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東京で生活・通学・仕事をする外国人の強い味方「東京都多言語相談ナビ」/無料

東京都で生活や仕事、勉強をしているベトナム人の皆さん、仕事や生活で困ったことがあったとき、「信頼できる相手に相談したい」と思ったことはありませんか? そのようなとき、あなたはベトナム人が運営するSNSで情報を探すことが多いことでしょう。しかし、SNSの情報の中には重大な間違いが含まれることもよくあります。「確かな相手に相談したい」「法律的な知識についても専門家に相談したい」。そんなときは、「東京都多言語相談ナビ」を使ってみてはいかがでしょうか? この記事では、公的機関が提供する電話相談サービス(無料)や地域の日本語教室(低額)を探すためのサイトについて紹介します。 〈このページの内容〉 1....

2025年02月26日
  • 108軍中央病院が日本の大学病院と提携

    2025年01月16日
    ベトナムのトップ医療機関の一つであるハノイの「108軍中央病院」のレ・フー・ソン理事長(院長)とラム・カイン元副理事長が2024年10月に来日しました。ソン理事長らは大阪公立大学医学部附属病院や富山大学附属病院と今後の提携に関する合意文書(MOU)を交わし、東邦大学医療センター(東京)とも今後の提携に向けて協議を行いました。108軍中央病院は日本のこれらの病院とどのような提携を目指すのでしょうか。ソン理事長にインタビューしました。 108軍中央病院はベトナムのトップ病院 ――まず、108軍中央病院がどのような病院なのか教えてください。 ソン理事長 当院は全ベトナムでトップ5に数えられる病院の一つで、軍病院としてはトップです。医師・看護師を含め約3,000人のスタッフがおり、通院患者は毎日約5,000人、入院患者は常時1,800〜2,000人います。要人を受け入れる病院としても知られており、今年7月に老衰と病気で亡くなった共産党最高指導者のチョン書記長も当院でケアしました。 軍病院は、政府関係や現役・退役軍人が治療を受けることが主眼ですが、軍に関係のない一般の人ももちろん受診できます。 当院は常に最新の医療設備・機器を採り入れています。医師もベトナムのトップレベルの医師を集め、世界レベルの医師も多数います。つまり、ベトナムで最新設備と先端技術で医療を提供している病院です。 ソン理事長 当院は全ベトナムでトップ5に数えられる病院の一つで、軍病院としてはトップです。医師・看護師を含め約3,000人のスタッフがおり、通院患者は毎日約5,000人、入院患者は常時1,800〜2,000人います。要人を受け入れる病院としても知られており、今年7月に老衰と病気で亡くなった共産党最高指導者のチョン書記長も当院でケアしました。 軍病院は、政府関係や現役・退役軍人が治療を受けることが主眼ですが、軍に関係のない一般の人ももちろん受診できます。 当院は常に最新の医療設備・機器を採り入れています。医師もベトナムのトップレベルの医師を集め、世界レベルの医師も多数います。つまり、ベトナムで最新設備と先端技術で医療を提供している病院です。 ――108軍中央病院の中で特に優れた技術を持つ医療分野は何ですか? ソン理事長 全体に高い水準ですが、特に挙げるなら、肝臓移植や幹細胞移植、骨髄移植、画像診断、脳血管疾患のカテーテル治療などです。 地理的にも文化的にも近い日本と提携 ――日本の大学病院と提携する理由は何ですか? ソン理事長 私たちは今まで多くの国々の医療機関と提携してきました。例えば、ドイツやオーストラリア、アメリカ、フランスなどです。そのなかでも、日本はベトナムから地理的に近く時差も2時間だけですし、両国には文化的な共通点もたくさんあります。また、越日両国の政府間では包括的戦略的パートナーシップも結ばれています。 これは、ベトナムのトゥオン国家主席が2023年11月に訪日して岸田首相と首脳会談を行い、両首脳は2国間関係を「アジアにおける平和と繁栄のための広範な戦略的パートナーシップ」から「アジアと世界における平和と繁栄のための包括的戦略的パートナーシップ」に格上げすると発表しました。「包括的戦略的パートナーシップ」はベトナム外交における最高レベルの2国間関係で、日本以外で同じ関係を結んでいるのは中国、ロシア、インド、韓国、米国の5カ国だけです。 交流の深い3つの大学病院を訪問 大阪公立大学医学部附属病院 ――今回、日本のどこの大学病院を訪問しましたか? ソン理事長 今回、大阪公立大学医学部附属病院と富山大学附属病院、東邦大学医療センター大橋病院(東京)の3病院とトップ会談をしました。このうち大阪・富山とは今後の医療技術の交換に関する合意文書(MOU)を締結しました。 ――これらの大学と108軍中央病院とのこれまでの関係を教えてください。 ソン理事長 大阪公立大学の前身である大阪市立大学と以前からMOUを結んでおり、医療技術に関する情報交換を続けていたほか、当院の若手医師を留学生として受け入れてもらい、1人が博士号を取得、3人が3カ月の短期留学プログラムを修了し、1人が現在も博士課程で研究中です。このような関係が下地となって、今回、大阪公立大学医学部附属病院と当院との間で新しいMOUを結びました。 富山大学とも以前から交換留学に関するMOUを結び、同大学で当院の医師4人が博士号を取得し、現在も2人が留学中です。今回は富山大学とのMOUを保持したまま、大学附属病院とも医療技術の交換に関する新たなMOUを交わしました。 東邦大学には当院から短期留学プログラムに参加した医師がいました。 医療技術習得のため日本に医師派遣へ ――大阪公立大学医学部附属病院とは今後どのような提携を目指しますか? 鶴田大輔・大阪公立大学医学部長とソン理事長 ソン理事長:今回のMOUの主な目的は次の通りです。➀医療技術の移転(習得)のために当院の医師を大阪に派遣する。➁両病院がさまざまな研究課題に共同で取り組む。③先方の医師を当院に招いて先端医療技術の指導やレクチャーを行ってもらう。④両病院が協力して医療に関するシンポジウム等を行う。 ――富山大学附属病院とは今後どのような提携を目指しますか? 林篤志院長(中央)ら富山大学附属病院の幹部とソン理事長 ソン理事長:富山大学附属病院から特に学びたいことはすい臓ガンの治療(手術を含む)と乳がんの手術、目の病気の治療です。まず、先方の教授や専門医を当院に招いてレクチャーを行ってもらいたいです。また、将来は、当院から富山に医師を3~6カ月間派遣し、すい臓ガン手術・治療を中心に医療技術について研修を受けさせたいと希望しています。 ――東邦大学医療センターとの提携についても教えてください。 ソン理事長と東邦大学医療センター大橋病院の渡邉学院長 ソン理事長 東邦大学医療センターはとても立派な病院でした。しかも、東京の都心にあるので、在日本ベトナム大使館職員や東京に住むベトナム要人の治療をお願いできるかも知れないと思いました。今後、両病院の協力関係を一層深めていきたいと思います。 今年4月には、乳がん治療にくわしい東邦大学医学部の長田拓哉准教授にも当院を訪れ、見学をして頂きました。近い将来、長田先生のご助力を得て当院に乳がん専門の診療科を設けられたらと考えています(現在は産婦人科などで診療)。 ベトナムから日本に伝えたい医療技術 ――逆に108軍中央病院から日本の大学病院に伝えたい医療技術は何ですか? ソン理事長 今回の訪問で日本の各大学病院に当院の次のような長所をお伝えしました。➀患者数が非常に多いし、日本には少ない症例もあるので、共同研究の貴重なパートナーとなり得る。➁若い医師が多く向上心も強いので、国際プロジェクトを組んで医療技術・知識を交換し、ともに発展するための相手として適している。 日本では少ない症例としては、マラリアやデング熱などの熱帯疾患があります。また、当院ではバイク・自転車での重傷事故患者の治療件数も非常に多いです。地球温暖化の進行で日本でもデング熱患者などが増え始めていますし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に見られるように、グローバル規模の感染症拡大に対する多国間協力の重要性も増しています。 医療分野における日越の協力は非常に重要であり、私は今後、こうした協力関係の発展に引き続き尽力していきたいと思います。 Lê Hữu Song(レ・フー・ソン) ベトナム108軍中央病院教授・理事長。ベトナム軍少将。臨床医薬研究所理事長。専門分野は感染症(ウイルス性感染症、細菌性感染症)と呼吸器疾患、消化器疾患、熱帯疾患(デング熱、マラリアなど)。
  • 2025年の大きなイベント 

