số 0 với tiếng Nhật, tôi đã nhanh chóng lấy được chứng chỉ JLPT N3 sau một năm này. Tại ngôi trường này, chúng tôi học liên tục từ sáng đến chiều tối các ngày trong tuần cộng thêm sáng thứ 7, và mỗi tháng đều có kỳ phân chia lại lớp học dựa trên kết quả thi. Thực tế, đã có nhiều bạn bỏ cuộc giữa chừng vì không theo nổi các giờ học tại đây. Lớp học ở Đông Du (tôi ở góc trái). Nhiều bạn tranh thủ ngủ giấc ngắn giữa các giờ học vì thời gian học kéo dài cả ngày Lớp học ở Đông Du (tôi ở góc trái). Nhiều bạn tranh thủ ngủ giấc ngắn giữa các giờ học vì thời gian học kéo dài cả ngày Ảnh chụp cùng các bạn đồng khóa đi từ TPHCM đến sân bay Fukuoka trước khi đến Kagoshima – bến đỗ du học của tôi〈tháng 10/2015〉 Quá trình học tiếng Nhật Ảnh chụp cùng các bạn học tại trường Kamimura Gakuen〈2017〉     Từ tháng 10 năm 2015, tôi nhập học và trải qua một năm rưỡi tại trường Kamimura Gakuen ( Tỉnh Kagoshima) – ngôi trường có liên kết với Nhật ngữ Đông Du. Bên cạnh đó tôi cũng tự ôn luyện cho kỳ thi du học Nhật Bản (EJU).     Ngoài giờ học trên lớp, tôi cũng sử dụng các giáo trình sau đây cho việc học tiếng Nhật của mình : ・Bộ giáo trình Shinkanzen Master ・Bộ giáo trình Speed Master ・Bộ giáo trình Nihongo Soumatome     Tôi cũng tận dụng các nguồn tivi và internet, chẳng hạn như : ・Tin tức trên tivi ・Phim hoạt hình Nhật Bản ( tiếng Nhật, phụ đề tiếng Việt) ・Các bài hát tiếng Nhật Ảnh chụp cùng các bạn học tại trường Kamimura Gakuen〈2017〉 Việc ôn luyện cho kỳ thi Du học Nhật Bản (EJU)     Các bạn đồng khóa và kouhai Đông Du của tôi ở Sasebo trong một bữa ăn. Sinh viên Đông Du luôn giữ mối liên hệ chặt chẽ với nhau〈2016〉     Để phục vụ cho kỳ thi EJU, tôi đã sử dụng các bộ giáo trình như bộ “Tuyển tập đề thi EJU High Level” (NXB Ask), bộ “Toán học I+A dễ hiểu” (NXB Buneido). Ngoài ra, các sempai Đông Du đã đỗ đại học còn tổ chức kỳ thi thử EJU 2 lần mỗi năm ngay trước các kỳ thi thật, chấm điểm và kèm cặp riêng cho kouhai chúng tôi. Kết quả của quá trình cố gắng đó là tôi đã đỗ vào trường đại học tỉnh lập Nagasaki, thành phố Sasebo. Các bạn đồng khóa và kouhai Đông Du của tôi ở Sasebo trong một bữa ăn. Sinh viên Đông Du luôn giữ mối liên hệ chặt chẽ với nhau〈2016〉 Học phí và học bổng Tại lễ hội truyền thống của trường Kamimura Gakuen〈tháng 11/2016〉     Học phí tại trường Kamimura Gakuen gồm 10 nghìn yên tiền nhập học cùng với khoảng vài chục nghìn yên tiền học, tiền ở ký túc xá và phí tiêu thụ năng lượng hàng tháng, được xem như chi phí theo thỏa thuận liên kết với Đông Du.     