    2025年01月14日
    2025年が始まりました。今年、日本や世界では、どのようなイベントがあるのでしょうか?これから日本に来るベトナム人やすでに日本に住んでいるベトナム人の皆さんのために、日本を中心に今年の主なイベントを紹介します。【藤田裕伸】 阪神・淡路大震災から30年(1月17日) 大震災で倒壊した高速道路=神戸市で1995年1月17日(毎日新聞社提供) 死者・行方不明者6,434人を出した阪神・淡路大震災から30年を迎えます。 大震災で倒壊した高速道路=神戸市で1995年1月17日(毎日新聞社提供) 死者・行方不明者6,434人を出した阪神・淡路大震災から30年を迎えます。 米国でトランプ大統領が就任(1月20日) 米ホワイトハウス 1月20日、トランプ米大統領が就任します。「米国ファースト」を掲げ、関税によって中国などに貿易戦争を仕かけようとしています。世界経済の悪化が懸念されています。 米ホワイトハウス 1月20日、トランプ米大統領が就任します。「米国ファースト」を掲げ、関税によって中国などに貿易戦争を仕かけようとしています。世界経済の悪化が懸念されています。 ウクライナ侵攻から3年(2月24日) ウクライナの首都キーウ ロシアがウクライナに侵攻して丸3年となります。それまでに停戦合意を実現できるのでしょうか。 ウクライナの首都キーウ ロシアがウクライナに侵攻して丸3年となります。それまでに停戦合意を実現できるのでしょうか。 中国の全人代開幕(3月5日) 2024年3月の全人代(毎日新聞社提供) 中国の全国人民代表大会(全人代)が開幕します。習近平国家主席がどのような外交政策を示すのかに注目です。 2024年3月の全人代(毎日新聞社提供) 中国の全国人民代表大会(全人代)が開幕します。習近平国家主席がどのような外交政策を示すのかに注目です。 米大リーグ開幕(3月18日) 野球の米国メジャーリーグが開幕します。大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手が所属するドジャースと鈴木誠也(すずき・せいや)選手のカブスが東京ドームで対戦します。 野球の米国メジャーリーグが開幕します。大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手が所属するドジャースと鈴木誠也(すずき・せいや)選手のカブスが東京ドームで対戦します。 ラジオ放送開始100年(3月22日) 日本でラジオ放送が開始されてから100年を迎えます。テレビ放送の開始はそれから28年後の1953年ですが、テレビが普及するのには時間がかかり、長きにわたり、ラジオが日本の家庭での情報収集や娯楽の主役でした。 日本でラジオ放送が開始されてから100年を迎えます。テレビ放送の開始はそれから28年後の1953年ですが、テレビが普及するのには時間がかかり、長きにわたり、ラジオが日本の家庭での情報収集や娯楽の主役でした。 大阪・関西万博が開幕(4月13日) 大阪・関西万博の候補地(毎日新聞社提供) 2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)が開幕します。158の国と地域が参加する予定で、閉幕は6か月後の10月13日です。 大阪・関西万博の候補地(毎日新聞社提供) 2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)が開幕します。158の国と地域が参加する予定で、閉幕は6か月後の10月13日です。 日航ジャンボ機墜落事故から40年(8月12日) 墜落現場で見られた航空機の主翼=事故の翌日(毎日新聞社提供) 日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹山(おすたかやま)に墜落し、520人の死者を出した事故から40年。日本の民間航空史上最悪の事故。 墜落現場で見られた航空機の主翼=事故の翌日(毎日新聞社提供) 日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹山(おすたかやま)に墜落し、520人の死者を出した事故から40年。日本の民間航空史上最悪の事故。 終戦から80年(8月15日) 昭和天皇が終戦を告げるラジオ放送に聞き入る日本国民ら=1945年8月15日撮影(毎日新聞社提供) 第二次世界大戦で日本が敗戦してから80年。さまざまな式典が行われます。 昭和天皇が終戦を告げるラジオ放送に聞き入る日本国民ら=1945年8月15日撮影(毎日新聞社提供) 第二次世界大戦で日本が敗戦してから80年。さまざまな式典が行われます。 ベトナム建国80周年(9月2日) 今のホーチミン ベトナム建国から80年。1945年9月2日に故ホー・チ・ミン主席が独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国が成立しました。 今のホーチミン ベトナム建国から80年。1945年9月2日に故ホー・チ・ミン主席が独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国が成立しました。
  • 「正座」は日本の伝統的な座り方?