Học phí ở đại học tỉnh lập Nagasaki bao gồm 370 nghìn yên tiền nhập học và 535.800 yên học phí cho mỗi năm. Tuy nhiên nhờ chế độ miễn giảm cho du học sinh, tôi được giảm một nửa học phí hàng năm. Chế độ này có điều kiện xét dựa trên thành tích học tập của sinh viên.     Ngoài ra, tôi cũng bắt đầu nhận học bổng từ quỹ Rotary Club từ tháng 4 năm 2019 với số tiền 10 nghìn yên mỗi tháng, trong vòng 2 năm. Link: Về học bổng Rotary : Hội khuyến học kỷ niệm Rotary - Yoneyama Tại lễ hội truyền thống của trường Kamimura Gakuen〈tháng 11/2016〉 Việc làm thêm  Ảnh chụp cùng với các bạn cùng làm thêm ở Resort – Khách sạn. Sau lưng chúng tôi là công viên Huis Ten Bosch〈khoảng năm 2018〉     Tôi đã duy trì nhiều công việc làm thêm trên nguyên tắc tuân thủ quy định giờ làm tối đa 28 giờ mỗi tuần ( vào kỳ nghỉ dài là 40 giờ mỗi tuần), bên cạnh đó tôi cũng từng đến những nơi xa, ở lại đó và làm các công việc liên quan đến nông nghiệp. Thông qua các công việc làm thêm này, tôi có được cơ hội nói tiếng Nhật nhiều hơn, qua đó có thêm rất nhiều bạn bè, người quen. Ảnh chụp cùng với các bạn cùng làm thêm ở Resort – Khách sạn. Sau lưng chúng tôi là công viên Huis Ten Bosch〈khoảng năm 2018〉 Giai đoạn Công việc làm thêm chủ yếu Kamimura Gakuen ▪ Tiệm mì Ramen (do nhà trường giới thiệu) Tôi đăng ký làm ở vị trí nhân viên phục vụ nhận order nhằm luyện tập tiếng Nhật. Ban đầu, tôi chỉ ghi nhớ thực đơn cùng các câu nói đã thành quy ước như “Xin kính chào”, “Vui lòng gọi tôi khi quý khách đã chọn xong”, “Các món quý khách gọi đã đủ chưa ạ”…(và nếu bị hỏi những gì mình không biết, tôi sẽ gọi quản lý tiệm ra). Một thời gian sau, tôi đã dần hiểu được tiếng Nhật khá hơn. Đại học năm 1-3 ▪ Khách sạn – Resort Chỗ làm của tôi là khách sạn cùng chung khuôn viên với công trình du lịch Huis Ten Bosch. Tại đây tôi đảm nhận các việc như nhân viên nhà hàng, chuẩn bị tiệc cưới, bưng bê phục vụ thức ăn…Vì phải mất một giờ để đi từ nhà, nên tôi chỉ làm việc này vào khung giờ cuối tuần. Tuy nhiên, do ảnh hưởng của dịch Covid-19, hiện tôi không thể làm công việc này nữa. Đại học năm 2-3 ▪ Cửa hàng tiện lợi Vào những ngày trong tuần, tôi làm thêm tại cửa hàng tiện lợi ở gần nhà. Công việc ở các Business Hotel và resort được bố trí vào cuối tuần. Đại học năm 3-4 ▪ Business Hotel Công việc của tôi là dọn dẹp vệ sinh và trải giường khách sạn. Thời gian làm từ 9h30 đến 14h30. Giai đoạn đầu tôi chỉ làm vào cuối tuần, nhưng khi đã lấy đủ hầu hết tín chỉ cần thiết ở trường, từ năm 4 tôi bắt đầu làm cả những ngày trong tuần nữa. Đại học năm 4 ▪ Tiệm cơm bò (Gyudon) Tôi bắt đầu công việc tại đây sau khi mất việc ở Resort do ảnh hưởng của dịch bệnh. Các kỳ nghỉ hè (năm 1-3) ▪ Công việc làm nông (do Sempai Đông Du giới thiệu) Tôi ở lại đó và làm các công việc đồng áng tại tỉnh Iwate. Tại đây, tôi thức từ 4h sáng và làm các công việc như thu hoạch củ cải. Mùa hè năm 2 đại học, tôi đã ở lại 1 tháng, làm việc 40 ngày và thu nhập 420 nghìn yên. Hè năm thứ 3, tôi cũng ở lại 1 tháng và thu nhập là 220 nghìn yên. Sổ tay chi tiêu của tôi (tính trung bình một tháng) ※Đây là thông tin thu chi ở thời điểm năm 3 đại học ※100 yên = 21639 đồng (tính tại thời điểm 23/7/2020) Thu nhập (tổng thu nhập 170.000 yên ~ 180.000 yên) Thu nhập ・Thu nhập từ 3 công việc làm thêm 70.000 ~ 80.000 yên ※Công việc ở cửa hàng tiện lợi, Business Hotel và Resort ※Vào những tháng có bài thi và kiểm tra, thu nhập rơi vào khoảng 30.000 yên ・Học bổng 100.000 yên ※Học bổng được cấp bởi hội khuyến học Rotary-Yoneyama Chi tiêu (tổng chi tiêu 94.000 yên ~ 110.000 yên) Tiền nhà 26.000 yên ※Tôi sống 1 mình, 1 phòng, tiền nhà đã bao gồm tiền wifi và tiền nước sinh hoạt Tiền học phí 25.000 yên Phí tiêu thụ năng lượng 10.000 yên ※Gồm tiền điện và tiền gas (do tôi tự nấu ăn nên tiền gas khá cao) Tiền sử dụng điện thoại 3.000 yên ※Tôi sử dụng mạng Au ※Tôi thường học ở thư viện trường nơi có wifi đầy đủ, nên tiết kiệm được chi phí sử dụng mạng Tiền ăn uống 15.000 yên ※Thi thoảng tôi cũng được nhận những phần cơm Haiki (vừa quá hạn) từ cửa hàng tiện lợi nơi tôi làm việc Tiền tiêu vặt 15.000 yên ~ 30.000 yên ※Gồm tiền mua sắm quần áo, đi lại và ăn ngoài Tiền chênh lệch – Tiền tiết kiệm (70.000 yên ~ 80.000 yên) Tiền chênh lệch 70.000 yên ~ 80.000 yên ※Dùng để chi cho những tình huống khẩn cấp (như đại dịch Covid-19) hay lúc thu nhập giảm do rơi vào giai đoạn thi cử ※Tôi cũng chi cho việc về thăm quê 2 năm 1 lần ※Chi tiêu cho các chuyến du lịch vào kỳ nghỉ dài Tôi có thể dễ dàng mua được các nguyên liệu, thực phẩm Việt ngay tại cửa hàng ở địa phương〈tháng 7/2020〉 Tôi có thể dễ dàng mua được các nguyên liệu, thực phẩm Việt ngay tại cửa hàng ở địa phương〈tháng 7/2020〉 Bạn bè ở nơi làm thêm Các bạn mừng sinh nhật tôi sau giờ làm ở tiệm Ramen. Bánh kem do quản lý tiệm gửi tặng〈2016〉     Tôi đã có được rất nhiều bạn bè thông qua các công việc làm thêm của mình. Giai đoạn học ở trường Kamimura Gakuen, nhóm 6 người gồm tôi cùng các bạn cùng khóa người Việt làm thêm tại tiệm mì Ramen và các tiệm cùng hệ thống. Khi đó, chủ tiệm chỉ hơn chúng tôi 2 tuổi đã nhiều lần cùng các nhân viên đến ký túc xá thăm chúng tôi. Tôi và mọi người đã có những giây phút rất vui, tôi làm món Việt chiêu đãi họ và cùng họ uống bia.     