    2024年05月04日
    足を折りたたんで座る「正座」。日本の江戸時代(1603~1868年)、武士が将軍に会うときは、正座をすることで将軍への忠誠心を示しました。現代でも、茶道や華道、書道など日本の伝統文化で正座は正式な座り方とされ、日常生活でも、和室で目上の人と会うときは正座が原則です。ただし、日本で正座が広まったのはそれほど昔のことではありません。それでは、正座は日本でいつごろからどうやって広まっていったのでしょうか? この記事は5カ国語の総合メディアJAPOと共同で制作しました。ベトナムでは、JAPOのウェブサイトに毎月15万件のアクセスがあり、雑誌も毎月2万部を配布しています。TV番組もあります。 昔は「立てひざ」や「あぐら」が一般的だった あぐら かつては「立てひざ」や「あぐら」が一般的 正座は日本の奈良時代(710~784年)に中国から伝わったと言われています。しかし、長らく、正座をするのは、神様や仏様に祈るときや高貴な人にひれ伏す場合などに限られていたようです。 江戸時代(1603~1868年)までは、公的な場でも、男性も女性も片方のひざを立てて座る「立てひざ」の座り方が多かったそうです。その後、座禅(ざぜん)の座り方に近い「あぐら」という座り方(上の写真)も広まっていきます。 十二単の着物 平安時代(794~1185年)の女性貴族や宮廷で働く女性たちの姿が当時の絵に描かれていますが、彼女たちの正装は十二単(じゅうにひとえ)という着物でした。この着物は下半身の部分がゆったりし、あぐらで座ることを前提にデザインされていました。また、平安時代の女性が正座を崩した「横座り」でくつろぐ姿も当時の絵で見られます。 武士や茶道での座り方 「あぐら」をかく武士 江戸時代までは、武士も「あぐら」か「立てひざ」、「そんきょ(しゃがむ姿勢)」の座り方で座っていました。正座で座ると、足がしびれますし、立ち上がるのに時間もかかるので、周囲の人から急に襲われた場合に対応できないという事情もありました。 千利休 また、今は茶道をするときは正座が原則ですが、昔は「あぐら」でよかったそうです。最も有名な茶人である千利休(せんのりきゅう、1522~1591年)もあぐらで茶道をしていたことが、当時の絵から分かります。 正座が広まり始めたのは17世紀 将軍が正座を導入 正座が広まっていくきっかけになったのは、江戸時代(1603~1868年)の初期に将軍(しょうぐん:全国の武士のトップ)が各地の大名(だいみょう:各地の武士のトップ)や家臣(かしん:身近な部下)に会う際に、相手に正座を義務付けたことでした。 将軍はKing of Samuraiなので、自分を神格化(しんかくか)したかったのかというと、そうでもないそうです。 相手に正座をさせると、相手が立ち上がって刀で斬(き)りかかるのが難しくなります。そこで、大名や家臣たちが将軍の前で座る際、将軍を攻撃する気持ちがないことや将軍への服従の気持ちを示す作法として正座が導入されたのです。 畳の普及で正座が広まる 将軍が大名や家臣に正座を義務付けたのをきっかけに、正座文化は武家社会で少しずつ広まっていきました。しかし、当時の住居は板間だけだったので、武士といえども、座り方の主流は引き続き立てひざやあぐらだったようです。武士の間で正座がもっと定着するのは、畳が登場した江戸時代中期以降でした。 畳の登場で武士の間に正座文化が定着すると、武士と交流がある商人たちも礼儀を示すために正座をするようになりました。 学校教育でさらに広まる そして、明治時代(1868~1912年)になると、正座は庶民にも広まります。これは、明治時代以降の政府が学校の「修身(しゅうしん)」という道徳教育の科目で、外国文化との違いを強調するために、日本人の正しい座り方として「正座」を教えたからです。「正座」という呼び方もこのときに生まれました。これによって、それまではあぐらでもよかった茶道の座り方も正座に統一されていきました。 同時に、それまではお金持ちの家にしかなかった畳が庶民の家にも普及し、正座をしやすい環境が生まれました。さらに、江戸時代に大流行した脚気(かっけ)という、足の痛みを伴う病気の治療法・予防法が明治時代に確立されました。脚気にかかると足が痛くて正座ができなかったのですが、脚気が激減したことも正座の普及を後押ししました。 正座が必要な場面と座り方 正座が必要な場面 現在、「正座」は茶道や華道、書道、落語、囲碁、将棋など日本文化の様々な場面で使われています。また、和室で目上の人と対面するときには、正座が礼儀正しい座り方ですし、日本で神様や仏様に祈る場合も正座をするのが一般的です。 正座の座り方 ①はじめに、床に両ひざをつきます。 ②お尻を落として、かかとの上に乗せます。 ③足の甲を床にぺたんとつけます。これで正座が完了です。 正座をしたら、両手はひざかももの上に置き、背筋を伸ばします。男性はひざとひざの間を少しだけ(こぶし一つ分)開き、女性はひざを閉じて座ることが多いです。 正座ができないとき 足をけがしている場合や高齢で正座が難しい場合などは、相手に事情を話して足を崩しましょう。 正座のよいところ 脳が活性化 勉強するときや気持ちを引き締めるときに正座をします。正座をして背筋も伸ばすと、脳が活性化され、集中力も高まります。 正座をすると足が短くなる? 「日本人は正座をするため外国人と比べて脚が短い」と考える人がいます。確かに、正座をすると下半身の血流が悪くなるため、脚が成長しにくくなるような気がします。 しかし、現在は、正座と脚の長さには関連性はないと言われています。日本人の脚が昔と比べて長くなったのは、正座をしなくなったためではなく、食生活の変化によるものと考えられています。 まとめ 正座は奈良時代に中国から伝わったと言われていますが、普段の生活の中では広まらず、「立てひざ」や「あぐら」の座り方が一般的でした。 正座が広まり始めたのは、江戸時代(1603~1868年)に将軍が大名や家臣に正座を義務付けてからでした。その後、畳の登場で武士の生活の中でも正座が広まりました。さらに、明治時代(1868~1912年)に畳が庶民にも普及したうえ、政府が学校教育で正座を推進したため、庶民の間でも正座が一気に広まりました。 日本の伝統的な座り方とされる「正座」ですが、世間一般に広まったのはそれほど昔ではなかったのですね。 ところで、あなたは正座ができますか?私は正座が苦手です。足が痛くなりますからね。

留学生・技能実習生・エンジニアをサポートするサイト

【在ベトナム日本国大使館後援】

  • ボランティア活動紹介 – 外国の障害児に送るための車いす修理活動 –

     JR青梅線の羽村駅近くの倉庫で毎月第3日曜日、海外の障害児に送るために古い車いすを修理、清掃するボランティア活動が行われています。毎回100人前後の日本人と外国人のボランティアが参加しており、親子で参加する家族も見られます。  この活動は、使用済みの古い車いすを使えるように修理し、世界中の障害児に送っているNPO法人「海外に子ども用車椅子を送る会」が主導しています。  NPOは2004年に設立され、現在までに23カ国に約8000台の車椅子を送りました。ベトナム人のボランティアグループは2011年から参加しており、毎月10人ほどが活動しています。今年は、7月から9月にかけてベトナムに送られる車いす90台をメンテナンスし、累計で1200台以上をベトナムの子どもたちに送りました。ベトナム向けの車いすを修理する際は、30人を越えるボランティアが参加するため、全参加者にベトナム料理を提供したこともあります。   会場は都心からは離れていますが、有意義な活動で日本人、ベトナム人だけでなくネパール人やイギリス人、アメリカ人など様々な国のメンバーが毎月集まります。参加に興味がある場合は、下記のFacebookのページに連絡してください。 ☆ NPO 海外に子供用車椅子を送る会サイト https://kaigaikurumaisu.org ☆「海外に子ども用車椅子を送る会 ベトナムプロジェクト」ウェブサイト https://www.facebook.com/groups/235820103418402/ ☆在日ベトナム人協会 https://www.facebook.com/groups/235820103418402/