Sau khi vào đại học, tôi và bạn bè cùng làm ở Resort – Khách sạn thường tụ họp lại và tổ chức các buổi tiệc, có khi lại tập trung ở nhà của các bạn thực tập sinh trong nhóm để ăn uống, liên hoan. Các bạn mừng sinh nhật tôi sau giờ làm ở tiệm Ramen. Bánh kem do quản lý tiệm gửi tặng〈2016〉 Cộng đồng người Việt ở địa phương Cảnh quan thành phố Sasebo, tỉnh Nagasaki     Người Việt Nam ở nơi tôi sống cũng rất tích cực giao lưu với nhau. Bạn bè tôi và nhiều bạn của họ nữa thường xuyên tụ họp ăn uống vào dịp Tết hay cuối tuần, cũng như cùng hỗ trợ những người Việt mới đến Nhật. Năm nay, rất đông người Việt ở địa phương tôi, gồm sinh viên trường tiếng, đồng nghiệp tại chỗ làm thêm và cả bạn đồng khóa ở đại học đã đến nhà các du học sinh kouhai để cùng nhau đón Tết. Mặc dù người Việt ở Nagasaki có thể không đông như các đô thị lớn, nhưng mối gắn kết giữa người Việt ở đây rất khắng khít, chặt chẽ. Cảnh quan thành phố Sasebo, tỉnh Nagasaki Bạn đồng môn Đông Du và những chuyến du lịch Dùng bữa cùng các bạn đồng khóa Đông Du ở điểm du lịch Yokohama〈2018〉     Sinh viên xuất thân từ Đông Du chúng tôi sinh sống ở khắp mọi nơi trên nước Nhật, vì thế có nhiều cơ hội ở lại chỗ của nhau trong những chuyến du lịch xa. Bản thân tôi cũng đã đặt chân đến nhiều nơi như vùng Kyushu, Kansai, Tokyo, Yokohama hay Fukushima… Cả trong cuộc sống hàng ngày, tôi cũng thường kết nối và chia sẻ với các sinh viên Đông Du tại khu vực mình sinh sống. Dùng bữa cùng các bạn đồng khóa Đông Du ở điểm du lịch Yokohama〈2018〉 Các hoạt động trong câu lạc bộ Rotary Ảnh chụp cùng với cố vấn của RC tại thành phố Unzen, tỉnh Nagasaki〈tháng 12/2019〉     Nhờ bắt đầu nhận học bổng từ Rotary Club (RC) từ năm 3 đại học, tôi đã được tham gia rất nhiều hoạt động của RC. Từ cơ duyên này, tôi cũng có cơ hội giao lưu kết nối cùng các du học sinh của nhiều quốc gia cũng như với nhiều người Nhật. Đến thời điểm hiện tại trong khuôn khổ các RC trong tỉnh Nagasaki, tôi đã phụ trách tổ chức 6 buổi giao lưu phát biểu nhỏ. Ở đây cũng có các thành viên của RC phụ trách tư vấn cho du học sinh, các vị này cũng thường dẫn chúng tôi đi thăm thú đó đây sau các buổi phát biểu. Ảnh chụp cùng với cố vấn của RC tại thành phố Unzen, tỉnh Nagasaki〈tháng 12/2019〉 Giao lưu cùng các em học sinh trường trung học phổ thông Chinzei Gakuin〈2019〉    Ngoài ra cũng phải kể đến những dịp mà du học sinh tự tay nấu nướng chiêu đãi các thành viên của RC, cũng như các sự kiện giao lưu với học sinh phổ thông. Điển hình như năm 2019, tôi được đồng hành cùng với đoàn 14 du học sinh trong chuyến tham quan học tập 2 ngày 1 đêm của RC đến thành phố Ichihaya (Nagasaki) và đã có dịp giao lưu cùng các em học sinh phổ thông của địa phương này. Giao lưu cùng các em học sinh trường trung học phổ thông Chinzei Gakuin〈2019〉 Trải nghiệm đời sống thực tập sinh thông qua công việc làm nông Ảnh trái: giờ nghỉ trưa ở nông trại〈2018〉 Ảnh phải: ký túc xá của nông trại. Tôi thức rất sớm và di chuyển đến nông trại bằng xe ô tô〈2018〉    Tôi đã có trải nghiệm làm việc kéo dài 1 tháng tại một nông trại ở tỉnh Iwate vào mùa hè hằng năm. Nhóm toàn người Việt chúng tôi gồm 6 bạn thực tập sinh và 4 nhân viên làm thêm đã cùng nhau sống và sinh hoạt ở ký túc xá. Thông qua những đêm cùng uống bia chuyện trò tâm sự, tôi thân thiết với họ như anh em vậy.     Tuy nhiên vào một ngày cách đây 2 năm, một trong số các bạn thực tập sinh đã bày tỏ bất mãn với cách làm việc của người quản lý và muốn dừng công việc này. Các thực tập sinh còn lại cũng cùng chung nỗi bất mãn đó nhưng không thể giãi bày bởi hạn chế về tiếng Nhật của họ. Khi đó, tôi đã đứng ra làm trung gian để đôi bên có thể chia sẻ thẳng thắn với nhau. Mặc dù sau cùng một bạn đã quay về Việt Nam, nhưng nhờ cuộc trò chuyện này mà những đối đãi dành cho thực tập sinh được cải thiện tích cực, đôi bên đã và đang duy trì mối quan hệ tốt đẹp mà điển hình là gần đây, vị quản lý ấy còn dẫn các bạn đi du lịch nữa . Ảnh trái: giờ nghỉ trưa ở nông trại〈2018〉 Ảnh phải: ký túc xá của nông trại. Tôi thức rất sớm và di chuyển đến nông trại bằng xe ô tô〈2018〉 Những điều tuyệt vời ở Kagoshima – Nagasaki Một bữa ăn uống tại nhà của đồng nghiệp cùng làm ở khách sạn – resort〈2019〉    Tôi vẫn thường lui tới Tokyo và Osaka, nhưng cảm nhận của tôi là mọi người ở đó quá bận rộn, căng thẳng. Không ít bạn bè tôi đang học tập tại các đại đô thị này cảm thán rằng, “ Tớ chả thích nổi nước Nhật”, “Tốt nghiệp xong tớ muốn về nước!”