    2019年11月27日

  • 日本でも一緒にサッカーをする仲間が作れる

     ベトナムでサッカー人気が高まっています。10月15日もベトナム代表がインドネシア代表に3-1で勝ち、盛り上がりました。  この人気に伴い、最近はベトナム人の娯楽としてのサッカー熱も高まっています。日本でも、サッカーサークルにベトナム人が参加したり、大会を企画したりしています。川の河川敷や公園でベトナムの若者が大勢集まって練習しているのを見かけます。大会に向け、会社や学校が終わった後に集まり、大会のため熱い日も寒い日も本気で練習している人たちもいます。  日本は1993年からサッカーのプロリーグがあり、大人気のスポーツです。仲間で集まって練習しているグループも多く、日本に留学してアルバイトをするとそんな日本人と知り合います。その人たちと仲良くなって、一緒に練習し、サークルに参加したりできます。  サッカーはチームプレーなので、スポーツ精神や連帯責任、協調性も身につきます。サッカー好きは、ぜひ日本のサークルの扉をたたいてみてください。歓迎してくれますよ。

    2019年10月26日

  • 日本の冬服 -日本の冬は寒い-

     紅葉のシーズンを迎え、もうすぐ本格的な冬がやってきます。日増しに寒くなっていく今日この頃……どんな冬服を準備すればいいのか、一緒に考えましょう! 1.冬に必要な服  まずは寒い冬に必要なアイテムをご紹介します。  長めのアウター、タートルネックセーター、ストレッチウールニットセーター、ジーンズ、スカート(素材:スエード、コーデュロイ、ニットなど)、ベレー帽、タイツ、レギンス、レッグウォーマー、ウールの靴下などをそろえましょう。それらのアイテムにブーツやスニーカーを組み合わせるのがオシャレです!  また日本では、保温効果が高いインナー(ヒートテック)を売っていますので、何枚も重ね着する必要がなく、ファッションを自由に楽しめます。誰もが1~2着は持った方が良い〝寒い日本の必需品〟ですね。  寒さが厳しい雪の日や深夜、早朝に外出する人たちはインナーに加え、ニットキャップ、耳あて、ネックウォーマー、厚手の手袋、スノーブーツなどを準備しておくのがおススメです。 2.洋服の色  冬は、紺、黒、グレーなどの暗めな色の服が多く出回りますが、そこまで季節を意識した色のものを着なくてもいいと思います。ただ、どのお店でも暗めの色の服が増えてきますので、そこに差し色として明るめな色のものや奇抜なカラーのものを持ってくると、インパクトもあるだけでなく、個性も主張できます。逆に落ち着いた雰囲気にしたい、または無難な感じにしたいなら、同系色のコーディネートでまとめるのが失敗もないし簡単ですね! 3.冬服を買うお得な期間  冬服のセールは12月からスタートします。まず月初めにプレセール、中旬にグランドセール、そしてクリスマス直後からクリアランスセールが始まります。そして1月に入ると新春セール等が開催されます。シーズンごとのセールの中で、一番お得感があるのが冬のセールではないでしょうか。単価が高いため、割引率によってはかなり割安になりますし、コートなどの厚手のアウターは流行に関係なく長く着られるものが多いです。この時期に少し奮発してでも多くのアイテムを購入しておきたいですね! 以上、日本の冬服の紹介でした。暖かく、オシャレな冬を思いきり楽しみましょう!