…    Nghe những câu chuyện về quan hệ người với người ở các thành phố lớn đó, tôi cảm thấy khác quá so với Kagoshima và Nagasaki. Ở vùng đất này, nhờ gặp được nhiều người Nhật Bản hiền lành tử tế, tôi đã hòa nhập rất tốt vào cuộc sống ở xứ sở anh đào. Cả ở nơi làm thêm cũng có rất nhiều người Nhật sẵn sàng bắt chuyện với tôi. Thêm vào đó, sự gắn kết của cộng đồng người Việt ở địa phương cũng rất tốt. Có thể nói, tôi thật may mắn vì đã đến và du học tại một vùng quê yên lành thế này. Một bữa ăn uống tại nhà của đồng nghiệp cùng làm ở khách sạn – resort〈2019〉 Việc học ở đại học và suy nghĩ về tương lai    Tôi vẫn đang nỗ lực học tập từng ngày. Vì đã lấy đủ tín chỉ cần thiết trong vòng 3 năm qua, tôi chỉ còn mỗi luận văn tốt nghiệp nữa thôi là hoàn tất chương trình học của mình. Trong thời gian qua, tôi đã học về bảo hiểm và quản trị rủi ro doanh nghiệp, nhưng với mong muốn được học chuyên sâu hơn, tôi đã thi lên cao học với sự giới thiệu của nhà trường và đã có kết quả đỗ. Sau khi tốt nghiệp, tôi có nguyện vọng làm việc trong lĩnh vực bảo hiểm tại Nhật, và trong tương lai tôi sẽ mang kiến thức cùng kinh nghiệm của mình về phục vụ cho quê hương Việt Nam.

    2020年08月05日

  • モバイルバッテリー・レンタルサービス

    外出時に携帯電話の電池が切れてしまった▽モバイルバッテリーを家に置いてきてしまった――そんなときに役に立つ、最近できたサービスがあります。コンビニなどでスマホ充電器(モバイルバッテリー)を借りて外に持ち出し、好きな場所で返却できる「モバイルバッテリー・レンタルサービス」です。私も実際にコンビニで借りてみましたので、体験談を紹介します。 モバイルバッテリー・レンタル スマホ充電器を貸し出すサービスは「モバイルバッテリーシェアリング・レンタルサービス」と呼ばれ、店に設置されているバッテリースタンドから、モバイルバッテリーを借りられるサービスです。 コンビニやカラオケBOX、家電量販店、空港、大きな駅などにスタンドが設置されています。 サービスを提供するブランドには、ChargeSPOT(チャージスポット)▽充レン▽mocha(モチャ)▽ChargeMe――などがあります。私は「ファミリーマート」のイートイン・コーナーの端でChargeSPOTの充電スタンド(写真)を発見し、借りてみました。 利用料金とケーブルの種類 利用料 料金(税抜き)は①1時間未満150円 ②48時間以内300円 ③48時間を超えたあとは1日150円で、レンタル開始後168時間(7日間)まで借りることができます。それを超えた場合は、計2,280円(利用料+違約金1,230円)を支払わなければなりません。また、Apple PayやPaypay、MerPayなどで支払う場合は、最初に2,508円(税込)の一時金が請求されます。その後、バッテリー返却時に利用時間に応じて利用料が計算され、2,508円との差額が返金または課金されます。 多様な内蔵ケーブル 借りたモバイルバッテリーには、Cタイプ、アイフォン用、マイクロUSBの3タイプのケーブルが内蔵され、ほぼ全てのスマートフォンに対応できるようになっていました。 どうやって借りるの? それでは、ChargeSPOTでのバッテリーの借り方を説明します。 ①App StoreやGoogle Playで「チャージスポット」(ChargeSPOT)を検索してアプリをインストールします。 ②アプリを起動して「チャージスポット」に位置情報の使用を許可します。そして、電話番号を入力して認証コードを受け取ってから、ログインします。 ③「近くのスポットを探す」というボタンを押すと、近くの貸出可能なスポットや返却可能なスポットのリストが表示されます。 ④リストの中から選んだスポット(店や駅など)に行き、パッテリースタンドに表示されているQRコードをスマホで読みとります。すると、店舗情報や料金確認のための通知がスマホの画面に表示されます。 ⑤支払方法を選択すると、「パッテリーを取ってください」という通知がスマホに表示されてバッテリースタンドからバッテリーが1本、上に押し出されます。そのバッテリーを持ち出し、自由に使うことができます。 借りた場所と別の場所でも返せる! 返し方も簡単です。 ①アプリで返却可能な場所を確認します。借りた場所と別の場所でも返却できます。借りたときと同じように「近くのスポットを探す」を押すと、近くの貸出可能なスポットと返却能なスポットのリストが表示されます。 ②選んだスポットに行き、バッテリースタンドの空いている差し込み口にバッテリーを差し込むだけで返却完了になります。返却時にアプリ操作は必要ありません。アプリから返却場所や返却履歴など確認することができます。 まとめ ここまでChargeSPOTの使い方・料金・返却方法などについて説明しました。最初の利用登録や支払方法の手続きは、アプリ操作に慣れていない方には少し難しいかもしれません。しかし、それさえ済ませれば、すぐにレンタルを開始できます。そして、返却先は借りた店舗に限らず、空いているバッテリースタンドがあればそこで返却できるので、お出かけ先で借りて自宅の近くで返却することも可能性です。 スマホの電池が切れると、地図アプリや電車アプリを見ることができない、Q Rコード決済ができないなど、不便なことがたくさんあります。また、外国人旅行者や日本に来たばかりの留学生や技能実習生にとってはスマホの翻訳アプリが使えないと困る場合も多々あります。そんなとき、モバイルバッテリー・レンタルサービスは心強い味方になります。この記事を参考に、よかったら利用してみてください。

    2021年03月25日

  • Vol. 36 技能実習の仲間と楽しむいなか暮らし

    今回の先輩 チュ・ティ・ムックさん 2014年 5月ルオンタイ高校卒業〈バクニン県〉 2014年 9月専門学校入学・看護専攻〈ハノイ〉 2017年 7月専門学校卒業 2017年 9月日本語センター入所〈ハノイ〉 2018年 9月訪日→講習→工場で技能実習〈三重県〉 〈1996年生まれ、バクニン省出身〉 anhnangcuaanh9296@gmail.com はじめに 農村の工場で働くムックさん。地域にお店は少ないが、山や川や畑と親しみ、仲間に囲まれて楽しく過ごしている。日本語の勉強にも地道に取り組み、訪日して2年もたたないのに、日常会話は問題なくこなせる。いなかのよさや日本語学習についてムックさんが紹介する。 ムックさんたちの寮に近いJR佐那具駅。利用者が少ない小さな駅だ。〈2020年7月〉 ムックさんたちの寮に近いJR佐那具駅。利用者が少ない小さな駅だ。〈2020年7月〉 日本行きの理由と送出機関への支払い 左:ハノイの専門学校の卒業式で〈2017年〉 右:専門学校の校舎で〈2015年ごろ〉 私はベトナムの専門学校で看護を学びました。しかし、テレビで見た日本の景色や町並みが好きだったこともあり、先に日本で技能実習をした友人の話を聞いて自分も日本に行こうと決めました。 その友人が使ったハノイの送出機関を私も使いました。送出機関に支払ったお金は全部で6,000 USDで、ここに1年分の授業料や寮費も含まれています。このお金は、父が親せきから借りました。 【編集部からのアドバイス】 ベトナム政府の規定で、技能実習生への日本語教育費は約520時間に対し5,900,000ドン以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。日本への往復の旅費は日本の受入企業が負担する決まりです。費用などが規定と違う場合は、内容を確認した上で送出機関から領収証をもらいましょう。また、他の送出機関の選択も検討しましょう。 技能実習の内容 帰国する技能実習生と一緒に本社前で記念撮影〈2019年12月〉 私の実習先は三重県の「ミヤケ」という会社で、ベアリング部品や自動車・自転車の部品を製造しています。私の仕事は自動車部品の検査です。私が勤務する本社&工場は、敷地が約5㌶もあり、約300人が働いています。 私たちの仕事は7時~16時(夜勤は19時~翌朝4時)です。職場では、普段は黙って仕事をしますが、休み時間には日本人と雑談もします。掃除のおばさんと社員食堂で一緒にランチを食べてお話をすることもあります。 Link:ミヤケ 帰国する技能実習生と一緒に本社前で記念撮影〈2019年12月〉 自転車通勤 工場の自転車置き場で〈2020年〉 工場までは自転車で約10分です。工場の制服を着てから寮を出ます。雨の日は雨がっぱを着て自転車に乗ります。 雨がっぱは、日本から帰った先輩たちのアドバイスでベトナムから持ってきました。日本で買うと高いからです。 工場の自転車置き場で〈2020年〉 実習仲間で食事会 仕事が休みの日は、母とビデオ電話で話したりスーパーに買い物に行ったりします。地元のスーパーまでは自転車で約10分ですが、ときどき大きな町のショッピングモールにも行きます。そのときは約40分かかります。 男子寮と女子寮が並んでいて、男のベトナム人技能実習生が約15人、女が約10人住んでいます。 男女数人のグループがいくつかあり、休日にグループ単位で遊びに行ったり寮でご飯を食べたりします。鍋や焼き肉、ビールなどを楽しみます。 近所の河原で桜の花見〈2020年4月〉 近所の河原で桜の花見〈2020年4月〉 寮の仲間とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 新型コロナで魚釣りに夢中 近くの川でナマズをゲット!〈2020年5月〉 寮の前に川があり、私たちのグループは最近、魚釣りにはまっています。日本の川はきれいで、魚やカメなどがいっぱいいます。ベトナムにはあまりきれいな川はありません。だから、きれいな川を見ると、みんなとても興奮します。 新型コロナウイルスの感染拡大の影響でここ2、3カ月、仕事の休みが多くひまだったので、数人で釣りに行ったのが始まりでした。中古の釣りざおを買い、針にミミズをつけて糸を垂らすと、なんとナマズが釣れました。ベトナムではよくナマズを食べます。ナマズが釣れた日は、みんなでバーベキュー・パーティーをしてとても楽しかったです。 会社でその話をすると、日本人は皆さんびっくりしていました。「日本人はナマズを食べない」とのこと。文化の違いだなあと思いました。ナマズは本当においしいので、チャンスがあったら食べてみてくださいね。 近くの川でナマズをゲット!〈2020年5月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,662ドン(2020年7月22日現在) 収入(合計140,000円~160,000円) 手取り給料 140,000~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を差し引いた後の手取り額 □新型コロナで勤務が減ったときは86,000円 □差引額のうち寮費は35,000円(水道・光熱費と出勤時の昼食代含む、寮は1室に1人) 支出(合計30,000円) Wi-Fi 800円 ※5人で分担 食費 25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 4,200円 ※衣類も化粧品もあまり買わない 差額・貯金(110,000円~130,000円) 差額 110,000円~130,000円 ※2~3カ月に1度、両親に送金(=1回24万円) ※旅行をするときは送金額を減らす 社員食堂のメニュー(ランチはここから選びます) 社員食堂のメニュー(ランチはここから選びます) 技能実習生の女子寮 連休には旅行に 大阪に日帰り旅行〈2019年7月〉 連休には旅行(日帰りか1泊2日)に行くこともあります。ベトナム人向けのバスツアーがあるので、たいていはそれに1人で参加します。これまでに行ったのは東京や白川郷(岐阜県)、大阪、なばなの里(三重県)などです。 この中で私が一番好きなのは大阪です。大阪には友人と2人で電車で行きました。にぎやかでごちゃごちゃしていて、何となくベトナムと雰囲気が似ています。 大阪に日帰り旅行〈2019年7月〉 白川郷〈2019年1月〉 白川郷〈2019年1月〉 横浜の中華街〈2019年8月〉 日本語の勉強 寮でタブレットを使って学習〈2020年7月〉 日本語を使う機会を増やすためNPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(1回30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。先生から宿題も出され、採点・添削もしてもらえます。 Lotus Worksの授業は、最初は携帯電話で受けていたのですが、携帯電話の画面では教材を読みにくいので中古のタブレットを約3万円で買いました。 Link: Lotus Works 寮でタブレットを使って学習〈2020年7月〉 これ以外にも毎日1時間(休みの日は3時間)、教材などで勉強しています。You Tubeの学習チャンネルもよく利用します。 Link: Dungmori Link: Riki nihongo 畑仕事 おじいさんと畑で〈2020年7月〉 通勤途中に畑がたくさんあります。その中におじいさんが一人で野菜を育てている290㎡の畑があります。私は約1年前、休日に自転車でその畑に行き、思い切っておじいさんに話しかけました。 「こんにちは!」 「こんにちは。どこから来たの?」 「ベトナムから来ました」 「ベトナムから来ました」 このようなやり取りから仲良くなり、畑を手伝わせてもらえるようになりました。 雨の日以外は毎日20~30分、通勤途中に私が畑全体に水をまきます。ときどき草むしりもします。3㍍×5㍍ぐらいの区画をもらい、自分の野菜(ベトナムの空心菜、ゴーヤ、ナスなど)を育てていますし、おじいさんも野菜をたくさんくれます。 種から芽が出てだんだん大きくなり、花が咲いて実を付ける。そのプロセスを見るのが楽しいですし、おじいさんと一緒に働くのも楽しいです。おじいさんの名前は山﨑健市さん。78歳です。おじいさん、いつもありがとう。 おじいさんと畑で〈2020年7月〉 いなか暮らしをエンジョイ 寮の自室で〈2020年〉 私たちの住む地域には店がほとんどありません。1カ月に2回ぐらい2、3人で大きな町のショッピングセンターに行きますが、飲食店に入ったことはありません。自分たちで作って寮で一緒に食べる方がおいしいし楽しいからです。 会社の求人票ではどのような地域か想像できず、赴任直後は退屈な地域だと思いましたが、山や川や畑があり、寮の仲間たちもいて、楽しく過ごしています。いいところに実習に来られてよかったと、今は思っています。 技能実習が終わったら、ベトナムで日本語の先生など日本語を生かせる仕事に就けたらいいなあと思います。 寮の自室で〈2020年〉 ムックさんの学習ノート 【インタビュー】Lotus Worksでムックさんに教えている梅田惠子先生のコメント 毎回、給料のほとんどを実家の両親に送るムックさん。日本では新型コロナウイルスによる収入減を補うため、外国人も含めて全員に10万円を支給する対策がありました。ムックさんは「普段、洗顔しても何もつけていないから顔にぶつぶつができちゃった。10万円をもらったら化粧水を買って残りを実家に送ろうか、それとも全額を送ろうか」とずいぶん悩んでいました。結局、化粧水を買わずに全額を実家に送ったそうです。 まじめに働き一生懸命勉強するムックさん。彼女のノートにはきれいな字で日本語がびっしり書き込まれています。何ごとにも明るく前向きに取り組むムックさんを心から応援しています。これからもがんばってくださいね。 ムックさんの学習ノート

    2020年07月31日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.