    2019年11月18日

  • ベトナムの常識・日本の非常識_23:隣人の家に勝手に上がらない

    日本では、いくら親しい間柄の隣人でもさまざまな節度を守る必要があります。隣人と外で立ち話はするのに、自宅にはなかなか入れない▽玄関を閉め、窓にはカーテンを閉めて自宅内が外から見えないようにする▽“騒音”に敏感――など、日本の近所付き合いの文化を一緒に見ていきましょう。 隣人宅に入るのはハードルが高い 「遠くの親戚より近くの他人」はベトナムで古くから語り継がれてきた言い伝えで、ベトナム人にとって隣人は特別に親しい間柄の人たちです。私の家はハノイの高層アパート(日本で言う「マンション」)にあります。同じ階に10軒あり、ほとんどの家はほぼ終日、玄関のドアが開いていて、大人も子どももお互いの家に自然に出入りします。唐辛子を求めて隣家を訪ねたり1ケースの卵をあげるために出入りしたりすることもあり、いつも活気があってフレンドリーな雰囲気です。 立ち話はよく見かけるが… しかし、こうした文化は日本人から見るとちょっと奇妙に映り、人によっては厄介だと感じる場合もあります。多くの日本人、特に都会に住む日本人にとって、彼らの家は家族だけが出入りする場所なのです。アパートの隣人同士がいくら親しくても、ベトナムのようにお互いの家に出入りすることはあまりありません。日本では、主婦が玄関前で何時間も立っておしゃべりすることはありますが、お互いの家に入ることはまた一つ上の領域なのです。私の姉は日本に30年以上住んでいて近所の方々ととても親しくしていますが、彼女たちの自宅に招かれたことはたった1度しかありません。 自宅の中をあまり見せない 日本の家の様子 先ほどの話と関連しますが、私のアパートでは玄関ドアや窓を開け放っていることが多く、カーテンも日光や新鮮な空気を取り込むためにいつも開けています。近所の人に自宅内を見せるためそうする人もいます。 しかし、多くの日本の家では常にカーテンを閉め、窓もあまり開けたままにしていません。昼間は、日光を取り込むために厚手のカーテンは開けていますが、室内が見えないようにレースのカーテンなどを閉めているケースが大半です。そして、玄関が常に閉まっているのは普通です。日本の住宅街を歩いていると、そこに人が住んでいるのになぜこんなに静かなのか、不思議に思えます。ベトナム人の皆さんはこれに驚かないでくださいね。 日本人は自分の家の中を人に見せたいと思わないのです。ですから、たとえ開いている窓のそばを通りがかったとしても、室内をじろじろ見ないでくださいね。カーテンを閉められてしまうケースが多いでしょうから。しかし、これが日本人の文化であり、日本人らしさであって、決して「冷たい」わけでも「よそよそしい」わけでもないのです。 廊下での“騒音” 日本のアパート(マンション)の静かな廊下 引き続き近所付き合いの話です。アパート(マンション)の廊下を巡る生活文化についても、日本とベトナムで大きな違いがあります。 ハノイの私のアパートの玄関前の廊下では、毎日午後になると、近所の子どもたちが数人、サッカーをしたりおもちゃで遊んだり、叫んだりしています。その子どもたちが遊ぶ様子を見ているおばあちゃんが常に2、3人いる……。そういったシーンはまさに“ベトナム”です。あるおばあちゃんは「新型コロナで自粛中は周辺が静か過ぎて寂しかった。でも、家で遊ぶ子どもたちの声を聞くと、前向きなエネルギーをもらえたわ」と話していました。 以前、日本からの帰国子女である私の娘が通うハノイ日本人学校の女性教師(日本人)は「自宅アパートの廊下がうるさすぎる」と生徒たちに不平を言っていました。彼女はアパートの管理組合に繰り返し相談したのですが、状況は変わりませんでした。子どもたちが遊ぶ声が程度を過ぎると、日本人にとっては“騒音”となり、迷惑に感じてしまうのです。これは、日本人が子どもを嫌いなわけではなく、騒ぐ声の程度によるようです。 日本ではアパート(マンション)の管理規約に騒音に関する項目が盛り込まれているケースも多いです。「子どもが廊下で遊んだり騒いだりすることを禁止する」とまで書かれているかどうかは別にして、廊下や玄関ホールなど共用スペースは基本的に静かです。それは、「騒音を出さない」というのが日本人社会での暗黙のルールだからです。 あなたが部屋で多人数の宴会やカラオケで大きな音を出し続けると、「近所迷惑」となり、通報されて警察がやってくることもあります。日本では、トラブルを避けるためにこのルールをよく覚えておいてください。

    2021年11月09日

  • Vol. 04 留学経験生かし、ハノイの日系企業で活躍

    今回の先輩 Doan Thi Minh Trang(ドァ・ティ・ミン・チャン)さん 1991年生まれ、Hai Duong 省出身2009年6月 Nguyen Trai 高校卒業2009年9月 ハノイ人文社会科学科大学東洋学部 日本学科 入学2012年9月 大東文化大学 国際関係学部 国際関係学科 交換留学生2013年 9月 ハノイ人文社会科学科大学 再入学2014年 6月 ハノイ人文社会科学科大学 東洋学部 日本学科 卒業2014年 7月 日系企業(製造)入社(正社員、通訳・翻訳業務)2015年4月  メイワ・ベトナム入社(営業) はじめに 私はハノイのメイワ・ベトナム(Meiwa Vietnam) という日系企業で働いています。通訳・翻訳もしますが、営業や顧客のフォローを担当しています。私は交換留学で日本の大学で1年間学びましたが、その間、ほとんど日本語だけで生活し、日本語力を高めて帰国することができました。この経験があったためにハノイで大きな日系企業に就職することができました。現在、子育てを義母に手伝ってもらいながら仕事を続けています。 日本留学のメリットとして、「日本語漬け」の環境に置かれ、日本語が上達するということが第一に挙げられます。また、日本人の生活・性格・文化・習慣も学べ、日系企業で働く上でも歓迎されます。そのほか、親から独立して生活するので、時間やお金を自分で管理する習慣が身に付く▽ベトナム人以外の外国人留学生との交流が多く、さまざまな国の友達ができる▽日本の美しい景色を楽しめる――といったメリットもあります。ただ、留学で十分な成果を得るには、ベトナムでしっかり勉強してから日本に行くことが大切です。そうしたことを含め、私の留学経験についてご紹介します。 週末は、長女をたくさん抱っこしてあげます。【2019年3月】 日系企業で活躍の場 私の勤務先の「メイワ・ベトナム」は「明和産業(Meiwa Corporation)」という日本の商社の現地法人で、本社はホーチミン市にあります。私は通訳・翻訳だけを担当しているのではなく、受注・発送を含む営業業務全般を任されています。税引き後の給料は約1,900万ドンで、日本語力や経験、学歴などを高く評価してもらっているように思います。人材紹介会社に履歴書を送って登録したところ、運良くこの会社を紹介してもらえました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 私の勤務するハノイ支店は日本の塗料や樹脂を扱っています。販売先は主に日系企業で、日本人の営業マンと一緒に顧客に会って通訳やメモをし、成約後も受注・発送・顧客フォローを行います。 以前にも別の日系企業に勤めていました。とても有名な会社で、働きやすい職場でしたが、仕事の内容が通訳・翻訳だけだったので、別の勤務先を探していました。今の会社に転職して給料は2倍以上になりました。そして、今の会社に移った後の2018年8月、初めての子供(女児)を出産しました。産前・産後に計7週間休んだ後、職場に復帰し、夫の母に子育てを手伝ってもらいながら勤務を続けています。 [/show_more] 職場近くのカフェ・ラウンジで【2019年6月】 大学入学後に日本語学習 日本語の定番テキスト「みんなの日本語」 私が日本語の勉強を始めたのは大学に入ってからです。大学の日本語テキストはロングセラーの「みんなの日本語」(出版社:スリーエーネットワーク)などでした。4年生のときに1年間、東京にある私立の「大東文化大学」に交換留学しました。交換留学は、ベトナムの大学と日本の大学の協定に基づくプログラムで、留学期間中、毎月8万円(約1,725万ドン)の奨学金(海外留学支援制度奨学金)を日本学生支援機構(JASSO)からもらいました。しかし、成績優秀者しか交換留学に行けないので、大学入学後、一生懸命に勉強をしました。 交換留学のプログラムを知ったのはハノイ人文社会科学大学に入ってからです。日本学科24人のうち10人ぐらいが交換留学生に選ばれ、東京大学、専修大学などさまざまな大学で留学できます。私は交換留学生に選ばれるよう、一生懸命に勉強をしました。日本語の勉強に特に時間をかけ、大学のテキストなどで毎日2時間以上勉強しました。また、定期試験では日本語以外の教科でも良い成績をとれるように努力しました。 私は高校に通った3年間、日本の新聞社から毎月1,000円(約214,800ドン)の奨学金をもらいました。金額は大きくありませんでしたが、勉強の参考書などを買えたのでとても助かりました。このため、「日本ともっと関わり、日本とベトナムの友好のために貢献したい」と思い、大学の日本学科を選びました。もちろん、ドラえもんやコナンも大好きで、日本への親近感はもともと持っていました。 日本での生活 ・交換留学生への奨学金を受給・アルバイトで日本語上達(そのためにも留学前の勉強が大事)・留学生向けの寮で上手に生活 外国人留学生仲間や大学の留学生指導者と一緒に伊豆に旅行【2013年2月】 交換留学生にはJASSOから毎月8万円の奨学金が支給されるので、留学中のアルバイトはあまりたくさんしなくても済みました。大学の留学生寮に入ったので、家賃も格安でした。また、日本に行く前に日本語の勉強を頑張り、日本語能力試験(JLPT)のN3程度の力を身につけてから留学したので、日本で良いアルバイトがすぐに見つかりました。仕事の中で日本語を使う場面が多く、大学の授業だけでなくアルバイトを通じても日本語力を高めることができました。こうして、1年間の留学を終えて帰国後、すぐにJLPTのN2に合格しました。 交換留学生に対するJASSOの奨学金制度: https://www.jasso.go.jp/en/index.html 大東文化大学には留学生寮があり、家賃は格安でした。台所やシャワー、トイレは共同ですが、部屋は個室(1人に1部屋)です。50,000円(約1078万ドン)の寮費の中に電気代や水道代などの光熱費が含まれ、無料インターネットもありました。みんなで使う食堂にテレビがあり、個室にベッド・机・本棚が付いていたので、大きな家具を購入する必要もありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,570 VND(2019年10月3日現在) 収入(合計140,000~150,000円) アルバイト1件(飲食店店員など) 60,000~70,000 円 ※奨学金があったので必要最小限のアルバイト時間にとどめ、勉強に時間をとった。 JASSOの奨学金 80,000円 支出(合計 95,000円) 家賃(寮費) 50,000円※個室/トイレ、シャワー、台所は共同※インターネットwifi無料 携帯電話  5,000円 食費 20,000円※主に自炊 授業料 0円 交通費(通学など) 10,000円 雑費 10,000円※衣類や書籍など 差額(貯金)平均45,000~55,000円 ※ベトナムへの仕送りはなし。貯まったお金は主に旅行や緊急出費などに使った。 日本でのアルバイトと訪日前の準備 ・日本に行くまでに日本語力のスキルアップ・ケーキ屋やKFCでアルバイトを通じて会話力向上・無料の求人情報誌(日本語)でアルバイト探し 交換留学が決まって日本に行く前の数カ月間、日系企業のベトナム人従業員に日本語を教育する施設で受付のアルバイトをしました。日本人の教師が何人かいたので、「授業の準備でお手伝いすることはありませんか」と自分から話しかけ、資料整理などを手伝いながら先生たちと日本語の会話をたくさんするように心がけました。 日本では、ケーキ屋やケンタッキー・フライドチキン(KFC)でレジなどを担当しました。お客さんと会話する仕事にすぐに就けたのは、日本に行く前にしっかり準備の勉強をしていたからです。アルバイトで日本語を使い続けたことは、日本語力を高める上で本当に役に立ちました。 【アルバイトの探し方:求人情報誌】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 日本での留学を始めて約1カ月後、寮の近くのケーキ屋でアルバイトを始めました。どうやってアルバイトを探したかというと、駅やコンビニに無料で置かれている求人情報誌(日本語)を読みました。こうした求人情報誌には地元のアルバイトがたくさん紹介されています。その中から、店員など外国人留学生を採用してくれそうな仕事を探して電子メールで履歴書を送りました。履歴書を3、4件送ったうち、最初に面接をしてくれたケーキ屋で採用が決まったので、そこで働くことにしました。面接で自分の言いたいことはそれほど伝えられませんでしたが、求人情報誌も読めましたし、面接で相手の言っていることは7割ぐらい分かりました。 [/show_more] 【アルバイトの探し方:友人からの紹介】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ケーキ屋で約4カ月働きましたが、クリスマスの繁忙期を過ぎて、そのお店のアルバイトが打ち切りになりました。そこで、今度は同じ大学の中国人留学生が働いていたケンタッキー・フライド・チキン(KFC)を紹介してもらいました。KFCでは、最初は厨房でしたが、最後の3カ月間はレジを担当しました。 [/show_more] 日本語学習のポイント ・日本語コミュニティーに身を置く・日本語を話すアルバイトに早く就く 私が日本に留学したころは、まだベトナム人が日本にそんなに多くはなく、周りにいるのは日本人や外国人留学生だけでした。留学生寮には外国人留学生が約20人いましたが、さまざまな国から来ているので、共通言語は日本語(たまに英語)でしたし、アルバイト先でも日本語しか使わないので、日本語を聞いたり話したりする機会がふんだんにありました。 最近は日本に在留するベトナム人が増えましたが、ベトナム人コミュニティーに安住するのではなく、日本語コミュニティーに自分から積極的に入っていき「日本語漬け」の状態を自分でつくる努力が必要かも知れませんね。また、日本に行ってから、日本語を使うアルバイトに早く就けるよう、訪日前にできるだけの準備(日本語のスキルアップ)をしていくことが大事です。 大東文化大学の留学生仲間たちと。各国からの留学生が集まっているため、留学生仲間の間での共通言語も主に日本語でした。【2013年2月】 日本を楽しむ 寮の近くに日本人の初老のご夫妻(猪鼻さん)が住んでいました。このお二人に中国語を教えていた中国人留学生の紹介で私もお二人と仲良くなり、毎週1回、食事に招いてもらうようになりました。猪鼻さんご夫妻とは、今もLINEなどでメッセージを交換しています。 大東文化大学の留学報告会に猪鼻さんご夫妻に来てもらいました。中央が私で私の両隣がご夫妻です。【2013年7月】 また、ときどき旅行にも行きました。帰国直前には大阪や京都に約1週間旅行しました。東京から大阪へは格安の夜行バスを使い、大阪では、ベトナム人の友人宅に泊めてもらいました。 東京スカイツリーの前で年越し【2013年1月1日】 神戸の中華街「南京町」で【2013年8月】 奈良の東大寺大仏殿の前で。後ろの建物の中に 大仏があります。【2013年8月】 横浜での花火大会【2013年夏】 留学のメリット ベトナムに帰国して最初に勤めた日系企業で夫と出会い、結婚しました。今は、夫の母に長女の子育てを手伝ってもらいながら二つ目の日系企業で勤務しています。日系企業で働くメリットは、①給料がよい ②日本人の働き方を身につけられる ③勤務先として安定性がある――などが上げられると思います。こうした一流企業に就職できたのは、日本での留学経験が役立ったからです。 交換留学の場合、日本での学費もかからずJASSOからの奨学金もありますが、私費留学生に対してもJASSOなどさまざまな機関が奨学金制度を設けています。また、成績優秀者には、専門学校や大学の授業料減免制度もあります。日本で留学したい人は、まずはベトナムで日本語の勉強をがんばることから始めましょう。そして、実際に留学したら、アルバイトでお金を稼ぐだけではなく、日本語力を高めることを第一に考えましょう。そのことが、あなたの日本やベトナムでの就職に役立ち、仕事のやりがいや長期的な収入安定につながると思います。 私費留学生に対するJASSOの奨学金:https://www.jasso.go.jp/en/study_j/scholarships/shoureihi/index.html

    2019年10月30日

  • ハロウィン – そもそもハロウィンって? –

     ハロウィンは、毎年10月31日に行われるお祭りで、古代ケルト人が秋の収穫を祝ったいわゆる収穫祭のことと言われています。ケルト人とは元々、中央アジアにいた騎馬民族のことで、彼らが紀元前にヨーロッパに移り住み、イギリスやアイルランドなどに広まっていきました。 古代ケルトでは11月1日が新年とされ、大晦日(10月31日)の夜に家族に会いにもどってくる先祖の霊と一緒にやって来る「悪霊」が作物に悪い影響を与えたり、子どもをさらったり、現世の人間たちに悪いことをするといわれていました。そこで人々は悪霊を驚かせて追い払うことを思いつき、仮面をかぶったり、仮装をしたり、魔除けの焚き火を行ったといわれます。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったりするのもこの由来です。米国の子供たちは近所の家を訪れてお菓子もらう風習があります。 今では米国でも民間の行事として定着していて、宗教的な意味合いは薄くなっています。日本にも伝わってからは仮装する行事が一般的となり、お店がランタンの飾りをしたり、パーティーが開かれたりしています。

    2019年10月24日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.